簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

飛行神社(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-30 | Weblog
 雨に濡れてしっとりと輝いている男山の若葉を右に見ながら歩きはじめて
すぐ、「飛行神社」と書かれた看板を見つけ、思わず立ち寄って見る。



 社頭には凡そ神社には似つかわしくない、大きな飛行機のエンジンのよう
な物体が、ガラスケースの中に納まっていて興味深いが、境内に入る時間
も惜しいので、ここはその門前で、謂れを知るだけの参詣である。



 それによるとこの神社は、明治24年にゴム動力によるカラス型飛行器を飛
ばした二宮忠八が、大正4年に自宅の庭に造った小さな神社が始まりらしい。
現在の社殿・拝殿などは、飛行原理発見100周年を記念して、平成元年に
忠八の次男によって建て替えられたものだ。


 
 この二宮忠八と言う人物のことは良く知らなかったが、陸軍の軍人で、軍
用としての「飛行器」の実用化に向けた開発を目指した人と言う事だ。
その後忠八は、有人飛行を前提とした「玉虫型飛行器」を考案し、その小型
縮小模型を作製するも、飛ばすための動力源までは開発できなかった。



 開発のための資金難も有り研究が停滞している間に、ライト兄弟による有
人飛行で先を越されてしまったが、今では「ライト兄弟よりも先に飛行原理を
発明した人物」としての評価は高まっていると言う。
愛媛県の八幡浜出身の彼が、呼び名がよく似ているからと土地を求め、開
発に没頭したのがここ八幡の地であった。



 古い街道と、高度な近代技術の飛行機、発明王・エジソンとの縁、何とも
似つかわしくない組み合わせのうに思えるが、なんだかこの先「高野街道」
が面白くなってきた。(続)



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エジソン通り(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-28 | Weblog
 駅前の観光案内所に入り、パンフレットを頂いた。
高野街道を歩く旨伝えると、「所々に道標が有りますから、それに従って
進んでください」とのアドバイスをくれた。



 どうやら要所には道標が有るらしい。
インターネットで入手した簡単な地図しか手元になく、当初はこれで大丈夫
なのか心配していたが、どうやら問題は無さそうだ。



 頂いた八幡市の観光パンフレットを見ると、『エジソンは、八幡の竹をフィ
ラメントに使って、白熱電球の実用化に成功しました』と書かれている。
そういえば、石清水八幡宮の境内には、エジソン記念碑があった。



 観光案内所の前を見ると、京阪八幡市駅から延びる通りは、「エジソン通
り」と名付けられ、エジソンの胸像も建てられている。
どうやらここは、あの発明王トーマス・エジソンに所縁の町らしい。



 説明によるとエジソンは、発熱電球の実用化に当り、より長く使えるフィラ
メントを見つけるべく、あらゆる材料を使い試す日々を続け腐心していた。



 そんな時、たまたま手元にあった扇に使われていた竹を使ったところ、
これがことのほかいい結果を生み、その後関係者の来日で、ここ男山の
竹が注目されることとなった。
この竹は、「八幡竹」としてエジソン電灯会社に輸出され、馬蹄形フィラメン
トとして白熱球に使われ続けてと言う。



 古い街道筋に文明の大発明である白熱球に因む逸話が残されている
なんて、なんだか似つかわしくないようだが、いきなりの話題はこの先も
何が出て来るのか、街道歩きが楽しくなるぞ・・と思った矢先、また興味
深いものが一つ、目に飛び込んできた。(続)

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東高野街道(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-26 | Weblog
 雨が降っている。
予報によるとこの雨は終日降り続き、所によって雷、荒れた日になると言う。
四国遍路で雨にたたられた記憶は二回ほどある。
勿論、局地的、一時的にパラパラと降られたことは何度も有ったが、終日
の雨と言うのは珍しく、比較的天候には恵まれながら昨年秋に結願を迎
えていた。



 ここに来ての雨、少し残念ではあるが、天気ばかりはどうすることも出来ず、
京阪の八幡市駅前で雨具を付け、いよいよここから「東高野街道」歩きが始
まる。



 この街道は、京都府八幡市の石清水八幡宮から始まり(八幡市の木津川
に架かる御幸橋と書かれたものもある)、洞ヶ峠を経て、生駒山地西麓の藤
井寺や富田林を通り、河内長野で大阪市堺から発する西高野街道と合流す
る。



 河内長野から先は一本の「高野街道」となり街道中の難所紀見峠を越え、
橋本から九度山を経て高野山に至る。
山城と河内を結ぶこの間56キロメートルほどの街道は、古より開けた信仰
の道でもある。



 古代の南海道を受け継いだと言われる古道で、平安時代には駅が設置さ
れ、河内の国府と京の都を結ぶ重要な官道であったが、仏教信仰が盛んに
なるにつけ、次第に高野山を目指す信仰の道としての性格が強くなっていっ
たらしい。



 この旅の道標はネットでどうにか探し見つけた大まかな地図だけである。
こんな簡単な地図だけが頼りで、街道を上手く進めるか全く自信が無い。
しかしそんな心配は、いくらも歩かないうちに払拭されることになる。(続)



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書くことは、欲望・快楽(投稿1000回記念)

2015-10-23 | Weblog


 2008年10月19日、開設した自身のブログ「バスの助手席」に、記念すべき
第一回目の記事を投稿した。





 当初は週一回、リアルタイムでの投稿を行っていたが、その後予約投稿
と言うシステムの存在を知り、これならもう少し回数を増やすことが出来そ
うと、その後は月・水・金の週三回の投稿を続けてきた。



 以来凡そ7年を経て、今日記念すべき1000回目の記事を無事アップする
ことが出来た。
この間書き連ねた文字数は凡そ70万文字、掲載した写真は6500枚余りに
も及ぶ。我ながら良く続いたものだと思う。





 元々定年退職後の過ごし方の一つと、軽い乗りで始めたブログであり、
当初は単なる時間潰しのような存在であったことは否めない。



 しかし続けているうちに、こんな拙い文章と出来の悪い写真のページでも、
何時も多くの方が訪問し、閲覧していて下さることを思うと、仇や疎かには
出来ないと思い知るのである。



 作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴さんは、以前テレビか雑誌か何かの
インタビューで「書くことは、欲望、快楽である」と言うような趣旨の話をされ
ていたようだが僭越ながら今そんなお心が少し分かったような気がしている。



 時間潰しの手段から、自身の経験・体験を基にして情報を発信すると言う
目的を持ったものに変化した今、ブログでの発信は、大げさに言えばライフ
ワークのようなものだ。





 次は何を調べ、何を書こうか、毎回のネタ探しに苦労はあるが、幸いにも
日本国内の鉄道に乗って旅をするという楽しみを昔から持っていた。
それをネタにすれば何とかなりそうだ。
そんなことを中心に、これまで縷々書き連ねてきた。



 書きたいと言う思いや、書くことの楽しさ、書きあがった時の達成感は、ま
さに欲望が快楽に変る瞬間でもある。



 さらに言えば、大勢の目に触れている、と言う事もある種の快楽でもある
と同時に、そのことは大きな励みにもなる。



 こういう状況を「ありがたい」と言う以外、感謝の言葉が思い浮かばない。
今日ここに記念すべき回を迎え、これからも続く限り身を引き締めて行こうと、
心も新たに思うのである。
次は2000回をめざして・・・。(この項完・高野街道歩き再開します)


(写真:バリ島・アヤナ リゾート&スパ 本文とは無関係)

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バスの助手席

2015-10-21 | Weblog


 近頃テレビの、路線バスを乗り継ぐ旅が好評だそうだ。
知らない土地で、沿線の人情と触れ合いながら、毎回ハラハラドキドキ、筋
書きのないドラマが展開され、それが人気の秘密らしい。



 そんなTV放映で路線バスが見直され、観光客の増加につながっている
のでは・・・と思うが、どうも実情はそうでもないらしい。
その裏には、路線バスならではの特殊な事情が絡んでいると言う。





 自身の旅でも時々、鉄道と組み合わせ、路線バスを利用することもある。
そんな時は事前に、時刻を調べておくことは欠かさないが、これが意外と
エネルギーを必要とする。



 初めての所では地理が良く解らないから経路が理解できない。
バス停が本当に目的地の最寄りなのかも良く解らない。
殆どの場合、鉄道との乗継でどれ位時間が必要なのか、こんな短い時間
で乗り継げるのか、駅前のバス停がどこにあるのか、すぐにわかるのか、
不安ばかりが先に立つ。


 
 そこにバスが有るのか無いのかさえ解らない。
近頃では、従来からの路線バスが廃止され、代わりに地元自自体が運営す
るコミュニティバスに変っていることも多い。
第一、調べようにもバス会社の名前すら解らないことが多い。
そんなことで、旅行で使おうとすれば、何かとハードルが高い。



 考えてみれば当たり前のことなのだが、路線バスは地域に、生活に密着
した市民の足なのだ。
勿論有名な観光地に向けて走る路線バスもあるが、それらはむしろ今日で
は例外と言っていいだろう。
 

 
 鉄道・バスを乗り継ぐより、マイカーのほうが便利が良い時代だ。
そんな昨今では、かつての観光路線でも廃止の憂き目を見る処は少なくない。
多くの場合バスで巡ることは時間を要し、不便を強いられることになるのだ。



 テレビで取り上げられたとはいえ、すぐに観光客の増加につながらない訳
はどうもそんなところにありそうだ。



 とは言え、旅先でのバスは苦労も有り面倒ではあるが、乗ってみると良さ
がわかる。
スピードが遅い分、土地の風、その匂いを、十分に肌で感じることが出来、
鉄道とはまた違った趣を感じることがある。


 
 町中で頻繁に停まり、土地の人々の乗り降りも多く、乗客がめまぐるしく
入れ替わる。車内はさしずめ土地の人々の社交の場、あるいはお互いに
息災を確認する場に成っているようで、そんな様子をぼんやり眺めている
のも楽しいし、そのお国訛りが何とも耳に心地よい。



 そんな路線バスでは乗り合わせた人々と、通路を挟んで会話を楽しむこ
ともある。銀山温泉に向かうバスでは、途中で降りたおばあちゃんが、手を
振って見送ってくれた事を今でも懐かしく思い出す。
旅の良き思い出である。



 しかし、時に一人静かに車窓を楽しみたいと思う事も有り、こんな時空いて
いれば必ず利用するのは、左側の一番前の席だ。
それはたいていの路線バスでは、一人席になっている。

 何物にも煩わされることも無く、この目の前に広がる景色を独り占めできる
この席は捨てがたい。
時に自身が、ハンドルを握っているような錯覚さえ覚えるこの席が、何よりも
好きだ。そんな席を自身では、「バスの助手席」、と密かに呼んでいる。(続)


(写真:北海道・留萌~増毛間の路線バス 本文とは無関係)





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石清水八幡宮(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-19 | Weblog
 八幡市は、「やわたのはちまんさん」と親しまれる男山に鎮座する石清水
八幡宮の門前町としても栄えた町である。
八幡宮は、京の都から見て裏鬼門の鎮護として祀られた社で、八幡大神様
は、時に源氏の氏神様として篤い崇敬を受けてきた。
ここは日本三大八幡宮の一つである。



 京阪の八幡市駅前のロータリーから暫く歩くと、そこに表参道入口の一の
鳥居を構え、それを潜ると頓宮殿が建っている。
頓宮殿を抜けるとその先に二ノ鳥居が立ち、右手にとれば裏参道、左手に
とれば表参道の、何れもその先には長い山登り道が延びている。



 本来ならこの山道を登り、三の鳥居を潜って山上に出て、燈籠の立ち並ぶ
参道から総門を潜り御本殿にお参りするのが正式なルートではあるが、ここ
まで男山ケーブルに乗ってやってきた。



 ケーブルの山上駅は丁度御本殿の裏手辺りに有るので、ここからは859
年の創建以来育まれてきた自然林の中に延びる西ケーブル参道でぐるっ
とまわり5分ほど歩くことに成る。
 森を抜けるとそこには広場が広がっていて、茶店や駐車場、体育館など
に混じりエジソンの記念碑がたてられている。



 本殿は更に一段と高い場所に立てられているので、石段を登ると三ノ鳥
居から登る両側に燈籠の建つ参道に出る。厳粛な気の感じられる道で、厳
かに南総門を潜るとそこが御本殿の建つ境内である。



 正面には左右に赤い回廊を従えた八幡造りと言われる楼門が聳え、その
奥に御本殿が建っている。鬼門封じはその東北の角にある。

 現在の社殿群は、江戸幕府が1600年代に再建したものであるが、古代の
荘厳さと近世らしい装飾を兼ね揃えた建造物との評価も高くそれらの建物は、
何れも近々国宝に指定される運びだ。(2回休み)






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男山ケーブル(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-16 | Weblog
 目の前にぶら下がった「走井餅」と「ういろう」をたのしみに・・・、京都から
ひたすら鳥羽街道を歩き、宇治川と木津川を渡り、石清水八幡宮の有る八
幡を目指し、ようやく東高野街道に入ってきた。



 しかし、「走井餅」は思いが叶ったものの、「ういろう」は売り切れで食べそ
こなってしまった。
何となく満たされず、重い足を引きずりながら、男山山頂にある石清水八幡
宮に向かうのである。
とは言え、さすがにここに来ての山登りは辛く、ここは無難に駅前から出る
ケーブルを利用する。日暮れの近いことを口実にして・・・。



 男山ケーブルは、京阪の八幡市駅に隣接した八幡市駅から、山上の男山
山上駅との間、400mを結ぶ短い路線である。
定期便は1時間に二本、それ以外に客がいれば運転する不定期便が二本
有るので、15分ごとの運行と言うことに成る。



 駅を出るとすぐ眼下に視界が広がるが、アッと思う間にその先でカーブし
ながら切り通しを進みトンネルに入る。
そこで上り下りの行き違いが行われ、抜けると再び視界が開け、長い橋梁
が待っている。



 ここからは木津川や宇治川、そこに架る京阪の赤いトラスト橋、京滋バイ
パスの高架橋などが一望・・・と思っていると、正面の山に口を開けたトンネ
ルに入ると、そこが終点の山上駅である。



 乗車時間は僅か3分ほどであっという間に山上駅に着いてしまうが、途中
中々に見所の多いケーブルである。

 京阪カラーの車両の内部は、階段上の座席が下向きに設けられている。
トンネル状の山上駅を出るとすぐに橋梁で、視界が開けるので、これは下り
での視界を愉しむ方がよさそうだ。(続)





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走井餅とういろう(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-14 | Weblog
 石清水八幡宮・頓宮殿の門前に名物の「走井餅」の茶店が有り、立ち寄
ってみる。
大津にも走井餅が有るので、同じものかと尋ねると、「それを引き継いだ餅
で、大津の本家は廃業した」とのことだった。
「走井餅」は大津で150年、八幡で100年もの長きに渡って愛され続ける和
菓子である。



 歩きつかれ、喉も乾いていたので「走井餅」と「いちごミルク氷」がことのほ
か美味い。体を休め、舌鼓を打ち、エネルギーの補給が出来たが、ここの町
にはもう一つの楽しみが待っている。



 前の道は公園のようによく整備された道で、能連法師の「石清水 清き流
れの絶えせねば やどる月さえ 隈なかりけり」の歌碑が建っていて、その
向こうに安居橋(あんごばし)と呼ばれる木造の太鼓橋が架かっている。


 
 後ろに立つ白壁の土蔵と良くマッチした橋で、そのまま時代劇の撮影に
使えるのでは・・などと思わせる雰囲気がとても良い。



 八幡の安居橋から高野街道を少し歩いた道沿いに、「志゛ばん宗(じばん
そう)」と言う変わった店名の和菓子屋さんがあり、この300年余り前から続
くと言う老舗の名物に「ういろう」が有る。
米をひき、臼で粉にして蒸し上げた生ういろうで、昔から街道に伝わる名物
であるらしい。



 ガラス戸をあけ、店に入り、空のガラスケースを見て愕然としてしまった。
「生ものなので、その日に売ってしまうので・・・・・」、問うまでも無く既に売り
切れである。「お電話いただければ、幾つでも残しておくので」と、申し訳な
さそうに店主が頭を下げてくれた。(続)






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八幡の町 (四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-12 | Weblog


 左手から京阪電車の本線が近付き、その鉄橋と国道の石清水大橋、淀
川御幸橋の三本が並ぶようにして宇治川を渡ると、右手が「背割堤」と呼
ばれる桜の名所で、1.4キロの堤に植えられた249本のソメイヨシノが咲く頃
は大勢の花見客で賑わうとか。



 続いて道なりに、木津川御幸橋を渡る。
物の本では、多くは右手前方に見える男山に鎮座する「石清水八幡宮」を
「東高野街道」の起点としているが、中にはこの橋を起点と記しているもの
もあるようだ。



 橋を渡り終えると道端には、「東高野街道」と言う道標も現れて来るから、
まあこの辺りが街道の起点であることには間違いがなさそうだ。



 八幡科手の交差点を超えると、道は緩やかに八幡の町に向けて下り、京
阪本線の線路を超えると右手に八幡市駅が見えて来る。
その向かいに町内で唯一つの旅館が、駅前ロータリーに面して建っている。



 昔からの旅館らしく、「高野街道」歩きの計画時、この界隈での宿泊施設
を町の観光案内所に訪ねるとここを紹介してくれた。
『おばあちゃん一人でやっているので、食事は出来ませんが宿泊だけなら
可能です。』と告げた後、『アッ!それから・・・おばあちゃん、午前中病院に
行っているみたいだから、連絡が取れないかもしれませんよ』と、親切に付け
加えてくれた。



 そんな旅館に泊まってみたい気もしたが、結局宿泊場所は京阪を利用し
て「高野街道」から外れ、沿線のビジネスホテルを利用した。
そんな駅前の老舗旅館を横目に、そのまま進めば石清水八幡宮・頓宮殿
の森が広がり、その脇がそのまま「東高野街道」へと続いて行く。(続)




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淀の納所(四国遍路の旅・高野山編)

2015-10-09 | Weblog


 途中「戊辰役東軍戦死者埋骨地」の墓石を見ながら、古い町並みの中で
なんだか曰くの有りそうな五番橋と書かれた、石の欄干の有る橋を渡ると、
街道の民家の前に、「納所村道路元標」と書かれた石柱が建っていた。
近くには船着き場の後を示す「唐人雁木旧跡」の碑も建てられている。



 鳥羽街道の終点、淀の納所の町に入って来た。
六差路の広い交差点である。
左に行けば、淀の競馬場が有る筈だ。



 ここは納所と書いて「のうそ」と読む、中々に難しい地名であるが、まさに
読んで字の如く、その昔水揚げされ、平安京へ運ぶ様々な物資を「納」める
倉庫が立ち並んでいた「所」だそうだ。そしてここは淀城の城下町でもあった。



 交差点を背に、八幡の町に向け暫く歩くと、左手に淀城址公園の緑濃い
森が見えて来る。
二代将軍・徳川秀忠の命により築かれた城らしく、鬱蒼とした森の中に、
石垣やお堀が残されている。
 この途中の道路脇には、「淀川瀬水車旧跡」も建てられていて、この付近
には大きな水車が有り、昔は淀川の水を淀城の泉水に引いていたらしい。



 城跡には、淀の産土神を祀る「與杼神社」も有るようで、歴史的なスポット
も多く、立ち寄りたいところではあるが、ゆっくりも出来ず、横目で睨みなが
ら先を急ぐことにする。



 京阪電車の車両基地を見ながら、国道478号線を潜ると、道は左にカーブ
しながらゆっくりと宇治川の堤防へと登って行く。
やがてその正面には、どっかと居座る八幡の男山が迫って来る。(続)




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