簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

リニア・鉄道館 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-29 | Weblog
 平成21(2009)年の11月に、僅か18年半の歴史で幕を閉じた「佐久間
レールパーク」の展示物は、解体された車輌や、廃棄処分される物なども
あったらしいが、多くは平成23(2011)年にオープンした「リニア・鉄
道館」に移され展示されていると言う。



 「リニア・鉄道館」は、名古屋駅からあおなみ線(名古屋臨海高速鉄
道・西名古屋港線)に乗り、凡そ24分で到着する金城ふ頭駅の前にJR
東海が開設した鉄道博物館で、駅から徒歩2分の所にある。
周辺には日本でも有数の規模を誇る展示場・サンメッセなども有る。



 東海道新幹線を中心に、在来線から超伝導リニアまでの展示を通じて、
高速鉄道の進歩を本物の車輌や、模型、シミュレーター等を活用し紹介
し、大人も子供も楽しめる施設がコンセプトだという。



 館内には未来の超伝導リニアの実験車両を初め、東海地方で活躍した
車輌を中心に、歴代の新幹線や、在来線の車輌などの実物が39両静態保
存されている。
何れも手で触れて、この目で間近に見られ展示がされている。



 日本最大級を誇る鉄道ジオラマや、運転体験の出来るシミュレーター
(操作は抽選制)等が人気だという。
ミュージアムショップやデリカステーションがあり、復刻駅弁や懐かし
いお茶を入れる土瓶などが売られている。



 展示車両の中には「佐久間レールパーク」から移された、車輌も多い。
   ED形・電気機関車(ED11-2)
   オロネ10形・1等寝台客車(オロネ10 27)
   クハ111形・電車(クモハ 111-1)
   キハ181形・気動車(キハ181-1 特急しなの)
   キハ48000形・気動車(キハ48036)
   モハ52形・急行電車(モハ52004)
   スニ30形・荷物車(スニ30-95)
   オハ35形・3等客車(オハ35 206)
   マイネ40形・1等寝台客車(マイネ40 7)等々・・・。
それぞれが役割を終え、第二の職場で静かに余生を送っている。(続)



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佐久間レールパーク (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-27 | Weblog
 早瀬、下川合を経て、12時48分、豊橋から62.4㎞の地点である中部
天竜駅に到着し、ここで列車は2分間停車する。
ここまでおよそ2時間を要しているが、まだ距離的にも時間的にもよう
やく1/3程度来に過ぎない。





 駅周辺には人家も多く、久しぶりに目にする町並である。
飯田線の静岡県内の駅では、唯一の有人駅で、駅長も配置されている。
1面2線に行き違いの出来る島式ホームが有り、特急「ワイドビュー
伊那路」が停車する。

 随分前にこの線に乗った折には、駅構内に「佐久間レールパーク」と
言う施設があった。記憶に残っていたので、短い停車時間の間に車窓か
ら捜してみたが、構内のどこを見渡しても見当たらなかった。





 当時も車窓から眺めただけで、下車をして立ち寄った訳ではない。
駅構内の施設で、当駅に有効な切符を所持していれば入館出来たらしく、
気になっていた。鉄道車輌のファンの間でも、人気の施設と聞いていた。

 この施設はJR東海が作った鉄道車両博物館で、昭和初期に活躍した
車輌の展示や、飯田線の歴史を紹介する展示がされていたようだ。

 調べると平成21(2009)年に、僅か18年の歴史で幕を閉じたらしい。
展示物の殆どが、平成23(2011)年に名古屋市のあおなみ線(名古屋
臨海高速鉄道・西名古屋港線)の金城ふ頭駅前にオープンした「リニア・
鉄道館」に移されたと言う。





 これで以前飯田線に乗車したのは、10年以上も前だと思い知らされた。
つい最近のことのように思っていたが、既に一昔も前のことである。
十年一昔と言うが、十年も経てば、世の中も変わってしまうものらしい。
当時施設のあった構内の建物の壁に残された、色あせた鉄道車両の写真
が僅かに当時を忍ばせるのみである。(続)

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色々な駅舎 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-25 | Weblog


 三河川合の駅は、打つ放しのコンクリートブロックに、鉄パイプで組
み上げた屋根の乗るモダンな構造が山間のローカル無人駅には珍しい。

 駅を出て宇連川の橋梁を渡ると、宇連ダム湖から流れ出る川とはここ
でお別れだ。ここからはいよいよ山間の厳しい地勢に入り、川と縺れな
がら橋梁で越えて行くが、その間に大小のトンネルが矢鱈多くなる。



 東栄駅は愛知県内最後の駅で、この駅舎もユニークな形をしている。
三角屋根を二つ連ねた構造は、鬼の面をモチーフにしたものだと言う。
半円に切り込んだ眼の中に金色の目玉が光っていて、ホーム側から見る
と正に鬼面だ。



 これは、この町の伝統行事である、重要無形文化財の「花祭」の鬼に
由来するものらしく、三河川合駅と共に、平成の初め頃改築された駅舎
である。
この駅舎の中には小さなカフェが併設されているそうで、時間があれば
降りてみたい駅でもある。



 その先の出馬(いずんま)と上市場の駅間は、何と600mしか離れて
いない。これは飯田線では最短である。
直線なら手に取るほど近い距離であるが、路線は川に沿って蛇行してい
るので、見通すことは出来ないが、僅かの内に着いてしまう。
時刻表でも出馬到着から、上市場発までの時間は2分となっている。



 浦川は昭和9年、三信鉄道として開業した当初の緑色屋根の駅舎が残
されている。駅は1面2線島式ホームを持ち、かつて小野田セメント工
場の貯蔵施設に至る引き込み線が分岐していた名残か、無人駅の割に広
い構内を有している。

 この専用線が廃止されたのは、昭和50年代のなかばだと言い、平成に
入ると飯田線での貨物輸送は消滅した。(続)



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湯谷温泉(JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-22 | Weblog


 長篠城辺りから車窓右側に宇連川が寄り添うと、始発から1時間半程で
湯谷温泉だ。温泉の歴史は古く、開湯は1300年ほど前と伝えられている。
周囲には鳳来寺山もあり、宇連川は鳳来峡と呼ばれる景勝を見せる地で、
10軒ほどの温泉旅館がある。



 駅からは左手に温泉街が望まれる。この地は今から半世紀以上も前の、
入社して間もない頃、会社の慰安旅行で訪れた懐かしい地である。
記憶が薄らいでいて、殆ど何も覚えては居ないが、宴会の後下駄を引き
ずりながら粋がって泊まり客で賑わう温泉街を歩いた記憶がある。

 しかし、車窓から見る限りでは、歓楽な温泉街とはとても思えない。
今は、駅前も随分と寂れた様子だ。



 この先では宇連川と周囲の緑の景観が車窓を慰めてくれる。
琥珀色の岩盤の上を滑るような透明な流れは、所々で細かな白波を立て、
奇岩を避け、時に小さな滝と成り、早瀬と成り、藍色の深い淵と成って
様々な変化を見せながら下っている。
川底がまるで板を敷いた様に見える事から「板敷川」の別名を持っている。



 豊橋駅を10時42分に発車したこの普通列車は、終着の岡谷駅には17時
33分に到着する。
久々に乗る飯田線の列車で、今回は辰野まで途中下車無しを予定している。
その間398分、およそ6時間半に及ぶ鈍行列車の旅である。
豊橋の駅では、駅弁と飲みもの、それにおやつ等を購入し車内に持ち込み
長期戦に備えている。 



 この列車は所々で、長時間の停車が設定されている。
本長篠では17分停まった。この先も飯田や伊那大島、駒ヶ根では8分間、
そのほかにも2~3分程度の停車を度々繰り返す。
従って長時間乗車とは言え息抜きは出来るし、何よりも車窓を流れる景
色は充分に疲れを癒やし、退屈を吹き飛ばしてくれる。
何回乗っても、わくわくするローカル線である。(続)



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鳥居強右衛門勝商 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-20 | Weblog
 豊川を出るとここから先は単線になる。
東名高速道路を潜り、砥鹿神社のある三河一宮、賑やかな新城などに停
車を重ね、大きなS字カーブで鳥居、長篠城を経て本長篠に到着する。
列車はここで17分間停車する。



 天正年間の三河国、世は戦国時代で、この辺りは「長篠の戦い」所縁
の地である。

 徳川家康から託され約500人の兵士で守る長篠城を、その30倍もの大
群を率いた武田軍が包囲し、過酷な籠城戦と成っていた。



 武田軍の火矢により食料蔵を失った奥平貞晶は、城から討ち出て戦い
を挑む事を決意する。
その上で家康の居る岡崎城に援軍要請の使者を送る決断を下すが、大軍
に包囲されている状況下で、それは命がけの困難な任務であった。



 これを自ら志願したのが、奥平家の足軽・鳥居強右衛門勝商(とりい
すねえもんかつあき)であった。
夜陰に乗じて城の下水口から脱出、寒狭川を潜り抜け出した強右衛門は、
駆けに駆けて、その日の夕方には岡崎城に到着する。
この時既に織田信長の援軍も到着しており、織田・徳川連合軍約3.8万の
軍勢は翌日長篠への進軍が軍議で決められていた。



 この朗報をいち早く伝えようと城に戻るが、その途中武田軍に捕まって
しまう。事情を知った武田軍は、助命し家来に引き立てるから援軍は来な
いと伝えろと命令する。
従うふりをした強右衛門は、引き立てられると処刑を覚悟の上で、「援軍
は二三日で到着する」と城に向かって大声で叫んだという。



 これにより士気の高まった長篠城の城兵は、援軍が到着する迄の二日間
持ちこたえ、城を守ることに成功する。
この忠義の士の最期の地が、二駅手前のこの鳥居である。
駅に程近い新唱寺には、この三河武士をたたえる墓があるという。(続)



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豊川稲荷 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-18 | Weblog
 門前町を抜けると豊川稲荷の惣門が聳えている。
屋根は銅板鱗葺きで、唐破風付の入母屋造四脚門を構えている。
門扉は欅の一枚板で銘木として知られているそうだ。
潜ると正面には現存する最古の建物と言われる山門がある。



 山門を潜れば、右手に総欅造りの鐘楼や最祥殿等がある。
鐘楼は比較的新しい建物で、昭和12年の建立という。
左手の石畳に導かれ、鳥居を幾つか潜るとその先が大本殿である。
間口10間余り(約20m)、奥行き21間余り(約38m)、高さ百二尺
(約30m)の総欅造りの堂々たる建物である。



 豊川稲荷は正式には「圓福山妙厳寺」という曹洞宗のお寺である。
境内に祀られた秘仏から一般に豊川稲荷との呼び名が定着し、商売繁盛
の神様として全国的に有名で、3万坪を越える境内には100棟余りの伽
藍を構えている。



 ここは狐を祀った神社では無く、鎮守する神が稲穂を担い、白い狐に
跨がっている事から何時しか豊川稲荷と言う通称が広がった。
元々狐は田畑などの作物を荒らす野ねずみを退治することから、稲の守
り神として崇められ、それがこうした信仰に繋がっているとの説がある。



 ところで、三大稲荷を名乗る稲荷は全国には幾つもある。
京都の伏見稲荷を筆頭に、茨城の笠間稲荷、佐賀の祐徳稲荷、岡山の最
上稲荷、更に広島の草戸稲荷、岐阜の千代保稲荷、大阪の瓢箪山稲荷等
捜せばまだまだありそうで、豊川稲荷も勿論名乗っている。



 日本人は昔から「日本○大××」が好きらしく、郷土の誉れにこのよう
な冠を被せ、賞賛し誇示する。
そこにはそれぞれのお国の事情もありそうで、ここは野暮なことは言いっ
こなし、地元の説を信じるのが良さそうだ。(続)



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稲荷の門前町 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-15 | Weblog
 飯田線は豊橋駅を出て、名鉄との供用区間を走り、豊川とその放水路を
橋梁で渡り、この先で名鉄線と別れ進路を北に変える。
牛久保駅を過ぎ、やがて左から名鉄の豊川線が寄り添い豊川駅に到着する。
ここまでの所要時間は12分ほどで有る。



 駅は名古屋方面から直通する、名鉄では最東端の駅、豊川稲荷駅と隣接
している。豊川稲荷の最寄り駅と成っていて、その豊川稲荷は、駅から歩
いて5分ほどの距離に有る。
その駅が一番の混雑を見せるのは、初詣の時期だと言う。



 稲荷に続く道は飲食店や土産物店など100店以上がひしめく、昔ながら
の懐かしさが薫る門前町と成り賑わっている。
名物のウナギの店、味噌カツの店、ちくわの店、和菓子から洋菓子の店な
どの飲食店があり、多くの店では持ち帰りも出来る。



 中でも門前にある喜楽(本店)の「宝珠まんじゅう」は、毎月ご祈祷
を受けた米を使っていて、ご利益のある縁起菓子として知られている。

 又又そのほかにも、焼き稲荷、焼き油揚げや、焼きたての煎餅、おきつ
ねバーガーなどと多彩で、食べ歩きを楽しむ事も出来る。



 しかしここの名物は、なんと言っても江戸時代から200年以上の歴史を
持ち、発祥の地とも言われる「いなり寿司」で、市内には関連する店が約
60店舗あるという。
「豊川いなり寿司」は、スタンダードなものから、店により工夫を凝らし、
毎年のように新作も出ると言う個性豊かな変わり種まで様々なバリエーシ
ョンがある。



 わさび・柚子・一味などの風味や、みそかつ、鰻まぶし、天むす、焼き
そば入り、イカスミ入りなどなど、食べ比べてみるのも良いだろう。(続)



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JR・名鉄の共用駅 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-13 | Weblog


 豊橋駅は、新幹線駅を含めほぼ平面構造の地上駅である。
その構内の西側には、2面3線の新幹線の駅が有る。
11~13番線を使用しているが、そのホームは東側からも良く見通せる。
東海道新幹線の駅は殆どが高架駅で、地上駅はここと米原と品川駅だけ
で有る。



 在来線は5面8線で、その中央部分の4~8番線が東海道本線、東寄
りの1・2番線(行き止まり線)と、まれに4番線からは飯田線の列車が
発着する。

 その飯田線の2番線は島式ホームになっていて、向かい側の3番線側を
名古屋鉄道(名鉄)が使っている。ここではJRと名鉄が線路とホームを
共有していて、名鉄は1時間に6本以内の運行が課せられていると言う。



 JR飯田線は豊橋駅と豊川駅の間が複線区間で、そこから先辰野までは
全線が単線だ。豊橋駅を出ると暫くは名鉄との供用区間を走るが、その運
行管理はJRが受け持っている。

 基本的にはこの間の飯田線の列車が優先され、名鉄は運行本数も、列車
の速度も制限される。
又、名鉄の豊橋駅では、駅到着時にはお馴染みのミュージックホーンも使
用が制限されていて、ここでは聞くことが出来ない。



 豊橋を出た列車は暫く豊橋市街地を走りやがて豊川を、続いて豊川放水
路を橋梁で超える。豊橋駅を出て4キロほどのところで、平井信号所と呼
ばれ、ここまでが名鉄の名古屋本線との供用区間で、同じ線路上をJRと
名鉄が仲良く走っている。



 因みにこの豊川に架かる旧東海道筋の橋を「豊橋」と言い、地名の由来
となった。
又、「豊川、矢作川、おほや川とて三つの川あれば三河の国といふなん」と
古書に有るように、豊川は旧国名である三河の国の三大河川の一つである。(続)



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飯田線 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-11 | Weblog
 豊橋駅と、長野県辰野町・辰野駅を結ぶ195.7㎞のJR東海の路線が飯
田線である。その歴史は明治30(1897)年、豊橋から豊川間で開通し
た豊川鉄道に始まる。
更にその後開通した、鳳来寺鉄道(大海~三河川合)、三信鉄道(天竜
峡~門島)、伊奈電気鉄道(辰野~伊那松島)の私鉄4社を、昭和18
(1943)年に国が買収、統合し国有化して開通させた路線である。





 沿線は愛知県側では豊川に沿って、その先の静岡・長野県内では天竜
川の蛇行に沿って山間地域を通り抜けていくが、その間には何と94もの
駅(起終点駅含む)が有る。

 それは前身が地域の集落を結ぶ私鉄を起源とする名残であるが、単純に
平均駅間距離を求めると約2.1㎞と成る。これは都会の市街地を走る鉄道
並みで、人口集積の乏しい地域の足としては大変珍しい存在だ。





 始発の豊橋駅の標高は、国土地理院の電子地図によれば8m余りである。
沿線は北上につれ次第に高度を上げ、長野県内の終点に近づくと700mを超
える。その為沿線は、急勾配区間が続き、赤木と沢渡の間では40‰に達し、
JRの路線では最大の勾配と言われている。

 当然のことながら川の流れに沿って進む路線には直線が乏しく、急カーブ
の連続で、列車は車両を軋ませ、車輪の摩擦音を発しながらゆっくり進む。





 この路線には豊橋から岡谷や上諏訪まで乗り換え無しで行ける長距離
普通列車も設定されていて、その所要時間は6時間半ほどかかる。
平均時速30キロ程度のローカル線は、秘境の趣を見せる沿線風景と相ま
って鉄道フアンには人気の路線でもある。(続)

「JR乗り潰し 飯田線195.7㎞ 鈍行列車の旅」が始まりました。

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豊橋駅 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-01-08 | Weblog
 宿場町吉田は東海道の主要な34番目の宿駅であると同時に、牧野氏が
吉田城を築いて以来の城下町であり、更に豊川を使った海運の湊町とし
ても大いに栄えていた。そんな地に、官設鉄道の駅として豊橋駅が開業
するのは、明治21(1888)年9月の事だ。



 宿場の中心からは数百メートルも離れた、周囲にはまだ田畑が広がり、
民家の乏しい辺鄙な地で行政上は豊橋町ではなく渥美郡花田村であった。
その後の町村合併で豊橋町となるのは、18年も後のことである。



 当時はどこの宿場町でも鉄道に対する偏見と敵愾心は強く、なかなか
中心部にとは行かなかったようで、多くの駅が当時の街道筋からは離れ
た地に立地しているが、当地も多分に漏れることはなかった。
反面、この方が用地の取得には都合が良かったようでもある。



 駅の開設はその鉄道が現在の「東海道線」と呼ばれるルートで開業す
る一年前のことで、それから7年後には「東海道本線」と正式な路線名
称が決められている。

 明治30(1897)年には、豊川まで開通した豊川鉄道の始発駅と成り、
名鉄が終着駅としてこの駅に乗り入れるのは昭和2(1927)年の事だ。
当時はまだ豊橋駅ではなく、吉田駅といった。



 現在では、東海道本線、東海道新幹線、飯田線のJR線に加え、名古屋
鉄道線(名鉄)名古屋本線の四路線が乗り入れている。
駅前東口には豊橋鉄道の新豊橋駅が有り、渥美半島にある三河田原まで
線路が延びている。



 また駅前には同鉄道の市内電車である東田本線の電停もある。
東口には、市内バス、高速バスが発着するバスターミナルも有り、一大
ターミナルとして「東三河の交通拠点」とされている。(続)



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