菩薩の誓願

2010年01月02日 | 歴史教育

 飛騨という言葉には、魅力的な響きがあり、行きたいと思いながら、機会がなかった。

 ようやく昨年秋、思い立って取材と充電をかね、妻と二人で高山に行った。高山を選んだのは、飛騨国国分寺が残っていることも理由の一つである。

 空に関する自分の理解が正しいかどうかを確かめたくて、2006年から般若経典をいろいろ読んでいたのだが、不遜な言い方をするととても面白くて止まらず、2007年の正月にはとうとう『大般若経』六百巻を全部読もうという気になった。こんなやたらに長いお経をちゃんと読もうという気になるなど、まさに夢にも思っていなかった。

 毎日少しずつ読み、3年かけて昨年11月末ようやく終えたが、読めば読むほど、『大般若経』における菩薩という理想の美しさ、その深い意味がわかってきて、読み終えてしまうのが惜しいような気さえした。

 わかってくるにつれ、その具象化としての書写や大般若会そして国分寺の創建などもただの空虚な形式ではないと思うようになってきた。

 改めて学んでみると、大般若経を書写させたこと、大般若会を始めたこと、そして総国分寺としての東大寺の創建、諸国の国分寺の創建などなどはみな、聖武天皇が大乗仏教の説く智慧と慈悲を基礎に国づくりをしたいと願ったことの表われと解釈できるようである。

 今、国分寺も大般若経も大般若会も形としては残ってはいるし、まさにこの年越し―新年、行事として大般若会を行なっていた寺院も少なくないようだが、意味が忘れられていることが多いように思える。そして、意味がわかってくればくるほど、それは日本人にとってとても不幸なことだと思うようになった。

 しかし、「形骸化」などというネガティブな言い方はしない。たとえ意味が忘れられかけていても、形が残っているということは幸いなことだ。残っていればこそ、再発見することも再理解することも可能なのだから。

 私の理解では、聖武天皇は仏教の精神を日本全国に行き渡らせることによって、日本を平和で美しい国にしたいと願ったのだ。それは聖徳太子の志の継承でもある。

 もちろん古代の人だから、そこには、現代人から見ると呪術的な信仰もあっただろうし、御利益信仰もあっただろう。しかしそれだけではなく、続日本紀を読むと、聖武天皇や光明皇后、孝謙天皇などは仏教の思想についてかなり深い理解ももっていたようである。

 そうした理解と日本を平和で美しい国にしたいという深い思いが具象化したのが、大般若経の書写であり、大般若会であり、国分寺である、と思って見ると、それらがいっそう美しく見えてくる。

 飛騨国分寺の現在の建物は、昭和になってから再建されたものだそうが、三重の塔など、最近のものとは思えない古びた風格のある清々しい姿で立っていた。

 境内に残っている大きな銀杏の木は、樹齢千数百年のものだというから、創建当時に植えられたものだろうか。みごとな大きさでありながら、樹勢が盛んで、晩秋なのにとても若々しく瑞々しく繁っていて、木の下に立つと、抱かれ包まれているような感だった。

 その下で、お寺の奥さんが心を込めて落ち葉を掃いておられたのが印象的だった。

 




 本尊の薬師如来や円空作の弁財天なども拝観させていただき、すがすがしい気分で門を出ると、門前に円空彫りの店があったので、入ってみると、ただのレプリカとは思えない、なかなかいいものがあった。

 あれこれと見ているうちに、笑顔の薬師さまに会った。これまでのご縁からすると観音さまのようにも思ったのだが、なぜか今回は「このお薬師さまを家にお迎えしよう」という気になって、買い求めた。

 家に帰ってお祀りしてから、これもご縁だと思って、まだ読んでいなかった『薬師経』、正式には『薬師瑠璃光如来本願功徳経』を読んでみた。

 そこには、薬師如来がまだ菩薩であった時に立てた「十二大願」が記されていて、薬師信仰の意味がわかったような気がした。ここでも、言うまでもないが大乗仏教の目指すものは「智慧と慈悲」なのである。

 例えば第三大願は「私が来世に覚りを得た時には、量りしれず極みのない智慧の方便をもって、心ある生きもの(有情)が必要とするものを限りなく得られ、生きとし生けるものが貧しく足りないことがないようにする、と誓願する」というものである。

 また第七大願は「私が来世に覚りを得た時には、もし心ある生きものがもろもろの病に苦しめられ、救いがなく、頼るものがなく、医者がおらず、薬がなく、親がなく、家がなく、貧窮して苦しみが多かったら、私の名号とお経を耳にしただけで、もろもろの病はことごとく除かれ、身心が安楽になり、家や必要なものがことごとく豊かに足りて、その上でこの上ない覚りを得られるようにする、と誓願する」というものである。






 今の我々にとって、「薬師信仰」とは、そうした薬師如来の本願の功徳にすがりあずかろうとするだけでなく(もちろんそれも悪くはないが)、薬師如来が菩薩であった頃の本願を菩薩たりたいと思っている自分自身の願とすることでもなければならない、と思う。

 まだ本格的なものを買っていないのだが、我が家の仏壇的スペースの中央に、そのお薬師さまが本尊風にお立ちになっていらっしゃる。朝夕に手を合わせると、清々しい気持ちになれるのはありがたいことである。

 今年も、文字通り及ばずながらとはいえ微力は無力ではないので、四弘誓願を自らの願として過ごしたいと思っている。


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