●27番目:2つの峠(笠取・和田)の間で休む人も多かった 『長久保宿』
長久保宿に入っていきます。
古い建物が目につきます。
一福処濱屋 旅籠として建てたものの、明治維新後は交通の発達もあって客足が伸びずに旅籠としては開業できず。
長久保宿本陣跡
復元された高札場
長久保宿脇本陣跡
釜鳴屋 指定重要文化財です。
長久保宿内で追分あり。和田宿方面から歩いてきた場合に右中山道、左善光寺街道(北国街道)になります。
この先少々長久保宿が続いていきますが、特に何もなくて宿外れになります。
一里塚跡
依田川と大門川の合流。ここから上流は「渓流釣り」との指定看板などがありました。
水明の里公園 大きな中山道説明板が設置されています。
旧中山道の風景…手前左のバス停が右の写真。バス停まで違いますねここは。
ミミズの碑 「ミミズ」?(笑)
三千僧接待碑
若宮八幡宮 武田信玄が攻めてきたんですね。ここに攻め入るということは諏訪制圧後になるのかな。
若宮一里塚
●28番目:中山道屈指の難所「和田峠」を控えて栄えた 『和田宿』
是より和田宿です。
ここで再度に見舞われました。
バス停で雨宿り。その間にで腹ごしらえ。
かわちや
旅籠大黒屋
和田宿本陣
本陣の建物と説明板
一旦上がったと思ったが再度降り出してしまう…休み休み進むことになりました。
脇本陣と説明板
和田宿の町並み
高札場跡地は説明板のみでした。
和田鍛冶足交差点。和田峠方面は青空が見えてきています。この交差点には一里塚がありました。
この先、→と天候回復するとよいのですが…(実際は?それは下記にて)
途中、「本陣」という苗字?表札がかかっているお宅を発見。茶屋本陣をされていて「本陣」という苗字になったのでしょうか?
この本陣さん宅の方は江戸時代中期?かにルート変更されて中山道になったようです。
初期の中山道も残されているようで、一旦戻りそちらを進んでいきました。
唐沢の一里塚。両サイドに塚がしっかりと残っており、塚の間や風景としても昔の中山道を感じることができます。
今までの一里塚で最高のシチュエーションじゃないでしょうか。タイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
左の塚、右の塚。そして説明板。
ここを右折していよいよ和田峠に近づいていきます。
と思ったら舗装路(国道142号)とはここでお別れ。旧道がしっかりと残されていました。
この近辺の中山道図。
旧中山道を上り始めてすぐに「三十三体観音」があります。
旧中山道(原道)の風景 どんどん登っていくだけです。先がなかなか見えてきません。
永大人馬施行所跡 接待
「接待」のところでいったん舗装路に出ましたが、200mくらいなもの。その先もまた原道(未舗装路)になります。
前日の雨もなんのその。傾斜によって流れていってしまった&水はけのよい状態なのでしっかりと走れます。
踏み込んでもにじみ出ることはありません。
隣に沢があって、心地よい水の音を聞きながら登っていきます。
広原の一里塚 しっかりと盛り土部分は残っていますが、右側は一里塚?正しいですかね?
あの先が峠かな?
東餅屋跡とその説明板 峠を越す旅人の休憩所として5件くらい茶屋があったようですが、
今となっては石垣が残るのみです。
ただし…
かわりに力餅を売っている売店が目の前にありました。立ち寄り客がそこそこいるようで車が3台止っておりました。
九十九折になっている県道を串刺しするように何度も横切ります。
旧道は未舗装路のままです。
どうやらこの先が峠のようです!
和田峠にようやく到着です。風が吹きさらす非常に寒い峠で、冬場の旅は大変だったと想像できます。
ここは「中央分水嶺」でもあるようです。佐久側:千曲川・信濃川と、諏訪側:諏訪湖方面ですね。
峠なのでようやく下りです。
ここに旅人向けの地図が置いてありました。
「下諏訪の中山道」「下諏訪の甲州道中」
というものですが、その差し込みにあった言葉を紹介します。
『東坂はやすらかにして西坂はけはし、三月まで雪多し』
確かに西側の斜面を下るのは少し厳しかったですね。
急且つ道が荒く、一部は崖ですから。
下り坂の風景と足場の変化です。
石小屋の跡です。
東坂よりも石が多い気がしますね。結構走りづらいです…
西餅屋茶屋の跡と説明板
一里塚は西餅屋からわずかなところに。石場などがあり下るには少し気を遣いながらになります。
雲行きが怪しくなり、そろそろ雨が降るかなぁ?と思ったら雹が降り始めてきました
雷も鳴り、近くに2発くらい落ちたような音が。光って音が鳴るまでの時間が短すぎます。
雨宿りする場所もない下り道。滝のようになって雨水が道路を流れていきます。
その中をシューズも自分もずぶ濡れになりながら下って行きました。
浪人塚 幕末に水戸の浪士が上京しようとする際、高島・松本藩と激突し戦死。戦死者を悼んで作られたものらしいです。
樋橋本陣跡 茶屋本陣跡で小松家屋敷跡。町指定文化財です。
またまた側道に旧道がそのまま残されていました。畑の畦道になっています。
その先は住宅地の中に入っていきます。変化に富みますねぇ。
諏訪になると道祖神にも御柱がつくようです。前後左右に4本しっかりと。次々と現れる道祖神はみなこうなっていました。
木落し坂 御柱祭り(7年に一度くらいやって、ニュースでも流れますよね。巨木を上から落として男性が掴まっているやつ)で
使われる坂で、かなりの急勾配です。このようなところにあったとは驚きです。(山の中にあると思っていました)
実際の御柱サイズのものが展示されておりました。
上からと横からと写真を撮ってみましたが、その斜度とかわかるでしょうか。下からも撮ったほうが良かったかな?
木落し坂の脇に旧道が残されており、下って国道に合流するところ。芭蕉句碑です。
◆旧中山道を行く
第1回:2008年5月25日(日) 日本橋~板橋宿
第2回:2008年6月1日(日) 板橋宿~ 蕨宿~浦和宿~ 大宮宿~上尾宿
第3回:2010年12月5日(日) 上尾宿~桶川宿~鴻巣宿~ 熊谷宿~深谷宿~本庄宿
第3回extra:2011年4月3日(日) 岡部~本庄
第4回:2011年4月3日(日) 本庄宿~ 新町宿~倉賀野宿~ 高崎宿~板鼻宿~ 安中宿~松井田宿
第5回:2011年4月30日(土) 松井田宿~ 坂本宿~ 軽井沢宿~沓掛宿
第6回:2011年5月1日(日) 沓掛宿~追分宿~小田井宿~ 岩村田宿~塩名田宿~ 八幡宿~望月宿
第7回:2012年5月4日(金・祝) 望月宿~芦田宿~ 長久保宿~和田宿~ 下諏訪宿~ 塩尻宿~平出一里塚
第8回:2012年5月5日(土・祝) 平出一里塚~洗馬宿~本山宿~贄川宿~ 奈良井宿~ 藪原宿~宮ノ越宿~福島宿
第9回:2012年8月10日(金) 福島宿~上松宿~ 須原宿~野尻宿~三留野宿
第10回:2012年8月13日(月) 三留野宿~妻籠宿~ 馬籠宿~落合宿~中津川宿
第11回:2013年12月28日(土) 中津川宿~ 大井宿~ 大湫宿~細久手宿
五街道シリーズ
◆旧東海道を行く 日本橋~
◆旧中山道を行く 日本橋~
◆旧日光道中を行く 日本橋~
◆旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
◆旧甲州道中を行く 日本橋~
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長久保宿本陣跡
復元された高札場
長久保宿脇本陣跡
釜鳴屋 指定重要文化財です。
長久保宿内で追分あり。和田宿方面から歩いてきた場合に右中山道、左善光寺街道(北国街道)になります。
この先少々長久保宿が続いていきますが、特に何もなくて宿外れになります。
一里塚跡
依田川と大門川の合流。ここから上流は「渓流釣り」との指定看板などがありました。
水明の里公園 大きな中山道説明板が設置されています。
旧中山道の風景…手前左のバス停が右の写真。バス停まで違いますねここは。
ミミズの碑 「ミミズ」?(笑)
三千僧接待碑
若宮八幡宮 武田信玄が攻めてきたんですね。ここに攻め入るということは諏訪制圧後になるのかな。
若宮一里塚
●28番目:中山道屈指の難所「和田峠」を控えて栄えた 『和田宿』
是より和田宿です。
ここで再度に見舞われました。
バス停で雨宿り。その間にで腹ごしらえ。
かわちや
旅籠大黒屋
和田宿本陣
本陣の建物と説明板
一旦上がったと思ったが再度降り出してしまう…休み休み進むことになりました。
脇本陣と説明板
和田宿の町並み
高札場跡地は説明板のみでした。
和田鍛冶足交差点。和田峠方面は青空が見えてきています。この交差点には一里塚がありました。
この先、→と天候回復するとよいのですが…(実際は?それは下記にて)
途中、「本陣」という苗字?表札がかかっているお宅を発見。茶屋本陣をされていて「本陣」という苗字になったのでしょうか?
この本陣さん宅の方は江戸時代中期?かにルート変更されて中山道になったようです。
初期の中山道も残されているようで、一旦戻りそちらを進んでいきました。
唐沢の一里塚。両サイドに塚がしっかりと残っており、塚の間や風景としても昔の中山道を感じることができます。
今までの一里塚で最高のシチュエーションじゃないでしょうか。タイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
左の塚、右の塚。そして説明板。
ここを右折していよいよ和田峠に近づいていきます。
と思ったら舗装路(国道142号)とはここでお別れ。旧道がしっかりと残されていました。
この近辺の中山道図。
旧中山道を上り始めてすぐに「三十三体観音」があります。
旧中山道(原道)の風景 どんどん登っていくだけです。先がなかなか見えてきません。
永大人馬施行所跡 接待
「接待」のところでいったん舗装路に出ましたが、200mくらいなもの。その先もまた原道(未舗装路)になります。
前日の雨もなんのその。傾斜によって流れていってしまった&水はけのよい状態なのでしっかりと走れます。
踏み込んでもにじみ出ることはありません。
隣に沢があって、心地よい水の音を聞きながら登っていきます。
広原の一里塚 しっかりと盛り土部分は残っていますが、右側は一里塚?正しいですかね?
あの先が峠かな?
東餅屋跡とその説明板 峠を越す旅人の休憩所として5件くらい茶屋があったようですが、
今となっては石垣が残るのみです。
ただし…
かわりに力餅を売っている売店が目の前にありました。立ち寄り客がそこそこいるようで車が3台止っておりました。
九十九折になっている県道を串刺しするように何度も横切ります。
旧道は未舗装路のままです。
どうやらこの先が峠のようです!
和田峠にようやく到着です。風が吹きさらす非常に寒い峠で、冬場の旅は大変だったと想像できます。
ここは「中央分水嶺」でもあるようです。佐久側:千曲川・信濃川と、諏訪側:諏訪湖方面ですね。
峠なのでようやく下りです。
ここに旅人向けの地図が置いてありました。
「下諏訪の中山道」「下諏訪の甲州道中」
というものですが、その差し込みにあった言葉を紹介します。
『東坂はやすらかにして西坂はけはし、三月まで雪多し』
確かに西側の斜面を下るのは少し厳しかったですね。
急且つ道が荒く、一部は崖ですから。
下り坂の風景と足場の変化です。
石小屋の跡です。
東坂よりも石が多い気がしますね。結構走りづらいです…
西餅屋茶屋の跡と説明板
一里塚は西餅屋からわずかなところに。石場などがあり下るには少し気を遣いながらになります。
雲行きが怪しくなり、そろそろ雨が降るかなぁ?と思ったら雹が降り始めてきました
雷も鳴り、近くに2発くらい落ちたような音が。光って音が鳴るまでの時間が短すぎます。
雨宿りする場所もない下り道。滝のようになって雨水が道路を流れていきます。
その中をシューズも自分もずぶ濡れになりながら下って行きました。
浪人塚 幕末に水戸の浪士が上京しようとする際、高島・松本藩と激突し戦死。戦死者を悼んで作られたものらしいです。
樋橋本陣跡 茶屋本陣跡で小松家屋敷跡。町指定文化財です。
またまた側道に旧道がそのまま残されていました。畑の畦道になっています。
その先は住宅地の中に入っていきます。変化に富みますねぇ。
諏訪になると道祖神にも御柱がつくようです。前後左右に4本しっかりと。次々と現れる道祖神はみなこうなっていました。
木落し坂 御柱祭り(7年に一度くらいやって、ニュースでも流れますよね。巨木を上から落として男性が掴まっているやつ)で
使われる坂で、かなりの急勾配です。このようなところにあったとは驚きです。(山の中にあると思っていました)
実際の御柱サイズのものが展示されておりました。
上からと横からと写真を撮ってみましたが、その斜度とかわかるでしょうか。下からも撮ったほうが良かったかな?
木落し坂の脇に旧道が残されており、下って国道に合流するところ。芭蕉句碑です。
◆旧中山道を行く
第1回:2008年5月25日(日) 日本橋~板橋宿
第2回:2008年6月1日(日) 板橋宿~ 蕨宿~浦和宿~ 大宮宿~上尾宿
第3回:2010年12月5日(日) 上尾宿~桶川宿~鴻巣宿~ 熊谷宿~深谷宿~本庄宿
第3回extra:2011年4月3日(日) 岡部~本庄
第4回:2011年4月3日(日) 本庄宿~ 新町宿~倉賀野宿~ 高崎宿~板鼻宿~ 安中宿~松井田宿
第5回:2011年4月30日(土) 松井田宿~ 坂本宿~ 軽井沢宿~沓掛宿
第6回:2011年5月1日(日) 沓掛宿~追分宿~小田井宿~ 岩村田宿~塩名田宿~ 八幡宿~望月宿
第7回:2012年5月4日(金・祝) 望月宿~芦田宿~ 長久保宿~和田宿~ 下諏訪宿~ 塩尻宿~平出一里塚
第8回:2012年5月5日(土・祝) 平出一里塚~洗馬宿~本山宿~贄川宿~ 奈良井宿~ 藪原宿~宮ノ越宿~福島宿
第9回:2012年8月10日(金) 福島宿~上松宿~ 須原宿~野尻宿~三留野宿
第10回:2012年8月13日(月) 三留野宿~妻籠宿~ 馬籠宿~落合宿~中津川宿
第11回:2013年12月28日(土) 中津川宿~ 大井宿~ 大湫宿~細久手宿
五街道シリーズ
◆旧東海道を行く 日本橋~
◆旧中山道を行く 日本橋~
◆旧日光道中を行く 日本橋~
◆旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
◆旧甲州道中を行く 日本橋~
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