ロード・マーシャル時事報告場

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「準備しすぎることはない」および「人殺し」

2016-03-30 06:24:32 | Weblog
「準備しすぎることはない」

物事のマニュアルを制定していくと、あらゆるパターンが示され、それ一つ一つに対策をしなければならないのだが、どこかで「折り合い」をつけようとする動きが出る。

「そんなことはめったに起こらないから、そこまで細かく規定するのは非効率だ」

という風に。

しかし、マーフィーの元来の法則が示しているように、「失敗する余地があるなら、失敗する」。

例えば、「アビアンカ航空52便墜落事故」は、燃料が少ないという認識があったにもかかわらず、結果的に飛行場上空で合計1時間以上滞空し続けた揚句、「燃料切れ」で墜落した。

悪天候・激務による疲労・文化間のコミュニケーション概念の違い・過剰な需要・それに応えようとする運用体制・度重なる管制官の引き継ぎとそれに伴う連絡の不備等あらゆる理由が神タイミングで重なり(着陸時のウィンドシアは本当に神タイミングである)、発生した事故である。

よって、「そこまで考えるのはどうよ」という考えは、こと人の命等を預かる物事においてはまず発生してはならないし、
また人間が主観にまみれた存在でしかない事実から、どのような考え抜かれたマニュアルも不完全である。

実際、「アビアンカ航空52便墜落事故」はどこに責任があるのかも不明瞭であった。

感情的に「管制官が悪い」とか「操縦士が悪い」とか「人間」に責任を落とし込んでも、一切の問題の解決にはならない。

我々にできるのはただ、このような事故をフィードバックしてマニュアルを改善し続けることである。
むろん、「完全なマニュアル」はないのだから、このフィードバックを停滞した時点で新たな不利益発生の引きは引かれていると考えるべきである。

そういった認識が、日本においては未発達であり、「後進国」ならしめている主要因の一つではないだろうか。



「人殺し」

鉄腕DASHのラーメンを作る企画に対して、福島産の原料を使用していることから原発を意識した「人殺し」ツイートした者がいるという。

我々は、この件について一つの推測をすることができる。

日本への原爆投下直後(すなわち戦後)、広島などでは被爆者に対して「放射能がうつる」という差別が行われた。
状況を鑑みるに、今回のツイートを行った者は、70年ほど時期が早ければ、この差別を当然行うと推測できる。

すなわち、このツイートを行った者は、第二次大戦当時の日本軍国・精神主義者との共通点が(部分的に)ある。

同様の理由で山本太郎氏のような放射脳議員も軍国・精神主義者の可能性が示唆される。

放射脳は確かに「精神主義」だな(別の意味でも)。
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学歴、トランプ氏、蓮舫氏

2016-03-29 05:51:20 | Weblog
モンスター社労士の件で学歴について触れたが、当ブログはどちらかと言えば学歴について肯定的に捉える。

もちろん学歴がすべてではないものの、一つの指標として使うことは問題ないと思われる。

ともすれば批判が集中しがちな「学歴」であるが、現在の自由主義が妥協と自己矛盾をはらみながらも他に適当な代替案がない為に運用され続けているように、

学歴という人間の測定法もまた、現在までに他にとって代わることの出来がたい希少な手段である。

例えばADHDのような状況により生得的に学歴が不利になることもあり得るので、そこは「そういったこともある」程度で済まされずにきちんと議論が必要なことではある。
また、「個人の能力を活かす」という言葉は聞こえはいいが、皆が例えば「さかなクン」のような「才能」を持っているわけではないことも十分に考慮されるべきである。

しかしそれでも、学歴は現段階において“比較的”平等な評価制度であるといえる。
何せ、“通常人”であれば、勉強に対する努力さえあれば、家柄関係なく“比較的事由に”その努力が反映されるからである。

当然、家庭収入等の状況により学歴が階層化される等の点も上記障害とともに議論されるべきではあるが、では他に人間評価に比較的まともに使えるものはあるかと言えば、なかなか代替案が出てこないのが現状なのである。


したがって、これはここ直近の当ブログの障害者に対する日本社会の処遇のぼやき・現実的対処法と同じであるが、学歴が問題と指摘されている中でも、それによって人が(少なくとも途中までは)評価されるのならば、それに従って出来ることをやらなければならないのである。

だから、家庭環境や障害などに問題がない場合、勉強できるという環境に感謝の念を込めて勉強をすべきであるし、それが達成できない場合においても、「個人の自立的努力」を継続する必要がある(これに対してなお異議があるならば、当ブログの“障害者のぼやき”も同様に取り上げられる必要がある) 。



なお、学歴を形成する上で重要なのは教育である。
私は昔の大学の講義において講師が述べた“ゆとり教育に対する批判”が極めて印象深く残っている。

要約すると、

「学習は、ある程度の予備知識があって初めて達成できる。
 ラケットとボールだけを渡し、テニスのルールを全く教えず、
 “みんな自由に使い方を考えてゲームを発見しよう”
 では、全く“テニス”に対する興味は持たれず、テニスはいつまでたっても万人に学習されない。
 ルールという前提知識があって初めてテニスは成り立つ。
 現在の、自己発見型の教育(すなわちゆとり教育)は少なくとも科学においてそのような過ちを実践してしまっている」

そういうわけで、ゆとり世代はなかなか厳しいものがある。
しかし現状それでも、自立的努力が必要なのだ。



そういえばトランプ氏が日本の核保有に肯定的な意見を示したそうだが(余談だがトランプ氏も最終学歴は“名門校卒業”である)、以前の日記で示した通り、「核兵器を用いた恒常的な抑止力」は非常なコストと技術と時間が要求されるうえに、国内世論が容認しない。

したがって通常爆弾かつ“戦術核の数十分の一”程度の威力しかない「MOAB」に類する爆弾・弾頭を調達ないし開発し、これを「大陸間レベル」で発射できるペイロードを持ったミサイルを開発するのが“妥協案”かもしれないが、読んでわかる通りあまり相手に対して抑止力を与えるとは思えない。

やっぱり戦略核が抑止力には望ましい。共同開発・運用するなら、インドあたりかなぁ。インドを中心にフィリピンとかと「対中国網」を作って共同の核運用を行うと面白い。
ただそうした場合、日本にとってはパキスタン等との関係が微妙になるし、インドとロシアの関係を鑑みるに、いざ核兵器を使用する事態になった時いろいろもめそうである。

平身低頭してアメリカに媚を売るのが最良の選択と思われる。
となると、沖縄の県長の行為は望ましくない。沖縄県長は「沖縄県民斯く戦へり」を別の観点から解釈する必要があろう。



あと、昨日民進党の蓮舫氏が大声で演説していると聞いた。
内容は聞いていないし聞く気もないが、何故そこまで「主張にこだわる」言い換えれば「議席にこだわるのか」、
「二番じゃだめなんですか」、「理解に苦しむ」(蓮舫氏の発言より引用)。
民進党という「妥協の合流」こそ、蓮舫氏が指摘していた「ムダ」であり、「仕訳け」されるべき「事業」だと思う。
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逆ギレ3パターン

2016-03-27 12:10:04 | Weblog
精神障害者の社会に対する逆ギレパターンを3つほど紹介したいが、その前にモンスター社労士についてまだ思うことがあったので、先にこちらを述べる。

いざ自分がモンスター扱いされたとたん「行政処分は不当」として司法機関に駆け込む滑稽なその姿は、少し距離を置いてみると、“部分対象関係”的といえる。つまり「赤ちゃん」のように、その時その時の欲求によって他者の評価が異なり、全体を俯瞰して見れていないというわけである(当ブログも同じである)。

そのような者でも「スゴ腕」なるブログを名乗れるのだから、きっと当ブログは「神の啓示」に違いない(ネコと和解せよ的な)。

茶茶を入れたついでに最後までこの件について皮肉るならば、件のモンスター社労士はせめて、同じ「モンスター仲間」でも、「宇宙塩を味噌鰤」にされてなお、すぐ許すことのできる寛大な心を持った、「スパーダーマン」(東映)の敵ボス「モンスター教授」を少しでもいいから見習ってほしい。

そういえば最近ニコニコでめっきり見かけなくなった「ダーマ」関係である。
今のニコニコ動画の視聴者もまた、モンスター社労士と同じく、“モンスター教授の寛大さ”を見習うべきではないだろうか。


そう述べたうえで、「逆ギレ」パターンの紹介である。


パターン1:比較型

例えば、

「メクラやツンボの尻拭いマジ大変だよな」

が「もってのほか」なのに、

「アスペと付き合うとマジしんどい」

という“ぼやき”は事実上仕方ない、という“温度差”を非難すること。
現状は変わらないどころか、悪化させている。

ただ、この比較型逆切れをより突き詰めれば、

「老人介護や福祉というトータルのコストで見た場合非効率なものは排除していったほうがいい。」

というような考え方が前提として存在し、それを“倫理”とか“道徳”とか“理性”という「偏ったフィルター」で屈折させているだけだ、という主張に発展可能である。

なかなか被害妄想じみているが、本日記の最後の部分に述べるように、確かに社会全体が進退窮まったときに取る行動がそれに準じているというのは、歴史が示している“事実”でもある。



パターン2:皮肉型

精神障害者が各種人間関係で敬遠される事実について、逆ギレを皮肉に変えて主張すること。嫌味。

例えば、

「当然、社会は福祉サービスを提供するわけですから、障害者は魅力的な人格を具備すべきです」(ストレンジラブ博士風に)

斜に構えるともいう。



パターン3:政権転覆

(演説例後に日記は続く)


演説例

ナレーター
「では、日本病党の演説です」

日本病党代表
「有権者諸君! 私が鳩山恒一(仮名)である。
 諸君、この国は最悪だ!
 少子化対策だとか、医療費削減だとか私はそんなことには一切興味が無い!
 あれこれ改革して問題が解決するような、もはやそんな甘っちょろい段階には無い!
 こんな国はもう見捨てるしかないんだ、こんな国はもう滅ぼせ!

 私には、建設的な提案なんかひとつも無い!今はただ、スクラップアンドスクラップ!全てをぶちこわすことだ!
 諸君、私は諸君を軽蔑している!この下らない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君らにほかならないからだ!
 正確に言えば、諸君の中の健常者は、私の敵だ!
 私は、諸君の中の傷病者に呼びかけている!
 傷病者の諸君、今こそ団結し立ち上がらなければならない!
 やつら健常者はやりたい放題だ!
 我々傷病者が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている!

 傷病者の諸君、政治でなにかが変わると思ったら大間違いだ!
 所詮、政治なんか健常者のお祭りに過ぎない!

 我々傷病者にとって政治ほど馬鹿馬鹿しいものは無い!
 健常者で決めれば健常者が勝つに決まってるじゃないか!

 じゃぁ、どうして立候補してるのか。
 この話は長くなるから、掲示板のポスターを見てくれ。
 ポスターは2種類あるから、どちらも見逃さないように。

 私はこの国の、傷病者に対する迫害にもう我慢ならない。
 傷病者の諸君、健常者にこの感覚を共有させることなど出来ない。
 奴ら健常者は我々傷病者の声に耳を傾けることは無い!
 奴ら健常者が支配する、こんな下らない国は、もはや滅ぼす以外に無い!

 改革なんかいくらやったって無駄だ!

 今進められてる様々な改革はどうぜ全部全て奴ら健常者のための改革じゃないか!

 我々傷病者は、そんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!
 我々傷病者はもうこんな国に何も望まない。

 我々傷病者に残された選択肢はただ一つ。
 こんな国はもう滅ぼすことだ。

 ぶっちゃけて言えば、もはや政権奪取しか無い!

 傷病者の諸君!

 これを機会に、政権転覆の恐ろしい陰謀を共に進めて行こうではないか。
 ポスターに連絡先が書いてあるから選挙期間中でも終わってからでもかまわない。
 私に1本電話を入れてくれ。

 もちろん選挙権の無い未成年の諸君や、東京都以外の諸君でもかまわない。

 我々傷病者には、選挙なんか、もともと全然関係無いんだから!

 最後に、一応言っておく。

 私が当選したら、奴らはビビる。
 私もビビる。
 鳩山恒一(仮名)に藁をもすがる一票を、鳩山恒一(仮名)に悲願の一票を、じゃなきゃ投票なんか行くな!
 どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!」

(外山 恒一氏の演説を参考)



なお、ネタ的に扱われている外山 恒一氏であるが、我々のような状況“かつ”進退窮まった、「やけっぱち」の精神状態の場合、魅力的に思えるかもしれない。

そして国家国民単位でそれをやって爆誕したのがアドルフ・ヒトラー総統という存在の事実である。

したがってこの逆ギレパターンは健常者も障害者も変わらないだろう。

「ナチス・ドイツ」という単語自体が、黒歴史を過去に追いやる都合のいい後付けの言語だという指摘もある。

当時の欧州のイケイケな熱狂(ヴィシーフランス政権下のフランス人のように、ナチス“恭順者”はドイツ以外にもたくさんいた)を「狂っていた」、「宣伝がうまくて騙された」とか「過去の事」として、現代と断絶し続けて何も学ばない姿勢を貫くならば、いよいよ再び“多数派”が進退窮まったとき、ゲッベルスの遺言、

「“虚偽”はいつか消え、再び真実が勝利する
 その時こそ 我々の地は
 清らかで 完璧に」

を唱えながら各種「浄化」をやっている未来が待っているかもしれない。

マイクロソフトが開発中だったAIも“ヒトラー礼賛”しだしたし、案外本当に。

ベルギーでもテロが起きているので、今度の贄はユダヤ人ではなくイスラム教徒だろうか。
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曲解(事例と世間)

2016-03-25 06:47:48 | Weblog
本日も、世間一般の考えとはかけ離れた極端なことを主にぼやきとして書く(と、予防線を張る)。

きょっかい【曲解】
物事や他人の言動を素直に受けとらず,わざとちがった解釈をすること。また,その解釈。 (大辞林 第三版)

「芸術家を志した」ヒトラーは人物・顔のデッサンが苦手である一方、風景(特に建築物)には強い興味を持った。
他方、人物の表情や有機的な物事を苦手とし、規則性や無機的な物事を好む傾向は、アスペルガーの特徴でもある。

したがって、アスペルガーはヒトラー予備軍であるので、最終解決されるべきである。

と書くと、「何をめちゃくちゃなことを」という感想を当然諸君らは得るであろうが、前々回の日記で最後に触れた「世間一般の精神疾患の認識」が実際この程度なのであるから、上記曲解も「その程度」には主張されていいということになる。

ひとまず「ヒトラー=とにかく悪」という議論は今回は置いて、

現代においてなお、

超党派の議員勉強会で「(アスペルガー含む)発達障害は両親の愛情不足に起因する」旨の発言がの場で肯定されて条例として提出されたり、

「アスペルガーは犯罪と関連がある」という統計的に無意味な噂がまことしやかに語られていたり、

実際2001年に日本で公開予定だった「Absence of the Good」(直訳「良心の不在」)という映画が「アスペルガー 死の団欒」という邦題にされそうになったり、


現代日本の世間一般は極論するならばナチス・ドイツ的な優性人種論によって支配されていると言える。
件の社労士の思想や、社会の反響もこの理論が前提にあるのではないか。

上記事項はアスペルガーに限ったこと、かつwikipediaからの引用だが、wikipediaの記事自体が「犯罪性との関連は検証されていない」といろいろ書かれている時点で、「そういった関連性への興味」を世間が持っていることが判る。

もちろん、精神疾患によるコミュニケーション上の問題(言葉の言い値が判らない等)やそれに伴う就労困難や経済困窮および二次障害が動機で犯罪に走るケースはあるかもしれないが、そんなことを言っていたら誰だって犯罪に走る可能性はある。

良くも悪くも障害を「特別視」するその姿勢自体が、その社会の精神的障害に思えてならない。

したがって、現在日本は一億総躍進社会を目指す以前に、一億総精神治療社会を目指すべきである。
さもないと以前日記で紹介したように、「中世の暗黒時代」に突入する可能性すらある。

とはいえ、駄々をこねても現状は変わらないので、我々障害者は現在の社会に適応できる「生き方」を見つけなければならない。
それこそが我々にとっての「生きる理由」そのものの一つでもあるのだ。
難儀なことであり、こういったブログでぼやきたくもなるが、こればかりは仕方がない。


ただ、いま日本に必要なのは、「国民啓蒙省」かもしれない、と皮肉して(これもぼやきである)本日の日記を終わる。
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センター試験の心構え、時期逸するも

2016-03-23 05:50:22 | Weblog
新海誠監督のZ会のCMを見た。

Z会 「クロスロード」 120秒Ver.
http://www.nicovideo.jp/watch/1393207827

私の場合「クロスロード」と聞くと「クロスロード作戦」を想起してしまうので、本来の「クロスロード」の意味的には理に適った名前かもしれないが、あまり良いとは個人的には思わない。まあ、軍ヲタの難癖である。

さて、学歴や成績に関する事柄を“披露”することは、時に「自慢話」として忌避される。
ただもちろん、その成果は本人の努力によるところが大きいので、そこはそこに限定して肯定してもいい部分ではある。

そう予防線を張ったうえで、センター試験において私は(元来英語が壊滅的にダメであるにもかかわらず)受験科目のみについていえば9割以上の得点を取得した。
もちろん、その中には私が最も得意とした生物Ⅱも含まれていたのだから、それを加味して9割程度に低下したというのは、私の至らないところでもある。

本日記は、この得点を自慢するのではなく、時機を逸したものの、新たな大学受験に向けて行動を開始している受験生に、センター試験をはじめとした各種受験における個人的な「心構え(?)」を紹介して、アドバイスとなればと思うものである。

上で紹介したCMで登場人物がセンター試験開始直前に祈るようなしぐさをしている。
大学受験で単に「いい大学に行きたい」だけではない何かを持っている彼女たちにとって、センター試験は非常に重要であり、その気持ちは良くわかる。

しかし私の場合、センター試験において「成功」した理由は、「現実感の欠如」によるところが大きい。

すなわち、本番にも関わらず現実感を伴わなかった結果、“緊張せず”目の前の問題に集中することが出来たのだ。

実際、私の場合持参した腕時計が電池切れを起こして時間把握が出来ないという大変な事態があったのだが(少なくとも当時の会場に常設の時計はなかった)、それでも焦りを生じなかったのは現実感の欠如の為である。

より深く暴露すれば、生物Ⅱの受験前の休憩時間には、すでに対策は万全として「利己的な遺伝子」を読んでいたりするほど拗らせていた。


もちろん、これが万人受けするアドバイスではないことは承知しているが、受験生があまりに気張りすぎて実力を発揮できないというのはもったいない。

当ブログもなかなかできていないが、平常心を忘れずに。

「利己的な遺伝子」を読むような赤っ恥はしなくて良いので、ただ単に落ち着いて本来の実力ないしはそれ以上を発揮してもらいたい。


なお、肝心なのは大学入学後の生活であるが、
私の持つ疾患の場合、一般の人々がモラトリアムを経由して獲得できると言われる「自我同一性」の獲得が困難とされる。

別の大学に行った友人も、「大学の講義で習ったこと」より、「学生生活というモラトリアムを通じて得たアイデンティティ」こそが重要だと言っていた。

そのため、もしかしたら私の大学生活は「塾の勉強型教育」の延長だった可能性はある。


それでも、私は大学に行って勉学出来たことは「良いこと」だと充分肯定的に捉えられている。

したがって、一般の人々にとっては大学および大学生活はさらに「充実した」もののはずである。


よく、「勉強なんて役に立たない、何で勉強するのか?」ということを言う者もいるが、これに対し、

第一に、前提として勉強の成績のみで他者から大部分の評価をしてもらえるという単純な構造は学生時代ぐらいしかないので、それを活用しないのはもったいない、

第二に、上記のように大学生活において「勉強以上に得るもの」があるのならば、それらを得る環境をより良いものにした方が良いのではないか、

第三に、例え「勉強以上に得るもの」がない大学生活の可能性があっても、振り返れば充分な「収穫」が期待できるので、やはりそれらを得る環境のレベルを高くした方が良いのではないか、

と答えたい。


最後に、「利己的な遺伝子」は時々、ゲームを含めた諸作品などでも「思想的にちょっとかっこいい本」的扱いをされている場合があるが、中学生でも読める内容であると評されている点は注意したい。

あくまで「とっかかり」であって、それに満足してしまっていては、「得るものも得られない」。
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改訂「社労士木全美千男氏の現状に鑑み」

2016-03-22 19:16:20 | Weblog
本日早朝の日記は、あまりにも邪推が過ぎたので、数時間・数アクセス未満で非公開とし、追記とともに改めて記す。


なんだか大田実の、沖縄戦において県民の状態を見かねて通信した「沖縄県民斯く戦えり」が、「本土と日本軍の被害者としての沖縄県民」という構図を支持する人々にとって、「沖縄県民が率先して戦闘を支援した」という文章を含んでいる点で極めて気に入らないものに見える、「何か」に似たものを感じるが、実際は別個のものである。


さて、社労士木全美千男氏の現状についてであるが、行政処分を不服として裁判を起こしているそうである。

この件については一障害者としていろいろと感じるものがあるが、

さんざん「モンスター社員を解雇せよ! すご腕社労士の首切りブログ」等と筆を滑らせ、また騒動後もブログは本意であると発言しておきながら、
いざ自分が「モンスター」の番となり不利益が生じるや、司法機関に駆け込むその姿は極めて滑稽であるし、アスペルガー的に理解できない。


同様に我々は、この件についての左派の動向にも疑問を提起できる。

何故元来労働者を支持基盤としている日本共産党等の各種左派勢力はこの件についてほぼ全く触れていないのか。

口を開けば出てくるのは、
「アベ許さぬ!」だの「戦争立法廃止」だの「野党連携」だのであれば、
「そいうこと」だと察してしまうというものである。


なお、社労士木全美千男氏にとって今回の件は「炎上商法」であり、実際はブラック企業から将来の予約が一杯でトータルで儲かっているのかもしれない。

となれば、「行政処分は重すぎる」という木全美千男氏の主張はナンセンスなものとなるが、もし実際に「困っている」のであれば、当ブログとしては各種書籍を出版した実績のある木全美千男氏に一つの提案をしたい。

これまで付き合いのあった企業名をリスト化して出版すれば、これまでとは比べ物にならない莫大な印税が手に入るのではなかろうか。

木全美千男氏はこの案を使ってよい。


最後に、木全美千男氏や、これに反響をした日本国民を含めて、うつ病をはじめとする精神疾患に対する多くの人々の認識が「そういったもの」であることに、一障害者として憤りを覚える。


追記1

前の日記で紹介した「1隻で1星系を制圧できるコンセプト」はインペルアルⅡ級スター・デストロイヤーではなく、正しくはインペリアルⅠ級スター・デストロイヤーであったので、ここで訂正を表明する。
なお、TIEファイタ―の搭載数などは変わらないので、以前の日記の主張に大きな影響はない。


追記2

よくゲームのRPG等においては、幹部の位が上がるほど敵の強さも増していくという傾向がみられる。
主人公たちのキャラクターを成長させるため・実力主義社会の致し方ない点ではあるが、軍事的に考えれば強大な戦力をむざむざと後方に置きつづけることになり、非効率である。
とはいえそのような数少ない強大な戦力をあらゆる方面の前線に配置することは難しい。
したがって、悪の組織は指揮統制・情報処理などの整備を行い、「適切な場所に適切な戦力」を配置する体制を構築すべきである。
多くの悪の組織はこれができない為に、その野望を打ち砕かれているのであるが、これは偏に、正義の主人公達の勇敢が戦局に影響したのではなく、悪の組織の怠慢が戦局に影響した結果に過ぎない。
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機転と所見

2016-03-20 06:53:18 | Weblog
漫画「ワンピース」は、途中から途中までしか読んだことがないが、

船を捨てる捨てないで内輪揉めを起こしかけるルフィ率いる海賊団と、
絶体絶命のピンチを船を捨てることで敵勢力のトップと実力者2人とをまとめて始末するチャンスに瞬時に変えてしまうグリーヴァス将軍とを比較すると、

どうしてもグリーヴァス将軍の方が能力的に上と見えてしまう。
「いやそういう話ではない」という意見もあろうが、私には「そう見えてしまう」のだから、それぞれの意見はあってしかるべきである。


映画「太陽」は、同じく映画「日本のいちばん長い日」と同じものをテーマとしている。
「日本のいちばん長い日」の監督は、ソクーロフ監督の「太陽」を公開初日に見に行って、「こんなの俺の描きたい昭和天皇じゃねぇ」として「日本のいちばん長い日」の映画化を決意したそうだが、
もちろん逆に「日本のいちばん長い日」で描かれている昭和天皇はどちらかというと明治天皇的で、やっぱり「そんなの私の心の中の昭和天皇のイメージと違う」という意見もあってよい。
どちらを選ぶ、または別の像を選ぶのは、個人の問題である。

したがって、当ブログでは「太陽」の方を採用する。


以下は映画「太陽」で御前会議シーンにおける陸軍大臣等の発言である。

陸軍大臣
「陛下、保持されております一部正規軍が、
 優勢な敵軍に、怒りの抵抗を示していると、ここにご報告出来ますことは、誠に幸甚の至りであります。
 これが、防衛線を短期間で放棄した海軍との違いであります。」

海軍大臣
「そのような操船技術の保障があれば、私たちなら、木製のボートで戦えますよ。」

陸軍大臣
「話の腰を折るのはやめてください!
 
 未だかつてなかった、愛国心の高揚であります。
 あらゆる戦線は、敵に分断されました。
 我が陸軍における飢餓は、戦意に決定的な打撃を与えてはおります(せん?)。
 
 新たな作戦において、重要な支援は、極めて有能なドイツ軍用機による、自爆作戦であります。
 一円の将校と兵士は、陛下の名において、この作戦に従事できますことを大変名誉に思っております。」


“この件”について、“当ブログの所見”を述べる。


保持されております一部正規軍が、優勢な敵軍に、怒りの抵抗を示していると、ここにご報告出来ますことは、誠に幸甚の至りであります。
まあ気持ちは判らんではない。時期的に沖縄の戦いや硫黄島の戦いであろうか。

これが、防衛線を短期間で放棄した海軍との違いであります。
上記発言が、海軍を貶めるための布石であるのならば、これは極めて「怒りの抵抗を示している一部正規軍」にとって失礼な発言ではあるまいか?

未だかつてなかった、愛国心の高揚であります。
もはやアレである。

一円の将校と兵士は、陛下の名において、この作戦に従事できますことを大変名誉に思っております。
その前のシーンで、天皇が神ではない現実に葛藤しているのに、この言葉は酷というものである。

以上。
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酵素を食す、および腸内細菌叢について

2016-03-18 05:29:22 | Weblog
「酵素を食す」

酵素ダイエットに代表されるように、酵素を経口摂取することが昨今の「健康ブーム」のようだ。
しかし、酵素のなんたるかを知らずに崇拝するバカが多い。

高校で学んだように、当た有り前であるが酵素とはタンパク質である。
タンパク質は熱や酸によって変性し、本来の機能を失うし、場合によってはそれは不可逆的な変化となる(液状の卵の中身を熱すると固まってしまうのは代表例)。

ここで「非加熱」を唄う酵素製品を接収しようと動くのは馬鹿の中の馬鹿である。
酵素を食べても、普通は胃酸で変性してその機能を失い、最終的には「ただのタンパク質の塊」としてアミノ酸に分解されて体内に取り込まれてしまう。

それならアミノ酸供給源として同じタンパク質の塊である肉や魚を食っていたほうが比較にならないほど効果的かつ安上がりというものである。

同様の理由で、コラーゲンを食べることも、原料供給という側面はあるが、わざわざ高い製剤を飲まなくても、肉や魚で充分供給できることは周知の事実である。

しかし世の中の企業の商魂はすさまじいもので、最初にコラーゲン製剤を出しておいて、

「知っていましたか?コラーゲンはそのままではほとんど吸収されません!だからあらかじめ半分分解したコラーゲン(低分子コラーゲンペプチド)を用意しましたよ!」

として、新たな商売のタネにしている点は「スター・ウォーズのニモーディアン」並の貪欲さと言えよう。

なお、某サプリの「低分子コラーゲンペプチド」はその原料を東南アジアの安い魚類によって供給している。
別にそれが製剤の品質に影響を与えることはないが、こういう「健康主義」は往々にして「天然物至上主義」と相関するので、そういった意味では矛盾を生じる。


なお、我々が意図的に摂取し、体内においてその機能を期待できるものは、せいぜいが胃もたれ・むかつきを抑える、胃酸内での活性を有する酵素、または胃酸(成分は塩酸)に耐え・かつヒトの消化系で分解され難い酵素である。

後者について言えば、「そういうものならばいいんでしょ」という意見もありそうだが、上記のとおり「天然物至上主義」の観点からみるに、「ヒトが消化できない・または直接体内に侵入する酵素を意図的に摂取するのはどうよ」と突っ込めば、微妙な答えが返ってきそうである。

適度に普通のものを食べるのが一番である。健康の範囲内で。


「腸内細菌叢」

健康ブームと言えば、腸内細菌(乳酸菌)もブームであるが、これも同様に冷ややかな目で見ることができる。
例えば、乳酸菌の摂取による免疫系の疾患の改善(花粉症含む)を考えると、これは「異物を体内に意図的に取り込む」ことにより、免疫系を活性化等することである。
言葉を変えれば判る通り、それはそれで微妙な案件である。

一般的に乳酸菌は摂取してもそのまま排出される。だから多くの乳業メーカーは「継続して摂取しましょう」として顧客維持につなげているが、極論すれば長く消化器官にとどまってくれる寄生虫サナダムシを食べたほうがコストパフォーマンス的には良いと言える。

あと、いくつかの事例では乳酸菌の摂取は「死菌」でもいいらしいので、わざわざ「生きて腸まで届く」にこだわらなくてもいいかもしれない。
死菌でいい、というこの事実は、乳酸菌を乾麺などの様なあらゆる食品への添加を可能とする点で、ますます企業の商魂を煽る結果となりそうだ。

先ほど、「異物を意図的に取り込む」と述べたが、実際全くの無菌状態のほうが普通の状態のマウスより長生きするらしく、この手の「基礎的な」研究はまだまだ未発達な分野と言える。
そんな中、「応用」が独り歩きして商品化・健康ブームを巻き起こしている状況は、

「遺伝子組換え食品は効率がいいので、その他の影響は良くわからないが積極的に作って食べましょう」

という状況に類似している。
乳酸菌等の摂取はよくて、遺伝子組換え食品はNGというのは、見事なダブルスタンダードの典型例と言え、日本人の「健康意識」の底の浅さを知らしめる事例と言える。

そういったものに、利益主義は見事に付け入るのである。


なお、私も生物学以外はド素人なので、あらゆる分野であらゆる人々が複数にまたがり踊らされていることは容易に想像できる。


追記

聖書「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」
牟田口「そのとおり!やれ食料がない、弾薬がないと、嘆かわしい。現人神率いる我々には~(1時間)」

このように、ニュアンスを変えると物事の「良し悪し」はガラリと変わる。

ちなみに、上記引用した聖書の本当に言いたい事、すなわち「パンの存在、かつ、神の口から出る一つ一 つの言葉で生きる」というのは、
自然の目的性を排除し、「盟約を断ち切る」ことこそ必須とされている分子生物学の考えと真っ向から対立する。

アメリカの神学者が進化論を目の敵にするのは、そこら辺の理由があるのかもしれない。
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一億総活躍社会について

2016-03-16 05:27:18 | Weblog
前回の日記で触れた一億総活躍社会だが、

無理と判っていて提唱している場合、現政権への批判をかわすための言葉遊びに過ぎず、
逆に無理と判らず提唱している場合、これはもう恐ろしい無能である。

いつも無能な野党を批判しているが、今日は現政権についても懐疑の目を向けたい。

もちろん各野党も、批判の論点がズレているというか、レベルが低いというか、「現政権を非難する=成果」のように声を大にしている点は賛同できないが。


そういえば最近就活が活発になってきているようである。

日本の就活制度は半ばテンプレート化した「儒教的演出型」になっている気がするが、就活を行う人はきちんと自分と向き合って「現状で何が出来て、そのうえで何がしたい」か、仕事内容に限らずライフプランを考えてもらいたい。
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無理というのはね、嘘吐きの言葉なんです

2016-03-15 05:52:18 | Weblog
ワタミ「無理というのはね、嘘吐きの言葉なんです」

すきや「せやせや!」

企業「コストダウン!」







ユーバーリンゲン空中衝突事故




企業「悪いのは管制官!個人の責任!“担当者”は罰せられるべき!」(今回は運がわるかっただけ、ウチらは大丈夫!)

日本国民「せやせや!」



無限ループ

このような命の賭け事が行われているとは、まさしく一億総賭け事社会であるな。

というのも、上記wikipediaに書いてある通り、日本もこの事故の一年半前に類似のニアミスを起こしており、最高裁で“管制官のみ”に責任が確定されている。

これで日本社会が「ブラック企業が~」等とぬかしている点は大変片腹痛い。

安全はコストダウンに「ただちに影響はない」から、真っ先に削られるのは宿命であり、特に長い経済停滞が続くと顕著に出る傾向がある。
そして、責任の単純化と罰則化を追求したがるのが日本国民の性である。

こうして文明というのは崩壊していくのかもしれん。

というわけで、我々の未来は「一億総活躍社会」ではなく、ローマやギリシャの遺産を失った「中世の魔女狩り」かもしれぬ。


ちなみに、「一億総活躍社会」という言葉は、聞こえこそいいものの、実態はあらゆるニーズに応え活躍させるなど不可能なことであり、その意味で戦前の「一億総玉砕」的というか、

首相「無理というのはね、嘘吐きの言葉なんです」

と言っているように聞こえんでもない。

組織主義に重点が置かれている日本文化はワタミの呪縛から逃れられない。
したがって、繰り返すがそのような状況で「ブラック企業」のみを批判し、それが生まれない「対策」を「実際やったら経済回らないよ」等として怠り続けている限り、我々は毎日ユーバーリンゲン空中衝突事故の綱渡りを行い続けていると言える。
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