簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

年寄りの鉄旅トイレ事情

2022-09-30 | Weblog
 またトイレの話で恐縮です。
一昔前の国鉄なら、ホームの端にトイレの有る駅は結構あった。
長距離、夜行、寝台等の列車の停車するホームには、洗面所とセットで
設置されていた。近頃では、長距離列車が激減したこと、経費の問題や、
車輌の設備が整った等で、ホームのそれは役割を終え姿を消している。



 肉体的な機能は歳と共に次第に衰えるが、最近はトイレが近くなった
事を実感する。若い頃ならギリギリまで待ち、直前にホームで用を済ま
せば、例え車輌に無くても事たりた。
降りるまで多少の我慢も出来たが、近頃では不本意ながら急を要す事も
多く、乗車中のトイレ利用は欠かせなくなっている。



 それを思い水分補給を控える事は、年寄りには危険で、やはり自衛策
としては乗車前に済ませることは当然だ。
その上で乗車前にトイレのある車両の位置を確認し、出来るだけそこに
近い車両に乗り込むようにしている。



 トイレ付き車両の位置は、JR各社でも編成される車両や、連結され
る車輌数によっても違いがある。短編成の列車なら、使い慣れた路線な
ら大して問題でも無いが、初めて乗る長編成の列車で、長時間の乗車と
もなると矢張りトイレの位置は心配だ。



 車内に入ればその位置は、ステッカー等で案内されている。
しかし、運行中の混み合った車内を移動となると、動きも楽では無く、
足元も危なっかしく危険でもある。
車輌によっては、連結部の通り抜けが出来ない場合もある。
こんな事も有り近頃では、トイレ付き車輌位置の事前確認が怠れ無い。



 高齢化が更に進めば、こんな事情で鉄道利用を躊躇うお年寄りも多
くなるのではあるまいか。JR各社も、トイレ付車輌の停止位置を示す
ステッカーを、ホームに表示する等、こんなサービスが有っても良い
のにと、列車に乗ると何時も思う。
(写真:会津郡下郷町「大内宿」 本文とは無関係)



来週から「東海道歩き旅・尾張の国・後編」の連載が始まります。



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し昔のJR四国のこと

2022-09-28 | Weblog


 今回も、トイレの話で恐縮です。
コロナ禍も有り、ここ数年JR四国の鉄道は利用する機会も無く、今では改善も進んでいるらしく迂闊なことは言えないが、以前は本州から乗り入れる特急等の優等列車を除くと、普通列車の車輌には殆どトイレは付いていなかった。
少し前の話で、18キップで管内の路線を乗り潰していた頃のことだ。



 全国的にトイレ付きの車両が増え、トイレの改善が進められる中で、ここだけが取り残されているようだが、その理由は簡単で経費がかかるからである。
又とりわけ地方では、学生の喫煙場所となることを嫌った措置でもあったようだ。



 確か土讃線の小歩危駅や、予土線の江川崎駅での列車行き違い、時間調整で長時間停車した時のことだったと思う。
乗った車輌にはトイレ設備が無く、こんな時「列車にはトイレの設備が有りません。○分停車しますので駅のトイレをご利用下さい」と車内アナウンスが流れていた。
アナウンスに促された乗客と、ぞろぞろと連れ立ってトイレに行った記憶がある。



 以前見たJR四国の「お客様の声」サイトには、「高知から多度津や窪川まで行く普通列車にはトイレのある車両を・・・」と言うお客の声が有り、「整備を進め、延べ24本増加させました」との回答が掲載されていた。



 鉄道旅で、列車の長時間停車の折に、わざわざ駅のトイレを使うことは度々ある。
気分転換にもなるし、ついでにその土地の情報が仕入れられ、時には土地の銘菓や駅弁が思わず手に入るかも知れない。こんな風に考えれば鈍行列車が駅で長時間停車するのもそんなに悪くはない。(写真:備前市吉永町「八塔寺ふるさと村」 本文とは無関係)



来月から「東海道歩き旅・尾張の国・後編」の連載が始まります。



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

列車のトイレ事始め

2022-09-26 | Weblog
 いきなりトイレの話で恐縮です。
列車にトイレ付の客車が初めて連結されたのは、明治22年の事だそうだ。
それまでは長距離を走る列車でもトイレの設備は無かったと言う。



 ある日時の政府高官が、列車の停車中に駅のトイレで用を足していた。
すると列車が動き始め、気付いた高官はあわてて列車に飛び乗ろうとし
たが失敗した。悲惨な事に足を踏み外し線路に転落、列車と接触して死
亡すると言う事故が起きてしまった。



 この痛ましい事故がきっかけでトイレ付車両が導入されたという。
しかし当初乗客はトイレは付いたものの運転中の使用はできないものと
思い込み、列車が駅に停車すると一気に多くの乗客がトイレに殺到した。
その結果列車が発車した後の線路上には、大変な量の落とし物が残され
ていたそうだ。



 その後多くの車輌にトイレの設備が普及したが、当時はタンクもなく
垂れ流しであった。このため、鉄道沿線の住宅地域では汚物が飛散する、
悪臭がするなどと新たな「黄害」が社会問題にもなった時期が有った。



 経済の高度成長期に入ると、住宅の建設等で沿線の開発が進むにつれ
「黄害」問題は大きくなっていった。
その後列車には貯留タンクが設けられるようになったが、何せ数も多く、
経費もかさむから作業は遅々として進まなかった。
驚くことに、こんな不衛生な垂れ流しは延々と続き、完全に改善された
のは2002年のことだと言う。



 最近では使用する水も僅かで、中にはバイオ技術を導入したトイレま
で現れている。列車のトイレ設備は気付かないうちに格段に進歩を続け
ている。(写真:南丹市美山町北「茅葺きの里」 本文とは無関係)



来月から「東海道歩き旅・尾張の国・後編」の連載が始まります。



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あちてらす倉敷(水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-23 | Weblog
 水島臨海鉄道の旅客取扱いの終着駅である「三菱自工前」駅まで行っ
たものの、昼間この時間帯には倉敷に折り返す便は設定されていない。
駅周辺はまるで生活臭が感じられない工業地帯で、朝夕の通勤客以外で
は、物好きな鉄道ファンだけらしい。

 とはいえ、工場への出張者ぐらいは有るのでは、と思ってみたりもす
るが、電車の運行を満たすほどの需要は無いようだ。
有っても多くは水島からタクシーを利用するのであろう。





 線路沿いの道をゆっくりと、水島港にも寄り道をしながら、1.2㎞の道
を1時間程かけて戻り、水島駅から電車に乗り倉敷市駅に帰ってきた。 

 折角なので駅の南口から、歩いて5分程の所にある、令和3(2021)
年10月10日にオープンした「あちてらす倉敷」に立ち寄って見る。
一帯の再開発により誕生した、複合商業施設で、南館と北館の二つの
建物で構成されている。





 官民連携で「居心地が良く歩きたくなるまちなか」をコンセプトに、
周辺には芝生広場、ウッドデッキ、ベンチ等のあるオープンスペースも
設けられた。

 館内には市民の交流スポットも設けられ、地域住民のみならず、観光
客を含め、美観地区と駅を挟んだ北側の倉敷みらい公園等、周辺エリア
の回遊が生れ、賑わい創出への大きな期待が掛けられている。

 元有ったあった市営駐車場も、スペースを80台分ほど広げ開業した。
観光シーズンには、慢性的な駐車場不足を来たす美観地区周辺にあって
期待も大きい。





 倉敷市では路線バス・鉄道利用促進事業としてとして、市内を運行す
る路線バスとこの臨港鉄道の無料デーを設けている。
今月24日(土)を皮切りに、10月は9日と16日の日曜日、11月は5日の
土曜日の4日が予定されている。
この機会に、旅客の運行も扱う臨港鉄道に乗ってみるのも良いのでは。
(水島臨海鉄道に乗る・完)




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水島海上保安部 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-21 | Weblog


 正式には、「第六管区海上保安本部 水島海上保安部」と言うらしい。
主に中四国地方の瀬戸内海、並びに岡山、広島、山口(一部)、香川、
愛媛を管轄の範疇とする「六管」に於いて、岡山県西部水域の内、笠岡市
神島西端から倉敷市と玉野市の市境に到る間を担っている。



 主な任務は、海上に於ける犯罪捜査、法令違反の取り締まり、海難救
助から海洋汚染の監視と調査と幅広い。
対応する所属船艇は35m型巡視艇が、消防機能を有した「PC53 りゅ
うおう」と「PC13 みずなみ」があり、20m型巡視艇では、「CL69 
にいかぜ」と「CL53 きびかぜ」を有している。(水島海上保安部HP)
場所柄、中小型の艦艇が配備されている。



 水島港の取扱貨物量は中四国では最大級で、全国で10位にランキング
されているが、入港隻数を見ると年間約3万隻の船舶が出入りし、この
数は全国では1番という。
出船入船で込み合う港に監視の目を光らせるのが、この保安部である。



 港には神戸税関や広島植物防疫所、検疫所等の出先機関も揃っている。
しかし近頃では、遊漁系プレジャーボート等の機関故障が多発しているら
しく、その対応も増えているようだ。
事前の点検を徹底するよう注意を呼び掛けている。



 港に立てば、湾を取り巻く工場群が一望で、間近には保安部の巡視艇
等を目にすることが出来るが、残念ながらここにはプロムナードデッキ
のような遊歩道や飲食・土産物等商業施設など観光的な要素は何もない。

 港は巨大な水島コンビナートに有って、孤高を保ち、それを構成する
一要素に徹しているようにも見える。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水島港 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-19 | Weblog


 岡山県が管理する水島港は、昭和37(1962)年に開港した。
大規模な工業団地の造成と時を合せ、工事が進められての事である。
高梁川の河口域を挟んだ西側の玉島地区(商業港)と、東側の水島地区
(工業港)にかけての港湾が総称して水島港と呼ばれている。



 昭和35(1960)年には「重要港湾」としての指定を受けた。
その後も浚渫など整備が進み、公共の岸壁も造られ、大型のタンカーや
客船などが接岸できるようになった。
国際競争力を支える拠点港湾として更に整備が進み、平成23(2011)年
には「国際拠点港」となっている。(岡山県港湾課)



 港の取扱貨物量は年間8458万トンと言い、中四国では最大級で全国でも
10位にランキングされる重要な港湾となっている。(岡山県産業振興課)
因みに全国一位は名古屋港、二位は千葉港、三位は横浜港である。(国土
交通省資料)



 水島工業地帯は人口造成された地に、鉄鋼・石油精製・自動車製作等
の工場で形成された巨大な臨海工業地帯である。
立地する企業の多くは原材料や製品の輸送などの為の専用の岸壁を持ち、
諸外国との繋がりもある工業港としての性格を色濃く出している。
陸揚げされるコンテナ運搬に寄与したのが、水島臨海鉄道・水島本線だ。



 嘗てこの港からは、対岸の香川県の丸亀港を結ぶ定期フェリーの航路
が有ったが、瀬戸大橋の開通と同時に廃止され、今日では定期航路は全
廃されている。
港の一角にはその当時の旅客船の待合所も残されているが、今では人の
姿も無く閑散としている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷貨物ターミナル駅 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-16 | Weblog
 嘗ては倉敷貨物ターミナル駅の先には、川崎製鉄への引き込み線が延
び川鉄駅が有ったらしいが、昭和58(1983)年に廃止になっている。
臨海工業地帯周辺の瀬戸内海では、航路整備が進み、10万トン級の貨物
船の出入りが可能になり、多くの工場が海運に切り替えた影響らしい。



 車輌基地は産業道路(海岸通り)のフェンス越しに見ることが出来る。
車輌のことは良く解らないが、旅客用はオリジナル車輌のMRT300形と
いうのが一番多い。
それ以外にも旧国鉄で活躍したキハ30・37・38形を数両保有している。 



 冷房の無い車輌もあり季候の良いときだけ運行されるらしく、ファン
にはこれが堪らないらしい。中でも貴重なのは旧国鉄のディーゼル気動
車「キハ205」で、現存するのは全国でここだけと言う。

 この車輌は近年修復され、その貴重な車輌をエンジン起動状態で公開、
写真撮影が可能で、乗車も出来るツアーが企画されている。



 倉敷市駅を出発する、「キハ37」と「キハ38」を連結した「急行」を
運行し(硬券の急行券を発行する)、途中、水島駅に停車の後、普段は
行けない「倉敷貨物ターミナル駅」と水島から分岐する「港東線東水島
駅(貨物駅)」まで乗り入れる、「水島臨港鉄道全線制覇の旅」だ。



 「ピーポー弁当」の昼食付きで、普段は運行しない「急行ツアー」で、
定員は60名、中学生以上は9,000円、それ以下は半額と言う。
9/18に第一回が開催され、10/23、11/20,12/4の計5回計画されている。 



 同社は昭和45(1970)年の営業開始から、令和2(2020)年の4月
で丁度50年の節目を迎えている。
それを記念して新デザイン車輌の運行も始めている。
オリジナル車輌を赤と青のツートンカラーで再塗装し、座席も一新し、
先頭に記念のヘッドマークを付け、通常ダイヤに組み込み運行している。(続)

 



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水島臨海工業地帯 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-14 | Weblog


 水島臨海鉄道水島線の旅客終着駅、三菱自工前駅までやってきた。
同線の旅客営業はここまでだが、貨物専用の線路はこの先もまだ続いて
いて、1㎞ほど先の倉敷貨物ターミナル駅が終点だ。

 周辺は水島臨海工業地帯の一角である。
嘗て支線や引込み線も多く敷設されていたが、今では殆どが廃線となり、
その痕跡を至る所に留めている。


 
 戦前は漁業と干拓地農業を主とする農漁村であった水島地域に、大規
模な工業団地が本格的に整備されたのは、第二次世界大戦中の事だ。
空襲のリスクを低減するため、工場分散により三菱重工の航空機製作所
岡山工場が進出して以降の事である。
終戦の年の水島空襲では、この工場は壊滅的な被害を受けている。



 海を干拓し新田とする工事を始めたのは宇喜多秀家である。
天正12(1584)年には高梁川河口に潮止め堤防築堤に成功した。
 干拓が進められた江戸初期の頃には、瀬戸内海の島であった児島と陸
続きになっている。その後も流路の改修が重ねられ、東高梁川が廃川と
なるのは大正14(1925)年の事だ。



 旧東高梁川河口域の廃河川敷や干拓地に、水島港の浚渫した砂などを
使って造成されたのがこの工業団地である。
総面積は約2500㏊で、倉敷市総面積の凡そ7%、サッカー場なら3500面、
東京ドーム500個以上作る事が出来る広さだという。(岡山県産業振興課)
 昭和18(1943)年に開通した水島臨海鉄道は、廃川になったこの築堤を
線路敷きとして使う事になる。三菱重工への物資の輸送が目的であった。



 広い産業道路で規則正しくブロック分けされた周囲は、主に三菱自動車
水島製作所の工場群で、何所を見ても巨大な無機質な構造物ばかりだ。
駅前周辺どころか何所を見ても民家やマンションは無く、事務所や食事処、
商店等も当然目にする事もない。勿論、通りを歩く人の姿は皆無で有る。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三菱自工前駅 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-12 | Weblog


 水島駅を出て、国道430号線を跨いだ辺りで、港東線と分岐すると右
に大きくカーブしながら進路を西に向ける。
やがて視界が開け左手に水島港が見え、車窓からは海上保安庁水島保安
部に所属する多くの艦艇を目にすることが出来る。
線路は更に右に大きく曲がり、高度を次第に下げ地上に降りて行く。



 工場の側壁に沿っ行くと、左に廃止された西埠頭線の痕跡が見える。
貨物専用線で、800m程先の西埠頭駅が終着であった。
更にその先には周辺にある、三菱ガス化学や三菱石油などコンビナート
各工場への引き込み線が通じていたが、平成28(2016)年に廃止された。



 水島からは2分ほどで、やがて終点の三菱自工前駅に到着する。
広々と流れる産業道路(海岸通り)と、線路に挟まれた狭い場所に無理
矢理押し込め、申し訳程度の駅のようで、単式1面1線の地上駅だ。
ホームは随分と長いが、その幅は極めて狭い。
小さな上屋の下に僅かな椅子が有るのみで、駅舎どころかトイレもなく、
勿論無人駅である。



 倉敷市駅からこの「お雛列車」に乗った乗客の殆どが、先ほどの水島
駅で下りて行った。ここまで来たのは、カメラを手にした鉄道ファンと
覚しき者や親子連れら、僅か数名の客だけである。
思い思いに周囲に四散して、駅周辺の光景をカメラにおさめている。



 撮影を終えた面々は、やがて皆一様に、今来た水島の方に向け線路に
沿った路を歩き出す。この時間帯、折返列車が運行されていないからだ。
バスもないので水島の駅までは、線路に沿った道を1.2㎞程歩いて戻るよ
り仕方ないのである。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水島の町 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-09-09 | Weblog


 水島は倉敷市の南部に位置し、多くは明治以降に干拓や、港の浚渫で
出た土砂で埋め立てて作られた平坦な地に開けた町だ。
水島臨海工業地帯(水島コンビナート)の中核をなす地域である。



 戦前にはこの地域に軍需工場・水島航空機製作所が作られ、物資の輸
送目的で鉄道が敷設された。戦後はそれに代わって三菱重工や三菱自動
車が進出し、その後も工業用地の拡大に伴って多くの工場も立地し日本
でも有数なコンビナートを形成した。



 巨大な臨海工業地帯では、昼夜の別なく操業が行われている。
この夜も眠らない美しく輝くコンビナートは、近頃では「インスタ映」
スポットとして知られていて、夜景を見に訪れるカップルも多いという。
又夜景を船上から楽しむ「夜景クルージング」の船が児島観光港からも
出ている。



 戦前から工業都市として栄え、今でも多くの工場が立地し、煌びやか
な夜景を提供する水島ではあるが、ご多分に漏れずこの地区も衰退の道
を歩んでいるようだ。
嘗ては巨大な社宅に住む大工場の従業員やその家族、水島港を出入りす
る船員、船旅の客など、多くの人々で賑わったであろう町である。



 社宅などには子供達も多かったようで、町中には小さな公園がいくつ
も見られ、その前に間口も狭い、小さな飲み屋が犇めき合っている姿は、
この町を象徴しているようだ。



 今そこに元気に走り回る子らの姿はなく、スナックやカラオケ、小料
理屋や居酒屋、中華料理や焼き肉などの看板を掲げた店は既に閉店して
いる所も少なくない。
いつしか喧騒が去り、町中には廃墟のような建物も残されたままだ。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする