ロード・マーシャル時事報告場

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障害者雇用

2018-08-31 12:14:24 | Weblog
行政機関の水増しのみならず、テレビ朝日のWeb検索等、まあ取り沙汰されているな。
「障害者は鬱陶しいのか」と各団体が抗議しているが、
かくいう障害者である私が思うに鬱陶しいというか、損害である。
これが、世間の本音でもあろう。

まことに義理と人情、でなかった本音と建前の美しき国である。

だから、まだ正直に「障害者は処分」のナチスなドイツの方が優れた社会であるし、風通しもよいと言ってたのだ。

忖度?空気?世論?世間体?
そんなのだから村社会なのだ。健常者も「滅私奉公」が美徳(使う人の本音)なので、現在の日本社会を中世とする例えは的を得ている。原始時代の方が優れている気もするな。
日本人は退化しました。だからイエローモンキーと言われるのだな。当ブログ含めて。納得である。
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責任

2018-08-30 12:00:20 | Weblog
責任のない奴ほど綺麗事を言えるし、
自らに責任は無いから他人の責任を厳しく追及できる。
まことに責任のない立場は自由で気も楽である。

つまりそのような奴に責任の伴う事をさせてはいけない。
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「スターリン葬送狂想曲」

2018-08-26 07:16:00 | Weblog
標記の映画を観た。

我々の生活とかけ離れ過ぎた「ソ連の日常」は少し現実感が湧かなかったというのが率直な感想であるが、「おそらく実際そうだった」のだからつくづくソ連は恐ろしい。

内容について言えば、

1・ソ連オタク(ソ連時代のアネクドートが理解できるぐらい)でなければ、楽しみ切ることはできないと思うが、「狂想曲」なので一般人も笑える箇所はある。これを基にソ連や共産党の内実について知る機会になれば、と思う。

2・登場人物ベリヤはスターリンが英米に「うちのヒムラーです」と紹介(実話)している。確かにそのような役職だが、スターリン死後の行動を見るにどちらかというと、マルティン・ボルマンの方が行動的に似ていたかもしれないと思う。きっと第二次大戦でドイツが勝って、ヒトラー死後の権力闘争でも似たようなことは起こったのだろう。案外「高い城の男」は(日独が勝ったという点以外は)、現実味があるかもしれない。

3.基本的に権力闘争・派閥争いの物語なので登場人物に「まっとうな人はいない」が、マレンコフが「聖人」に見える不思議。周りがひどいと「少しのひどさ」が善く見える好例である。史実でも核兵器に反対したり西側との共存を模索したりと、(西側から見れば)マトモな方だったが、もちろんそんなことではソ連で生きていけず、実際ウィークリー書記長を経て最終的に除名されている。


4.最後に、1.で述べた共産党の内実であるが、これは「みなが恐怖する平等」である。当ブログは現実世界において実際問題差別を受ける立場なので、この国大好きな「俺も苦しいのだからお前も苦労しろ」に則り、「日本全土が恐怖する平等」は悪くないと思う。そういうわけで、「きれいな理想だけ」を述べる「目のイってる」、「仕事もせずに普段から活動家」という、日本共産党の街頭演説には積極的に応じ、選挙で投票してみてもいいと思う。権力掌握時には古参のものほど幹部になって特権階級の恩恵を受けられるので、諸君らも、「内務人民委員(共産党政権下日本だと公安が担当しそう)に怯える市民」か、「権力を存分に振るう特権階級」か、の決断は早い方がいいぞ。まあ、その特権階級の権力闘争が恐ろしく・笑える点は「スターリン葬送狂想曲」が示す通りで、覚悟すべき内容だが。ああ、なるほど、日本人は「サムライ」とか好きだが、つくづく(当ブログ含めて)「覚悟の足りない民族」故なのだな。今も昔も。「サムライ」がプライドに拘るのもきっと、それがなかった故であろう。
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次期国産エンジン(XF5)

2018-08-25 06:24:30 | Weblog
標記のエンジンについて、特に推力の項目で、

「アメリカのエンジンより遥かに軽いのにほぼ同等の推力/エンジン重量を出す」

というホルホルページがある。
確かにそうだが、こういう分野は専門外と予防線をはった上で、

1.エンジン重量より、機体全体の重量に対する推力が重要ではないか

2.ほぼ同等の推力といいつつ、やはり見劣りする

と思う。
特に1.は大問題で、あれもこれも機能を搭載したら重たい機体になりました、さらに兵器と燃料を、ではどうなるのだろうか。また最適化したとしてもそれはそれで、技術の進捗による機体改良に制限がかかると思う。
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リハビリHoI2(1940年夏まで)

2018-08-21 19:53:28 | Weblog
長らく禁止にしてきたHoI2をリハビリがてら少しずつプレイしている。

HoI4も出ている昨今なのにな。

とりあえず選択国は友人マルチがあった場合絶対になるであろうドイツ。


というわけで1936年からプレイ開始。

そして、禁止してきた間に腕は恐ろしく鈍っていた。

第一の失敗。工場を建設しなかった。工場は国力である。平時の安定した時期に工場を建設しまくって少しでも国力を稼ぐのが必須項目なのだが、それをすっかり忘れていた。

第二の失敗。研究開発の取捨選択の腕も鈍っていた。ドイツの研究開発チームは控えめに言って「神」なので、普通困ることなどないのだが、今回は空軍(とドクトリン)に重点を置いた開発を固執した結果、他の研究が疎かに。産業、歩兵、戦車、大砲、陸軍ドクトリンはカバーできたが、自動車化歩兵なんておしゃれなものはございません。海軍については全く手を付けず。全てを空軍力でカバーしようとする極めて歪な国家となった。

第三の失敗。生産配分の誤り。工場も作らないし、戦力となる兵科は更新が速いので製造せず。となると工業力が手持無沙汰になるのは当然。せめて物資生産しまくって資金集めとか石油集めをしとけばよかったのだが、何をトチ狂ったか、「ロシアの泥濘では補充が重要である」としてなんと司令部を3個も生産。完全なムダである。

そんなこんなで、気づけば1939年、空軍は最新式だが迎撃3、戦闘機10、戦術爆10の微々たる戦力。歩兵も戦車も最新式だが数が足らない。兵科で通用するのは歩兵、戦車、砲兵ぐらい。
泥縄式にポーランド戦に備えて陸軍を緊急増産するも、開戦前の陸上戦力は戦車-工兵旅団付属が7個師団と歩兵-工兵旅団または砲兵旅団付属が数十。気づけば司令部は計5個。
空軍と海軍は増強なし(輸送船は30増産、物資/資源輸送船は400程度、船団護衛は200程度)。ああ、旧式(2型)の艦艇は全て日本に売却。資源を喰うという理由で。
なにこの軍隊。

とはいうものの、開戦。ふたを開ければ、砲兵と歩兵が戦線に穴を開けた後に戦車を奥深くへ突き進ませるオーソドックスな方法で18日でポーランド攻略。史実よりはマシなので及第点である。

次はフランス戦。本来は1940年の夏であるが、ドイツ最大の敵はソ連。ソ連を倒すためには背後(イギリスのブリテン島やスペインの先にあるジフラルタル)を抑える必要がある。
ソ連戦は1941年夏開始なので、とにかく時間が勝負。秋になっていたがかまわず黄色作戦発動。結果は案外順調に進み、冬のペナルティがあるものの1940年3月2日にはヴィシー政権発足。

さて次はアシカ作戦(ブリテン島上陸作戦)。
問題となるはイギリス海軍。
そこで気づく大問題。
海軍力が足りない。まあ、これはいつものことだが、本来は潜水艦をばらまいて通商破壊を行い、英海軍を港から引きずり出したところを空爆で叩くのが私の戦法。
あれ、そういえば海軍は・・・、増強してないどころか売却して弱体化している。

これは仕方がないので、ドーバー海峡に空の輸送船を1つずつ浮かべて迎撃してくるロイヤルネイビーを空爆で叩く作戦に。
とはいえ空軍力は上記から変わっていないのでかなり消耗。ただ着実に成果はあって、輸送船3個と引き換えにドーバー海峡に一瞬の隙が。
たちまち残る27個の輸送船ユニットが陸上戦力を満載してポーツマスに強襲上陸。途中ロイヤルネイビーの妨害もあったが何とか無事全陸軍上陸成功。輸送船も沈没なし。
正直これは運が良かった。
ブリテン島はこの27個師団と増援の18個師団で蹂躙しつつ、残る陸上戦力で(さすがにこのころになるとある程度の陸上戦力はそろえている。機械化歩兵とか自動車化歩兵とかないけど)、スペイン共和派に宣戦布告してジフラルタル攻略を目指す。
現在1940年5月。
ヴェーザー演習作戦はマルチプレイを鑑みてパス。

ここにきて新鋭戦術爆撃機と戦闘機が開発出来たので量産ラインに乗せつつ、今更ながら潜水艦を建造開始。
AI海軍の航続力は無限なので、まあ細切れにしてまき散らしておいて、全滅報告を受けたら空軍で叩く方針に。これも一つの撒き餌作戦だな。

さて、如何に数年間HoI2をやっていなかったとはいえ、あまりに稚拙なプレイになっていたが、言い訳をするとソ連戦に向けていろいろ頑張っていたのである。
史実チートになるが、独ソ戦が始まるとソ連が工場を疎開させる先の地域にパルチザン資金援助をしまくっていた。
つまり、戦闘以外の画面はほとんど諜報画面での操作である。

油断禁物だし、これはマルチでは使えないが、一応手は打ってあるので、あとは1941年夏(出来れば春の終わり)にはバルバロッサを発動したい。
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最高級

2018-08-19 17:09:44 | Weblog
バイヤー「こちら、最高級スター・デストロイヤーです」

ファースト・オーダー「よし、スノーク最高指導者の旗艦にしよう!」

レジスタンスの1隻のハイパースペースジャンプ特攻で艦隊ごと壊滅・・・。

“スプレマシー”とは・・・?

特攻に弱い点も、銀河帝国時代の伝統を受け継ぎたかった故なのだろうか。
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そうだ、京都行こう(墓地肝試しに感じる恐怖からの考察、あと学生時代の打ち込み)

2018-08-16 12:46:46 | Weblog
「暴風圏内にか・・・」
「京都です」


懐かしい話である。
友人が京都にいるついでに。

「ガメラ3 ~邪神イリス覚醒~」、考えれば20世紀の作品で、制作から20年近く経っているのだな。
平成ガメラシリーズは順を追って、「怪獣映画」「SF映画」「オカルト映画」と言われている。

そういえばそろそろ夏も終わりだ。
夏と言えば昔は怪談をよくやっていたが、最近めっきり流行らないのはやはり技術の向上のせいか。

しかし、当ブログは実施したことはないが、夜中の墓地を訪れる肝試しの類を「怖い」と感じるのは、少々考察に値する。

一体何が怖いのであろうか。やはり死者、幽霊、祟りなのだろうか。
より突き詰めて考えれば、この世とあの世の境とはそこまで恐怖するものなのだろうか。


精神障害により死へのハードルが非常に低くなっていた時期もあり、その「体験」を思い返すに、「そこまでして死を忌避するか」、という思いである。

あるいは、それ自体ではなく、その後の祟りとか憑いて回るといった「後遺症」を恐怖する意見もあろうが、やはり生き地獄(味わった奴しかわからないだろうし、それを強要することもしないが)を経験した身として、私よりはるかに「健全な精神」を持つ者がそのようなことで恐怖し続ける意味が少しわからない。


別のアプローチをしてみよう。
肝試しの墓地が、親族だけ、祖父母や父母兄弟だけだったらどうだろうか。
そこには全く恐怖は無く、(普通ならば)心のこもったお参りになるのではなかろうか。場合によっては親近感すら湧きかねないし、あるいはそのような場所を肝試し場にすることに怒りを覚える向きもあろう。

では、それが我々の先祖代々の墓だったらどうだろうか。
祖父母、や曽祖父等は親近感があったとして、江戸時代の、鎌倉時代の、いかにも古びた墓の前に立つと、やはり恐怖を感じるかもしれない。

そういった場合、人は知り合いにしか「心を見せない」なんと自己中心的でわがままな存在だろうか、という結論に行き着くことも出来る。


そのようなわけで、案外これは考察(妄想ともいう)するに楽しい話題である。

今時自由研究の流行が何か、あるいはそもそもそういう類のものがあるのかは知らないが、夏休み前に「自由なテーマで膨大な量の課題」を与えられ、その潰し方に困っている(あるいはそこに“独創性”なるものをのどうしても入れたい)ならば、このような妄想を捗らせるとすぐ埋まるの試してみると良い。


埋まる埋まらないといえば、これまた大昔の話であるが就職活動のエントリーシートで「あなたが学生時代勉強以外で特に打ち込んだことを書いてください」というのがあったな。
今もあるかどうか知らないが。

企業の求めるところは判らんではない。
だが、大学というのは(少なくとも名前的には)高等教育機関であり、そこに通う者は「勉学に励む」事を第一目標としていることが建前というやつのはずである。

社会性、コミュニケーション、課題に直面して解決した経緯、人間性、重ねて企業の問いたい事は判らんではないが、それはどちらかというと「二の次」のはずである。
友人の1人は学生時代というのは存分にモラトリアムに浸って自己のアイデンティティを見つける期間と言っているが、それも「本来」とは少し違うと思う次第である。

一体ナニに打ち込んでいたのだろうな、一生懸命。

とはいえ、当ブログもそんな時代を紐解けば、ろくでもないことをしているので純粋に勉学にしか興味がありません(それはそれで偉大である)というのは、(変態が集まる理学部でも特に)変態の部類と言えよう。

基本的にはやはり、サークル、バイト、あるいは趣味等を書いて、そこで他者との交流、課題解決経緯などを織り交ぜながら自己アピールからの、志望動機に(ゆるく)つなげていくのがいいのだろうか。
しかし、就活素人の当ブログですらそんなことを考えているあたり、「学生時代に打ち込んだこと」という問いは形骸化が過ぎているとも感じる。
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8月15日

2018-08-15 18:49:00 | Weblog
本来ならば「敗戦日」なのだが、この国では「終戦」かつ「記念日」なのだそうだ。

一体全体、日本のどこが主体的に終戦を決定したというのか。
「陛下のご聖断」というが、条件等の提示は連合国がお膳立てして、日本はそれを受諾したに過ぎない。

またこのような痛ましいものが終わったからと言って「記念日」にするとは・・・快気祝いかな?

それにしては、「反省、平和、しません」で少し「わけ判んない」状態である。

海外もおそらくそういうのに戸惑っているのではなかろうか。

別にトンスルの「謝罪と賠償を要求」を擁護するつもりはないが(というかトンスルは当時同じ国だったので「される側」のはずだが)、
人を散々なぶっておいて、次第に自分がボコられ始めて、それが終わったら、「記念日」と称して毎年毎年「反省してまーす、暴力いけませーん、みんな仲良くやりましょーう」では、ちょっとお国が知れる。あ、日本か。

挙げ句「日本軍国主義」と「国民」を切り分けて「日本国民も被害者だった!」からの「原爆は戦争犯罪、謝罪しろ」では、逆ギレというか、海外から誠意のない反省というか、無反省と捉えられて致しかたまるまい。

とはいえここは「忖度」が国会で取り沙汰される日本である。
1/4の富を消失してもなお戦前と現代の社会は変わらなかったので、もはやこれは「社会をかえろ」と言っても無駄なのだろう(あるいは原爆200発ぐらい喰らえばちょっとは変わるかもしれないが)。

となるならばせめて「反省」についての具体的な内容、例えば以下のような事例が必要ではなかろうか。

1.何故開戦に至ったのか(軍部の暴走ガー、とかそういうのはいらない)
2.そこに中長期的視点はあったのか
3.もしそれがなかったのならば、現在はあると言えるのか
4.現在における中長期的視点は、合理性と国際社会とのコネクションを含めた妥当性があるものか
5.前大戦で敗戦した経緯、および1.~4.を踏まえて、今後日本が国際社会で、「平和」を足枷にしつつ(あるいは盾や武器にしつつ)「勝ち抜くための戦略」を再構築する

そうしなければ、「バカでもわかる、単純海外侵攻国力増大」をまた極東の島国がやらかさないという不安を国際社会はぬぐえないのではなかろうか。

今の日本の「とにかく反戦、平和」は国際的にみると気持ち悪いというか、「何考えているのか判らない」、もっと言えば「空気読めよ」状態なのではなかろうか。
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終戦の夏、本音と建前の8月

2018-08-10 09:24:44 | Weblog
時期的に、終戦のニュースがちらほらと出てきた。

この時期は日本国民の、「本音と建前」、そして「甘さ」が良く分かる。
すなわち、

「平和、反戦」
を公式に宣言するのと同じ比率で、

「空襲、原爆の悲劇」
が重大視される。

このように不都合な結果に「本音と建前」で対処し、さらには「敗戦日」を「終戦記念日」とするなど、実に面白い。


まだ、
「全ては無駄であった
あらゆる犠牲もあらゆる労苦も無駄だった
果てしなく続いた飢えも乾きも無駄だった
しかも我々が死の不安に襲われながらなお義務を果たしたあの時も無駄だった
その時倒れた370万の死も無駄だった
祖国を信じてかつて出征して行った幾百万の人々
こんな事の為に兵士達は死んでいったのであろうか
こんな事の為に17歳の少年は沖縄の海に沈んだのだろうか
その後数日にして私は自己の運命を自覚するに至った
私は政治家になろうと決意した」

として、責任を誰かに擦り付けて騒ぐ方が生産的である。


加えて、この「日本ルール」でのアプローチが国際社会で通じると信じて疑わないこの「甘さ」よ。


こんな事の為に、我々は差別されなければならないのか。

まあ、「ナポレオンと同じ失敗はしない」と言った絵描き落第生と同じ失敗はしない、
と書いてみる。
あれだ、ブログでギャーギャー騒いだとて行動が伴ってない。
行動していないのなら、失敗もなにもないわけで。

以前述べた如く、現在日本社会がこのスタンスなら、こちらもその制度に則り対処するくらいだ。
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8月9日

2018-08-09 05:07:48 | Weblog
本日は長崎原爆投下日である。

二度落とされても変わらないからなぁ。
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