(つづき)
今はなき「8番 荒江循環線」の時刻表の一部である。
ただ、日付の記載がなく、いつの時点のものなのかがわからない。
「8番」は、
【早良営業所~飯倉営業所~荒江四角~西新~明治通~天神~国体道路~六本松~荒江四角~飯倉営業所~早良営業所/さわら台団地】
というルートであり、「7番 鳥飼循環線」とともに誕生した。
画像の時刻表は、天神岩田屋前(現在の新天町入口)のものだが、岩田屋前から早良方面は「3番」とルートが重複している訳で、「8番」単独の時刻表を掲載しても誰も得しないと思われ、掲載の意図がいまいちわからない。
「8番」は晩年(たしか平成元年頃?)、内廻り(→荒江四角→六本松→天神→西新方面)を「8-1番」に変更した(一方、鳥飼循環線には「7-1番」はできなかった)。
ただ、この改番だと、早良~西新~天神を利用する人にとっては、上りが「8番」で下りが「8-1番」ということになってしまい(早良~六本松~天神を利用する人にとってはその逆)、かなりわかりづらかったようであまり定着しなかった。
“早良から西新に行くのも六本松に行くのもどっちも「8番」でわかりにくい!”という状況を改善したかったのは理解できるのだが、一般の利用者は循環運行していることをそこまで意識している訳ではないので、内廻りと外廻りで番号を分ける方法は成功とはいかなかったようだ。
行先表示がLED化された現在であれば、もう少しうまい方法を考えられたのかもしれない。
でも、考えてみれば「60番 桧原循環線」は、荒江循環線よりもずいぶん前にできて、かつ、荒江循環線よりも永く生き延びており、その間、内廻りと外廻りで番号を変えるなどということもなく安定していた訳で、このへんは「格」の違いなのかもしれない。
あり得ない話ではあるが、現在の「204番←→504番」「49番←→630番」などに、内廻りと外廻りで番号を分ける方法を導入したら「8番」の比ではない大混乱が起きそうである…。
「8番」のバス会社側にとっての意義は、都心部での折り返しスペースや折り返し時間を節約して、効率的な運用を行うことだったのだろう。
一方、利用者側にとっては、都心部から郊外に向かうバスに遅れが生じる可能性・確率が高くなる訳で、あまりメリットはなさそうだ。
ただ、意義を見出すとすれば、「赤坂門~天神~警固神社前(現在の天神警固神社三越前)」のような、「天神をまたぐカタチでの都心部内の移動(以下、TMIと呼ぶことにする)」が可能だったことではないだろうか。
現在、天神地区にこれだけ大量のバスが乗り入れているにもかかわらず、「TMI」が可能な方向は限られており、天神で一回降りて、乗り換えのために乗り場の間をかなり歩くということも多い。
「60番」が健在の頃(厳密には、その後を受けた「61番」西公園行きの廃止まで)は、「赤坂門~天神~渡辺通一丁目」という移動が可能であったし(←今も、片道だけなら一応「ぐりーん」はありますけどね)、「72番」の渡辺通一丁目行き、「34番」の福岡競艇場行きなどがあった頃は、天神より東側の昭和通り(蔵本方面)から天神の南北地区への移動ができた訳で、今と比較すれば「TMI」の選択肢がかなり多様だったといえる。
「TMI」の選択肢が増えることは、すなわち、天神地区の交差点でいろんな方向に曲がるバスが出てくることを意味するため、そのことが「さらなる渋滞の原因になる」という懸念や批判もあるだろう。
ただ、何事も「バランス」なので、現時点で過剰と思われるものを調整するなどして「TMI」を高めて、バスを都心部内の移動手段としてもっと有用なものとすることを検討する余地はあるのではないだろうか。
…と、ここまで書いてみたものの、やっぱり実際の渋滞の状況を鑑みると、かなり難しそうですかね…?
そういえば、「8番」の側面方向幕には、“一番左に「番号」があり、その横に縦書きの停留所名を「←」でつないだ通常のもの”でなく、“中央下部に「番号」があり、その周りを取り囲むように「↓」「←」「↑」で地名をつないだイレギュラーなもの”が一時期あったと思うのだが、覚えている方はいらっしゃいますか?
(つづく)
今はなき「8番 荒江循環線」の時刻表の一部である。
ただ、日付の記載がなく、いつの時点のものなのかがわからない。
「8番」は、
【早良営業所~飯倉営業所~荒江四角~西新~明治通~天神~国体道路~六本松~荒江四角~飯倉営業所~早良営業所/さわら台団地】
というルートであり、「7番 鳥飼循環線」とともに誕生した。
画像の時刻表は、天神岩田屋前(現在の新天町入口)のものだが、岩田屋前から早良方面は「3番」とルートが重複している訳で、「8番」単独の時刻表を掲載しても誰も得しないと思われ、掲載の意図がいまいちわからない。
「8番」は晩年(たしか平成元年頃?)、内廻り(→荒江四角→六本松→天神→西新方面)を「8-1番」に変更した(一方、鳥飼循環線には「7-1番」はできなかった)。
ただ、この改番だと、早良~西新~天神を利用する人にとっては、上りが「8番」で下りが「8-1番」ということになってしまい(早良~六本松~天神を利用する人にとってはその逆)、かなりわかりづらかったようであまり定着しなかった。
“早良から西新に行くのも六本松に行くのもどっちも「8番」でわかりにくい!”という状況を改善したかったのは理解できるのだが、一般の利用者は循環運行していることをそこまで意識している訳ではないので、内廻りと外廻りで番号を分ける方法は成功とはいかなかったようだ。
行先表示がLED化された現在であれば、もう少しうまい方法を考えられたのかもしれない。
でも、考えてみれば「60番 桧原循環線」は、荒江循環線よりもずいぶん前にできて、かつ、荒江循環線よりも永く生き延びており、その間、内廻りと外廻りで番号を変えるなどということもなく安定していた訳で、このへんは「格」の違いなのかもしれない。
あり得ない話ではあるが、現在の「204番←→504番」「49番←→630番」などに、内廻りと外廻りで番号を分ける方法を導入したら「8番」の比ではない大混乱が起きそうである…。
「8番」のバス会社側にとっての意義は、都心部での折り返しスペースや折り返し時間を節約して、効率的な運用を行うことだったのだろう。
一方、利用者側にとっては、都心部から郊外に向かうバスに遅れが生じる可能性・確率が高くなる訳で、あまりメリットはなさそうだ。
ただ、意義を見出すとすれば、「赤坂門~天神~警固神社前(現在の天神警固神社三越前)」のような、「天神をまたぐカタチでの都心部内の移動(以下、TMIと呼ぶことにする)」が可能だったことではないだろうか。
現在、天神地区にこれだけ大量のバスが乗り入れているにもかかわらず、「TMI」が可能な方向は限られており、天神で一回降りて、乗り換えのために乗り場の間をかなり歩くということも多い。
「60番」が健在の頃(厳密には、その後を受けた「61番」西公園行きの廃止まで)は、「赤坂門~天神~渡辺通一丁目」という移動が可能であったし(←今も、片道だけなら一応「ぐりーん」はありますけどね)、「72番」の渡辺通一丁目行き、「34番」の福岡競艇場行きなどがあった頃は、天神より東側の昭和通り(蔵本方面)から天神の南北地区への移動ができた訳で、今と比較すれば「TMI」の選択肢がかなり多様だったといえる。
「TMI」の選択肢が増えることは、すなわち、天神地区の交差点でいろんな方向に曲がるバスが出てくることを意味するため、そのことが「さらなる渋滞の原因になる」という懸念や批判もあるだろう。
ただ、何事も「バランス」なので、現時点で過剰と思われるものを調整するなどして「TMI」を高めて、バスを都心部内の移動手段としてもっと有用なものとすることを検討する余地はあるのではないだろうか。
…と、ここまで書いてみたものの、やっぱり実際の渋滞の状況を鑑みると、かなり難しそうですかね…?
そういえば、「8番」の側面方向幕には、“一番左に「番号」があり、その横に縦書きの停留所名を「←」でつないだ通常のもの”でなく、“中央下部に「番号」があり、その周りを取り囲むように「↓」「←」「↑」で地名をつないだイレギュラーなもの”が一時期あったと思うのだが、覚えている方はいらっしゃいますか?
(つづく)
以前、城南循環線という路線(86だったか87だったか)があったような気がします。天神から一丁目、六本松、西新、西公園、赤坂門と循環していたと思います。この路線ができた時には、意表を衝かれたというか、常識を覆すというような驚きを覚えました。何故かというと、天神で西方向から南へ曲がる、さらに西新で今川橋側から城西橋側へ曲がるという走行をするからです。天神での異端走行は60番(桧原循環)がありましたので、仲間が増えた程度の感触でしたが、西新の走行は「ありえない走行」と思ったものです。
たしか、新幹線高架下に道路が整備されて弥永団地から大橋を通って天神まで行く路線ができた時にも(49番だったかな)、天神が終点でなく、西へ曲がって、西公園だか、西新まで行ったように思いますが、おぼろげな記憶です。これも実に新鮮な印象を受けました。
思うに、福岡の中心部の公共交通の走行は、昭和の終わり頃までは、市電の走行を引き継いでおり、西鉄だけでなく、市民にもその「常識」が浸透していたのではないでしょうか。西新での城南循環線の走行を「ありえない走行」と感じたのは、そういう下地のせいかもしれません。
ただ、天神の東側と南側を結ぶ線は、市電時代から当然の走行であり、市電廃止後も同じ番号を引き継いだ20番が長く走っていましたが、もう無いのでしょうか?
市電時代の20番は、1番と並んで、最も利用客の多い頻発路線でした。天神-東中洲-呉服町、という区間がビジネス、娯楽全ての面での(ほぼ唯一の)中心でしたので、どこからでも行けるように線路が敷かれたのでしょう。
今運行するとしたら、西新経由・赤坂門あたりまで[3]天神方面行き、その先[200]に変更して国体道路・早良(営)行きというふうにあっさり片づけられるかもしれませんね。
そもそも、初めからそうしておけばよかった気もします。どうせ途中で方向幕を回すのだから。
城南循環線については2006年6月15日、飯倉まで行っていた頃の49番については2008年6月6日、また、「西新で今川橋側から城西橋側へ曲がる」路線の先輩である6番については2008年5月19日にそれぞれ取り上げていますので、お時間があるときにご覧になってください。
6番は、かつては西新交差点ではなく、その東側の狭い道を通って城南線と貫線をつないでいたということなので、当時を知る方にとっては「西新で今川橋側から城西橋側へ曲がる」というイメージがないのかもしれませんね。
なお、20番については残念ながら少し前に廃止されています。
2005年の10月5日と6日に記事にしていますので、こちらもご参照ください。
Sawara-Catさん、こんにちは。
私も早良街道沿線に住んでいましたが、8番はやはりわかりにくかったですね。
>今運行するとしたら、西新経由・赤坂門あたりまで[3]天神方面行き、その先[200]に変更して国体道路・早良(営)行きというふうにあっさり片づけられるかもしれませんね。
>そもそも、初めからそうしておけばよかった気もします。どうせ途中で方向幕を回すのだから。
確かにそうですよね。
でもかつては、「途中で番号を変える」ということに全体的に結構抵抗があった感もありますね(福博循環などでは変える例がありましたが)。
幕を途中で変える地点も、運転手さんによってバラつきがあったりして、そういうのもネックだったのかもしれません。
“中央下部に「番号」があり、その周りを取り囲むように「↓」「←」「↑」で地名をつないだイレギュラーな方向幕”ですが、僕は14番の飯倉発着系統で見たことがあります。“幕”のスペースも少し大きかったような記憶があります。
“幕”や“行き先番号”は、現在のかたちになるまで試行錯誤していた営業所がいくつかあったようですね。
204番で、青地に行き先と番号が白抜きのものを見たことがあります。
また、1980年代前半の200番台のバスは、行き先番号の書体が奇妙な形状だったことを覚えているのですが、どんなかたちだったかうろ覚えです。
コメントありがとうございます。
>“中央下部に「番号」があり、その周りを取り囲むように「↓」「←」「↑」で地名をつないだイレギュラーな方向幕”ですが、僕は14番の飯倉発着系統で見たことがあります。
たしかに。
私も14番でも見た気がしました。
でも、すべてという訳ではなく一部のバスだった気がします。
あくまで「試作」だったのでしょうか…。
>204番で、青地に行き先と番号が白抜きのものを見たことがあります。
それは、2008年6月10日の記事で書いた全面方面色の幕でしょうか、それともまた違うやつでしょうか。
204番といえば一時期、後方幕を、番号も表示せずに「六本松・天神」などと、超簡略化していたことを思い出しました。
>また、1980年代前半の200番台のバスは、行き先番号の書体が奇妙な形状だったことを覚えているのですが、どんなかたちだったかうろ覚えです。
丸の中に3桁の数字を入れるのですが、なかなか収まりきれないので百の位の「2」を小さく表記していましたよね。
丸から四角に代わり、面積が増えたことで、数字もずいぶん見やすくなりましたね。
今後とも、よろしくお願いします。
こんにちは。
>2008年6月10日の記事で書いた全面方面色の幕でしょうか、それともまた違うやつでしょうか。
そうです、それでした。
都心向けの幕は、背景にグレーがかかってて、なんか妙な感じのする幕でしたね。
いつの間にかなくなっていて、拍子抜けした記憶があります。
>204番といえば一時期、後方幕を、番号も表示せずに「六本松・天神」などと、超簡略化していたことを思い出しました。
ありましたね。205の宮の前団地行きが、「六本松・宮の前」となっていて、「どこ?」と思ったりしました。
>都心向けの幕は、背景にグレーがかかってて、なんか妙な感じのする幕でしたね。
>いつの間にかなくなっていて、拍子抜けした記憶があります。
数年間だけの幻の表示でしたね。
当時は、なんだか「近未来」を予感させるような?どこか不思議な感覚を持って見ていました。
>ありましたね。205の宮の前団地行きが、「六本松・宮の前」となっていて、「どこ?」と思ったりしました。
この考え方は、長い年月を経て、現在の後方LEDに受け継がれているといえるかもしれませんね。
僕も賛成です。
もちろん渋滞対策(特に右折)も重要ですので、本数を1時間に4~5本までに抑えるとか。
赤坂門~天神~渡辺通1丁目は需要ありそうですよね。
>もちろん渋滞対策(特に右折)も重要ですので、本数を1時間に4~5本までに抑えるとか。
>赤坂門~天神~渡辺通1丁目は需要ありそうですよね。
赤坂門~天神~渡辺通一丁目は、個人的にも復活してほしいルートです。
でも、天神地区のような交通量が多いところでは、西鉄の一存では決められず、警察の指導などもあったりするのかもしれませんね。