ロード・マーシャル時事報告場

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ネタバレを恐れたら時期を逸した件について

2022-11-28 03:43:18 | Weblog
スター・ウォーズEP9のネタバレを恐れていたが、もう次期も逸した古い映画なので良いだろう。

パルパティーンにすら子供がいたというのに(パパルティーン・・・)。
それはさておき、孫に対して「このガラクタ漁りの小娘が」は、どうかとツッコむべきか、さすがシスと流すべきか。
あと結局「孫に負けるおじいちゃん」、言葉だけだと非常にほのぼのしているな。

パルパティ―ンにすら子供がいるのに、つながりでEP3で登場するグリーヴァス将軍はレジェンズで、(ジェダイとは対照的に)2桁単位の妻と子供に恵まれている。
かなり昔の文献だとその戦いぶりからカリーシュの神としてその後崇められていたというものもあった(設定がコロコロ変わるので、もう無いかもしれないが)。
きっと、戦いと良縁(?)の神様に違いない。


追伸

きっと「ローグ・ワン」のクレニック長官とダース・ベイダーの対面するシーンは、結婚式のネタとして有効だと考える当ブログ。
それくらい変な方向に振り切れていなければ、面白くない。
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ウクライナ侵攻で日本が出来る事

2022-11-21 04:03:17 | Weblog
標記の件、「アメリカ追従ではなく、日本独自に出来ることがあるはずだ」という記事を見かけた。
当ブログよりめでたい頭である。

安全保障のほとんどをアメリカに頼りっきりの日本が、独自路線等出来るというのだろうか。

その意味では、第二次世界大戦で連合・枢軸に煮え湯を飲まされ、例え兵器の性能が劣っても、自分の国は自分で守る方針で軍隊を構築してきたフランスは賢い。
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ウクライナ戦線、ヘルソン市民フラグ建設か

2022-11-16 04:16:10 | Weblog
ヘルソン奪還にあたり、市民が「ヘルソンはウクライナであり、これからもウクライナだ」と発言。

確か1945年4月にも、どこかの伍長閣下がベルリンについて似たような事を言っていた気がする。
これはフラグではなかろうか。
まあそれを言ったらプーチン氏もフラグを建設した事になるので、どちらのフラグが強いか見ものである。

ウクライナ戦線での予想外の抵抗に最初期最も焦ったのは、ロシア軍でもプーチン氏でもなく、中国だと推測してみる。
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2022-11-06 16:34:09 | Weblog
前回の日記を書いていて、無性に昔の事を思い出したので。

世の中、コロナで無くとも、普通にむせたり、風邪だったりで(普通の風邪という定義はあるのだろうか?)、咳が出るシーンもあると思う。
そんな時、当ブログでは「やっぱりグリーヴァス将軍の脳内再生」だろうと思われがちだが、何故かグリーヴァス将軍が好きな割にそんな事にはならない。
むしろ、「ヒトラー ~最期の12日間~」で気胸を患ってしまったハーゼ教授が、総統地下壕をヒトラーに会いに行くシーンが脳内再生されてしまう。

うん、「スター・ウォーズEP3」も「ヒトラー ~最期の12日間~」も、もはや古い作品になってしまったが、未だに引きずっている当ブログの情報更新の遅さよ。
"これからの時代、更に加速する変化についていかなければならない"、というフレーズは聞き飽きた。
むしろこれからの時代は行く先がますます不透明になりつつあるからこそ、過去を維持する必要もあるかもしれない。
その意味では、当ブログはウォーカー中将の、"Stand or Die"の精神も採用していきたいと思う。
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前世的な何かでも、スピリチュアル的な何かでもない、何か

2022-11-04 03:47:47 | Weblog
そういえば昨日は祝日だったのだな。
普通に会社に通勤・仕事をしてたら、右にちょっと極振りした車が走って、「ああいうのも日本をダメにしているのだなぁ」と感じた次第。
まあ、今更現代日本に期待してないと言った身、「日本がダメになる」のもどうでも良い事案ではある。

さて、本題。
当ブログは時々「自分」についてゲシュタルト崩壊を起こす。
突然、今いる自我に対して「自分って何?」という状態に陥り、どこまでも続く答えのない問いに、恐怖感を感じるのである。
ところで、諸君らは幼少の頃の記憶をいつまで遡れるだろうか。
もちろん、部分的に抜けている事は大いにあると思う。しかし、最も最初の記憶はいつだろう。
当ブログは(もちろん後日後付けで脳が作った記憶だろうが)記憶している。
その記憶は、3歳になる前、実家の庭で土遊びをしていた時である。
より厳密にいうと、
・真っ白な視界で赤ちゃんの泣き声が聞こえる(きっと脳の後付けの記憶)
 ↓
・3歳になる前の、実家での土遊びの記憶
に、瞬間的な移動となる。
何故、その時の記憶を鮮明に覚えているかというと、
その時も、自我についてゲシュタルト崩壊を起こして恐怖感を感じていたと共に、本当にそれ以前の記憶が思い出せないからである。
土遊びをしていた瞬間、「自分って何?」に陥り、一生懸命過去の記憶を辿ろうとしたが果たせず、深い恐怖感を味わった。
家から顔を出しているのが母であり、父が外出しており、兄弟等がいる事も認識できるし、それが母・父・兄弟等であることも判っている。
しかし、あの土遊びの瞬間より前の記憶が一切思い出せない、言いようのない恐怖感であった。

なお、当ブログの「自我に関するゲシュタルト崩壊」は1分程度であり、その時もすぐに戻って、「ゲシュタルト崩壊時」とは違う「漫然とした自分」になった。
ただ、時折起きる「ゲシュタルト崩壊」のインパクトは強く、結果として当ブログの遡れる最も古い記憶となっている。

諸君らの中にも「自我に関するゲシュタルト崩壊」的な何かはあるのだろうか?
ふと気になった、前世的な何かでも、スピリチュアル的な何かでもない、何か。
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