簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

自撮り棒(JR乗り潰しの旅)

2019-09-30 | Weblog




 近頃では観光地での「食べ歩き」が物議を交わしているようだが、旅先の
トラブルと言えば、もう一つ気になるものがある。
人の集まる繁華街や観光地で最近よく目にする、「自撮り棒」である。
1メートルほどの金属製の棒で、先端に自身のスマホを取り付け、自分自身
を撮影するときに使う写真撮影補助具のことだ。



 これを使えば自分自身だけではなく、大勢の集合写真や、広く大きく取り
入れた背景に自身の姿をおさめた写真を自身で撮ることが出来る。
一寸したブームになっているらしく、カメラ屋さん、ホームセンターや家電
量販店などには色々なものが並べられている。



 随分前の事、出始めの頃町中のベンチに座る制服姿の二人の女子高生が使っ
ているのを、目にしたのが初めてである。二人が顔を寄せ合って、棒の先端を
見ながらにっこり笑っている珍しい光景に出くわしたので思わず、「何してる
の?」と聞くと、「ジドリです」と答えた。実はこの時彼女たちの言葉が良く
聞きとれなくて、何のことなのか理解できていなかった。



 「ジドリ=自撮り」と言う意味を教えられて知るのであるが、「それで写真
が撮れるの?」と追い打ちをかけるようにバカなことを聞いてしまった。
何の変哲もない釣竿のような棒だからどうやってスマホ画面のシャッターマー
クを押すのだろうか?と不思議に思ったのだ。



 怪訝な顔をしていたのであろう。
「この棒に何か仕掛けでも・・・」などと妄想する心の中を見透かしたように、
二人は笑いながら「セルフですよ」と声を揃えて教えてくれた。
「あっそうか、そうだよねっ」世の中の進歩について行けない己を知らされた
一時であった。(続)(写真:本文とは無関係 東京・浅草寺)





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食べ歩き(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-27 | Weblog

 川越は歩いて町を巡る人が多い観光地だという。
その為なのか、お土産や食べ物・名産品などを商う店が、表通りは勿論、細い
路地などにも結構多く立地している。
中にはテイクアウトして食べやすいようなパッケージに入れて、その一押し商
品を店先で提供する店も少なくなく、そういったお店を巡るのも、この川越の
町歩きの一つの楽しみ方になっている。





 そんな店舗の中には有名店なのか、群れた人の塊が出来、長蛇の列をなして
いるところもあり、お目当ての商品を気長に並んで待っている。
そうしてようやく手に入れ、嬉しそうに手にしながらつつき合って、文字通り
食べながら歩く家族連れやカップル、外国人観光客等の姿を良く目にする。





 元々はその町の店を訪ね店内で食事をし、次は又違う店舗で違う味を楽しみ、
そんな店舗巡りを繰り返すのが「食べ歩く楽しみ」だったような気がするが、
何時の頃かこの「食べながら散策する食べ歩き」が支流になったようだ。

 その為に気軽に食べられるスイーツ・パン・コロッケ・せんべい・アイスク
リーム・ドリンク・ポテト・饅頭など、ありとあらゆるものが「食べ歩き」が
出来るように売られている。
こうなると当然のようにこれらに纏わる問題も出てくる。





 通りの流れが滞る、食べた後のゴミの放置、タレや油で道路を汚す、中には
他人の服を汚し、串などで他人を傷つけトラブルになる。店内に持ち込まれ、
商品を汚されたと言うケースもあるらしい。
川越の様子はよく知らないが、昨今全国の観光地では食べ歩きの賛否が入り交
じり、その対応に頭を悩ましているところも少なくないという。
(JR乗り潰しの旅・川越線 完)



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川越まつり会館(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-25 | Weblog

 川越に来てどうしても見て触れておきたいものの一つに「川越まつり」がある。
江戸の影響を強く受けてこの地の根付き発展を遂げた祭りは、国の重要無形民俗文
化財となると同時に平成28年12月にはユネスコの向かい文化遺産にも登録された。





 今から370年ほど前、時の川越藩城主が地元の氷川神社に、祭礼用具を寄進
し祭礼を奨励し、それを受けた氏子による御輿を渡御したのがその始まりとさ
れている。その後町民が屋台を造り披露したことから、次第に祭りの主役が山
車に置き換わり、各町が競って発展させ、今日に見る絢爛豪華なものに育て上
げたそうだ。





 この川越の山車の最大の特徴は、二層構造になった「あんどん(鉾)」と
そこに飾られる山車毎に設けられたテーマ所縁の人形にあるそうだ。
一番上層には人形が飾られていて、それは二層目にすっぽりと収まり、それ
はそのまま一層目のお囃子台(舞台)に収められる伸縮自在のエレベータ構
造になっていて、これは城の門を潜る為の工夫だ。またその台も水平回転す
る回り舞台になっているという。

 山車は、赤や黒の漆塗りや、金箔がふんだんに使われている。
川越職人の手になる精巧な木組みと彫り物に、金銀刺繍仕上げの艶やかな幕
が飾られたさまは見るものを圧倒する美しさである。





 そんな山車の実物を展示するのが「川越まつり会館」である。
ここには定期的に入れ替えられる山車が見られると同時に、休日などにはお
囃子の実演も行われ、祭りの模様を伝える上映も有る。
帰り際案内の男性が、「実際の祭りも見に来てください」と声をかけてくれ
たが、一度は実物を見てみたい祭りの一つかも知れない。(続)




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時の鐘(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-23 | Weblog

 とにかく人の多さに驚かされる。どこに行っても人、人、人・・・。
駅前にも、ここまで乗ってきた乗り合いバスにも人は多かったが、ここに来て
更に人口密度は高まっている。広い通りにも、狭い路地も、テイクアウトの店
先も食事処も、どこもかしこも人が群れて溢れている。





 菓子屋横町も例外ではない。
石畳の道に20軒ほどのお菓子屋さんなどが立ち並ぶ狭い通りは、まるでお祭り
の縁日のような人出である。素朴な懐かしい安らぎなど感じられる風情では無い。
店を覗こうにも店先ではじかれて入れない。人気のスイーツの店先には長い行列
が出来ている。
通りも人が多く思うように歩けず、その石畳も見えないほどの混みようだ。





 その人波のピークは、この町のシンボルとも言える「時の鐘」の有る辺りだ。
人混みに車が錯綜し、まるで終始が付かない様子だ。これが日常的な光景なら、
年間の観光客数も大げさな数字ではなく、納得できる程にとにかく人が多い。





 「時の鐘」は、江戸時代の初め頃から城下に時を告げ、町民に親しまれてきた
という。全国的にも時の鐘は残されているところもあって、格段に珍しい存在で
はないが、ここのものは、川越大火で一度は焼失して無くなったものを、再建し
たものだという。

 今有るものは4代目に当たり、機械仕掛けだそうだ。
江戸情緒の色濃く漂う町並に響き渡る鐘の音には、恐らく川越商人達のその心意
気が聞こえて来るのであろう。
そんな鐘の音は、午前六時、正午、午後三時、午後六時の一日四回なるそうだが、
残念ながら聞くことは叶わなかった。(続)

東北に伝わる「伝統こけしを訪ねる旅」
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蔵づくりの町並み(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-20 | Weblog

 そんな川越の中心的な観光地の一つが、駅から続くクレアモールや大正浪漫
夢通りを抜けると広がる「蔵づくりの町並み(一番街)」である。その美しい
町並は、「重要伝統的建造物群保存地区」や「美しい日本の歴史的風土100選」
に指定されている。この日「小江戸巡回バス・喜多院先回りコース」に乗車し、
蔵の街で降車してやってきた。





 どっしりと重みのある黒瓦葺きの屋根にどっかと跨ぐ鬼瓦、落ち着きのある
黒漆喰の壁、分の厚い観音開きの窓の扉、窓に嵌められた格子、屋根庇に乗る
歴史を重ねた店の看板、玄関先に架かる暖簾などなど。まるでタイムスリップ
をしてしまったかのような趣のある商家が立ち並ぶ様に圧倒される。





 江戸時代になり、城下町が整備され、向かいあった家並みが形成されるよう
になると、度重なる大火の対策として、幕府が燃えにくい瓦葺き漆喰塗り込め
の土蔵造りの建物を奨励したのがその始まりだという。
幅の広い通りもその一環らしい。

 しかし家屋が隣り合い、密着して立ち並んでいるにも拘わらず、延焼対策と
しての卯建をあげない商家が意外にも多い。中には黒瓦を乗せた立派のものも
あるようだが、殆どの商家では見ることが出来ないのも不思議である。
それだけ黒漆喰の家は燃えにくいと言うことであろうか。





 こうした建物の中には江戸・寛政年間に建てられたものもあり、国の重要
文化財に指定されているが、今日町並みに残る建物の多くは、明治26年に起
きた川越大火以後に作られたもので、今も30数棟が残されているという。
これらは関東大震災をも乗り越えてきた。
ここは「小江戸」とは言え、明治の香りが漂う通りである。(続)

東北に伝わる「伝統こけしを訪ねる旅」
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小江戸の巡回(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-18 | Weblog


 川越の町歩きは、大きくは三つのゾーンに分けられるそうだ。
一つは、観光パンフレットなどでもお馴染みの、町を代表するスポットの
「蔵づくりの町並・一番街」で、二つ目がこの町の発展の基となった「川
越城本丸御殿」「博物館・美術館」「氷川神社」のある辺り、そして最後
が「喜多院」や「熊野神社」「東照宮」「成田山」等が集まるゾーンだ。



 町巡りには、「小江戸巡回バス」の利用が良さそうだ。
これは駅の西口発着で、町中の有名な観光名所を結んで走る路線バスで一乗車
200円である。一日乗り降り自由なフリー乗車券(500円)も用意されている。
フリー券には協賛店での特典が受けられるサービスも付いているので、二回乗
ればほぼ元は取れるからお得である。



 バスはレトロな小型ボンネット型で、車内では名所案内もあるので、観光
遊覧バス感覚で利用できる。時間が無いがこの町のことを多く知りたいとい
う向きにはお勧めである。この日は半日足らずの慌ただしい訪問であったが、
「喜多院先回りコース」に乗車した。
因みにもう一コース「蔵の街先回りコース」と言うのもある。



 発駅では、ほぼ座席が埋まる程度で出発した。
バスは城下町特有の狭くて入り組んだ道を、方向感覚が狂うほどに何度も折れ
ながら進む。停車を重ねる度に乗車する人の数が、降車する人の数を上回る。
本丸御殿辺りでは、車内は立ち客で一杯になってしまうほど混んできた。



 元々小さなバスで、視界もさほど広くはないのに、立ち客も多く視界が遮ら
れて僅かに左の車窓は見通せるものの、前も右も後ろも人の姿ばかりで、折角
の名所案内も台無しだ。(続)



東北に伝わる「伝統こけしを訪ねる旅」
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小江戸・川越(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-16 | Weblog



 埼玉県の南西部、武蔵野台地の北東端に位置する川越市は、人口35万人余で
埼玉県ではさいたま、川口に次いで第三の規模である。
都心から30キロメートルの首都圏の一躍を担う、ベッドタウンとしても発展を
続ける町という。



 武蔵の国川越は、江戸時代になると有力大名が支配する幕府の北の要として、
又川越藩のその城下町として栄えてきた。
町は江戸から或は領内の各所から、物資や農産・特産品の集散地として、当時
は主に川越街道を使った陸運や、新河岸川の舟運の要衝としてその繁栄の歴史
を支えてきたという。



 その為江戸との交流も厚く、文化や芸術に江戸情緒を色濃く写す町となり、
時にその勢いは江戸を凌ぐもので有ったという。
そんな町には城跡を始め、神社仏閣や商家など歴史的な建造物も多く残り、
今日「小江戸(こえど)」と呼ばれる観光地となっている。



 舟運から鉄道に変わった今日では、JRを筆頭に、西武新宿線や東武東上線
などが乗り入れ、首都圏の新宿や渋谷から1時間、横浜からでも1時間半ほどの
距離で、乗り換え無しで来られるようになった。
車なら関越自動道の川越ICから観光の中心的なところまで数キロと離れては
いないのでアクセスも良い。



 そんな風に地の利も良い事から、観光客の数は年間700万人 を越えるという。
平成23年には「歴史まちづくり法」(通称)により「歴史的風致地区向上地区」
(いわゆる「歴史都市」)に認定されたことも有り、近年では国内のみならず、
日本の伝統や、江戸情緒を求める外国人観光客も増えているらしい。(続)





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川を越える(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-13 | Weblog

 大宮駅で高崎線を降り、川越線に乗り換える。目指すは川越駅である。
電車は地下の駅を出てやがて地上に出ると、鉄道博物館を左に見る先で本線と
分かれ、進路を大きく西に取る。

 いつもの事ながら、JR東日本の多くの電車がベンチシートなのがつまらない。
初めて乗る路線では車窓が気になるが、窓に背を向けて座るので、外を見ること
が出来ない。
立ち客も多いので、座ると正面の車窓を隠されてしまうし、写真も撮れない。
首都圏の電車に乗ると写真が極端に少なくなる。





 都会の人はお疲れなのか眠っている人が多い。スマホを見るのに忙しいのか、
景色は見飽きているのか、車窓を見つめる人は殆どいない。多くの人を運ぶの
だから仕方が無いとは言え、長編成なのだから、一両ぐらいクロスシートを入
れてくれれば良いのにと何時も思う。




 
 さいたま市街地(旧大宮市)の広がりは指扇駅を過ぎる辺りまでで、車窓は
次第に郊外の雰囲気となると、ゴルフ場を下に見ながら荒川の鉄橋を渡る。
一帯は低湿な田園地帯のようだ。位置的には武蔵野台地の東北端で、幾つかの
小さな川の流れを越えるのは、ここら辺りが奥秩父から流れ出た多摩川が長年
かけて形成した扇状地として形成されたからか。
これから向かう川越は、荒川・新河岸川や入間川に挟まれて立地している。





 そんな川を越えないと着けない地であることから、元々は「河越」と呼ばれ
ていたとか。また川がもたらす肥沃な地であることから「川肥」とも言われた
とか、平安時代にこの地を押さえた川越氏に由来するとか、その地名の起源に
は諸説有るという。(続)

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川越線(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-11 | Weblog

 埼玉県の大宮駅と同県の高麗川駅(こまがわ)の間30.6㎞を、10駅で結ぶの
が川越線である。その歴史は比較的新しく、昭和15(1940)年、国策の軍需鉄
道として全線が一度に開通している。その後平成21(2009)年に西大宮駅が日
進と指扇間に新設される以外は、駅の増減も路線の変更も行われず、開業当時
の姿をとどめている路線でもある。



 とは言え、埼京線の開業に合わせ電化されて、川越と新宿を結ぶ電車が頻繁
に走り始めると通勤路線として大きな発展を遂げる事になる。



 今では東京臨海高速鉄道りんかい線との直通運転が行われ、通勤快速が走り、
池袋を始め新宿・渋谷、お台場などへ乗り換え無しでアクセス出来るようにな
っている。



 首都圏とを結ぶ路線らしく、午前4時台に始発が有り、反対に首都圏から戻る
電車は、午前0時を過ぎて到着する電車も少なくない。
日中こそ1時間に3本程度だが通勤通学の時間帯には数本設定されていて、正に
通勤路線としての面目躍如である。



 時刻表を見ると解るように大宮からきた電車が川越駅を超えることは無く、全て
がこの駅止まりである。まるで分断されたかのようにこの駅を境としている。



 西側は電化された八高線の高麗川から八王子との間で直通運転が行われてい
るが、編成も短くなりその本数は2本程度で、中には高麗川止めの電車もある。



 電化されたとは言え複線区間は大宮から日進の間だけで、後は単線である為、
多くの駅で列車の交換が出来るようになっている。又、僅か30キロ余の路線な
がら、全線を直通する電車が設定されていないこともが面白い路線である。(続)

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乗換駅(JR乗り潰しの旅・川越線)

2019-09-09 | Weblog

 駅での乗り換えは、いつもの事ながら気を遣う。
大きな駅ならば時刻表の乗り換え案内を参考にすることが出来るが、そこに
記載が無い駅では、この乗り換え時間で乗り継ぎが大丈夫だろうかといつも
心配が付きまとう。とは言え、それらの多くは取り越し苦労で、行ってみる
と接続が行われている場合も多く、案外スムーズだったりもする。





 到着したホームの向かい側に、その先に乗り継ぐ列車が待っていてくれるの
が一番ありがたい。地下通路を抜け、或は跨線橋を渡って違うホームに向かう
にしても、地方の駅ならよほどのことが無い限り5分程度の余裕があれば乗り
換えは出来る。





 しかし、都会の大きな駅となるとそんなに簡単ではない。
特に不慣れな駅で、幾つもの路線が乗り入れ、何本もホームがあるとなると
まず目的の路線のホームを見極めるのが大変だ。
他の路線を跨ぎ、総合乗り入れの路線などが多いと、行く先表示だけ見ても
その道中に目的の駅が有るのか無いのか理解が出来ない。
駅には路線図が掲出されていることもあるが、それを探すのも容易ではない
となると、乗り換えには本当に気を遣う。





 大宮駅で高崎線を降り、地下の21番乗り場だという駅のアナウンスに導かれ、
川越線の乗り場に向かう。改めて時刻表で確認すると同駅の新幹線から川越線
の乗り換えは10分とあり、これが目安になる。距離にすればおおよそ数百メー
トルと言ったところか。

 ホームに降り人混みに揉まれながら階段を上がり、東西の連絡通路から今度
は深い地下への階段を降りるとそこが川越線のホームである。
この間5分ほどで思ったよりも近い。(続)

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