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8月15日

2018-08-15 18:49:00 | Weblog
本来ならば「敗戦日」なのだが、この国では「終戦」かつ「記念日」なのだそうだ。

一体全体、日本のどこが主体的に終戦を決定したというのか。
「陛下のご聖断」というが、条件等の提示は連合国がお膳立てして、日本はそれを受諾したに過ぎない。

またこのような痛ましいものが終わったからと言って「記念日」にするとは・・・快気祝いかな?

それにしては、「反省、平和、しません」で少し「わけ判んない」状態である。

海外もおそらくそういうのに戸惑っているのではなかろうか。

別にトンスルの「謝罪と賠償を要求」を擁護するつもりはないが(というかトンスルは当時同じ国だったので「される側」のはずだが)、
人を散々なぶっておいて、次第に自分がボコられ始めて、それが終わったら、「記念日」と称して毎年毎年「反省してまーす、暴力いけませーん、みんな仲良くやりましょーう」では、ちょっとお国が知れる。あ、日本か。

挙げ句「日本軍国主義」と「国民」を切り分けて「日本国民も被害者だった!」からの「原爆は戦争犯罪、謝罪しろ」では、逆ギレというか、海外から誠意のない反省というか、無反省と捉えられて致しかたまるまい。

とはいえここは「忖度」が国会で取り沙汰される日本である。
1/4の富を消失してもなお戦前と現代の社会は変わらなかったので、もはやこれは「社会をかえろ」と言っても無駄なのだろう(あるいは原爆200発ぐらい喰らえばちょっとは変わるかもしれないが)。

となるならばせめて「反省」についての具体的な内容、例えば以下のような事例が必要ではなかろうか。

1.何故開戦に至ったのか(軍部の暴走ガー、とかそういうのはいらない)
2.そこに中長期的視点はあったのか
3.もしそれがなかったのならば、現在はあると言えるのか
4.現在における中長期的視点は、合理性と国際社会とのコネクションを含めた妥当性があるものか
5.前大戦で敗戦した経緯、および1.~4.を踏まえて、今後日本が国際社会で、「平和」を足枷にしつつ(あるいは盾や武器にしつつ)「勝ち抜くための戦略」を再構築する

そうしなければ、「バカでもわかる、単純海外侵攻国力増大」をまた極東の島国がやらかさないという不安を国際社会はぬぐえないのではなかろうか。

今の日本の「とにかく反戦、平和」は国際的にみると気持ち悪いというか、「何考えているのか判らない」、もっと言えば「空気読めよ」状態なのではなかろうか。
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