今年も、もうすぐ終わる。
さて、当ブログを見返してみると、ほとんどが1年以上現在日本社会に対する恨み節ばかりであったな。
それだけ心が怒りに支配される年であったともいえるが、
以前書いたように、
怒りという感情が出せるだけ、随分数年以上前と比べてマシになったともいえる。
願わくば2019年は、と書きたいところだが、おそらくこの怒りの感情は長く続くことが予測され、2019年も激情の年になると考える。
まあ、それはそれでいいだろう。年を改めたから心機一転というのも、よくよく考えたら少し不思議な習慣であるし、またそれが実施できたとしたら「戦前はひどかったけど戦争に負けたから身も心も変えました」という現在日本社会のようで気持ち悪くもある。
ただ、怒りという感情が出せることは最悪の状態ではないが、ストレスは相当なものである。自分を変えればいい話であるし、それが王道というものだが、少なくともそういう意思は私にはないし、また自分を変えることはとてつもなく難しいことだと考えている。
とはいえ他人や社会を変えることはさらに難しい(あるいは不可能)なことなので、玉虫色の決着として2019年は「激情に流されながらも泳ぎ続ける」を目標にしてみたい、が、ちょっと腑に落ちないところもある。
もう少し具体的に考えてみよう。
2019年、絶対に達成すべき第一の目標は「再発予防」である。
どれだけ怒ってストレスを受けていようが、体の各部位の障害の状態が悪化しようが、とりあえずパフォーマンスを出して働けていればそれで良しである。
次に体の面として、確実な減量を行いたい。以前から体重の増減が激しいのではあるが、そろそろ代謝機能も落ちるというか、代謝機能にも疾患を抱えているわけで、歳をとるごとに減量効果は薄れるだろう。なるべく現在の疾患以外は健康な体を維持したいし、現状の体の状態だから服薬できて、体の状態がこれ以上悪化したら服薬できない薬もあるので、健康な体は大切である。また実体験であるがストレス耐性と体の健康は正の相関があると考える。
とはいえ、ストレス解消のために甘いものをバカ食いし、なおかつ狂ったようなウォーキングを毎日課して、ほぼトントンの体重維持という状態なので、心の面とも向き合わなければなるまい。
最後に心の面として、ストレスの量を現在未満にしたい。これは2018年の日記の状態から察せられるように、あるいは上記体重とも関連して、切実な目標である。ストレスの要因は様々であるが、一つのストレス要因が去ってもすぐに新しいストレスを「見つけてしまう」のは当ブログの悪い癖である。ただ、新しいストレスも「なるほど確かにストレスを感じるのはもっともだ」と主観的には道理にかなったものなのが困ったことだ。世の中には昔「鈍感力」なんて言葉もあったが、障害の特性としてそのような力を身に付けたり、あるいは上記自分を変えるということは(少なくとも数年スパンでは)難しい。現在はストレスに対して生活リズムの維持と過食で対応している。過食に関して別のストレスのはけ口があればいいと考える。
最近気づいたことだが、同じ障害を持つ者同士などで、どうにもならないことでも「愚痴る」ことはストレス発散という意味ではかなり効果を持つので、意識的にそのような場に参加して(はた迷惑かもしれないが)さんざん愚痴るということもしてみたい。
また、睡眠や「何もしない休日の休養」は極めて重要だと感じた2018年だったので、例えば近場で5日ぐらい外泊を全く予定を立てずに取って、ひたすら室内でだべる、というのも手である。「休むというタスクを実行する」のはなかなか難しい。室内でだべり続けて、暇で暇でしょうがない、と感じたら充電がある程度完了したサインと捉え、少し散策に出かけるぐらいをしてみてもいいだろう。
なおストレスの根本を取り去るという正論については、すでに現在日本社会自体をバカにするレベルに来ているので、南海トラフ地震が起こって、また原発が~からの「日本が~」の大騒動などを観なければ取り去れない。別に1年やそこらで根源を取り除く強迫観念も持つ必要はないので、そこは一時保留である。まあ、そういった事態が起こったら秘蔵の酒でも開けて「お祝いだ!お祝いだ!これまでの怨嗟も全部吹っ飛んで、喜びがこみあげてくる」(映画「轟沈」並み)とでもしよう。
未来は未定である。そして当ブログは基本的に悲観主義である。悲観主義に潰されたことも障害の発症・再発の一因であった。長く続く現在日本社会怨嗟の日記も悲観主義に基づくかもしれない。
そういうわけで、2018年を振り返り2019年の行動を考えるにあたって、とりあえず上記3セット、「再発予防」、「減量」、「ストレス低減」ぐらいでいいだろう、というか十分すぎる。考えれば考えるほどエネルギーを使うし強迫的になるしで、ロクなことはない(当ブログは幼稚なのでそもそも考えているのか、というツッコミはさておき)。またその行動指針を達成出来なかったことにこだわることもよくない。
そういうわけで、最初の玉虫色の決着「激情に流されながらも泳ぎ続ける」も、実は大いに現実的かつ素晴らしい行動指針である。
繰り返すが未来は未確定なのでどうなるか判らん。というかあれだ。明日のことすら判らないのだから、2019年を考えるのもほどほどにすべきだろう。
当ブログを定期的にみている者には、有難みを感じる(ちなみに当ブログでそんな言葉が出るなどまずないので、これは最大級の謝辞であろう)、と同時によくもまあ付き合ってくれるとはもしかして奇特な人ではないかとも感じる(実に正直な意見であると考える)。願わくば2019年も見ていてくれれば嬉しい。
追記
気づけば学生時代から始めたブログであるが、5000日が経っているのだな。
バカブログ(あるいは、アホブログ)であるが、なんとまあ続くことか。
さて、当ブログを見返してみると、ほとんどが1年以上現在日本社会に対する恨み節ばかりであったな。
それだけ心が怒りに支配される年であったともいえるが、
以前書いたように、
怒りという感情が出せるだけ、随分数年以上前と比べてマシになったともいえる。
願わくば2019年は、と書きたいところだが、おそらくこの怒りの感情は長く続くことが予測され、2019年も激情の年になると考える。
まあ、それはそれでいいだろう。年を改めたから心機一転というのも、よくよく考えたら少し不思議な習慣であるし、またそれが実施できたとしたら「戦前はひどかったけど戦争に負けたから身も心も変えました」という現在日本社会のようで気持ち悪くもある。
ただ、怒りという感情が出せることは最悪の状態ではないが、ストレスは相当なものである。自分を変えればいい話であるし、それが王道というものだが、少なくともそういう意思は私にはないし、また自分を変えることはとてつもなく難しいことだと考えている。
とはいえ他人や社会を変えることはさらに難しい(あるいは不可能)なことなので、玉虫色の決着として2019年は「激情に流されながらも泳ぎ続ける」を目標にしてみたい、が、ちょっと腑に落ちないところもある。
もう少し具体的に考えてみよう。
2019年、絶対に達成すべき第一の目標は「再発予防」である。
どれだけ怒ってストレスを受けていようが、体の各部位の障害の状態が悪化しようが、とりあえずパフォーマンスを出して働けていればそれで良しである。
次に体の面として、確実な減量を行いたい。以前から体重の増減が激しいのではあるが、そろそろ代謝機能も落ちるというか、代謝機能にも疾患を抱えているわけで、歳をとるごとに減量効果は薄れるだろう。なるべく現在の疾患以外は健康な体を維持したいし、現状の体の状態だから服薬できて、体の状態がこれ以上悪化したら服薬できない薬もあるので、健康な体は大切である。また実体験であるがストレス耐性と体の健康は正の相関があると考える。
とはいえ、ストレス解消のために甘いものをバカ食いし、なおかつ狂ったようなウォーキングを毎日課して、ほぼトントンの体重維持という状態なので、心の面とも向き合わなければなるまい。
最後に心の面として、ストレスの量を現在未満にしたい。これは2018年の日記の状態から察せられるように、あるいは上記体重とも関連して、切実な目標である。ストレスの要因は様々であるが、一つのストレス要因が去ってもすぐに新しいストレスを「見つけてしまう」のは当ブログの悪い癖である。ただ、新しいストレスも「なるほど確かにストレスを感じるのはもっともだ」と主観的には道理にかなったものなのが困ったことだ。世の中には昔「鈍感力」なんて言葉もあったが、障害の特性としてそのような力を身に付けたり、あるいは上記自分を変えるということは(少なくとも数年スパンでは)難しい。現在はストレスに対して生活リズムの維持と過食で対応している。過食に関して別のストレスのはけ口があればいいと考える。
最近気づいたことだが、同じ障害を持つ者同士などで、どうにもならないことでも「愚痴る」ことはストレス発散という意味ではかなり効果を持つので、意識的にそのような場に参加して(はた迷惑かもしれないが)さんざん愚痴るということもしてみたい。
また、睡眠や「何もしない休日の休養」は極めて重要だと感じた2018年だったので、例えば近場で5日ぐらい外泊を全く予定を立てずに取って、ひたすら室内でだべる、というのも手である。「休むというタスクを実行する」のはなかなか難しい。室内でだべり続けて、暇で暇でしょうがない、と感じたら充電がある程度完了したサインと捉え、少し散策に出かけるぐらいをしてみてもいいだろう。
なおストレスの根本を取り去るという正論については、すでに現在日本社会自体をバカにするレベルに来ているので、南海トラフ地震が起こって、また原発が~からの「日本が~」の大騒動などを観なければ取り去れない。別に1年やそこらで根源を取り除く強迫観念も持つ必要はないので、そこは一時保留である。まあ、そういった事態が起こったら秘蔵の酒でも開けて「お祝いだ!お祝いだ!これまでの怨嗟も全部吹っ飛んで、喜びがこみあげてくる」(映画「轟沈」並み)とでもしよう。
未来は未定である。そして当ブログは基本的に悲観主義である。悲観主義に潰されたことも障害の発症・再発の一因であった。長く続く現在日本社会怨嗟の日記も悲観主義に基づくかもしれない。
そういうわけで、2018年を振り返り2019年の行動を考えるにあたって、とりあえず上記3セット、「再発予防」、「減量」、「ストレス低減」ぐらいでいいだろう、というか十分すぎる。考えれば考えるほどエネルギーを使うし強迫的になるしで、ロクなことはない(当ブログは幼稚なのでそもそも考えているのか、というツッコミはさておき)。またその行動指針を達成出来なかったことにこだわることもよくない。
そういうわけで、最初の玉虫色の決着「激情に流されながらも泳ぎ続ける」も、実は大いに現実的かつ素晴らしい行動指針である。
繰り返すが未来は未確定なのでどうなるか判らん。というかあれだ。明日のことすら判らないのだから、2019年を考えるのもほどほどにすべきだろう。
当ブログを定期的にみている者には、有難みを感じる(ちなみに当ブログでそんな言葉が出るなどまずないので、これは最大級の謝辞であろう)、と同時によくもまあ付き合ってくれるとはもしかして奇特な人ではないかとも感じる(実に正直な意見であると考える)。願わくば2019年も見ていてくれれば嬉しい。
追記
気づけば学生時代から始めたブログであるが、5000日が経っているのだな。
バカブログ(あるいは、アホブログ)であるが、なんとまあ続くことか。