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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

片上の発展(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-29 | Weblog


 この地方は三方を山に囲われ、比較的水深が浅く、海面の穏やかな、
風待ちの湊として海上交通の要衝でもあり、優良な瀬戸内海の漁場を
控えた漁港でもあった。
今ではそんな湾内で盛んに牡蠣の養殖が行われているが、当時はこの
地を潟上とよんでいた。今日の備前市片上である。



 赤穂線は伊部を出ると、交通量の多い国道2号線を左に見て併走し、
やがて右手には瀬戸内海に面した片上湾が近づいて来るが、海景色が
車窓からふんだんに見えるわけでもなく西片上に到着する。
目の前は車が激しく行き交う国道2号線である。



 そこから次の備前片上迄は、僅か1.3㎞の距離である。
この駅は赤穂線が延伸された年に、同時に開業した駅であるが、西片
上はそれより5年遅れの昭和38(1963)年に開業している。
場所的に中心市街地に近く、近くに学校や工場がある事、旧片上鉄道
との連絡を考慮してのことらしいが、今では利用客はこちらの方が遙
かに多い。



 この片上辺りから山陽本線の三石にかけての、備前市の一帯には20
余の耐火レンガの工場が立地している。
明治10年頃に開発された耐火レンガの生産は、当地では大正6年頃に
大工場の相次ぐ進出で、産地として繁栄の歴史を歩み始める事になる。



 それは日本の基幹産業の発展を支えてきたが、オイルショック以降
は構造不況の波に洗われる事となる。
しかしその後の多様な業種の誘致・導入等で、この地の耐火物は全国
シェア約3割強を占める生産量を誇り、世界的な産地と言われ、今で
は県を代表する地場産業となっている。(続)






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窯変の美(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-26 | Weblog
 備前地方を産地とする陶器は「備前焼」と呼ばれ、日本六古窯(備
前・丹波・越前・瀬戸・常滑・信楽)の一つに数えられている。
ここ伊部駅の周辺には多くの作家・陶工が窯を構え集まり、販売する
店舗も多く備前の中心で盛んなことから、「備前焼」は「伊部焼」と
も呼ばれている。

 元々は、「備前すり鉢、投げても割れぬ・・・」と言われるほど堅
牢なすり鉢やおおがめ、壷、土管など日用雑器を中心に造られ売り捌
かれていた。





 その歴史は古く古墳時代の須恵器から続く無釉焼き締めの伝統を、
1000年もの長きに渡り守り続けて来たのが「備前焼」である。
「ひよせ」と呼ばれる当地の田等から産する粘性の高い土を成型し、
絵付けをせず、釉薬も使わず乾燥させたうえ、窯に入れられ高温で焼
き締める。





 窯内での配置や置き方は独自に工夫され、松割木で焼き上げる焚き
方に拘りながら、千数百度と言う高温で二週間かけて焼き締める。
その結果、受け継がれてきた伝統的な技術と作家の感性とが融合し、
土と炎と人知の調和が見事な造形を造りだす。

 粘土の鉄分により茶褐色に変色すると同時に、焼成時の炎の当り具
合や、灰や炭などの影響を受け、緋襷・牡丹餅・桟切り・胡麻・ハゼ
などと呼ばれる景色(模様)が生まれ、同じものは二つとない個性豊
かな焼き物に仕上げられる。





 こうした陶器は現在では「作家」と呼ばれる人々が、茶器や酒器、皿、
花瓶などを制作していて、それは「作品」と呼ばれている。
「作家」の中には人間国宝(現在までに五人排出)を始め、県の重要無
形文化財の指定を受けた人も数多くいる。

 こうして芸術性を高めることで、本来は日用雑器であった焼き物が、
安物ではなくなり徒に高値で取引されている印象も多分に有り、これが
今日の風潮でも有るようにも見える。(続)



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天津神社と大窯跡(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-24 | Weblog
 伊部は旧山陽道である「備前焼本通り」に沿って、窯元や販売する店
舗が軒を連ねているが、一歩裏通りに入れば、作家の工房や小規模な焼
き物工場等も立地し、陶器の里らしい味わいの深い楽しみも待っている。





 また近頃では訪れる多様なお客様に対応するために、カフェや食事
処なども出来、新たな名物として備前焼の皿にカレーを盛り付けた、
「備前カレー」を売り出す店も増えている。

 通りに建つ備前焼所縁の神社として知られる天津神社は一見の価値
が有る。焼き物の里の氏神様、伊部駅から歩いて10分ほどの所にあり、
まず石の鳥居の前に立つ備前焼の狛犬が境内へと招き入れてくれる。





 備前焼で出来た神門を潜れば、割拝殿に向けた石段が延びていて、
その先に建つ第二神門は備前焼瓦で屋根が葺かれている。
割拝殿の床には備前焼のタイルが貼られている。

 参道の塀には作家の陶印入りの陶板も嵌め込まれている。
境内には狛犬やお狐様、干支の動物など至る所に備前焼のオブジェが
飾られているので、そんな物を捜しながら参拝するのも楽しい。





 神社近くの忌部神社境内には、備前焼のルーツとされる北大窯跡、
伊部南大窯跡(国指定史跡)、西窯跡の三大窯のほか、天保窯(市
指定文化財)や南大窯など古窯の跡も有る。
当時は個人で窯を持つのは財政的にも厳しく、共同の大窯を築いて
大量生産の方法をとった名残だという。

 当地は古くから山陽道が通り、近くには吉井川の舟運が有り、また
瀬戸内海が深く入り込んだ片上湾の裏伊部には天然の良港があった。
このように運輸に恵まれた地で生産された焼き物は、諸国に積み出さ
れていった。(続)



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備前焼の町(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-22 | Weblog
 「田圃を行けば人家有り、いん部といふ。ここにいんべ焼きとて陶
器つくるものおおく、陶物あまた、みせにならべてひさぐもの多し」
(「小春紀行」 大田蜀山人)



 「播磨すぐれば焼き物の 名に聞く備前の岡山に~♪」
江戸後期の紀行文で、このように紹介されている備前焼の故郷・伊部を、
「汽笛一斉新橋を~♪」とスタートした鉄道唱歌はこう歌っている。

 車窓に国道二号線が近付き、沿線に人家が増え、その屋根の合間から
レンガ造りの四角い煙突が何本もみられるようになると、伊部に到着だ。



 駅には焼き物の里らしく、「備前焼伝統産業会館」が併設されている。
ここには観光情報センターや、レストラン、喫茶店などが有る。
二階は展示場になっていて、備前焼陶友会員の作品が並べられ、それら
は購入することも出来る。



 駅を出るとすぐ右手に有るのが「備前陶芸美術館」だ。
館内では古備前から現代にいたる変遷、作家や人間国宝の作品などの鑑
賞が出来、観光案内や即売のコーナーも設けられている。

 

 駅前を貫く国道2号線を横切り、200mほど進むと旧山陽道が東西方向
に町中を通っている。
この通りが焼き物の里のメインストリートで、狭い道の両側には今も昔
も備前焼を売る店、窯元や飲食店が軒を連ねている。 



 窯元ではショーウインドウを構え、作家の自信作を展示し、即売もし
ていて、そんな窯元の屋根からは、レンガ造りの四角い煙突が誇らしげ
に延びている。
路地を入れば、燃料となる松割木を積み上げた巨大な窯や、何気なく道
端に並べられた作品、無造作に土管を積み上げた塀など、焼き物の里な
らではの光景を楽しむことが出来る。(続) 





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熊山遺跡(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-19 | Weblog
 吉井川東岸に位置する熊山は、標高が508mありそれは備前の国の
最高峰である。かつて当地を支配した古代吉備の国の、東の隅(くま)
に有ることから、「くまやま」と呼ばれるようになった。

 麓から幾筋もの登山ルートが整備されていて、このアジサイで有名
な「西法院」からは一旦登山道に戻り、上り詰めると山頂である。



 山頂には謎の石積みとして知られる「熊山遺跡」がある。
この石積遺構は日本のピラミッドだ、あるいは墳墓だ、経塚だ、戒壇だ
などと、得体の知れなかった建造物を巡り様々な憶測と議論を呼んだ時
期も有った。



 しかし熊山周辺には、その昔から山岳宗教の寺院の存在が知られてい
たことなどから、今日では奈良時代前期に造立された仏塔の一つである
方形壇塔との説が有力に成っている。



 この付近には33ヵ所にも及ぶ石積遺構が確認されているが、それらは
全て築造時期が異なるらしい。それはこの地が古くから、信仰の山とし
て長い間栄えていたことを意味している。

 しかしその多くは残念ながら崩れ、半ば埋もれてしまっているが、そ
の中でもよく原形を留め、最大の一基が国の重要文化に指定されている。



 この石積み遺跡は原始信仰の磐座の上に流紋岩を正方形に組み上げ
たもので、最低部の基壇は一辺の長さが11.7mあり、その上に一段目、
二段目、三段目と組み上げ、全高はおよそ3.5mである。

 木立が深く生茂る森閑とした山頂に、大小さまざまな形状の石を組み
上げて佇む壇塔の姿は、何やら神秘的で崇高な気さえ感じられ、今では
パーワースポットとしても知られている。



 山頂の展望台からは、眼下に広がる備前平野と、そこを蛇行する吉井
川の流れが一望で、天気が良ければ遙か遠くには瀬戸内の海から四国の
山並みをも見通すことが出来る。(続)





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アジサイ寺・西法院(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-17 | Weblog
 香登の駅前あたりで国道250号線を横切り、正面に聳え立つ東備地
方の最高峰・熊山への上り道に取り掛かる。
集落が途切れクレー射撃場を過ぎる頃、道は寺谷川に沿った登りとな
り、大瀧山福生寺へと向かう。
舗装された車道の登り道はかなりきつく、周辺は深山幽谷を行く趣だ。
このあたりは「大瀧山郷土自然保護地域」に指定されている。





 周辺には史跡や歴史的建造物も多く、自然環境などに恵まれた文化遺
産の宝庫である。石灯籠の立ち並ぶお寺の参道は渓流沿いの道で、その
山の斜面などにはアジサイをはじめサクラやミツバツツジ、ツバキ、ジ
ンチョウゲ、カイドウ、スイセンなどが四季を通じて咲き、訪れる参拝
者を楽しませてくれる。





 大瀧山福生寺は盛時には33坊もあった大寺で、その創建は古く天平
勝宝6年(754)まで遡る。
唐から来朝した鑑真和上が開いたと伝えられ、国分寺を除けば国史に
名を留める県内では最古の寺院である。しかし隆盛を誇った大寺も度
重なる火災で衰退し、それでも明治の頃にはまだ13坊も残っていたが、
今日では「西法院」「福寿院」「実相院」の3坊を残すのみとなった。





 「西法院」は大瀧山福生寺の坊の一つで、アジサイ寺あるいは滝の寺
として知られた山陽花の寺の14番札所だ。
境内には15品種およそ3万本ともいわれるアジサイが咲き、6月中頃には
一円で「アジサイ祭り」が開かれる。

 境内の弁天堂の前は小さな渓谷のような風情で、緩やかな滝が落ちて
いて、その周辺にはモミジなどの紅葉も多い。
参道から今登って来た道を振り返れば、花越しの緑濃い山中に重厚な三
重塔が遠望できる。これは六代足利将軍が建立した塔で、国の重要文化
財に指定されている。(続)




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戦国武将所縁の地(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-15 | Weblog


 備前福岡では、14世紀の初めに頓宮四郎左衛門により福岡城が築かれ
たと言うが、大永年間に起きた吉井川の大洪水により壊滅的な被害を受
け廃城になったと伝えられている。
今その跡地、吉井川河川敷のゴルフ場に隣接する「福岡城跡の丘」に、
僅かにその記憶を留めるのみで、その詳細は余り知られていない。



 近くには江戸・安政年間に起きた、「渋染一揆結集の地」の碑も有る。
被差別の住民に対し、「着物は渋染め・藍染めとする事」と定めた
藩に対し、その令の撤回を求めた一揆で、虫明の陣屋での交渉を目指す
数千人の男達がこの地に集結したという。



 この備前福岡は、戦国武将・黒田官兵衛とかかわりが深い町でもある。
当時は山陽道でも随一の繁栄を誇っていた福岡の地に、官兵衛の曽祖父・
高政らが近江から移住したが、この地では不遇の時代が続き、こんな中で
官兵衛の父・職隆が生まれた。



 その後黒田家は関ヶ原の合戦で徳川軍に味方して勝利し、筑前52万石
に封じられ、そこに城を築き「福岡城」と命名した。
それは祖父の生活した地を偲んで名付けたと言われ、現在の福岡県福岡
市のルーツがこの地なのである。



 応永10(1403)年に開かれたという「妙興寺」は、戦国時代には広大
な寺域に1院10坊を構える大寺院であった。
その境内の一画には、黒田家の墓所があり、官兵衛の曾祖父・高政の墓、
祖父・重孝の供養塔がある。
又宇喜多直家の父で有り、岡山城を築いた宇喜多秀家の祖父・浮田興家
(おきいえ)の墓もあるが、今は訪れる人も少なくひっそりと佇んでいる。(続)





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福岡の市(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-12 | Weblog
 長船の福岡地区は嘗て福岡庄と呼ばれ、中世、中国地方最大の市が有り、
江戸時代までその繁栄は続いた所として伝えられている。
今でもこの周辺には、一日市や八日市などの地名が残されていて、定期的
に市が開かれていた名残と言われている。



 この備前福岡は東西に山陽道が通り、宿場町としても栄えていた。
舟運の発達した大河・吉井川の河畔に位置し、瀬戸内海運の湊・西大寺
にも近く昔から交通の要衝であった。また目の前に聳える霊峰・熊山の
八幡宮まで45町(約4.9㎞)という追分の地でも有った。



 背後には豊かな備前平野が控えその生産物や、周囲には甕や壷、茶碗
やすり鉢など日用雑器の生産地として知られる伊部(備前焼)があり、
加えて当地は刀の生産地でも有ったことから、古くから市が開かれ発展
したらしい。



 弘安元(1278)年、諸国遊行の旅に出た時宗の開祖・一遍が当地を訪れ
ている。その様子は国宝「一遍上人絵伝」に、「備前福岡の市図」として
描かれている。地元には足跡を示す石碑が立てられていて、周辺では、現
代版の市も定期的に開かれている。



 上人が三人の武士に囲まれている図と共に、鎌倉時代この備前福岡辺
りで開かれていた市の様子、近くを流れる吉井川らしい川などが描かれ、
当時の人々の暮らしぶりを窺わせる貴重な資料として知られている。



 しかしそんな繁栄も、天正年間の吉井川の大洪水で町は川底に沈み、
忽然と消滅してしまった。当時の町並は吉井川の右岸に開けていたと言
うが、度々氾濫を起こす川は再々流路も変わり、今日の備前福岡は左岸
に開けている。(続)





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備前長船・刀剣の里(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-10 | Weblog
 次の長船は、刀剣の里として知られた町だ。
昔から吉備の国は鉄の産地として知られ、中でもここ吉井川の下流域に
近い長船地区は、鎌倉時代から長船派、国宗派、一文字派などの各流派
が刀鍛冶の腕を競い合い、数々の名工・名刀を輩出した。
かつては日本一の刀の産地として栄えたところである。
国宝や重要文化財に指定されている刀剣の半分は、この備前で鍛えられ
た物だとも言われている。





 駅から3キロほど離れた「備前長船刀剣博物館」は、昭和58年に開館し
た日本刀だけを専門に展示する全国でも珍しい博物館である。
(実際のJRの最寄り駅は、次の香登で、1.5㎞ほど離れている。)





 今日この博物館ではその伝統を受け継ぎ、常時40口を展示するほか、
刀匠、刀身彫刻師、白銀師、柄巻師、塗り師、研ぎ師などの仕事を公開
していて間近に見ることが出来る。
最近では、歴史好きな女子や、刀剣好きな女子も多いらしく、「歴女」
「刀剣女子」などと呼ばれるファンの来場も多く、にわかブームの様相
を呈しているという。





 また近年では、鎌倉時代中期頃、当地の福岡一文字派により鍛えられ
た最高傑作で、戦国武将の上杉謙信などが使ったとされる国宝の備前刀
「太刀無銘一文字(山鳥毛)」を購入することでも話題になった。
所有者が希望する5億円とも言われる売却額は、市がインターネットを
通じてクラウドファンディング型ふるさと納税で購入資金を募り、目標
額の募金もようやく集まったと言い、この博物館での保管・展示が計画
されている。(続)




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牛窓オリーブ園(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-08 | Weblog
 「朝鮮通信使遺跡・本蓮寺」を後に、海を背にしながら町中を抜ける。
特産の白菜やキャベツの植わる、牛窓ならでは段々畑を見ながら九十九折
の山道を登ると、小高い丘の上には「牛窓オリーブ園」が立地している。



 牛窓は小豆島と共にオリーブの国内二大産地として知られたところだ。
この地のオリーブ園は、昭和17(1942)年に開園している。
敷地面積10ヘクタール程の園地には、今では2千本を越えるオリーブが植
えられているが、スタートは僅かに39本の苗木を植えたオリーブ畑からだ
と言う。



 園内には遊歩道が整備されている。
この丘陵地には古くから人が住み着いていたらしく、4世紀頃と思われ
る古墳が幾つも点在していて、遊歩道からも観察をする事が出来る。



 古代ローマの神殿をイメージした石柱が印象的な「ローマの丘」では、
異国気分を味わいながらの記念写真が人気らしい。
「展望台 オリーブパレス」の「幸福の鐘」は、三度鳴らすと願いが叶う
と言われている。恋人たちの聖地としても人気で、それを鳴らしに訪れる
カップルも多いと言う。



 「大洋の樹」と言われるオリーブの木は、生命力が強く、樹齢も長く、
落ち葉が少ないことなどからガーデニングに向いていると言われている。
6月初めには白い十字の花が咲き、開花シーズンには辺り一帯が甘い香り
に包まれる。
それが秋にはエメラルドグリーに結実し、収穫祭も開催される。



 園内の至る所で展望が開け、眼下に牛窓の町並と瀬戸内の海を望む事
が出来る。浪穏やかで煌めく波間には大小様々な島が浮かび、正面には
小豆島が緑濃く座り、遠くには灰色に連なる四国の山並みまで見渡せる。
ここは正に「日本のエーゲ海」、絶景の地である。(続)





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