マー坊のあしあと。

ランニングと食べ歩き中心の生活履歴

旧日田往還を行く 番外編(博多~筑前山家宿)

2021年11月20日 | 旧日田往還を行く
過日走破した日田往還『朝倉街道』ですが筑前山家から日田間の通称です。

筑前山家は長崎街道の宿場。この地で日田往還と分岐し、その先で薩摩街道と分岐します。

この交通の要衝には福岡城や博多から至る道があります。

福岡・博多から日田までを通して『日田街道』と呼んだようでもあります。

今回は日田往還・朝倉街道番外編として博多~筑前山家間を走破してきました。


今回の走破ルートはこちら



走破距離は21.7kmでした。


◆博多

福岡城側は天神西通りを起点としているようです。

博多側は辻堂口という現在では承天寺・出来町公園あたりが起点だったようです。

博多からスタート。理由は家から近いから(笑)


 

博多山笠発祥の地と言われる承天寺、この門前をスタート地点とします。

承天寺の開祖が疫病が発生した際に祈祷水を町中に撒いて回ったことに起因するようです。

この承天寺さん、とっても大きなお寺さんです。




博多千年門・承天寺通り この両サイドが承天寺さん。

この先、若八幡宮横を抜けて御笠川沿いの道に。

川と並行する道を南下していきます。

板付で県道112号(旧国道3号)に合流し、さらに南下していきます。


◆雑餉隈宿

県道112号を進んで山田4丁目交差点に。

この界隈、西側が雑餉隈のエリアです。何も残っていません。

錦町1丁目交差点にかけて数軒の旅籠屋があったようです。

日田街道が整備されたときには二日市宿まで4里あり、その間の宿として栄えたようです。

現在ロイヤルチェスター福岡という結婚式場がありますがその脇が郡境だったようです。


 



もともとの群境石は傷みが激しいので移設され代わりにこの石が建っています。

東が御笠郡、西が那珂郡。

本物は大野城市役所内にある資料館にあるとのこと。

この先で宿場外れになり、新川緑地帯を走ります。


 

ここで日田街道の案内板が登場です。


 



近代になってからのものですが。

鉄道が敷かれた際、街道から春日原の駅へ行く道が雑木林を抜ける小道しかなく…ということで

ここから駅までの道を開設した記念の碑となっています。

戦後すぐまでこの辺りに運動公園があり、野球場ではプロ野球も開催されていたようです。

平和台球場ができるまでの話です。すごい昔の話ですね。




 

この川を使った水運を試みるも筑後川からは距離がありすぎ、また那珂川から水を引いても

水量が足りずに十数年で廃止になったとのこと。

新川は牛頸川に合流します。




川向うに道標が見えます。なんだろう?




川を渡って振り返ると旧瓦田橋の橋脚の一部が残っていました。


 

何と書いているのかよくわかりませんでした。


 

太宰府市内に入りました。街道にはこのような埋め込みがありました。

歴史を大事にする太宰府市、さすがです。


 



水城跡 東口門になります。

大宰府に入ります。


 

姿見井 菅原道真公が大宰府入りする際、水城東口門から入り装束を着替えて姿を見た井戸と言われています。


 



上述の道真公が装束を着替えた際にここの松・石に衣を掛けたことに由来するのとことです。

銀杏がとてもきれいに色づいています。


 



苅萱関跡の碑 住所は「坂本一丁目」、あの坂本八幡宮もこの区域です(離れてますけどね)


 

関があったところで「関屋」という地名になったようです。

ここはさいふ道(宰府路)と日田街道の合流地。この先に分岐がありました。




常夜灯や道標がまとまっています。


  

「是よりひかしさいふ参詣道」や一の鳥居

交差点を右に曲がると御笠川を越えて二日市の方へ向かいます。


 

 

鷺田川を越えると二日市宿はすぐそこです。


◆二日市宿

迎田橋のあたりから宿場になっていたと思われます。




迎田橋のところにあった碑


 

桝形で宿場ができています。この醤油屋さんを過ぎると左折⇒右折していきます。

二日市商店街は宿場の中心地がそのまま残ってきたのでしょうか。

この先右手に二日市八幡宮が出てきます。

八幡宮のあたりまでが宿場。左折して山家を目指します。




二日市東小学校は街道の上に作られていますがその説明がなされているところが良いですね。

ご近所さんだけでなく、通う小学生にも知ってもらえるというのも歴史や地元のことを理解してもらえそうです。


宝満川を越えました。



ここまでくると山家宿はもうすぐです。


◆山家宿

宝満川を越えると小さな丘を越えていきますが、下りに入ったところに道標がありました。


 



二境界石 

「山家の下宿として賑わった夜須郡と御笠郡との郡境に立てられた境石」と説明されています。

つまりここから山家になります。この先の交差点が長崎街道との追分です。




長崎街道との追分

過日の「日田往還・朝倉街道を行く」では右手から来たのでこれで通貫になるのですが、

何もないここで終わりにするのは何だなと思って先の追分まで進みました。




写真左手から進んできました。写真奥が山家宿に。右に進むと日田。石櫃で薩摩街道と分岐です。

ここで終了としました。



◆旧日田往還(朝倉街道)を行く
  2021年 10月 24日(日) 山家宿~甘木宿~比良松宿~久喜宮宿 ~天領・日田
  2021年11月20日(土) 博多旧市街~筑前山家宿



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
   旧東海道を行く 日本橋~
   旧中山道を行く 日本橋~
   旧日光道中を行く 日本橋~
   旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
   旧甲州道中を行く 日本橋~

 ◆その他
   旧川越街道を行く 板橋~

 ◆九州
   旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
   旧長崎街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧唐津街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧中津街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧秋月街道を行く 小倉・常盤橋~
   旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
   旧日田往還(朝倉街道)を行く 筑前山家宿~



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旧日田往還(朝倉街道)を行く (久喜宮~天領・日田)

2021年10月24日 | 旧日田往還を行く
久喜宮宿を抜けると杷木の町です。




筑後川沿いを進みます。

この先で大分県へ。




夜明ダム

この付近の国道は歩道がないのでとても危険です。ゆっくりとガードレールに沿って進みます。

福沢農園販売店付近から山手側に旧道が分かれていきます。

急坂を上っていくと山道の旧道。ただ舗装されています。


  

雑木林を抜けると大分道に沿った道に。そこから急坂を下ります。

けっこうハードなコース、江戸時代の人にはつらかったと思われます。

下ってから大肥川を越えますが朝倉~日田間は数年前の水害により橋が流されていたり、護岸工事が多く行われていました。

この大肥川を越えて


 

小月橋。歌詠橋は大肥川に架かっていた橋のことのようですが上述のように流されてありません。

この先には萩尾キャンプ場があり、その先で難所をクリア。日田に向かって急坂を下っていきます。




林業の町、日田。材木市場には大量の木が。

下り切ったところでJR久大本線にあたります。

これに沿った道をまっすぐ行くと




花月川と御幸橋

橋を渡れば豆田の古い町並みが。後程歩きます。

ここを左に曲がると西国郡代(代官所)になります。




永山城址 上の方に石垣が見えます。








永山布政所跡(日田陣屋跡) 代官所の中心部ですね。

この先で永山城址のお堀となり、ここをゴールとしました。




永山城址の堀






月隈神社




豆田の町並み

クンチョウ酒造さん、お菓子の花月さんに立ち寄りました。

西鉄・紫駅~永山城址の堀まで47.5km、実走時間5時間5分で平均6分24秒/kmでした。


帰りは日田~久留米~博多とJRで。





CVSのコーヒーを飲みながら。夜明駅付近の筑後川とともに。



◆旧日田往還(朝倉街道)を行く
  2021年 10月 24日(日) 山家宿~甘木宿~比良松宿~久喜宮宿 ~天領・日田
  2021年11月20日(土) 博多旧市街~筑前山家宿



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
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   旧中山道を行く 日本橋~
   旧日光道中を行く 日本橋~
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   旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
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旧日田往還(朝倉街道)を行く (筑前山家宿~久喜宮宿)

2021年10月24日 | 旧日田往還を行く
旧薩摩街道(出水筋)を完了しましたので今回は旧日田往還・朝倉街道です。

日田往還とは江戸時代に博多、久留米、中津、熊本、別府の各地から日田に通じる街道の総称です。

天領地・日田に西国郡代が置かれていたことからこの地を中心に放射状に街道整備されたようですが

朝倉街道は当時唯一の海外交流地長崎とつながるため往来が多かったようです。




本日走ったコース


西鉄・紫駅から。駅横の踏切は旧長崎街道なので、旧長崎街道を通って筑前山家へ向かいました。


 

筑前山家の追分 旧長崎街道・旧薩摩街道を走った時には気づいていませんでしたが「日田街道」の表記もありますね。




石櫃の追分 直進が旧日田往還・朝倉街道。右折は旧薩摩街道。


 

追分石に刻まれている文字について 「右 肥後薩摩道 左 豊後秋月日田甘木道」






梨子木遺跡 今は田んぼです。




田園の中を行きます。端にはコスモス。




大地主だったのでしょうか。立派な門、家屋、蔵も建っていました。


 

旧道がほぼ残っていると言われる日田往還・朝倉街道なので庚申塚や猿田彦、道祖伸などの石がたくさん残っていました。

甘木宿はどのあたりだったのかな?旅籠とか残っている風ではないのでわかりづらいですね。

安長寺あたりでしょうか。

その先では「古賀茶屋」「一里塚」という交差点がありましたが特に何か残っているわけではなさそうでした。




比良松宿あたり。酒蔵さんは白壁ということもあって昔の雰囲気を醸し出してくれてます。


 





朝倉三連水車 堀川用水から水を上げていくために使用されています。

この時期は稼働していません。


 





恵蘇八幡宮 大鳥居と本殿など


 

木の丸殿跡






山田堰 下の写真の手前、堀川用水に取水しているところです。






筑後川に堰を設けることで土地の高い方へ水を引き入れています。




故・中村哲先生がアフガニスタンで用水路を作られていましたがこの堰が参考にされているようです。

近くに碑が建てられていました。


原鶴温泉近く、現在の国道から脇道に入っていきます。


 

大楠 この先が久喜宮宿になります。

雰囲気はありますが特に何も残っていませんでした。



◆旧日田往還(朝倉街道)を行く
  2021年 10月 24日(日) 山家宿~甘木宿~比良松宿~久喜宮宿 ~天領・日田
  2021年11月20日(土) 博多旧市街~筑前山家宿



『旧街道を行く』シリーズ
 ◆五街道
   旧東海道を行く 日本橋~
   旧中山道を行く 日本橋~
   旧日光道中を行く 日本橋~
   旧奥州道中を行く 宇都宮追分~
   旧甲州道中を行く 日本橋~

 ◆その他
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 ◆九州
   旧門司往還を行く 大里~小倉・常盤橋
   旧長崎街道を行く 小倉・常盤橋~
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   旧薩摩街道(出水筋)を行く 筑前山家宿~
   旧日田往還(朝倉街道)を行く 筑前山家宿~



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