ロード・マーシャル時事報告場

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そうだ、京都行こう(墓地肝試しに感じる恐怖からの考察、あと学生時代の打ち込み)

2018-08-16 12:46:46 | Weblog
「暴風圏内にか・・・」
「京都です」


懐かしい話である。
友人が京都にいるついでに。

「ガメラ3 ~邪神イリス覚醒~」、考えれば20世紀の作品で、制作から20年近く経っているのだな。
平成ガメラシリーズは順を追って、「怪獣映画」「SF映画」「オカルト映画」と言われている。

そういえばそろそろ夏も終わりだ。
夏と言えば昔は怪談をよくやっていたが、最近めっきり流行らないのはやはり技術の向上のせいか。

しかし、当ブログは実施したことはないが、夜中の墓地を訪れる肝試しの類を「怖い」と感じるのは、少々考察に値する。

一体何が怖いのであろうか。やはり死者、幽霊、祟りなのだろうか。
より突き詰めて考えれば、この世とあの世の境とはそこまで恐怖するものなのだろうか。


精神障害により死へのハードルが非常に低くなっていた時期もあり、その「体験」を思い返すに、「そこまでして死を忌避するか」、という思いである。

あるいは、それ自体ではなく、その後の祟りとか憑いて回るといった「後遺症」を恐怖する意見もあろうが、やはり生き地獄(味わった奴しかわからないだろうし、それを強要することもしないが)を経験した身として、私よりはるかに「健全な精神」を持つ者がそのようなことで恐怖し続ける意味が少しわからない。


別のアプローチをしてみよう。
肝試しの墓地が、親族だけ、祖父母や父母兄弟だけだったらどうだろうか。
そこには全く恐怖は無く、(普通ならば)心のこもったお参りになるのではなかろうか。場合によっては親近感すら湧きかねないし、あるいはそのような場所を肝試し場にすることに怒りを覚える向きもあろう。

では、それが我々の先祖代々の墓だったらどうだろうか。
祖父母、や曽祖父等は親近感があったとして、江戸時代の、鎌倉時代の、いかにも古びた墓の前に立つと、やはり恐怖を感じるかもしれない。

そういった場合、人は知り合いにしか「心を見せない」なんと自己中心的でわがままな存在だろうか、という結論に行き着くことも出来る。


そのようなわけで、案外これは考察(妄想ともいう)するに楽しい話題である。

今時自由研究の流行が何か、あるいはそもそもそういう類のものがあるのかは知らないが、夏休み前に「自由なテーマで膨大な量の課題」を与えられ、その潰し方に困っている(あるいはそこに“独創性”なるものをのどうしても入れたい)ならば、このような妄想を捗らせるとすぐ埋まるの試してみると良い。


埋まる埋まらないといえば、これまた大昔の話であるが就職活動のエントリーシートで「あなたが学生時代勉強以外で特に打ち込んだことを書いてください」というのがあったな。
今もあるかどうか知らないが。

企業の求めるところは判らんではない。
だが、大学というのは(少なくとも名前的には)高等教育機関であり、そこに通う者は「勉学に励む」事を第一目標としていることが建前というやつのはずである。

社会性、コミュニケーション、課題に直面して解決した経緯、人間性、重ねて企業の問いたい事は判らんではないが、それはどちらかというと「二の次」のはずである。
友人の1人は学生時代というのは存分にモラトリアムに浸って自己のアイデンティティを見つける期間と言っているが、それも「本来」とは少し違うと思う次第である。

一体ナニに打ち込んでいたのだろうな、一生懸命。

とはいえ、当ブログもそんな時代を紐解けば、ろくでもないことをしているので純粋に勉学にしか興味がありません(それはそれで偉大である)というのは、(変態が集まる理学部でも特に)変態の部類と言えよう。

基本的にはやはり、サークル、バイト、あるいは趣味等を書いて、そこで他者との交流、課題解決経緯などを織り交ぜながら自己アピールからの、志望動機に(ゆるく)つなげていくのがいいのだろうか。
しかし、就活素人の当ブログですらそんなことを考えているあたり、「学生時代に打ち込んだこと」という問いは形骸化が過ぎているとも感じる。
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