簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

盲腸は不要?(JR乗り潰しの旅)

2020-01-31 | Weblog


 「終着駅」という言葉に、何とはない得体の知れない懐かしさを感じ
るのは、何も鉄道ファンに限ってのことではないようだ。
それが証拠に、これを題名にした歌謡曲や映画・テレビ番組なども作ら
れているし、ここを舞台にした物語も多く語られている。



 しかし例えば東京駅は新幹線の「終着駅」では有るが、この駅では心
理的に特別な背景が無い限り、情緒的になることはまずあるまい。
それはここが単なる下車駅、或は乗換駅で、物理的に言えば、この先ま
だ線路が繋がり延びていて、ここでは「終わり」という実感が湧いてこ
ないからである。



 ある列車の終着駅と言うだけでは無く、他の鉄道や路線への乗り換え
が出来ない、文字通りその先はもう何も無いと言う駅。
いわゆる「行き止まり路線」の「終着駅」にはるばる辿り着いた時、取
分けそこが寂寥感の漂うもので有れば、尚更人は特別な感慨を抱き、哀
愁を感じるのではなかろうか。



 つまりそこは「行き止まり」で、「ここまでやってきた」「先はもう
無い」「これで終わり」等と、そこで一抹の寂しさを感じる心が働くか
らだと思う。しかし時に人々は、そんな行き止まりの路線を「盲腸線」
などと呼ぶことがある。多くは営業キロの短い路線が、盲腸のように役
に立たない存在だと、揶揄して呼んでいる。



 しかしどんな短い路線でも、その歴史を見つめれば、地域にとっての
鉄道はどれ一つとて不要の長物ではない筈だが、残念ながらかなりの路
線が廃線の憂き目を見て、終着駅は確実にその数を減らしている。



 そんな時代だからこそ、砦を末永く守り続ける為にも・・・、車では
なく、敢えて列車に乗ってその地をはるばる訪ねてみる。
こんな鉄道の楽しみ方が有っても良いのではなかろうか。(完)
(写真:津軽線・三厩駅)

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九州の終着駅(JR乗り潰しの旅)

2020-01-29 | Weblog
 全盛時代である昭和50年代の国鉄には、九州内に行き止まりの終着
駅が18駅有った。
その中で今日までその形態を留めているのは、門司港、若松、西戸崎、
枕崎、三角、長崎、西唐津の7駅である。



 JR九州にはこれ以外にも行き止まり駅がある。
大隅線の廃線により終着駅となった志布志駅、香椎線の終着駅・筑前勝田
の廃駅による宇美駅、平成8年(1996)年に開業した宮崎空港線の宮崎
空港駅がそれである。香椎線はその両端が行き止まりの終着駅で、これは
JRのなかではここだけで珍しい存在だ。



 更に博多南線の博多南駅も、新幹線車輌が基地へ向かう経路とは言え、
新幹線博多駅との間で営業運転が行われているので、行き止まりの終着
駅の仲間に加えても良いだろう。



 また国鉄時代は松浦線(現松浦鉄道)で結ばれていた佐世保駅と伊万
里駅も、今ではJR線の終着駅である。
そのうち伊万里駅はJRと私鉄の駅舎が道路を隔てて建っており、線路
も完全に分離されているので、行き止まりの終着駅である。
一方の佐世保駅は松浦鉄道も乗り入れているので、行き止まり駅の風情
は無く、仲間に加えるかは微妙だ。



 同じような駅に筑肥線の姪浜駅がある。
昭和58(1983)年に博多との間が廃止され、国鉄の駅としては終着駅と
なったが、同時に開通した福岡地下鉄空港線との間で、相互乗り入れが
行われているので、ここは行き止まり駅でも終着駅でもなくなった。



 北海道が、28駅から8駅まで減少したのと比べると、九州地内では行
き止まり駅は良く残されているほうだ。
それらは人口の多い九州北部に集中しているのも特徴で、やはり多くの
利用がなければ鉄道は廃ると言うことのようだ。(続)


(写真:指宿枕崎線・枕崎駅)

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北海道の終着駅(JR乗り潰しの旅)

2020-01-27 | Weblog


 国鉄全盛時代、全国には130余りの終着駅(行き止まり駅)が有った。
その中でも特に多いのが北海道で、その数は何と28駅を数えていた。
つまり北海道には、幹線から分かれてこれだけの数の行き止まり型の路
線が張り巡らされていたのだ。



 その後国鉄は解体、JRグループに分割されると、営業収支重視政策
の余り、真っ先にやり玉に挙がるのは赤字路線で、こうした終着駅を持
つ行き止まり型の路線の切り捨てが相次いだ。



 このように行き止まり型の路線は、平成4(1992)年に千歳線から
分かれ、2.6㎞先に新千歳空港駅が開業した以外は、一方的に廃止され
るばかりである。
手持ちの大型時刻表でそれらを確認すると、今日では稚内、根室、様
似、室蘭、新十津川、函館、留萌の八駅にまで減少している事が解る。



 沿線がベッドタウンで、大学も立地していて通勤・通学客が多い札沼
線は、利用客の多い北海道医療大学前駅までは路線が残されるが、ここ
から先の終着駅・新十津川までの廃線が既に決まっている。
これは終着駅が変わるだけだがその先の線路はなくなってしまう。



 平成28(2016)年には、留萌本線の留萌と増毛の間が廃止と成り、新
たに留萌が行き止まりの終着駅となったが、この残された線区の営業係
数も決して芳しいものとは言えず、既に廃線の方向性が示されている。
またつい先頃には、夕張線が廃止と成った。
これで終着駅の数が二つ減ることになる。


 
 函館は一部の列車にとってはスイッチバック駅で、厳密な意味では行
き止まりの終着駅ではない。
こうしてみると行き止まり型の終着駅を持つ路線が殆ど無くなった今日、
稚内、根室、様似、室蘭はよもやとは思うが、これとて安泰ではないの
が北海道の鉄道事情のようだ。(続)(写真:留萌本線)

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終着駅(JR乗り潰しの旅)

2020-01-24 | Weblog


 日本が高度経済成長を続ける昭和の時代、鉄道は全盛期を迎えている。
国鉄は全国津々浦々に幹線網を張り巡らし、昭和58(1983)年には営業
線区は242線区、その営業距離は2万㎞を超えていて、国鉄としてはこの
頃最長の営業キロ数を誇っていた。



 その幹線からは彼方此方へ、まるで増殖を続ける生き物のような枝線
が伸び出ていた。
枝線は、地区住民の足として集落を結び、また工場生産物の輸送手段と
して工場や、特産物の出荷で産地と消費者とを結んでいた。
そんな人々に重宝された枝線の一番先に位置するのが終着駅である。
これらの終着駅はその先のない行き止まり駅でこんな駅は全国に130駅
を越えていた。



 その頃の国鉄は、「いい旅チャレンジ20,000㎞」と言うキャンペーンを
展開している。
国鉄の全営業路線の乗り潰しを促し増収効果を目論むもので、昭和50年代
の半ば頃だと覚えているが、実際に完乗者も相当数いたと記憶している。



 しかしその後国鉄は分割民営化されJRグループと成り、営業収支の
悪化等から廃線が相次ぎ、10年ほど続いたキャンペーンが終わる頃には、
営業路線は6割ほど、営業距離も9割強ほどになっていた。
こんな時真っ先に切り捨てられるのは、幹線ではなくこの終着駅に向か
う路線である。
しかもその後も線区の切り捨てが続いているのは、周知の事実だ。



 赤字とは言えその鉄路は、沿線の住民にとって、かけがえのない生活
の足で、その駅は故郷の原点、拠り所でもある。
「これらの存在は、故郷を忘れた日本人のささやかな抵抗の砦」と称し
た人がいたが、今日その砦は、一つ又一つと取り壊されている。(続)
(写真:夕張線)



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鉄ちゃんの御用達(JR乗り潰しの旅・吾妻線)

2020-01-22 | Weblog



 『大前駅は無人駅。駅の周辺の自然環境も昔ながらのひなびた姿を
そのまま残し、駅前にある浴場嬬恋温泉も鹿沢連峰のふもとに包まれ
て文字通り素朴な里であるが、大前からは、上信越国境方面への観光
ルートが大きく開けている。』



 昭和50年に刊行された「ローカル線風土記 終着駅」(毎日新聞社)
では終着駅大前をこのように紹介しているが、それから半世紀以上経
た今では、駅前の温泉は閉館していた。
更にここからは上信越国境方面に向かう手立てもなく、文字通りここは
行き止まりの終着駅である。

 周辺には嬬恋温泉郷と呼ばれる小さな温泉地が点在しているが、それ
らは何れも鉄道の利便が良い万座・鹿沢口駅を玄関口としている。



 折り返し時間の間に、持参した駅弁をホームで食べていると、研修
中だと言う女性車掌と目が合った。
そこで話を聞くと、「この駅まで来られるお客さんは殆どいません。
たまに見かけるのは鉄道好きの方でしょうか。
写真を撮ってすぐに折り返して行かれます」と言う。



そりゃそうだ。
折り返しの便を逃すと何もないところで、何時間も待つことになる。
この日も5名ほどの乗客は、思い思いに写真を撮ると、そのまま乗っ
てきた電車に再び乗り込んで、折り返していった。



 終点の駅は、吾妻郡嬬恋村にある。
ヤマトタケルが東征中、足柄坂の神を蒜(ひる)で打ち殺し、平定した
東国を望ながら、亡くした妻を想い「アヅマハヤ(わが妻よ)」と三度
嘆いた神話から呼ばれるようになったのが、この「吾妻・東(あずま)」
である。



 そんなホームの中程には、故事に因んだものなのか、駅名標と並んで
「道中安全」を願う仲良く寄り添う二体の道祖神が据えられていた。
(JR乗り潰しの旅・吾妻線 完)

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終着駅 大前

2020-01-20 | Weblog

 渋川を起点とし大前を終点とするのが吾妻線である。
地勢的には赤城山を背後にして出発すると、今度は榛名山(1449m)
の麓を進み、続いて左に浅間山(2524m)、右に本白根山(2171m)
等の山塊を望みながら・・・、となるが、これは地図上の話で、多く
は谷沿いの狭い地に敷設された所やトンネルを行くので、雄大な山並
みを車窓からふんだんにというわけにはいかない。
それでも線路に沿った吾妻川は、吾妻峡となったその流れを時折間近
に見せてくれる。





 この路線の始まりは、長野原町で採れる鉄鉱石を搬送する為、太平洋
戦争の末期である昭和20(1945)年に、沿線にある日本鋼管が専用線を
敷設した。
その後国鉄が編入し、路線の延伸を重ね現在の形になったもので、比較
的成立の新しい路線である。
一時は県境の山を越え、長野側の信越本線との接続計画があった。





 終着・大前駅は、単式1面1線の広いホームが有るだけの簡素な駅だ。
ホームから更に先には100メートルほど、架線も線路も延びているが、
その先で迫り出した山に遮られ、線路は途切れている。
この長いホームは、一つ手前の万座・鹿沢口迄やってくる長編成電車の
一時退避線として使うためだ。





 この駅には、一日に5本の電車が出入りするだけである。
その利用客は通学が中心で、日に数十名らしいが、それでもこの駅が
廃止にならないのは、待避線として使われるからだ。
そんな駅に駅舎は無く、ホームの中央辺りに、白いペンキの塗られた
堅牢な待合室とトイレがあるだけだ。

 駅前の未舗装の広場には今は珍しくなった公衆電話ボックスが建ち、
脇に一台の自転車がポツンと置かれていて、寂しい駅前風景である。(続)




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万座・鹿沢口駅(JR乗り潰しの旅・吾妻線)

2020-01-17 | Weblog



 吾妻線には18の駅があるが、その内の14駅が無人駅である。
有人駅は渋川、中之条、長野原草津口と川原湯温泉の4駅のみだ。
過疎化の進む沿線にあって、八ッ場ダム工事による沿線の付け替えが
なければ、廃線もやむを得ないと言われた時期もあったらしい。



 しかし沿線には、これだけ有名処の温泉を控え観光資源は豊富で、
その玄関駅としている割に、駅員が不在の駅ばかりではどうなのか、
と思ってしまうが、それは鉄道を利用して訪れる観光客が如何に少
ないかと言うことらしい。



 何年か前、二泊三日の温泉めぐりをした折りには、渋川でレンタカー
を借りて動き回った。
電車・バスを乗り継ぐより時間的にも効率的で機動的に行けるからだ。
旅行前調べたところ、バス代も結構に高いし、その割に便数の少ないと
ころも有り、更に乗り継ぎの利便も良くないときたら、公共交通機関の
選択肢はなくなってしまう。
時間がかかれば、更にもう一泊どこかで宿を取る必要があるから、勝負
は目に見えていた。



 長野原草津口駅を出て、群馬大津、羽根尾、袋倉に停車を重ねる。
ここら辺りまで来ると、周辺には山が迫り吾妻川の流れもより狭くなる。
やがて吾妻線の実質的な終着駅と言ってもいい万座・鹿沢口駅に到着する。
ここでは多くの列車が折り返し、この先の大前まで行く列車は一日2.5往
復しかない。





 万座と鹿沢が中黒(・)で結ばれているのは、駅名を決めるに当り、
両温泉の間で対立が有り、その折衷案を取ったからだと言う。
その万座温泉は、軽井沢の奥座敷として知られ、活動中の火山も近く
にある、標高1,800m地点にある温泉で、バスで45分ほどの距離だ。
又標高1,500mの高所にある鹿沢温泉までは、バスで40分ほどの距離ら
しいが、ここにはまだ行く機会が無い。(続)



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長野原草津口 (JR乗り潰しの旅・吾妻線)

2020-01-15 | Weblog

 八ッ場ダムの完成により水没することから、岩島と長野原草津口間、
10.4㎞が付け替えられた吾妻線には、八ッ場、川原湯、横壁の三つの
トンネルが掘られたが、その距離は付け替え区間の凡8割を占める。



 川原湯温泉駅を出ると直ぐに入るのが、川原湯トンネル(1870m)、
続いて横壁トンネル(1737m)を抜けると、長野原草津口駅に到着だ。
沿線周辺は、旧線では楽しめたという吾妻渓谷と言われる景勝の地で
あるが、付け替えられた新線の車窓から堪能することは殆ど出来ない。





 長野原草津口駅は、島式の1面2線を有する地上駅である。
文字通り天下の三名泉として知られる、国際観光地草津温泉の玄関駅で、
特急「草津」号の発着駅でもある。
流石に草津温泉の最寄り駅だけに、多くの客が降りて行った。



 ホームに降りて駅前を眺めて見るが、有名温泉の玄関駅前にしては、
お土産や食事を提供する店舗が軒を連ねているわけでもなく、またタ
クシーが何台も客待ちをしているわけでもない。
さらに観光客らしき人達が駅前を散策する姿もない、余りにも静かな
のが意外に思われる。
それは八ッ場ダムの影響で駅前の再開発が必要となり、この駅や駅前
がまだ開発の途中だかららしい。





 しかし、駅前は直ぐにバスターミナルになっていて乗り換えの利便
性は良さそうだ。
バスも一台停まっていて、どうやら鉄道と接続しているらしく、鉄道
で訪れる客は駅前に滞留する間も事も無く、直ぐバスに乗り込み目的
地に流れてしまうのも、駅前の賑わい喪失の一因ではなかろうか。
その草津温泉は、ここからバスで25分ほどの距離に有る。(続)




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川原湯温泉駅(JR乗り潰しの旅・吾妻線)

2020-01-13 | Weblog



 吾妻線は中之条駅を出て、群馬原町駅に停車するとその先は、人家が
途絶え、次第に山間の様相を呈してくる。やがて岩島駅を出て、大きく
左にカーブし第二吾妻川橋梁を渡ると4582mの八ッ場トンネルに入る。



 八ッ場ダムの完成により水没することから、岩島と長野原草津口間、
10.4㎞が付け替えられ、新たに掘られたトンネルの一つである。
この工事では、もう2本のトンネルと、橋梁5橋、高架橋1橋のほか、
新たな駅が作られている。



 トンネルを抜けると、旧駅からは1.5㎞離れ、70m程の高台に設けら
れた島式1面2線の「川原湯温泉駅」に到着する。
ホームの先には次のトンネルが口を開けている。
まだ真新しさの感じられる駅である。しかし折角設けられた新駅ではあ
るが、残念ながらその利用客は、県内では最低だという。



 八ッ場ダムと言えば、あの民主党政権のドタバタ劇を思い出す。
完成すれば関東1都5県の水がめとなる九番目のダムであったが、新
政権は国の大型直結事業が時代にそぐわないとして中止を明言した。
しかし突然の中止宣言に関係者の反発や批判は大きく大騒動となった。
そんなダムも2020年には完成を見ることになる。



 工事によりダム湖に沈むため、新たなボーリングで源泉を掘り当て、
その周辺に新温泉街を目指し動きを始めたのが川原湯温泉である。
駅の東500m程の所に共同浴場が移転オープンしたのを皮切りに、商店
や旅館の移転が行われ、新しい温泉街が出来はじめているらしい。



 実は今回の旅行では当初の宿泊予定地であった。
しかし調べてみると、どの旅館も真新しい性いか、強気の営業で宿泊料
金は結構高めに設定されている。「八ッ場ダム見学ツアー」にもそそら
れたが、貧乏旅行者が泊まるにはこの地は高すぎる。(続)




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中之条駅と四万温泉(JR乗り潰しの旅・吾妻線)

2020-01-10 | Weblog

 「何だぁ! これは?」
改札横の支柱に渡したネットに、見慣れないものが栽培されている。
「ツノメロン 別名=キワノ ツノニガウリ」と書かれている。
調べてみると、キュウリやメロンと同じウリ科キュウリ属の仲間で、
「角苦瓜」と書くアフリカ原産の果実で、食用の他、特徴的な外見か
ら鑑賞用にも栽培されているそうだ。





 この町の特産かと思い、中之条町のホームページを覗いてみたが特段
の記述がない。どうやら駅員のサービスの一環らしい。その前のホーム
には、地元から提供された渋柿を、駅員が皮を剥いて吊すという、つる
し柿も飾られていて、観光駅らしくきめ細かなサービスが目を引く。

 「中之条駅」は吾妻線の拠点駅である。
ここは1面1線の単式ホームと1面2線の島式ホームを持つ地上駅で、
この路線では珍しい有人駅でもある。四万温泉や沢渡温泉への玄関駅で
もあり、温泉の多い路線らしく、「四万・沢渡温泉口」と言う副駅名が
付けられている。





 四万温泉へは、この駅前からバスで40分ほどの距離で、片道930円、
往復で1860円だ。関越交通の路線バスが出ているほか、関東方面から
の長距離バスも乗り入れている。
またこの駅からバスで30分ほどの所には、縄文時代から湧き出る温泉、
沢渡温泉も有るが、まだここは訪ねたことがない。





 四万温泉は、四万川沿いに広がる温泉街で、大きく五つの地域に分
かれている。一般が利用できる共同浴場や露天風呂、日帰り施設など
も多く、国民保養温泉として第一号の指定を受けている。
新湯地区にある元禄年間創業の積善館は、県指定の文化財の宿で、大
正昭和の懐かしさが薫る「元禄の湯」は温泉ファンの人気も高い。(続)



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