ロード・マーシャル時事報告場

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2018年および2019年

2018-12-30 17:24:38 | Weblog
今年も、もうすぐ終わる。

さて、当ブログを見返してみると、ほとんどが1年以上現在日本社会に対する恨み節ばかりであったな。

それだけ心が怒りに支配される年であったともいえるが、
以前書いたように、
怒りという感情が出せるだけ、随分数年以上前と比べてマシになったともいえる。

願わくば2019年は、と書きたいところだが、おそらくこの怒りの感情は長く続くことが予測され、2019年も激情の年になると考える。

まあ、それはそれでいいだろう。年を改めたから心機一転というのも、よくよく考えたら少し不思議な習慣であるし、またそれが実施できたとしたら「戦前はひどかったけど戦争に負けたから身も心も変えました」という現在日本社会のようで気持ち悪くもある。

ただ、怒りという感情が出せることは最悪の状態ではないが、ストレスは相当なものである。自分を変えればいい話であるし、それが王道というものだが、少なくともそういう意思は私にはないし、また自分を変えることはとてつもなく難しいことだと考えている。

とはいえ他人や社会を変えることはさらに難しい(あるいは不可能)なことなので、玉虫色の決着として2019年は「激情に流されながらも泳ぎ続ける」を目標にしてみたい、が、ちょっと腑に落ちないところもある。

もう少し具体的に考えてみよう。
2019年、絶対に達成すべき第一の目標は「再発予防」である。
どれだけ怒ってストレスを受けていようが、体の各部位の障害の状態が悪化しようが、とりあえずパフォーマンスを出して働けていればそれで良しである。

次に体の面として、確実な減量を行いたい。以前から体重の増減が激しいのではあるが、そろそろ代謝機能も落ちるというか、代謝機能にも疾患を抱えているわけで、歳をとるごとに減量効果は薄れるだろう。なるべく現在の疾患以外は健康な体を維持したいし、現状の体の状態だから服薬できて、体の状態がこれ以上悪化したら服薬できない薬もあるので、健康な体は大切である。また実体験であるがストレス耐性と体の健康は正の相関があると考える。
とはいえ、ストレス解消のために甘いものをバカ食いし、なおかつ狂ったようなウォーキングを毎日課して、ほぼトントンの体重維持という状態なので、心の面とも向き合わなければなるまい。

最後に心の面として、ストレスの量を現在未満にしたい。これは2018年の日記の状態から察せられるように、あるいは上記体重とも関連して、切実な目標である。ストレスの要因は様々であるが、一つのストレス要因が去ってもすぐに新しいストレスを「見つけてしまう」のは当ブログの悪い癖である。ただ、新しいストレスも「なるほど確かにストレスを感じるのはもっともだ」と主観的には道理にかなったものなのが困ったことだ。世の中には昔「鈍感力」なんて言葉もあったが、障害の特性としてそのような力を身に付けたり、あるいは上記自分を変えるということは(少なくとも数年スパンでは)難しい。現在はストレスに対して生活リズムの維持と過食で対応している。過食に関して別のストレスのはけ口があればいいと考える。
最近気づいたことだが、同じ障害を持つ者同士などで、どうにもならないことでも「愚痴る」ことはストレス発散という意味ではかなり効果を持つので、意識的にそのような場に参加して(はた迷惑かもしれないが)さんざん愚痴るということもしてみたい。
また、睡眠や「何もしない休日の休養」は極めて重要だと感じた2018年だったので、例えば近場で5日ぐらい外泊を全く予定を立てずに取って、ひたすら室内でだべる、というのも手である。「休むというタスクを実行する」のはなかなか難しい。室内でだべり続けて、暇で暇でしょうがない、と感じたら充電がある程度完了したサインと捉え、少し散策に出かけるぐらいをしてみてもいいだろう。
なおストレスの根本を取り去るという正論については、すでに現在日本社会自体をバカにするレベルに来ているので、南海トラフ地震が起こって、また原発が~からの「日本が~」の大騒動などを観なければ取り去れない。別に1年やそこらで根源を取り除く強迫観念も持つ必要はないので、そこは一時保留である。まあ、そういった事態が起こったら秘蔵の酒でも開けて「お祝いだ!お祝いだ!これまでの怨嗟も全部吹っ飛んで、喜びがこみあげてくる」(映画「轟沈」並み)とでもしよう。

未来は未定である。そして当ブログは基本的に悲観主義である。悲観主義に潰されたことも障害の発症・再発の一因であった。長く続く現在日本社会怨嗟の日記も悲観主義に基づくかもしれない。
そういうわけで、2018年を振り返り2019年の行動を考えるにあたって、とりあえず上記3セット、「再発予防」、「減量」、「ストレス低減」ぐらいでいいだろう、というか十分すぎる。考えれば考えるほどエネルギーを使うし強迫的になるしで、ロクなことはない(当ブログは幼稚なのでそもそも考えているのか、というツッコミはさておき)。またその行動指針を達成出来なかったことにこだわることもよくない。
そういうわけで、最初の玉虫色の決着「激情に流されながらも泳ぎ続ける」も、実は大いに現実的かつ素晴らしい行動指針である。

繰り返すが未来は未確定なのでどうなるか判らん。というかあれだ。明日のことすら判らないのだから、2019年を考えるのもほどほどにすべきだろう。

当ブログを定期的にみている者には、有難みを感じる(ちなみに当ブログでそんな言葉が出るなどまずないので、これは最大級の謝辞であろう)、と同時によくもまあ付き合ってくれるとはもしかして奇特な人ではないかとも感じる(実に正直な意見であると考える)。願わくば2019年も見ていてくれれば嬉しい。

追記

気づけば学生時代から始めたブログであるが、5000日が経っているのだな。
バカブログ(あるいは、アホブログ)であるが、なんとまあ続くことか。
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内閣総辞職ビーム

2018-12-27 20:51:13 | Weblog
映画「シン・ゴジラ」におけるゴジラの光線が、「内閣総辞職ビーム」ならば、
映画「ローグ・ワン」におけるリアクター1基でスカリフ基地に発射されたデス・スターのスーパーレーザーは「中間管理職辞職ビーム」である、と提案したい。
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リハビリHoI2 1946、再燃の夏

2018-12-24 17:38:31 | Weblog
ここのところリハビリHoI2をやっていなかった。
というのも、第二次独ソ戦(による、2回目のビターピースを蹴った時のペナルティたる国民不満度爆発による大パルチ祭り)に備えて守備隊を占領地域にばらまいたら、人的資源が足りなくなって貯めるのに時間がかかるから億劫、というものがあった。

しかし、1946年、ついに人口は1000前後に回復(守備隊消費分除く)。またこの間に研究を行い、各種部隊の近代化と海軍の拡張の下地を作り、さらには原子炉や弾道ミサイル等の秘密兵器にも手を出してきた。
実質ICは660を超え、時は来た。
そういうわけで、1946年8月、第二次独ソ戦開始。
もちろんこの長い準備期間の間、シベリア各地にパルチザンの芽を撒いておくことも忘れなかった。
ロリコンベリヤ率いるソ連軍は国境でのわずかな抵抗の後あっさりと敗退している。あとはこのままシベリア各国を独立させつつ東進し、日本と中国に襲い掛かりたい。
本国では1945年型駆逐艦18隻が生産され、さらに1945年型世紀空母が9隻並列で量産ラインにのっている。

一つ気になるところは、ようやく始めた海軍ドクトリン(空母に合わせた基地爆撃)研究が、日本と同盟していないこともありあまりにも進捗が遅いことであるが、まあシベリアの劣悪なインフラを打通している間にある程度対抗可能なレベルにはなるだろう。
日本とは国力で4倍以上の差をつけているし、何より日本はアメリカとも戦争中なので、完全にこちらが優位になる必要もない。

大ユーラシア帝国を作った後は、アメリカの後始末だな。
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クリパ

2018-12-24 08:07:00 | Weblog
昨日、一足早くクリスマスパーティーをしてきた。
柄じゃないという意見は最もである。


さて、プレゼント交換会もあったのだが、あまり面識のない男女混合の場合、お互いがお互いスタンダードすぎるものを用意してしまい(例えば入浴剤とかハンドクリームとかスタバ券とか)、大重複大会となることがよくある。
しかし今回は、一部ハンドクリームに偏りがあったものの、宝くじから葛根湯まで、実に多彩であった。

特に宝くじは面白そうだと感じた次第。

なお、料理制作グループがあまりに気合を入れ過ぎた為、外部購入グループの購入してきたおつまみが全く手を付けられなかった(というか料理すら皆で持ち帰りとなった)件について。

当ブログは極端と中途半端が大好きなのであまり言えないが、「適切な量を、適切な時期に」等と言うのは全く難しいものである。
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セルフムスカ(追記コモドゥス)

2018-12-19 19:16:23 | Weblog
ムスカとか出してきているあたり年だな。

さて、当ブログは体の各所に複数の疾病を抱えている。
そして一つを除き、そのすべてが各所の代表的な疾病ではない為、それ単体では障害認定されないことは治療費に重くのしかかってきている。
また、代表的でない=有名でないので、治療の研究も原因の研究も進捗が無く、治療法は対症療法、あるいは現在残されている機能の維持に重点が置かれている。

まあ製薬業界も企業集団であるし、公的機関の研究も残念ながら現在のスタンスでは「即応用」が主流なので、望むべくもないだろう。
発想というか、打つ手が後進国のそれである。

愚痴ついでに、いつも体の検査で数値が悪いのだが、全ての状態を把握する主治医に「とりあえず今は生きてるからいいんじゃないですか」と言われる始末である。


一番の疾病については、これ以上の疾病マウンティングになるので言わないが、その他、甲状腺、骨、眼に疾病がある。


が、あれだ。こういうのは開き直って楽しまなければ損なので、眼の疾病はムスカのラストに近い(もう少し具体的に言えば、真逆の原理でムスカ状態になる)ので、これをセルフムスカと呼んで楽しんでみる。

正直、厚生労働省に複数の疾病のそれぞれについて「現在治療法はありません」と書かれると、なんだか清々しいな。



追記 コモドゥス

映画「グラディエーター」に登場する敵役コモドゥスは当ブログの理想とする悪役像である。
史実においては、正確には「コモドゥス」ではなく「コンモドゥス」だったりするが、まあよかろう。

しかしこのコモドゥス、重度のシスコン、しかも姉萌え(?)である。
映画の台詞で「コモドゥスの血が1000年支配する」的なことを言っていたが、そうなった世界における未来の「萌え」の概念が気になるところだ。

とはいえ、このキャラクターの魅力は当ブログの好きな「微妙」では語れない、奥深いものがある。
なお、史実におけるコンモドゥスと姉の末路、そして映画とは大幅に違うその後のローマ帝国の実態を考えるに、ちょっと残念である。
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クルスク ~野獣と化した兵器~

2018-12-18 19:01:26 | Weblog
いや今更、野獣とかホモネタは古いとは思うがな。

普通に考えてドイツの兵器が野獣化している件について。

ティーガー:トラ
パンター:ヒョウ
エレファント:ゾウ
ナースホルン:サイ
ブルムベア:ハイイログマ


とかな。
微妙に、

フンメル:マルハナバチ

と、昆虫ゾーンも押さえているあたり渋いではないか。

フンメルも含めると、野獣というより、動物園と化した戦場だな。
もちろん、結構活躍したことを考えると、実戦ではやはりソ連は「野獣相手」だっただろうが。

なお、野獣と化したドイツ軍(の兵器)はついに勝利を得ることはできなかった件について。



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書くことがない

2018-12-16 14:30:45 | Weblog
が、イライラやつまらない理由の怒りは存在する。
あまり良くない兆候であるので、今日は早めに眠ることにする。
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日本の福祉予算に疑問を持つ、が

2018-12-10 05:42:20 | Weblog
日本の福祉予算、具体的には将来増税されるだろう消費税の使い道である社会福祉の配分に疑問を持つ。

具体的には、高齢者と子育てに予算が割かれ過ぎていると考える。

確かに、日本は少子高齢化なので、致し方ないことのように見える。

しかし普通に考えれば、何故(特に障害を持つ身として)赤の他人の尻拭いをせねばならないのか疑問である。
散々現役の我々世代には老後に備えて貯蓄しろと、企業を通してうるさいし、子供を産むのは相当の覚悟が必要なのにポコポコ産んだ赤の他人の子供の補助を、何故現在日本社会に期待していない身が負担せねばならないのか。

公的機関の障害者雇用水増し問題が示すように、日本社会の障害者に対する差別は根強い。当事者としては、こちら側対策に予算を割くべきだと主張する。

もちろんこの主張は、当事者だから言えることであって、これが老人や老人を介護する身、子供を持つ身としては主張が逆転することは判っている。
結局人間、主観しかないし、それが選出する機関もそれを構成する人員も主観を持ち、世論を気にするので、結局のところ上記主張は無理という事も判っている。


こう言うと、バカなマンガの主張にあるような、

「自分が変えられるぐらい偉くなれ」

的な事を思うバカがいるかと考える。
だが、前提条件として無理なものを「出来るぐらいやってみろ」というのは、なんだか

「利益を得るまでパチンコを続けろ」

とか、

「精神力でアメリカ軍に対抗しろ」

とかの言動に似ていて、やはりバカは大戦から思想が変わっていないなぁ、と思う次第である。


じゃあどうするのか、と言えば結局のところ愚痴るしかないのだろう。
何せ公的機関から障害者を差別しているのだ(障害者雇用水増し問題について根源的な理由、およびそのような障害者枠が必要な次点でお察しである)。

というわけで、それならば障害者は障害者として、現日本社会の規定する法律等に則って、自身の利益を最大化するくらいは良かろうと思う次第である。


重ねて言うが、「じゃあお前が変えろ、変えられるぐらい偉くなれ」というのは、前提条件および思想の二重の間違い(あるいはバカさ加減)があることを指摘したい。
そういう指摘は、身近な例で例えれば「世界経済と世界平和と地球環境とをなんとかするぐらい偉くなって、その対策を実行しろ」ぐらいの無茶だと認識してもらいたい。
ああ、そういう奴いたな、日本陸軍に。牟田口とか。
そうだな、裏庭に祠を作って祝詞をあげるぐらいの感覚なのだろうな。
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独ソ戦追記

2018-12-09 08:33:43 | Weblog
前回、かなり大雑把かつ偏った知識の独ソ戦概要を書いてみた。

見返してみると拙いな。

まあいい。

さて、独ソ戦はやはり重要な戦域で、仮想戦記ではドイツがソ連に勝利して、からの枢軸勝利とか講和とか(まさしく)夢物語が多い。

しかし前回の日揮でも少し指摘したように、ヒトラーの介入その他で何とかなるレベルではなく、ドイツはソ連に勝てなかっただろう。

独ソ戦のターニングポイントとして、超楽観主義者でクルスク、楽観主義者(結構多い)でブラウ作戦、マトモと言われている奴でもバルバロッサと言うであろう。

当ブログとしては、ドイツがソ連に侵攻を決意した瞬間、負けが確定したと考える。
これはバルバロッサ発動のタイミングが遅れて冬の到来が~、ではなくどうしても勝てない状況でどうしても勝てない敵に戦争を吹っかけた為、と言い換えることも出来る。

実はフランス侵攻完了した時点でドイツ軍の補給部隊は甚大な損害を出していた。
独ソ戦に当たりこの補給部隊を補充すべく本来ならば各部隊にある補給要員を引き抜いていたりする。

この時点でドイツ軍の補給能力=総力戦においては戦争遂行能力の大きな要因、が欠けていたのだ。

そういうわけで、ヒトラーの介入やイタリアのバカがいなくてもドイツはソ連に負けたと考えられる。
もともと無理な戦争だったわけだ。

とはいえ、「我が闘争」に書かれていたようにドイツの生存圏は東方にあるべきだったし、戦争を回していかないと当時のドイツは国家および政権自体が成り立たない状況でもあった。
フランスを攻め落とした時点が絶頂期だったのだろうなあ。後は降るのみ、である。

なお、そもそも論でバトル・オブ・ブリテンあたりから陰りが見えていたので、ソ連に戦争を吹っかけなくてもいずれドイツは破綻していたと考えるのが妥当だろう。
バトル・オブ・ブリテンもロンドン空襲などの議論はあるものの、戦いに勝ったと仮定してもドイツ海軍が図上演習によりイギリス本土上陸軍は殲滅される、と判定していたことが示すように、やはり既に限界を超えていたのであろう。


そんな国家に「バスに乗り遅れるな」と称して防共協定を結んだ日本。いくら孤立していたとはいえ事大主義を通り越して節操がない。バスに乗って集団自殺でもする算段が元の目的なら判らんではないが、さすがは集団自殺をしたり、不思議な国家である。もちろん現在も、不思議な国家で続いているな。

なんだかんだで最後にやはり現在日本をディスって終わりとする。
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ドラマ高い城の男シーズン3

2018-12-06 19:14:35 | Weblog
かなりガラッと変わった感があるな。

賛否意見の分かれるところであるが、個人的には日本のドラマ・映画より(忠実度はさておき)大和型戦艦をカッコ良く描いた点を評価したい。

ちなみに、好意的なレビューの中に、「良い意味でどんどん期待を裏切ってくれる。これからどうなるのか、原作は最後まで読まないでとっておく」というものがあった。

あー、うん。その方向性なら原作は読まないほうがいいかもしれないな。
あくまでも当ブログの「お節介」ではあるが。


そうそう、ガラッと話が変わったついでに、HoI2ドイツプレイで人口が足りないで困っている。
いや、別に今戦争しているのは消えかかった連合(アメリカ不参加)だし、独ソ戦は勝って終わったし(ソ連の提案したビターピースを受諾)、別に困ってはいないのだが、再度ソ連侵攻を企画するにあたって、再びビターピースが発動する条件が整ってしまっている。まあ実際発動したからな。次のビターピースイベントではソ連の講和提案を蹴らなければならないが、そうなると国民不満度が爆発する。

ドイツの国力の半分は占領地由来なので、国民不満度が爆発すれば大パルチザン祭りである。ここにきてプレイ初期に本国のICに投資しなかったツケが来た、ともいえるか。
実際のところ、パルチ祭りなど無視してもいいし、発生したパルチザンも個別に叩け済む話ではある。

しかし、これは当ブログプレイのこだわりなのだろう、「可能な限りパルチは未然に防ぐ(余った核で遊ぶ場合を除く)」に基づき、守備隊師団(憲兵旅団付)を300個ほど生産して占領地にばらまいたら人的資源が200台になってしまってちょっと戦争をするには心許ない。一応1.13/dayの人口増加なのだが、最低でも1~2年は人口を貯めたい。別に作るものもないので、大臣を占領地を効率的に了できるヒムラーから人口増加補正のあるゲッベルスにしてみて、2年ほど待って、ソ連からの日本(&中国)喰いであろうか。

こういう「つまづき」は昔は考えられないことなので、やはりプレイの腕が鈍っている。
それはそうと、ルーマニアとか色々侵攻した結果、ハンガリーが何もさせてないのにどんどん大きくなってきた件について。
ハンガリーは数少ない(というか唯一の)ドイツと対等の同盟関係を持った国家である。
しかしハンガリーAIの援軍テロを防ぎ、かつAIに余計なことをしてほしくないので、統帥権を得た上で援軍要請を拒否している。事実上ハンガリー軍は全く動いていない。
そうさせたのはプレイヤーであるから文句など全くないが、周辺国を併合したり属国化したりするとどんどんハンガリーが大きくなって、スペインと肩を並べるぐらいの国力を持つに至った点は笑える。仕様とはいえ、何もせずに大ハンガリー帝国復活とはね。
笑えるだけで別に困っていないのでいいが。

あとは、人口回復を待っている間、ソ連を侵食している間、そして中国や南方を攻略して日本が急速に弱まっている間に日本本土をアメリカとかに掠め取られないかが心配である。
最終的には戦争をするが、それまでは持ちこたえてくれないと困るので、あえて石油をあげたりアメリカにちょっかいを出してみたり。
これで間に合えばいいのだが。
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