あの 小栗上野介(忠順) が信州小布施村とつながりがあった!
それを知ったのは
偶然立ち寄った小栗終焉の地、上州権田村(高崎市倉渕町権田)の東善寺で、です
帰ってからネットで調べてみると
東善寺の村上泰賢住職は講演で ↓ 次のように述べていました
(「平成13年度群馬県医師会定時総会特別講演会」・群馬県医師会報より)
大変貴重な話ですので、その部分を紹介させていただきます
「・・・さてその高井鴻山が幕末に松代藩に出したの提案書がございます。「最近外国との貿易が盛んになって、日本の物産で好まれるものが多い。ついては幕府の船、官船を借りうけ新潟の港を使って船会社を起こし、新潟の財力と信州の人材で、‥・ちょっとここのところは新潟の人が怒り出しそうですが(笑)、‥・船会社を設立してこの地域の物産を売れば外国人に売れる。そうすれば地域の物産振興につながるし、ひいては国民利福の道へつながるからぜひつくりたい。このやりかたは小栗上野介から示唆を受けた」とはっきり書いてあります」
接点は小布施が生んだ偉人・高井(市村)鴻山でした
鴻山は小栗の先進的な国家建設に共鳴していたのですね
残念ながら
「・・・ただしこの船会社は明治維新によって徳川慶喜が引っ込んでしまったので、小栗上野介は勘定奉行を免職となって、権田へ引き上げてしまったから実現を見ないままに終わって、幻の船会社になってしまいました」
・・・が
小布施の岩松院にある高井鴻山顕彰碑には小栗の名前がでているそうです
「新潟の港を使って船会社を起こし・・・」には驚きました
で
先日、小栗と鴻山のつながりを小布施町に訪ねてみました
まずは生誕地・・・
市村酒造場の一角に 井鴻山記念館 があります
隣りにある翛然楼・・・
鴻山の祖父が建てた隠居所で、時勢を反映し地下の抜け穴に通じるからくりがありました
この部屋には佐久間象山も頻繁に訪れていたそうです
あの時代の息遣いが感じられますね
が
ここにはそれらしいものは展示されていません
次は岩松院の顕彰碑・・・
その解説文をみれば勘定奉行小栗上野介と鴻山の幕府献金については触れられていますが、提案書についての記載はありません
せめて井鴻山記念館には小栗とのつながりや、「新潟の港を使って船会社を起こし・・・」の提案書についての解説や展示がほしいですね
ところで、岩松院には葛飾北斎が描いたとされる鳳凰の天井絵や福島正則公の霊廟があり何度も訪れています
しかし
小栗と鴻山のつながりについてはまったくの初耳・・・
自分的には新しい発見でした
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それはともかく、小栗の盟友「栗本鋤雲」の関係史跡ある函館(戊辰戦の最終地、何も知らない若い時に一度仕事の関係で寄っただけ)行も考えてたので、そちらに大幅な時間を作って優先しようかな、とも考えます。
それから、村上住職は映画『杉原千畝』のチェリン・グラック監督が9年前の寺を訪れ「小栗映画」の構想を考えていると言ったそうですが、早く実現してもらいたい!が残り少ない我が人生の望みです。