簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

廃れゆく物(JR乗り潰しの旅)

2019-11-29 | Weblog



 近頃ではスマホの性能は格段に向上し、小さな図体に様々な機能が
盛り込まれ、その為、これが一台有れば事足りてしまい、結果廃れよ
うとするものも出始めている。
その代表的な物が、デジカメや腕時計だが、未だにこれは手放せない。



 普段は着けない腕時計だが、旅には必ず腕に巻いて出かけている。
今頃は四六時中スマホの画面を見つめている人も多いようで、画面を
見れば即座に今の時刻は知れるから、時計などという物は前世の異物
的の扱を受けているようだが、そう言ったスマホを見続けると言う習
慣を持たない身では、旅行時の腕時計は外せない。



 また、デジカメも軽くて嵩張らない、胸ポケットにすっぽりと収まる
薄型サイズのものを首から提げて旅に出る。
そうして旅先ではメモ代わりに、見る物見る物際限なく撮りまくる。
だから、予備カードと電源ケーブルは必ず持参する。
そうして撮り溜めた写真は、家に帰りピンボケや同じ構図の物は削除し、
パソコンのフォルダーに保存する。


 
 こうして写し集めた写真は、思い出の宝庫である。
昔なら撮り終えると、フィルムを現像し、プリントをして、アルバムや
スクラップブックに、時には何か一言添え書きをしながら一生懸命貼っ
たものだが、何時の頃からかそういうことをやらなくなった。



 今では殆どがパソコンに保存したままで、余り見返す事もないのに、
念のためと言ってバックアップだけは欠かせない。

 それでも時々古いアルバムや、パソコンのフォルダーを開けてみると、
遠い日の出来事なのに、その頃のことが即座に鮮やかに蘇ってくる。
決して思い出そうとしているわけではないのに、ごく自然に心の奥深に
しまい込んだ記憶が、解き放たれたように飛び出してくる。

 そんな時系列的に溜め込んだ写真の数々は、旅の記録そのもので、その
地、その時、その場所に即座に引き戻してくれる魔力が撮り溜めた写真に
は秘められている。(続)(写真:犬山城下町 本文とは無関係)






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コンパクトデジカメ(JR乗り潰しの旅)

2019-11-27 | Weblog

 「思い出の引き出しを開ける依代(よりしろ)」は、旅ならやはり
写真である。これなら何時眺めても、その時の光景が一瞬のうちにま
ざまざと蘇ってくる。
だから旅には、必ずコンパクトデジカメを持参する。
予備カードと充電ケーブルさえ忘れなければ、際限なく撮り溜が出来
るから重宝している。





 しかし一人旅が多いので、風景写真は多いものの、自身の記録となる
と極めて少ない。そんな状況を打開するために、旅先では可能な限り妙
齢な女性の、複数連れを見つけお願いする。
これは若い人や、一人だと変に警戒されてしまうし、どうせお願いする
のなら、男性よりは女性、年寄りよりは若い方がいいに決まっている。





 老人は「シャッターはどれ?」とか、「どこを押せば良いの?」とか、
不安なのかやたらに説明を求めてくるから正直面倒くさい。
また「あんたが・・、」「○○ちゃん、どう?」とか、やたら譲り合う。

 その点若い人は良い。一様にメカに強く、いちいちカメラの説明がいら
ないし、それ以上に構図のセンスの良さである。

「写真・・・、お願いしても良いですか・・・?」
恐る恐る近づくが大抵の場合にっこり微笑んで、直ぐにカメラを受け取っ
てくれる。それどころか、「ハイ、チーズ!!」などと声を掛けてくれる
ものだから、こちらは嬉しくなって、醜い顔を更に思いっきり崩して、V
サインなどをしてカメラに収まってみる。





 心優しい大和撫子は、これだけでは終わらない。
「撮れていますか?」と心配し、確認を促してくる。液晶を覗きこんで、
「アッ大丈夫ですありがとう」と礼を言うのもそれはそれで楽しいものだ。

 こんな時「どちらから?」等と、僅かな会話を交わしたりもする。
時に、一人旅にはこんな楽しみも待っている。(続)
(写真:博物館明治村 本文とは無関係)
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思い出の引き出し(JR乗り潰しの旅)

2019-11-25 | Weblog

 古い思い出を話しだすと、「又同じ話を。もう何回も聞いた。」と
つれない言葉が返ってくる。自分では余り意識していないが、どうや
ら同じ話を何度もくり返し、家人にしているらしい。
歳を重ねたせいか、近頃ふとした弾みで昔のことが鮮明に蘇ってくる
ことが有り、回想を口にする事も多いようだが、大抵の場合この言葉
でそれが終わる。



 作家の五木寛之さんは、『思い出のつまった引き出しは、放ってお
くと錆びついてくる。しかし、くり返し開けたり閉めたりしていると、
いつどんな時でも楽に思い出を引き出す事ができるようになるはずだ。



 体を使って歩き回るだけが行動ではない。回想の世界を逍遙するのも、
りっぱな運動のひとつだ。この回想活動をあまりしないでいると、脳の
働きはおとろえてくる。
アルツハイマー病の予防のためにも、思い出を磨くことは大切である。』



 更に『回想の引き出しを開けるためのその鍵のことを、「依代(よ
りしろ)という。これは心の奥底に眠っているものを引っぱりだすた
めのモノのことだ。』(新地図のない旅2019/06/05)と述べている。



 何かを見てそれがトリガーとなり、普段は忘れていた懐かしい記憶
がふと蘇ってくることは度々経験しそんな時つい語ってしまうようだ。
例えばテレビに見慣れた風景が映し出されると、或は町中で何かに遭
遇すると、はたまた何か過去のモノを手にするとつい自分の体験、思
い出や、持論を披瀝する。



 それがどうやら同じ話のくり返しになっているようだ。
しかし、アルツハイマー病の予防にもなるのなら、家人よ「同じ話で、
退屈ではあろうが暫く突き合ってくれ」と声を大にして言ってみたい。
(続)(写真:ラグーナテンボス 本文とは無関係)





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坂本宿と碓氷関所(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-22 | Weblog

 招魂碑を右に見ながら旧道に出て、少し下ると中山道碓氷関所跡
(東門)が有る。江戸時代街道の整備に合わせ、幕府は治安の維持
管理を目的に各地に関所を設けた。
取分け関東入国の抑えとして重要な関所と言われたのが、東海道の
箱根峠に設けられた箱根関所と、浜名湖の今切の場所に置かれた新
居関所である。





 五街道の一つ中山道には、木曽の山中の福島に福島関所が、また
この碓氷峠にも碓氷関所が置かれ、これらを総称して二本四大関所
と呼ばれていた。

 関所跡と言われる地には当時から残されていた門の台石、柱や扉、
屋根材の一部などを使った門が建てられている。
元々は街道を塞ぐように建てられていたものをこの地に移転再建した
ものだ。総ケヤキ材の高麗門形式で、格子の扉が付けられている。
そこには関所資料展示室も有り、公開されている。





その入口付近には「おじぎ石」が置かれて居る。
説明によると通行人がこの石の前に座り、手をついて手形を差し出し
たのだと言う。

 碓氷峠を下り、碓氷関所を無事通り抜ければ、江戸から数えて第17
番目の坂本宿である。峠を下った旅人は、充分な休息を取り、江戸を
経った旅人は、ここで充分に英気を養い、いよいよ中山道最大の難所、
この碓氷峠越えに挑むことになる。





 坂本宿は6町19間の街道沿いに、本陣、脇本陣各二軒、旅籠四十軒、
戸数一六二軒、人口七百人余りで、中規模の宿場町であったようだ。
旅籠の数が多いのは峠を控え、体を休める人々で賑わったかららしい。

 宿場の宿からはこれから超える刎石坂、それに続く碓氷峠が遠望でき、
旅人はその厳しさを思い浮かべていた事だろう。その厳しさは明治の機
関車も変わらなかったようだ。(JR乗り潰しの旅・信越本線 完)




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招魂碑(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-20 | Weblog

 途中何回か休憩をしドライブインに立ち寄り昼食をとり、彼方此方
写真を撮りながら、横川駅まで残り400mと言う地点まで下ってきた。
のんびりと歩いてきたのでこれまでに2時間余り要しているが、普通に
下るだけならば1時間半ほども有れば充分に行けそうだ。





 碓氷峠を越えるアプト式鉄道は、26のトンネルと18の橋梁で完成した。
そんな施設も鉄道の廃止と共に壊され、或は時の経過と共に朽ち果てて、
気が付けば半分以上が消えていった。
そんな中、横川側のトンネルは当時の姿をとどめながら現存し、全てが
重要文化財に指定されている。





 また橋梁も全線に渡り7カ所が現存し、内5カ所が文化財の指定を受け
ている。いまた観光名所となっているめがね橋も、明治の地震を受け橋
台や橋脚に補強工事が施されてはいるが、完成当時の姿を残す紛れもな
く文化財である。

 こんな難工事を伴った鉄道施設は、僅か1年6ヶ月という驚異的な短期
間で完成した。日に1万数千人もの人々を動員した突貫工事が行われた。
その中心にいたのは鹿島岩蔵と言う人で鹿島組の創始者だそうだ。その
ほかにも有馬組や日本土木などが工事を請け負ったと伝えられている。





 工事の陰には多くの関係者の犠牲が有ったことを忘れてはならないが、
そんな犠牲者の為の、鹿島組の「招魂碑」だけが横川駅近くに、「碓氷
峠交通殉難者」の鎮魂碑と共に残されている。その犠牲者の数は五百名
と伝えられている。
しかし、「二十数名に過ぎず・・・」との資料も残されていて、実態は
良く解ってはいないらしく、たった一つの招魂碑と共に今も謎となって
いる。(続)




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シェルパ君(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-18 | Weblog

 国指定重要文化財である旧丸山変電所は、普段は内部に入ることは出来
ないが、年に一二度秋頃には内部公開が行われる。
その折には、ボランティアスタッフが常駐して無料案内も行われると言う。

 旧信越本線の線路がそのまま埋め込まれた、遊歩道「アプトの道」もここ
ら辺りまで来ると勾配も緩くて、急坂を下る感覚は無い。
周りを濃い緑に華かまれて真っ直ぐ伸びる線路の前方には、妙義山の特異な
山容も望まれる。





 残された上下二本の線路の内、横川に向かう側(上り線)が遊歩道に
なっていて、中央にはフェンスが設けられている。向こう側の碓氷峠に
向かう線路(下り線)は現役時代そのままに残されていて、ここを観光
トロッコ列車「シェルパ君」が運行している。
その関係で架線や架線柱も当時のままに残されている。
正に線路の上を歩いている感覚で、時々廃線だと言うことを忘れてしまい
そうなほどだ。





 「シェルパ君」は「碓井鉄道文化村」と「峠の湯」の間2.6㎞をおよそ
20分かけて進む。2両編成で、先頭は開放感溢れるオープン型の車両で、
前部には展望スペースが設けられている。
2両目はガラス窓の付いた車輌となっている。





 丁度前方から峠の湯に向かう便が、当りの静寂を打ち破るエンジン音
を響かせ、自転車をこぐようなスピードでやってきた。
先頭のオープンデッキにはカメラを構える大人達に混じり、ちびっ子達も
陣取っていてアプトの道を歩くハイカーと歓声を上げながら交歓している。
かつて此の丸山発電所の前にもシェルパ君の駅があったらしいが、今は廃
止されている。(続)



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旧丸山変電所(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-15 | Weblog


 遊歩道を下ると、目の前に総煉瓦造りの立派な建物が見えてくる。
明治45(1912)年に碓氷線の電化に伴い新たに造られた旧丸山変電所の
遺構で二棟残されている。手前が機械室、その右が蓄電室の建物である。
当時このような変電所はもう一カ所同規模のものが、矢ケ崎にも造られ
ていたと言う。



 機械室には横川発電所から送られてくる交流電気の電圧を下げ、直流
に変える機械などが置かれていて、蓄電室にはそこから送られてきた電
気を、用意した312個の蓄電池に蓄え、上り列車が来ると放電し、勾配で
消費する電力を補っていたという。



 こうして碓氷峠越えを支えた変電所も、昭和38(1963)年に碓氷新線
が開通し、アプト式鉄道が廃止されるとその役目を終えることになる。
内部の機械は全て搬出され、一時倉庫として使われたようだ。
辛うじて建物の解体を免れた建物は荒れるに任せ、倒壊が危惧される時期
もあったようだが、平成に入り、文化財の指定を受けたことで、保存修理
工事が行われ、屋根の壁などの外観が復元され今日の姿になったという。



 入口を入るとまず、鉄骨で補強された壁や天井が目に入る。
機械の基礎の遺構で有ろうか、切り込まれた溝、割れたタイル、コンク
リート剥き出しのまるで廃墟のように荒れた床が痛々しい。
そんな中一際目を見張るのが巨大なブレーカーを収めた構造物である。



 外観もよく見ると新しい煉瓦で補修が施されている。
鉄道施設で過度の装飾はないが、堂々とした落ち着いた造りは、周囲の
緑の中に良く溶け込んでいる。側面の風貌は、長崎辺りの教会建築を思
わせる仕上げで、当時の建築技師の技術の高さと心意気を垣間見たよう
な気がする。(続)





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天然温泉「峠の湯」(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-13 | Weblog


 名物「ちから餅」で知られるドライブインを出て、前の国道を歩き、
再びアプトの道に戻り暫く行くと右に「峠の湯」の建物が見えてくる。
「峠の湯」は碓氷峠の麓に立地する、平成13(2001)年にオープンし
た日帰りの天然温泉施設で、碓氷峠の森公園交流館に併設されている。



 二階建ての館内の一階には峠の釜めしが味わえる食事処や、お土産、
地元品などの売店があり、二階は浴場、ラウンジやカラオケルーム、
リラクゼーションルームなどもある。
館には隣接して、ログハウスのコテージのある碓氷峠くつろぎの里と言
う宿泊施設も有り、利用者は「峠の湯」の温泉に無料で入る事が出来る。



 館前には広い駐車場も有り、車で来場しここを拠点に「アプトの道」を
上り下りする観光客も多いようだ。その性か館内にはデイパックを背にし
た人も多い。歩いて汗をかいた後、温泉で疲れを癒やすのが、この魅力を
高めているようだ。



 またこの施設の裏手は、トロッコ列車の終点「とうげのゆ駅」になっ
ている。ここからはシェルパくんに乗って「碓氷峠鉄道文化むら」の終
点、「ぶんかむら駅」まで行くことも出来る。
(鉄道文化むらへの入園が必要となる。)



 館を出て旧線の下をトンネルで抜け、アプトの道に出る。
ここからの下り道は、残された線路がそのまま埋め込まれた道で、架線
を支えた電柱もそのまま残されている。線路脇を注意しながら歩くと、
所々には鉄道の関連設備も錆びついたまま残されていて、向こうから電
車がやって来るのでは、と錯覚させられる。
真っ直ぐに伸びるそんな道を1㎞ほど歩くと、やがて前方に総煉瓦造り
の立派な建物が見えてくる。(続)





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碓氷貞光のちから餅(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-11 | Weblog


 1号トンネル(187m)を抜けるとその先に、「ソースカツ丼」の幟旗、
「ちから餅」の看板が立っている。案内板に引かれ、線路跡の法面に切り
込まれた石段を登り旧国道に出ると、道路脇にドライブインが建っている。
そこはドライブインというよりは、気軽に利用できる喫茶店、定食屋と言っ
た風情の店である。



 店内には、軽食のメニューと共に、碓氷峠のアプト式鉄道に関する
貴重な写真が何枚も、所狭しと飾られていて、どれも当時の姿を今に
伝える貴重なものばかりだ。
ここではそんな写真や写真集も売られている。



 この店の名物には「ソースカツ丼」も有るが、やはり250年以上の伝
統の味を伝える「碓氷貞光のちから餅」が知られている。
江戸期安政年間に、安中藩の若い武士による城下から碓氷峠の熊野神社
までの7里7丁の遠駆けの折り、労いに振る舞われた餅が起源と伝えら
れている。



 この餅は、刎石山の四軒茶屋でも販売され、中山道を行く旅人を慰め
たという。更にアプト式鉄道が開通すると、熊ノ平駅での立ち売り販売
も行われた。しかしやがて碓氷新線が開通し、アプト式が廃止され、熊
ノ平駅の営業が終わると、販売も終了し、今日のこの位置に店を構えた
のだそうだ。



 店内ではあんこ餅の他、ダイコンおろしをまぶしたからみ餅、ごま餅、
きなこ餅等も用意されているが、ここでの一押しはやはりあんこ餅であ
ろう。餅は少し柔らかめながら、甘さを控えたきめの細かいこし餡との
相性も良くとても美味しい。一口サイズの楕円形と言うのも良く、暫し
の疲れ休めにはもってこいの味である。(続)





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旧中山道(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-08 | Weblog

 第3号トンネル(78m)を抜け、右手に碓氷湖を見ながら更に下る。
峠の湧き水で入れたコーヒーが自慢のカフェ、森の雑貨屋の建物が左手
に見えてきた。休憩などの出来る施設は、熊ノ平から歩き始め初めて目
にするものである。
その前の長い下り坂の底に国道との接点に、開放された場所があったが、
緊急車輌や、工事・維持管理の車両の出入口らしい。





 右手遙か先は、妙義山で有ろうか、特徴的な山塊を見せている。
九州の耶馬溪、小豆島の寒霞渓と並んで日本三奇勝に数えられる奇岩怪石
が林立する名勝で、春は桜と新緑、秋は紅葉の名所としても知られていて、
その麓にある火防の神・妙義神社(国指定重要文化財)はエネルギーに満
ちたパワースポットとして人気らしい。





 下ればトンネル脇に、旧中山道合流地点の案内が建っている。
上州七宿を経て、碓氷関所を無事通り抜け、江戸から数えて第17番目
の宿・坂本で休息を終えた旅人は、いよいよこれから勿石坂を上り勿
石山を越え、旧街道最大の難所と言われた碓氷峠を目指すことになる。





 そんな旧街道の取り付きにあたる場所のようだ。
昔の旅人もここから遠望する妙義山のパーワーにすがりながら歩いての
ではなかろうか。この厳しい山並みを見ていると、歩いて旅をする昔の
人々の苦労が忍ばれる。

 更に下ると近代日本の詩人・北原白秋の歌碑等も有る。
「うすいねの 南おもてとなりにけり くだりつヽ思ふ 春のふかきを」
大正12年春、当時39歳だった白秋が信濃を訪れた帰り、ここ碓氷峠で
「碓氷の春」と題して詠んだと説明板に書かれている。(続)




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