マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

旧奥州道中を行く 番外編 白河宿~白河の関

2012年04月30日 | 旧奥州道中を行く
松尾芭蕉の「奥の細道」などにも出てくる「白河の関」。

有名ですが、かなり古い奥州への関所であり、江戸幕府が整備した奥州道中には含まれていません。

なのですが、現在は「白河の関跡」「白河関の森公園」などが整備されているので、

旧奥州道中をたどり、途中から「奥の細道」ルートで向かいました。


白河宿内の五町案内板をすべてチェック。

  

 




そこに思わぬ6番目登場!



新町。この先一番町~九番町までありました。

先日食べに伺った「ラーメン英」さんは二番町にあります。



白坂宿に向かう途中で「馬頭観音」の横に「牛頭観音」という新しいものが建てられていました。

「牛」は初めて見たような気がします。



白河側から来るとこの郵便局辺りから白坂宿であったと思います(勝手に思ってます)



白坂宿を抜ける頃にこの案内板が。白河の関に向かって旧奥州道中から外れます。



「おくのほそみち」というのが白河の関まで16個ほど(目視確認できたものだけ)あるので間違えずに進めます。


 
上りが続きます。結構しんどい。白坂分岐から約3km近くが上りです。



上り切ると道の両サイドに芝桜が植えられていました。ほんとうにきれいです。



牛が放牧されてました。のどかな風景、日本田舎の原風景と言った感じです。



今度は水仙が植えられていました。



分岐も案内板があり、上述の「おくのほそみち」も建てられているので間違えることは無いでしょう。


 
白河の関に到着。



「楽翁」こと松平定信公が白河の関の調査に乗り出し、ここが古関「白河の関」と認定した旨の碑。

奥州三大古関の一つと言われると残りの2つも制覇したくなってくる…


女石追分から白河の関まで16km強でした。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




ご訪問の記念に ポチッ とお願いいたします。
     ↓ 
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村


『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧奥州道中を行く 白河宿~女石追分

2012年04月30日 | 旧奥州道中を行く
白河宿に到着した前回、に見舞われて、残り僅かを残して無念の!?中断をしましたので、

その続きを走ってまいりました。



JR高架のところから再スタートです。この付近は「横町」ですが線路向こうは「田町」になります。


 
阿武隈川を越えます。


 
聯芳寺 戊辰戦争で討ち死にした福島藩士十四名の碑が建っています。

この寺の付近から道は上っており、小さな峠?を越えるとそこは追分になる「女石」です。


 

 

戊辰戦争「白河口の戦い」は壮絶な戦いであったようです。各所に慰霊碑があります。

ここは仙台藩士のものになります。



追分。右が仙台道(奥州道中ですが、この先は幕府ではなく、各藩管理に)、左が会津道。



現代ではこの先が「女石交差点」で奥州街道と会津街道が交わっています。


ということで、江戸幕府が整備した約190km強の旧奥州道中を制覇しました。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




ご訪問の記念に ポチッ とお願いいたします。
     ↓ 
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村


『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧奥州道中を行く 白坂宿~白河宿

2012年04月22日 | 旧奥州道中を行く
●26番目:芦野と白河間が長いので作られた 『白坂宿』



白坂宿。ですが何にも残っていない風。なのでバス停で…

このままずーっと旧奥州道中を白河市街地に向かって真っすぐに進んで行きます。

一里段というところで久しぶりにが登場…でも食べたいものが別にあったのでスルー。

国道289号を横切ると間もなく古戦場跡。


 
戊辰戦争の際にここで戦いがあったようです。会津藩士や長州大垣藩士の墓などがありました。

松平容保公の題字による「銷魂碑」が北側にあります。

ここは道なりには右に折れて行きますが、その先の突き当たりを左に折れるともうすぐ白河市街地になります。



●27番目:幕府の道中奉行が管轄する奥州道中の終着地 『白河宿』



月よみの庭



この庭があるところを右折。このあたりは天神町と言われて、菅原道真公を祭った神社に起因するみたいです。


 
歴史的風致形成建造物はこのように市指定で残されており、いくつか市内にありました。



白河城下について。通り5町(天神町・中町・本町・横町・田町)と呼ばれていたらしいですが。田町はどこ?

大手町というのが今はありますが、当時は本町だったのでしょうか。


 
中町


 
町中を普通に甲冑武者が歩いています。さすが白河です。


 
白河宿の本陣があったところ。


 
萩原朔太郎さんの奥さんの生家。



なんか雰囲気のある和菓子屋さんです。になってしまったので買わずでしたが近々買いに来たいと思ってます。



なんだか雰囲気だけは昔のまま。このあたりは横町。



横町。線路向こうは田町になって5町の最後のはずですが、雨もそこそこ降っているので残りわずかですが

ここで左折してJR白河駅に向かうことにしました。



雨の小峰城址。桜は満開まであと一歩というところです。


さて次回は小峰城址を散策し、残された白河宿~女石追分までの1.5kmを走破?して旧奥州道中は終了の見込みです。

今日は本当に寒かったですね。4月の中旬で気温10℃、雨。手がかじかんで全く言うことを聞きませんでした。

たった1.5kmですがの中で締めたいと思っています。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




ご訪問の記念に ポチッ とお願いいたします。
     ↓ 
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村


『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧奥州道中を行く 芦野宿~白川峠を越えて白坂へ

2012年04月22日 | 旧奥州道中を行く
●25番目:下野最北の宿場で旅籠が40軒あった 『芦野宿』


  
芦野宿内ではこのようにたくさんの表札が設置されていて、これはごく一部ですが他には

「米問屋」「足袋屋」などもありました。



芦野宿を示す碑



碑のお向かいにあった「旅館丁子屋」さんはうなぎを焼いている?タレの匂いにすっごくひきつけられました。

(食べなかったですけどね)



ちょうどお祭りをやっていまして、神輿を担いでました。局地的にしか…店が出ているとかなくて

ほんとうにこの町だけの小さな祭り…


芦野宿を抜けると「遊行庵」というものがありました。



見えているのは売店ですね。この左奥に「庵」がありました。



これね。こちらは営業中。(売店は準備中でした)



裏手には「遊行柳」があって(撮影はちょっと離れすぎたか…)すっごい大きな柳ですね。


 
べこ石



遊行柳から約1km来ましたが、白河の関まで10km…遠い


 
両サイドに一里塚が残っている数少ないポイント。板屋の一里塚です。


 
白河に向かって右側と左側。高い位置にあるのはおそらく舗装路を作る際に切り通ししたからでしょうね。


 
なんとなく原道の面影



国道294号。この植え込みのカットは何?(笑)


 
寄居の集落センターに咲いていた桜はまだまだ五部咲きに満たないくらい。





すこし広くなっています。この大きな家を見るからにこの辺りは宿であったのでしょうか。



白河の関まで約6kmのようですが…ここに表示されている「白河の関」は徳川幕府が整備した江戸時代の奥州道中のものではなく、

平安時代のころから設置されていた関のようなので、そちらの方へは向かわず。まっすぐ進みました。



泉田の一里塚跡


 
初花清水



瓢石

この石を過ぎるともうすぐ県境になります。ずっと上りが続くためちょっときついですね。



明治天皇もこの上り坂で県境を前に小休止されたようです。


 


境の明神・玉津島神社 栃木県側にある神社です。



県境です。神社の目の前といった感じです。



右手には「従是北白川領」の碑、



左手には明治以降に設置された風な県境を示す碑が建てられています。



境の明神・住吉神社 福島県側にある神社です。両神社が県境を挟んで建てられています。



白河の二所の関に関しての碑。



衣がえの清水はこの奥。古くは弘法大師がこの清水で衣をそそぎ、芭蕉も門人曽良と共に境の明神を参拝後、

この清水に立ち寄り休息をしたところらしいです。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




ご訪問の記念に ポチッ とお願いいたします。
     ↓ 
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村


『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧奥州道中を行く 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~芦野へ

2012年04月22日 | 旧奥州道中を行く
昨年10月以来となった「旧奥州道中を行く」は本日最後の白河宿を目指してスタート!

※JR西那須野駅前に車を止め、市営バス(大田原市役所行)で大田原温泉前下車。そこから700m移動して下のポイントへ。



●22番目:戦国時代に城が作られてから発展 『大田原宿』



蛇尾川(蛇尾橋)からスタート。ここは宿場外れにほど近い。

橋を渡って左折、道なりに進むとすぐに富士電機さんの工場が見えてきました。


 
種類にもよりますが桜が見ごろです。この先も随分と満開の桜を目にし楽しく走れましたね。

お花見をするには少し?かなり寒い(10℃くらいでしたから)のでお花見に遭遇することはありませんでした。



中田原の一里塚跡



道標



弘法大師が…とありますが、後の世に作られたようです。


 
練貫で今回初めて「奥州道中」に関する石が登場。(と言っても近年に作られたものですが)




 
つくしやぜんまいもありました。春ですねぇ。




 
樋沢神社 葛籠石・八幡太郎義家愛馬蹄跡

後三年の役の際にここで戦勝祈願として参った際に愛馬が石に蹄跡を残したようです。




 
鍋掛一里塚 本来はもう少し先に有ったものを移設したようです。

この先に鍋掛宿。(鍋掛の交差点にがありましたが、その先は福島県内まで無し。食料は持参しましょう)



●23番目:那珂川の川留めの際はかなり賑わった 『鍋掛宿』


 




鍋掛宿に芭蕉の句碑が残されていました。

ここ(鍋掛宿)から各宿への距離が記載されていますが、これでは中が見えないですよね。



那珂川にくると鍋掛宿も終わりです。



●24番目:鍋掛同様に那珂川の恩恵、2宿セットで機能を果たした 『越堀宿』


 
越堀 桜がきれいですね。

 
たった那珂川を越えただけで鍋掛から1kmもないのに「越堀宿」があったようです。


 
比較的なだらかな上り基調となっている旧奥州道中


 
寺子一里塚



すっごい立派な塚になっているというか、やりすぎ?的になっていましたが、説明を読んで納得。

小学校設立・道路拡張によってこちらに移設されたもの。鍋掛に続いてこちらも残念ながら移設の一里塚でした。


上り基調でしたが一旦下り、川が見えてきました。



余笹川 ここも桜がきれいなポイントでした。

進んでくる途中に見かけた鯉のぼり。

もうすぐ端午の節句ですから当然と言えば当然ですが。

でもこのあたりの鯉のぼりは…


 

 


たくさんぶら下がってますね。自分の地元では頭に飾り、お父さん・お母さん+子供分の本数で

だいたい4匹程度が普通でしたが、ここは本当にたくさんついてます。

3世代?おじいちゃん・おばあちゃん・両親・子供もいとこの分まで?(そんなことは無いか…)



黒川



夫婦石

この道中においてはあまり昔の奥州道中を示すものが残されていません。なので景色とかちょっとしたものを撮影しながら

上りで疲れてきた肉体と精神を紛らわせながら進んでいきます。



夫婦石から上りきったところに夫婦石の一里塚があり。こちらは移設ではないですね。



ここでも満開の桜が見えてきました。芦野宿が目の前です。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




ご訪問の記念に ポチッ とお願いいたします。
     ↓ 
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村


『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧奥州道中を行く 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿

2011年10月10日 | 旧奥州道中を行く
●20番目:『喜連川宿』


 
これまた何も残されていない喜連川宿。



喜連川を抜けて佐久山へ向かう途中。かんぴょうを干しているところがありました。

かんぴょうは栃木北部の名産品。



ほほえみ仏像



ようやく「佐久山」の文字が見えてきましたね。



●21番目:本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒という小規模 『佐久山宿』


 
古い門・建物があるものの、宿場としての説明がほとんどされていない町。



消防団の倉庫の前にひっそりと「佐久山宿 下町」

このあたりは大田原市に入ったところ。喜連川と距離があるので、越えてきた人・越えて行く人が

泊まったのだろうか。かなり小さな宿場です。


箒川を越えていくと大田原が近づくはず…が直線道がかなり長い。


 
一隊の兵士が刀を持って槍を立て行進する蜃気楼が現れ、ここを通った甲州の行脚僧がこれを土地の者に聞くと

「浦蘆(ほろ)」だと答えたという。話からその碑が建てられている。



かなりきれいな水が流れている。鴨がたくさん。



●22番目:戦国時代に城が作られてから発展 『大田原宿』



この長い直線道路も「神明町」交差点で右折。ここから大田原宿。



ひっそりと「下町」の碑。



「与一の里」で、大田原信金の本店前には那須与一像が建てられている。


 
金燈籠



城下の宿場で少し入り組んだ旧道になっている。「寺町」はビジネスホテルの前に建てられていた。



大田原神社。このあたりの総鎮守。


 
蛇尾川

本日はここまで。48.6km。

この脇に「大田原城址」がある。



プチおまけ


大田原は「とうがらしの里」らしい。初耳。そんなに辛い物が好き?たくさん生産しているんだろうか。。。



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村
  ↑
クリックお願いします。

 ブログ村ランキングカウント中です。 

『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧奥州道中を行く 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~喜連川へ

2011年10月10日 | 旧奥州道中を行く
半年ぶり?旧街道を行くシリーズ。

とぼとぼとゆっくり走るので、ランニングフォームにはマイナス面も多いけれど、

消費カロリーはばっちりだかんね。


宇都宮駅東口に車を置いて、日光道中と奥州道中の追分へ。2.7km。



●17番目:宇都宮城下の宿場で日光道中・奥州道中の追分 『宇都宮宿』



ここから左は旧日光道中。本日の旧奥州道中はそのまま直進。JR宇都宮駅へ向かう。



下野国の一宮、二荒山神社

この神社の手前を右折、一旦アーケード街を通り、少しクランク状になっている旧奥州道中。



そんな裏道のようなところでも正しいんだよね、市内には街道や昔を説明するこれが建っています。



抜け出ると右手にJR宇都宮駅が。



田川に架かる橋。

橋を越えると



旧篠原家住宅。ここを左折してひたすらまっすぐ行く。

今はこの東側に環状道路のような国道4号が作られている関係で、この通りには「白澤街道」という名がついている。



●18番目:宇都宮宿の次の宿場町 『白澤宿』



八坂神社



名残の松



街道の名残?並木道になっている。



白澤宿に入る。



薬研坂


 
宿場内


 
鳥居の左側に本陣があったらしい。この辺りの民家には江戸時代の屋号が看板として設置されている。

中山道の坂本宿みたい。

鉤の手になった宿場町はさほど大きくないためすぐに宿場外れのような景色に。


 
江戸時代の鬼怒川の渡し。西鬼怒川でかなりの水量なのは昨晩雨が降った?



白澤の一里塚



ほどなく鬼怒川が見えてくる



鬼怒川の渡し



鬼怒川



鬼怒川を渡るとさくら市。氏家宿まであと一里。


 
お伊勢の森の看板。道中の休憩所になっていたのか?



●19番目:鬼怒川舟運の北限に近い荷物の集積宿場 『氏家宿』



道標石。ここを「右江戸海道」、「左水戸かさま・下だて・下づま」

この道しるべは氏家宿の外れ(江戸から来ると入口)にあたるところ。

氏家宿には特に残されているものがないようです。


 
不動明王



瀧澤家住宅


 
狹間田一里塚。看板があり「どこどこ?」って感じだけど、塀越しにあった。どうやら「梅の木」を使った塚だったみたい。



氏家を出て次は喜連川宿。ここから一里。



アップダウンあり。ここは「弥五郎坂」

『昔早乙女坂といわれたところで、天文18年(1549)、2000余騎の宇都宮尚網の軍と500余騎の喜連川城主塩谷氏とが戦い、
宇都宮尚綱が鮎瀬弥五郎の矢で戦死、大将を討たれた宇都宮軍は敗退した。』

と説明があった。500騎で4倍の相手を返り討ちにしたとはすごい。


 
旧奥州道中は雰囲気のあるところを抜けていくが、震災で若干崩れていました。

この左手にニッカウヰスキーの工場あり。



喜連川側宿手前に「荒川」があり鮎の友釣り?



◆旧奥州道中を行く(日本橋から宇都宮宿までは「旧日光道中を行く」から)
  第1回:2011年4月10日(日) 日本橋~千住宿~ 草加宿~越谷宿~ 粕壁宿~杉戸宿~ 幸手宿~栗橋宿  
  第2回:2011年4月17日(日) 栗橋宿~中田宿~古河宿~ 野木宿~間々田宿~小山宿
  第3回:2011年5月4日(水・祝) 小山宿~新田宿~小金井宿~ 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿
  第4回:2011年10月10日(月・祝) 宇都宮宿~白澤宿~氏家宿~ 喜連川宿~佐久山宿~大田原宿
  第5回:2012年4月22日(日) 大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~ 芦野宿~ 白坂宿~白河宿
  第6回:2012年4月30日(月・祝) 白河宿~女石追分 

  番外編:女石追分~白河宿~白坂宿~白河の関(奥の細道をたどる)



五街道シリーズ
旧東海道を行く 日本橋~
旧中山道を行く 日本橋~
旧日光道中を行く 日本橋~
旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
旧甲州道中を行く 日本橋~




にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへにほんブログ村
  ↑
クリックお願いします。

 ブログ村ランキングカウント中です。 

『ご協力ありがとうございます。』 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする