簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

番町線の電停 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-30 | Weblog


 新しく開通した、番町線の電停(路面電車の停留所)は、「御城下」
を出ると「石関町」、「出石町」、「弓之町」と続き、この先で進路を
西に変え、「憲兵隊前」から「七番町口」に到り終点となる。
城下からは、僅か900m余りの新線であった。



 天神山には県庁が有り、電停も当初の「出石町」から後に「県庁前」
に変更された。その県庁は、昭和20(1945)年6月の岡山空襲で、焼
夷弾を受けて焼失した。
戦後に成り岡山城近くの現在地に移転再建されるのは、昭和32(1957)
年の事で、これは47都道府県の中では最も遅い再建で、請け負ったの
は竹中工務店である。



 これにより「県庁前」電停は、今度は「岡山神社前」と呼ばれた。
県庁跡地には後に、岡山県総合文化センター、今日の天神山文化プラザ
が建てられている。
設計したのは、新県庁舎も手がけた建築家・前川國男である。



 また当時前庭であった場所には、岡山県立美術館が建てられているが、
こちらの設計は、建築家の大沢雄作(鹿島建設)である。 
「弓之町」はその後、「後楽園」から「後楽園前」に改められた。
岡山後楽園の正門に一番近い電停で有ったからだ。



 県庁は無くなったが、この美術館周辺の坂道は、今でも「県庁坂」と
呼ぶ人もいるらしい。

 又、当時弓之町の西南角には、大日本帝国陸軍の第四管区岡山分隊が
置かれて居たため、この曲がり角の電停は「憲兵隊前」であった。
第二次大戦後解体されると、電停名も「一番町口」、「一番町就実前」
「就実学園前」と変遷するが、学園は今も当地に学び舎を構えている。(続)



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天神山辺り (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-28 | Weblog
 今日の城下筋に番町線の路面電車が走り出したのは、大正10(1921)
年の事だ。
内山下分岐(現城下交差点辺り)を折れ後楽園の森を右に見て北上する。
電停は、「石関町」、「出石町」と続くが、今日のオリエント美術館や
県立美術館、岡山神社のある辺りらしい。





 当時ここには、「岡山県農工銀行」(後の日本勧業銀行)のビルや、
岡山電気軌道(岡電)の本社が有り車庫もつくられた。
この辺りは岡山市の中心地域で、有力な個人商店も立地していたらしい。
余談に成るが、近くには、石造り三階建ての建物が威容を誇る「本郷金
物店」が有った。昭和の時代大映の映画やテレビのドラマ等で活躍した
スター・本郷巧次郎の実家である。





 天神山は、昔から岡山平野に聳え立つ三つの丘の一つで、丁度この辺
り一帯の地域を指す。ここは当時の官庁街、文教地区で、県庁や県会議
事堂、裁判所、県農会館、図書館、東警察署などを初め学校なども多く
立地していた。

 明治4(1871)年の廃藩置県により、備前岡山藩は岡山県となる。
当初現在の県域内には、他にも北条県、深津県もあったが、5年後には
岡山1県となり、手狭を理由に新県庁建設の機運が盛り上がったらしい。





 その候補に挙がったのが、岡山市街地を四方に瞰下するこの天神山で
あった。高台に有り風通しも良く、湿気が少ないので役所として適地で
ある、との理由である。

 工費13,600円(現価値で1億1,600万円位)、岡山県内産の檜、欅、杉
等の払い下げを受け、工事を請け負ったのは後の鹿島組、神奈川県在住の
平民・鹿島岩蔵であった。
この地に新庁舎が完成するのは、明治12(1879)年の事だ。
住民は祭提灯を灯し、その完成を盛大に祝ったと伝えられている。(続)

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路面電車の開通 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-26 | Weblog


 日本で最初の路面電車が実用化され、営業を始めたのは京都市である。
明治28(1895)年に、琵琶湖疎水で発電する電力を引いて、七条停車
場前から伏見下油掛の間に開通した。



 遅れること17年、岡山にも待望の路面電車が、岡山電気軌道(岡電)
により開通した。
明治45(1912)年5月に内山下(うちさんげ)線の岡山駅前~内山下
分岐(現在の城下交差点辺り)間(910m)である。
同時に内山下支線の内山下分岐~後楽園口間(448m)も営業を始め、
更に大正10(1921)年には、内山下分岐から後楽園口の路線は番町ま
で延伸され、番町線が開通した。



 一方その後内山下線は、西大寺町まで延伸され、今日の東山線の一部
が開通した。
その2年後には、西大寺町から旭東地域の東山に至る路線が旭東線とし
て開通し、今日の東山線が全通した。



 これは旭川に架かる京橋が、改修補強され、軌道敷の敷設が可能にな
ったからである。
嘗ての城下町を通る山陽道(西国街道)の土橋から近代的なコンクリー
ト橋に架け替えられ、更に拡幅工事が終わったのだ。
この京橋周辺は昔から岡山城下の主要な拠点で、川湊も設けられていて、
路面電車が接続出来た事は、市内の交通網整備には大きな意義があった。



 昭和3(1928)年には、柳川から南下して大雲寺に至る柳川線が開
通する。大雲寺から更に南下して、清輝橋に至る路線が開通するのは、
昭和21(1946)年の事だ。
これにより柳川から分岐する柳川線は、名も清輝橋線と改め全通した
ことになり、旭東線、清輝橋線、番町線の3路線となった。(続)



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晴れの国の根拠 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-23 | Weblog


 岡山県のキャッチコピーは、「晴れの国 岡山」である。
その根拠は「日の降水量1ミリ未満の日数」が276.8日で、全国一多
いというもので、平成元(1989)年から使われている。
加えて、「晴れの日が多い」「瀬戸内の温暖な気候で災害が少ない」
「緑豊かな自然」、「おいしいものが沢山ある」など、観光客誘引の
施策には必ず用いられるフレーズが幾つもある。



 ところがキャッチコピーの根拠として、比較に使われてきた気象デー
タの平年値が、近々全国的に変更される事となった。
気象庁の発表によれば、今年の5月19日からは、現行1981~2010年が
10年分ずれて、1991~2020年の30年間の数値に変更されるのだそうだ。
そこで気になるのが、その根拠が揺らぎはしないか?と言うことだ。



 県関係者の中では根拠が変動するのでは、と危惧する者もいるとか、
いないとか。
そんな中、早速専門家(岡大名誉教授)による独自なデータ分析の結
果が新聞報道された。気象庁のHPから気象データを収集し、新たな
基準で平年値を導き出し、比較したのだそうだ。



 分析によると、「日の降水量1ミリ未満」は276.7日で、2位の山梨
県(276.1日)を僅かに抑え1位の死守が確認された。
「日の降水量0.5ミリ未満」でも同様山梨県を抑えている。
ただ、「年間降水量の少なさ」では、長野が965.1ミリで1位となり、
岡山はそれに次ぐ1143.1ミリで2位となった。
ただ「年間日照時間の長さ」は、残念ながら15位との結果だった。



 1ミリ以上の雨が降る日は少ないが、晴れの日や日照時間では他都市
に譲っている。特に山梨県が、これらの項目全てが上位5位以内にラン
クインしているのが気掛りな存在だ。

 「晴れの国 岡山」の命運は如何に・・・。
気象庁の正式な数値データーによる発表が待たれている。(続)



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観光資源 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-21 | Weblog


 岡山には、観光資源が乏しいと、自虐的に語られることがある。
県内には全国的に知名度も高い、サワラや牡蠣、白桃やマスカットなど、
海の幸も、山の幸も豊富で多彩、どれも美味しい物が沢山有る。



 しかし、観光的な施設で言えば、大型の滞在型施設や大規模な遊園地・
観光地が少なく、全国的には知名度も低く人気がないかららしい。
観光客は来岡しても、多くは宿泊せず早々に立ち去ってしまうとよく言
われている。有る統計調査によると、7割以上が日帰りの観光客らしい。



 だが県内には、倉敷美観地区を初め、鷲羽山や瀬戸内海、瀬戸大橋の
景観、西の軽井沢・蒜山高原や、鄙びた美作三湯(湯の郷・奥津・湯原
の各温泉郷)、桜の名所・津山の城址公園、新庄宿や旧出雲街道沿いの
各宿場町の古い町並み、桃太郎伝説の浪漫溢れる吉備路、巨大な古墳群
等など、決して資源が乏しいわけではない。



 岡山市内中心部にも、日本三名園の一つ「岡山後楽園」と「岡山城」
があり、この城下周辺の「岡山カルチャーゾーン」の各施設は、是非
訪れて欲しい文化・観光施設だ。
 その近辺には、戦災を免れた古い町屋なども一部残されている。
又近年、旭川を舟で巡る屋形船や、瀬戸内海の島々を巡るクルーズ船の
運行も始まっている。



 しかもそれらはごく限られた範囲に集約されているので、路面電車が
使えるし、歩いて廻ることも可能だ。
又カルチャーゾーン内の各施設間では、「後楽園と県立博物館」「後楽
園と岡山城」等、便利で手軽な共通割引入場券も販売し観光客の誘致に
躍起になっている。(続)



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岡山カルチャーゾーン  (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-19 | Weblog
 市内電車を「城下」で降り、東に向け烏城道を緩やかに上れば旭川畔
の石山公園に出る。
岡山城の本丸が有ったのがこの石山で、所謂「丸の内」で、周辺には城
の遺構である石垣なども残されている。



 右手には、「岡山市民会館」があり、その奥に「岡山城」を、左手正
面の旭川の緩やかな流れ越しには「岡山後楽園」の深緑の森が見える。
近くには、能装束コレクションで知られる「林原美術館」や、「県庁」、
「県立図書館」等が立地している。



 川沿いの遊歩道を北に辿り、鶴見橋を渡り直進すれば後楽園の入口で、
正門前には県の文化財を中心に展示する「県立博物館」がある。
鶴見橋を渡り、左にとって逢来橋を渡ると目の前に大正ロマンあふれる
竹下夢二所縁の 「夢二郷土美術館」が見えてくる。



 再び城下の電停に戻り、コンサートホール「岡山シンフォニービル」
の円筒形の建物を見て、市電の軌道に沿って南に向かえば、旧日銀岡山
支店を再生した文化芸術の創造拠点「ルネスホール」の重厚な石造りの
建物が嘗ての威厳を誇るように建っている。



 又反対に城下を北に上れば、オリエント文化を一堂に紹介する「市立
オリエント美術館」、「能楽堂ホールテンジン9」(RSK放送本社ビル)
や、郷土所縁作家の作品を展示する「県立美術館」、市民芸術活動の拠
点「天神山文化プラザ」等が軒を連ねる一画を目にすることが出来る。



 「岡山後楽園、岡山城、旭川の周辺地域については、歴史・文化・自
然と調和した町並景観を形成するため景観形成重点地域へ指定する。」
(「岡山市 景観計画」平成19年12月)

 この市の計画に基づき、文化芸術関連の施設が集約するこの辺り一帯
は「岡山カルチャーゾーン」と名付けられた。(続)



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御城下 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-16 | Weblog
 路面電車・東山線は、岡山駅前から5分ほどで「城下」に到着する。
この辺りは石山と呼ばれた小高い丘の裾にあたる場所で、嘗てはそのも
のズバリ、「御城下」と呼ばれた電停で、一時「表町入口」と呼ばれた
時期もあった。岡山城や岡山後楽園には一番近い最寄り駅で、何れも歩
いて10分ほどの距離である。



 旭川の河口部に開けた岡山平野には、岡山・石山・天神山という三つ
の丘が聳えていた。
16世紀頃には、この石山には国人の金光氏が城を築き本拠としていた。
しかし当時この辺りは、まだ貧しい農家が散在するだけの辺鄙で寂しい
地であったらしい。



 後に、備中国への勢力の拡大を目指す宇喜多直家は、本拠を沼城から
石山に移すこととなる。ところがこの時代は、家臣達の領地への執着が
強く、城下への集住は進まなかったと言う。
城下町の本格的な建設は、直家の子の秀家の時代を待つことになる。



 秀家は、本丸を石山から岡山に移すと同時に、石山の南側に本格的な
岡山城下の建設を始めた。
手始めに、旭川の流路を、岡山を囲う形に整備し、丸の内を広げると同
時に、それを取り巻く三重の内堀を整備した。



 丁度この城下の辺りが三重に掘られた内堀の一つがあった場所だ。
交差点の北側辺りが南に延びる内堀の北端で、その跡地の上に建つのが、
目の前の一際目を引く、円筒形の建物である。



 これは、2,001席を有するコンサートホール「岡山シンフォニービル」
で、丁度内堀の西岸にあたる場所らしい。
(「絵図で歩く岡山城下」2009年8月 岡山大学付属図書館編)
平成元(1989)年の発掘調査では、石垣の遺構が見付かっている。(続)



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旧内山下線 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-14 | Weblog


 昭和初期の頃の岡山市街地図を見ると、駅前から城下に至る間の路面
電車には、電停(電車の停留所)が今以上に多く有った事が解る。
駅前を出ると次は、「取引所前」の電停が有ったが、距離にして200mに
も満たない場所である。現在、商業施設「ICOTNICOT」が建つ反対側辺
りと思われる地に、「米取引所」が有ったからだ。



 この次が「西川」、現在の「西川緑道公園」である。
市内を南北に流れる西川は、元々は江戸・慶長年間に開削された農業用
水である。
緑豊かな都市環境の創出をテーマに、昭和49年から10年近い歳月を重ね、
総延長2.4㎞の「市街地の中の緑の回廊」、緑道公園として整備された。



 現在の東山線は、「西川緑道公園」を出ると、次は「城下」である。
この間は直線で、1㎞に満たない距離であるが、当時はここに、「野田
屋町」、「柳川」、「中山下」、「上の町」の各電停が有ったが、150
m程の間隔で有ったと思われる。



 宇喜多秀家により岡山城下町の開発が行われ、以後その市街地は南に、
西へと広がり、やがて岡山城下62町の町並みが形成された。
やがて明治に成り、鉄道が開通し岡山駅が開設されると、城と駅を結ぶ
線は、岡山市を代表するメインストリートとして発展を遂げることにな
るが、それが今日の「桃太郎大通り」である。



 当時は周辺の人口も多く、加えて北側の天神山地区は、当時の官公庁
街で、また学校の立地も多い文教地区でも有り、路面電車の利用が多か
ったと思われる。加えて沿線の市民も気軽に利用できる、便利な足とし
て重宝に活用されていたのであろう。(続)



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岡山電気軌道・路面電車(岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-12 | Weblog


 JR岡山駅に降り立つと、真っ直ぐ東に向け、市のメインストリート
「桃太郎大通り」が 延びていて、この広い通りの真ん中を、路面電車が
走っている。
明治45(1912)年の内山下線の初運行以来既に100年を越えた、地元
では「岡電(オカデン)」と呼び親しまれている市内電車で、市内に二
系統運行している。



 岡山駅前を出ると直ぐに西川緑道公園、更に次が柳川の大きな交差点で、
ここで線路は東向きと南向きに分岐する。
そのまま直進し終点の東山に至る路線が東山線(3.0㎞)、南に進路を変
え清輝橋に至るのが清輝橋線(2.1㎞)で、何れも始点は岡山駅前である。



 嘗ては多くの町中で見かけた路面電車、所謂チンチン電車も、モータ
リゼーションの影響で、多くの市内からその姿を消す、或は路線が縮小
される等してから既に久しい。
今日では全国的にも珍しい存在で、運行されているのは札幌、函館、東
京、京都、広島、高知、松山、長崎、熊本、鹿児島など18都市である。



 のんびりと、ゆったりと走るがいえ、その遅さで一時は邪魔者扱され、
廃止の憂き目を見た路面電車ではあるが、今日では「人に優しい乗物」
として見直しの機運も高まりつつあるらしい。
ここ岡山でも、延伸、環状化の議論が俄に活気づいてきた。



 現に岡山駅前の電停から駅方向に約100m線路を延ばし、岡山駅の東
口広場に乗り入れる、2面3線の電停を新設する工事が始まっている。
JR駅から乗り換えの場合、現行の180mを40mに短縮し、利便性と市
街地の回遊性を向上させるもので、2023年度中の完成を目指している。(続)



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終着駅・金沢(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-07-09 | Weblog
 糸魚川から北陸新幹線「はくたか」に乗り、50分ほどで北陸新幹線の
終着駅、金沢に到着した。
これで同線の未乗車区間は無くなり、乗り潰しが終わったことになる。

 新幹線はこの先新大阪まで先延伸計画があるが、一部詳細ルートが決
まっていないようだ。
2022年度末には開業予定らしいが、計画は1年半程度ずれ込んでいる。



 金沢駅は嘗て地上駅であったが高架化され、随分と綺麗になった。
駅ビルには、広大な商業施設「金沢百番館」が新装開店した。
駅前にも鼓をイメージした「鼓門」もてなしドームが造られ、「世界で
最も美しい駅」の一つに選定され程の駅となっている。



 駅前からバス利用して、昼食を予定している近江町市場に向かう。
10分ほどでバスを降りると、目の前が市場で、市民の台所とも言われる
狭い通路は、地元民よりも観光客で溢れかえっていた。

 食事時を過ぎているのに、どこの食事処も長蛇の列が出来ている。
ここはもう覚悟を決めて、少なそうな所に並ぶより仕方が無い。



 加賀百万石の城下町は、立ち寄りたいところは幾つもある。
乗り継ぎを少し後ろにずらした僅かな時間しか予定していない身には、
食事待ちのこの時間が何とももったいない。。
 この時期の金沢なら、冬の兼六園の名物、「雪つり」は是非写真に
収めたいところの一つだ。



 余談だが、「雪つり」は、北陸特有の重く湿った積雪から樹木の枝折
れを防ぐため、樹木の幹に沿って長い支柱を立て、その先端から各枝に
放射状に縄を張り、枝を保持するもので、特に兼六園では冬の風物詩と
して知られている。
 一般的には、「ゆきつり」と濁らない発音が主流らしいが、金沢では
ゆきづり」と濁って発音するらしい。



 込んでいるからか、席に着いてからも、料理が提供されるまでに随分
と待たされ、市場での食事に思わぬ時間を費やしてしまった。
時間も迫っているので、他を廻るのは断念だ。

 後はこの近くにある加賀麩の名店・不室屋に立ち寄り、好物の「生麩
鍋セット」をお土産に購入すれば、今回の旅の予定は全て終わる。
(JR乗り潰しの旅・大糸線 完)





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