ロード・マーシャル時事報告場

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付け焼刃

2019-05-27 06:06:12 | Weblog
よく「生き方」とか「仏教の教え」的な本で、「あれこれ忙しくせず、自分を見つめる時間を作る」という“教え”がある。

こういう事には本当に疎いので付け焼刃的な「疑問」を呈して見みたい。

不注意(集中力がない・気が散りやすい)、多動性(じっとしていられない・落ち着きがない)、衝動性 (順番を待てない・考える前に実行してしまう)の3つの要素がみられる発達障害の一つ、注意欠陥多動症の障害者はどのように対処すればいいのだろうか。

発達障害は生まれながらの脳の器質的障害であり、「根治はできない」と厚労省が言っている。出来るのは「適切なケアと対症療法だ」と。


日本の仏教は大乗仏教なので、是非この質問に答えてもらいたいところである。
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教育論

2019-05-26 16:37:33 | Weblog
ふと大昔の大学講義「理科指導法」でのエピソードを思い出したので記す。

当時の教育は「自由・個性・自分で学ぶ」が主流だった様に思われる(今はまたどうなっているかは別として)。
そういった風潮の中で、理科指導法の講師は、「ある程度の座学は必要」と説いていた。
その根拠が印象に残っていた。

「テニスと言うのは、勝つ、負ける、違反などのルールが判って初めて楽しめるものであって、
 何も知らない子供にラケットとボールを渡して
 "さあ自分たちで楽しいやり方を見つけてみよう"
 と指導したところで、子供は絶対にすぐ飽きる
 今の、特に理系の子供たちの授業を観ると、後者を推奨しているようにしか見えなくて不安である」

最後の「不安」に関しては、理系の性であるが、なるほどテニスの例えは判りやすかった次第。


追記

昨今、理学部的な教育が「この社会で生き残る上で如何に不利か」を改めて気づかされた次第。
確かに「私は役に立つ学問は学問とはおもっていません」という変人がいる分野ではあるが、
社会の要求にばかり応えていると、その常識の殻をいつまでも破ることはできず、進歩は無いと思う。
「衣食住足りて礼節を知る」ではないが、そういった余力が日本社会に無くなってきている気はする。

ただ、これも捉え方次第で、嘆き悲しむも良し、当ブログの様に現在日本社会に期待していない身として「まあそうだな」程度で終わらせるも良しである。
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春の目覚め

2019-05-23 05:56:32 | Weblog
珍しく軍事ではない(春の目覚め作戦)。

これはあくまで個人的な主観であるが、鬱になると感情が起こらなくなり、ただ希死だけが存在する。
よって、悲しいこと、嬉しいことにも無反応、というか気力がないしか存在しない。

よって、「鬱になったからすごく悲しくて」とか感情を吐ける奴は「ファッション鬱」だと考える。
ただ、永遠に出口の見えない「気力の無さ」はあるので「鬱になって苦しい」は理解できる。

このように感情の無い状態が主な私の鬱の症状の一つだが、最近の日記を見てみると怨嗟ばかりである。
これは、以前述べた如く「感情がある」状態だ。

鬱は再発率が高く、基本当ブログが診療している医療機関の一部は「再発は起こるのでその時の対策を常に考えろ、早期発見早期治療と自身の監視(モニタリング)は死ぬまで」という方針である。当ブログは3回ほど発症しているので(統計的に3回以上発症した者の再発率は90%)、この方針に常に賛同している。

正直、鬱は治らない。これは「倫理的な言い回し」ではなく、「現実問題」として感じる次第。
その証に、鬱関連の診断書では「完治」という言葉は使われない。あくまで、そして永遠かつ絶対に、どう回復しようが「寛解」である。

とはいえ、上記感情があったり、また昨今(既に春も終わりであるが)では外の花に気付けたり、新緑を見たり、そうでなくともふと景色に気付けたり、香りに気付けたりと、
鬱真っ只中とは比べ物にならないほど感情や感覚が備わっている。

もちろんこれを手放しにして通院、服薬、再発予防や自己監視を終わらせるなどもってのほかだが、これは正直に喜ぶべきだろう。

しかしなんだ、最後に余計なひと言を述べると、当ブログは鬱以外(鬱は二次障害)に身体的なものを含めて様々な「完治できない」障害を持っているな。
これは「純粋なるダーウィン賞」を狙うしかあるまい。
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誕生石やら誕生花やら

2019-05-21 05:45:49 | Weblog
色々ありすぎて、結局全部に適用できるという無難さよ。

ふと気になって、標記の件について当ブログの場合を調べてみた。
うん、その、概して穏やかなものばかりだな。

唯一、当ブログの稚拙さについて、良い意味で当てはめることが出来るぐらい、だろうか。

まあ、そんなものだろう。


何故いきなりこのようなことを調べたのかと言えば、昔読んだホラー小説短編集で「白いチューリップ」がキーワードのものがあって、花言葉がなんだったか気になったのでな。
ちなみに白いチューリップの花言葉は「失われた愛」だそうで、そういえばそういうニュアンスを含んだラストだったなぁと思いだす。

ぶっちゃけいろんな花にいろんな花言葉があるので、うかつに誰かに記念に花を贈答するのは危険な気もしてきた。が、よくよく考えれば贈答はそういった事に拘ることではなく、送る側の気持ちがあればいいので、ここは空気を読まない方がむしろ良いだろう。

花言葉とか誕生石とか調べておいてなんだが、そういう事に拘りすぎると本末転倒なので、良いと思ったものは自信を持つべきだろうし、悪いと思ったものを過度に関連付けるのは良くないだろう。


本日の日記は「幼稚」以外、「らしくない」ので、以下付け加え。


よく日本社会ではアメリカの態度について「あの国は」みたいな不満の様な事を述べることが肯定的とされる場面があるが、よくもまあ「無条件降伏した身」でそんなことが出来ると「日本の世界に対する空気の読めなさ、村社会さ」に驚愕する次第。
付け加えれば、一方的に侵略されたのではなく、むしろ逆で「不意打ちしたのにボコられた」状況で、である。
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暇なので

2019-05-19 15:51:47 | Weblog
歩いて歩いて歩きまくった週末を過ごした。
まあ、こんな日も良かろう。
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例外を設けるな

2019-05-11 17:01:28 | Weblog
まず、前回の日記について、モチベーションが上がらないのならば、上がるまで待つかプレイしなければいいだけの話だな。ゲームだし。

さて、当ブログは障害を持っている。
障害者に対する差別を法的には禁止しているこの国において、なお障害者視点でいえば根強い差別が存在する。

しかし"そのこと自体"はあまり重要ではない。
もちろん不快な気分にはなるが、もっと許せない事がある。

それは、"障害者に対する差別はない"あるいは"差別は禁止"と表向きしておいて、実際はやっているダブルスタンダードである。

ぶっちゃけて言えば、世論と政治が、昔のナチスよろしく「障害者は差別し、最終解決対象とする」を正式な手続きで選んでも、当ブログは構わない。但し、そこに例外を設けるな。
障害者になったら、父も母も妻も夫も子供も、身内であろうが見知らぬ誰かであろうが、どのような成り立ちであろうが、皆等しく、"例外なく"最終解決されるなら、あまり文句は言わない。
そこに、やれ「この人は情状が」とか「身内だからコネで」とか「特別だから」とか持ち込んでくることが最も許せないのである。

そして、その例外の極地の様なダブルスタンダードをやっているのが現日本社会と言うわけだ。
まあ、高校時代の倫理の教科書で「やっていはいけないと表明することは、出来ることを意味する」と言う様な言葉を習ったから、その観点でいえば未だ日本の社会は国民啓蒙すべく法律でいちいち周知しなければならないレベルだし、周知しているということは差別がある証左ともいえるので極東というお里が垣間見える状況でもある。

なお、当ブログの言う「例外の無さ」は、例えば第二次世界大戦の日本社会を以下のように批判するレベルである。


一億総玉砕叫んだんだろう?
何降伏しとんねん。ヘタレにも程があるわ。あれだけ精神論喚いたのに沖縄取られたぐらいで無条件降伏とはチワワもいいところじゃないか。
おら戦えや。たかが350万人ぐらい死んだだけでガタガタ喚くな。一億全て死ぬまで戦えや。文句を言う暇があったら特攻してこい。爆弾抱えてこい。
何で倒れとるんや。
食料が無い?家が無い?財産が無い?
そんなの気合でなんとかしろや。そう言ったじゃないか。泣いてる暇があったら竹やりでB-29に立ち向かえや。爆弾で街が焼け野原になったのはお前らの言うところの気合不足や。
気合不足や。ほら立て、戦え、一億総玉砕だろう?子供を疎開なんかさせるんじゃない。一億国民すべてを死地に向かわせて「最後の1人まで抵抗」の筋を通せや。
ヘタレが精神論喚いたところで説得力が無いわ。そんなことで降伏した奴らなんか信用できるか。
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リハビリHoI2モチベーション

2019-05-09 19:18:23 | Weblog
標記の件、低下している。

確かに、アメリカは倒してプレイ速度は劇的に改善した。
しかしなんだろう、いつも感じるこのラスボスを倒した後に10年も続くダラダラ感は。

一応大東亜共栄圏(笑)は健在である。
しかしドイツは単独で実質IC900超え、アメリカの2倍弱の国力を持ってしまった。
どう転んでも、というか寝てても勝てる試合である。

HoI2は如何にプレイ目標を完遂するか考え工夫し試す事が楽しいゲームであり、その一環として世界征服もある。
しかしどうだろう。何をやっても勝ちが見えてしまう現状、モチベーションだだ下がりである。

マゾ(あるいは上級者)ならば、ここで日独を逆転させて日本プレイを行い、ドイツを倒すという楽しみ方もあろう。
しかし一応プレイ序盤失敗(工場を作らず司令部を作る等)をしつつも完成させてきたドイツがある。
当ブログとしてはこの「形」を失うのはあまりに惜しい気もするのだ。

まあダラダラとやっていこうか。
幸い、核は大量にある。昔のように一気に打ち込んで国家崩壊を引き起こすのではなく、定期的に打ち込んで相手国の国民不満度を常に一定以上にさせる、「生かさず殺さず」戦法でじわじわと泡沫と化した連合国を嬲り殺していきたい。
ちなみにこれはちょっと楽しい、新しい核の使い方であった。
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GW最終日

2019-05-06 14:48:33 | Weblog
諸君らはどのように過ごしただろうか。

当ブログは2回の旅行と風邪とでなかなかハードだった。

しかしあれだ、「まあ、よかろう」の精神で考えればハードなりにそれなりの過ごし方をしたととらえることも出来る。

そのようなわけであっという間の10日間であったな。
きっと「ヒトラー ~最期の12日間~」の「12日」はもっといろいろと凝縮された日々だったに違いない。


なお、「10連休取れなかった」と言う文句(というか「おれが苦労したんだから」に通じる何か)を言う奴に対しては、

「で」

と心底思うとともに、日本人が大好きな

「職業自由なこの日本社会でそれを選択したあなたの自己責任でしょう」

と返してみたい。
ほら、麗しき国だぞ。
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美術のデータ化

2019-05-03 14:02:05 | Weblog
当ブログは美術に疎いし、既になにがしかの形で行われているかもしれない、と予防線を張った上で、
例えばピカソの絵画等をデータ化してもいいのではないかとは、ふと思う。

このご時世、映像その他の技術も格段に向上していよう。
わざわざ遠い所に行って入館料払って絵画を観るのと、身近にデータ化した絵画を観るのと何が違うのだろう。
むしろデータ化した方が観たい人はもちろん、疎い人にも観る機会が増えてその分野は活性化するのではなかろうか。

「本物」や「伝統」も重要かもしれないが、例えば現在「伝統」とされているものは当時は画期的だったことも多い。

データ化といっても永久保存ではなく、それを共有・接する敷居を低くし・場合によっては個人的アレンジを加えることで、やはり美術も進歩していくのではなかろうか。

これは何も昔の絵画芸術に限らず現在のアートに対してもふと思う事である。

なお悪ふざけで考えると、
個人の発想の極致たるアート × 共産主義的共有思想 とかなかなか楽しそうであるし、ただそれも一つの形でもあると思う次第。
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