津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■ハロウィーン満月

2020-10-31 16:24:01 | 徒然

 今日はブルームーン、ひと月に満月が二度あるときの、二度目の満月をブルームーンというが、今日がギリギリ日が変わる直前(23:50頃)に10月二度目の満月となる。
そして一番小さな満月となる。(一番距離が遠い)

今朝の「サワコの朝」には、気象予報士の森田正光氏と森朗氏(気象予報会社「ウェザーマップ」の会長と社長)が出演されて、誠に面白いで御三方の会話を楽しんだが、今日は大変貴重な「ハロウィーン」と「ブルームーン」重なる日だという。
再び重なるのは38年後(?)だとの事だった。

 一方コロナ禍の中、今年のハロウィーンの大騒ぎはどうなる事やら、まだまだ憂さ晴らしに騒ぐにはコロナの危険は潜んでいる。
ハロウィーン等というものは、まだ歴史はそこそこ2~30年ほどであろうが、その経済効果は素晴らしいものがあるらしいく、渋谷の大騒ぎなどは大迷惑だろうが、受け入れざるを得ない現状がある。
日本人は何でもかんでも商売につなげて受け入れて「日本流」を完成させてしまうから、そのエネルギーには驚嘆する。
熊本でも上通り・下通りのアーケード街を若者たちが思い思いの仮想で歩き回っていたが、今年はいかがだろうか。

 爺様はそれよりも今日のブルームーンが気になっている。今日は良い天気だから見事な満月が見られるだろうと思う。
朝の散歩に出たときに、ススキが数本あるのを見つけたが、頂戴するには少々躊躇してしまった。
日が変わるころまでは起きていそうにないから、就寝前にお月見をして床にはいることにしよう。

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■細川小倉藩(391)寛永六年・日帳(卯月六~七日)

2020-10-31 06:10:00 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)六~七日

         |       
         |     (四月)六日  安東九兵衛
         |
三斎の眼薬幷口中 |一、江戸ゟ参候御目薬・御口中之御薬、中津へ持せ差上候処、御返書はあなたゟ便御座候間、被遣と
ノ薬ヲ届ク    |  の儀、中津御奉行衆より申来候事、
鷹師巣鷹購入ニ中 |一、渡辺三十郎登城にて被申候は、中国ニ巣鷹参候由申来、私参候へと、御年寄衆被仰候ニ付、明日
国へ       |  中国へわたり申候間、御鷹持候もの両人、被仰付候而可被下候通被申候、則両人申付候也、
田川郡新開ノ築堤 |一、山川惣右衛門・杉山藤兵衛・国友儀左衛門、田川郡新開之土手昨日迄ニ百日ほとニ仕廻、罷帰申
百日ニテ完成   |  候、仕様も、少人を遣、御見せ被成可被下候、堤ノ内田数拾壱町程有之由、御百生共申候、今
堤内ニ田十一町  |  度新二出来申候分七町御座候、永荒四町ともニ、右之分有之由、申候事申候事、
新田七町永荒四町 |                               〃〃〃
延人数五千六百人 |  (欄外追記)
ヲ要ス      | 「人数五千六百人入申由、被申候事」
鷹購入ニツキ鷹居 |一、式ア少殿ゟ、御使にて被仰越シ候ハ、明日中国へ御鷹すへニ被参候渡辺三十郎ニ付被遣者、能々
ヘノ注意     |               〃
         |   (ママ)               
         |  被仰可然由被仰越候事、得其意存候、則はや申付候通、返事申候事、
松井興長借米ノ払 |一、式ア殿ゟ、井上弥次右衛門を以被仰越候ハ、我等手前去年分御借米之払残七百石余御座候、式ア
残七百石余ヲ払ハ |  内の借米奉行払申度由申、めいわくかり候間、払方被仰付可被下由被仰候、則深野二郎右衛門
ントス      |  同前ニ承候、得其意存候通、御返事申候事、
材木奉行材木ノ蔵 |一、御材木奉行井上長助・守田又兵衛よび、頓而御材木ノ御蔵返し可申付候間、日限ヲ定、切手ノさ
返        |  わけ被仕置候へと申渡候、扨御材木払申時ハ、壱人つゝ被出、よこめを此方ゟ付、払候様ニ可申
         |  付■通申候事、

         |       
         |     (四月)七日  石本三介
         |
しない竹二百本  |一、田川ゟ御しない竹六十五本参候、両三度ニ弐百本の都合、古庄次左衛門ニ請取せ申候事、則次左
竹ヲ矯メシム   |  衛門ニいそきためさせ候へと、申渡候事、
         |       (沢村吉重)
         |一、大学殿ゟ、喜兵衛を以被仰越候ハ、昨日七左衛門を被召出、段々様具ニ承届、其上御算用仕出候
算用帳ニ合点行カ |  帳御見せ被成候、見届申候帳之内ニ、少つゝ合点不参所御座候間、ハな打御下候刻、御算用方ノ
ザル所アリ    |  御奉行衆大学所へ被立候ハヽ、談合申度候間、此通被仰聞カ被下由被仰候、得其意存候、則申
         |  渡、晩ニそれへ可進候通申事、
金山ノ蔵子ヲ任命 |一、御金山御蔵子、御長柄之内五郎左衛門尉と申もの申付候事、
蔵奉行相役病気中 |一、山本弥兵衛登城にて被申候は、星出市左衛門尉煩も然々と無御座候、左様ニ御座候ハヽ、御蔵殊
ノ跡役任命ヲ乞ウ |  外閙敷御座候而、私壱人にてハ手つかへ申候間、相奉行早々被仰付候而被下候様ニと被申候也、
走戻リシ加子ノ親 |一、かゝみ善右衛門申候は、今度走戻り申候御加子長二郎おや籠者被仰付置候間、御年寄衆御相談を
入牢       |  以、御上ヶ候様にとの儀被申候也、
         |  (細川孝之)
         |一、休斎様ゟ被仰下候は、 殿様へ御状を被進度事御座候間、はやき便宜誤差候は、早々申上候様ニ
         |  と被仰下候、奉得其意由、申上候事、

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■街角風景「落ち銀杏のある風景」

2020-10-30 18:09:10 | 熊本

                                                天匂ふ 落ぎんなんをふたつ踏み   秋元不死男

                                     

 熊本にはイチョウの木が多いように思う。熊本城は「銀杏城」と呼ばれるし、城内にも多くのイチョウの木が多い。
熊本県庁の正面プロムナードは、肥後54万石を表す54本のイチョウの木が植えられており、そろそろまっ黄色になり夜間は照明で照らし出されることになる。

そろそろ刑部邸の前なども見事な景色が見られるだろう。
私の散歩コース、東郵便局ー東部市民センターー健軍神社には街路樹として沢山植えられていて、所によっては写真のごとく、御近所の方のお世話で落ちた実が佩き寄せられている。
なんとも匂いが臭く、急ぎ足で通り過ぎなくてはならない。かっては拾っていく人も見られたが、最近ではあまり見受けられない。

私は焼銀杏が大好きで、殻を剥いだきれいな緑色の実の香ばしい香り、そして少々の苦みと塩気が晩酌のつまみに最高である。
しばらく食べていないが、又出かけて少々拾ってこようかしら。よろしければ「どうぞお持ち帰りください」

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■米田家の御祝いと久万引

2020-10-30 09:31:44 | 徒然

 現在、米田監物(是容)女・豊の沼田家(勘解由・延裕)への輿入れについての文書を読んでいる。
三卿家老家の姫様の結納・婚礼だから手続きがものすごい、当然大身の家同志の縁組だから藩主の了解が必要である。
この慶事は安政三年、是容にとっては家老をやめ藩政から退いて9年、実学党においては横井小楠と決別したまさに四面楚歌の時期である。
そんな中かっての同僚、家老有吉頼母を使者に頼み、藩主齊護の許可を得ている。

江戸の藩主夫人や在熊の藩主子弟、政敵・松井佐渡、其の他多くの人々にその旨の報告の書状を発している。

結納にあたってはその中の一つに、奉書に「久万引 一折」とある。
「くまびき」と読み、これは地元では「万引=まんびき」として知られるが、「鱪=しいら」のことである。「鬼頭魚」とも表記するようだが、でかい頭が特徴である。

これが祝い事に使われるということは知らなかった。
どうやら米田邸には数十尾の「万引」が収められたように思える。
            
            シイラ (マヒマヒ) | 市場魚貝類図鑑

この時豊姫は15歳、婿殿沼田延裕は是容の期待通り、後には家老職につくことになる。
長い失意の中にある是容にとっては、愛娘の祝儀は心の安らぎであったろう。
その三年後是容は采邑八代で死去した。47歳という若さである。家督を譲ることもせずの生涯は、己の信念を貫徹させようとする是容の矜持でもあったろうか。

二代是季やこの是容といった人物を見るとき、「物いう米田家」という感じを強くするが、私一人だろうか。
実学派の政府誕生までは、まだ10年余の時間を必要とすることになる。

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■細川小倉藩(390)寛永六年・日帳(卯月五日)

2020-10-30 06:41:13 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)五日

         |       
         |     (四月)五日  石本三介
         |
忠利牡丹ノ実ヲ植 |一、上林甚助呼、江戸ゟ被仰下候、ほたんの実取、植させ候へと、被仰下候間、自分ぬけさる様ニ植
へシム      |  可被申候、なく候ハヽ、御家中ニてもらひ、うへ可申旨 御意之通、書付渡申候、
牡丹ノ種ヲ小壺ニ |一、甚助被申候ハ、ちいさき壺壱つ御詰被成候而、江戸へ御下被成可然存候由、被申候、得其意候由
詰ム       |  申事、
         |   阿片(熊本大学永青文庫センター編「永青文庫の古文書」p120~「上田太郎右衛門によるアヘンの製造と葡萄酒」後藤典子氏)
あひん制作ニ浅葱 |一、あひん御誘被成御用ニ、浅黄椀拾人前入申候間、上林甚助ニ可有御渡遣候、そこね申儀にてハ無
椀ヲ求ム     |  之由、住江甚兵衛所へ切帋遣事、                〃
         |
家屋敷ヲ望ムモ鬮 |一、田辺角介・菅八左衛門登城にて、角介申候ハ、八左衛門儀今迄家ヲ持不申候、先度もくじ取仕
ニ当ラズ     |  候へ共、取当り不申候、左様ニ御座候ヘハ、今度江戸にて果申蒲生猪左衛門家と、谷下総下屋敷
家奉行ニ厚相スル |  ニも家御座候間、いつれ成共壱軒被下候様ニと被申候、尤にて候、左様ノ儀ハ御家奉行へ被仰候
ヲ指示ス     |  ハヽ、家奉行ヨリ可被申候間、家奉行衆へ被申候へと、申渡候事、
家中用ノ茶壷ハ舟 |一、式ア少輔殿ゟ、御使者にて被仰下候ハ、家中の茶壷御舟にて上り申候、来十日ニ出船仕候間、可
ニテ上ス     |  被得其意旨申触候間、御舟之儀可被仰付之由被仰下候、得其意存候通申候事、
遠州灘難破ノ船頭 |一、今度遠州灘にて、破損仕候御舟之船頭林六右衛門走り申候ニ付、彼女房籠者被仰付候、六右衛門
         |                       
走ルニ付女房入牢 |  養娘壱人御座候、是物当町新や與左衛門尉預り籠申候、六右衛門養のせかれ壱人四つニ成申
養娘ハ町預リトス |  
養娘ノ子四才ノ処 |  候、是者おば所ニ居申候間、是もおやこ壱つニ召置候而可然之由候間、新や與左衛門預り候へは
置        |
         |  と先日ご家老衆にて相談合仕候、御家老衆差図にて候間、
早々與左衛門預り、母と一所ニ置候
         |  へと可被申付之由、吉田縫殿ニ申渡、其分ニ仕置候処ニ、又今日吉田縫殿新や與左衛門同道にて
町人新や与左衛門 |  登城被仕候而、被申候は、先日預り可申と申候もの、預り可申と申候へとも、是は奉公人かた
町預ヶヲ拒ム   |  の者を町ゟあつかり申儀も如何にて候間、母ともニ上ヶ可申由、縫殿取次にて申候、此方ゟ申候
         |  は、以外先日之段々相違仕候、ひとたび御年寄衆御相談の上ニ而、預り申候ニ仕候而、又左様の申
         |                         (ママ)            (木下延俊)
木下延俊ノ宿主  |  分、ひとへにうへをかろしめたる様にて候、以来を能心得候へ、其方なとハ右衛門殿御やと、又
殿様モ御存知ノ仁 |  は、殿様も御存知の仁にて候ニ、其方なとゟか様ニかたきりたる事を申候ヘハ、わき/\の町人
         |  なとも、縫殿申付候事かろく可存候、沙汰のかきりなる申様にて候、其上彼せかれ其方造作ニな
         |               
         |  るほとのものにても無之候、〇四つニ成候ものゝ儀にて候間、如何様ニ仕候而めしおき候とも、
         |               つかり
         |  事やすき事かと存候、弥々あ■■申間敷と存候ハヽ、又々御家中老中へ申、その上にて御年寄衆被
         |                              〃
         |  仰次第ニ可仕申候ヘハ、それまても無御座候、御奉行衆右ノ御意にて候間、早々與左衛門預り
町預ヲ承服ス   |  候へと縫殿被申候、與左衛門も御意次第ニ可仕と申候而、其通ニ定候也、
         |一、山村三丞、今程御算用之すきにて御座候間、在所へ参度由申候間、参候へと申渡候事、
         |            (頭脱)                       (野脱)
           
家中茶壷ノ回漕  |一、家中茶壷積上り候船上原久右衛門・袖九右衛門尉両人也、但、九右衛門舟一艘ニ弐人上ス、
         |   (正次)
         |一、嶋又左衛門、大坂ゟ被罷下候時、舟壱艘かり乗被下候、其様子、寺嶋主水方ゟ被申下候状、中神
         |  與兵衛ニ渡也、

 

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■お安く読む「戦国の忍び」

2020-10-29 17:33:12 | 書籍・読書

 小倉藩時代の細川家の「侍帳」には、まぎれもなく六人の「忍之者」の名前が上げられている。
出身が伊賀でも甲賀でもない人が、先祖附に「忍の者」と書かれている人もあって、これはどうしたことかと驚きこともある。
最近では研究が進み「忍び者」の存在感がいやまして、非常に今日も深い。3時間完読にはもってこいだと思い注文した。

                      

内容(「BOOK」データベースより)

戦国合戦の概念が変わる!これまでフィクションの中でしか語られなかった戦国期の忍者。しかし、史料に残されていた、忍びにまつわる記述を丹念に読み解くことで、驚きの実態が明らかとなった。見えてきたのは、夜の戦場で活躍する忍びの姿と、昼夜を分かたずに展開される熾烈な攻防戦だった。武田氏・真田氏の第一人者が、戦国史研究に新たな視点を投じる。

著者について

●平山 優:1964年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編さん室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹を経て、山梨県立中央高等学校教諭。2016年放送の大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当。著書に、『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』『武田氏滅亡』『戦国大名と国衆』(角川選書)、『天正壬午の乱 増補改訂版』(戎光祥出版)、『真田三代』『真田信之 父の知略に勝った決断力』(ともにPHP新書)などがある。
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■細川小倉藩(389)寛永六年・日帳(卯月四日)

2020-10-29 07:25:59 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)四日

         |       
         |     (四月)四日  安東九兵衛
         |

江戸大廻船三十艘 |一、大廻りニ三拾艘御上せ候内、遠州灘にて、右之内壱艘破損仕候、其舟之船頭・加子不残走り申候
内一艘遠州灘ニテ |                          (長門、豊浦郡)(規矩郡)
破損  船頭加子 |  処、其内にて加子長次郎・加右衛門両人走り戻り申候、下之関ゟ大裏ニわたり、其所の庄や召
残ラズ走ル    |    (平井)       (鏡)
加子二人戻ル   |  連、五郎兵衛所へ参候、かゝみ善右衛門存之内にて候故、五郎兵衛所ゟかゝみ善右衛門尉申届申
走戻リタル物故ニ |  候処ニ、右ノ加子両人ニ、善右衛門縄をかけ候而置申候由申候、此方ゟ申候は、走り戻り申たる
船手惣奉行ノ掛ケ |  ものゝ儀にて候間、なわをとき候而、めしをき候へ之由申渡候、左候而、加子両人の手前ゟ、は
シ縄ヲ解シム   |  しりもとりたるしかたの書物、被取置候へ之由、申わたし候也、
         |
初メテノ登城ニ本 |一、大橋惣右衛門尉むすこ、山添彦兵衛召連参候、初而爰元罷出候、左様ニ御座候ヘハ、御本丸見物
丸見物ヲ願ウモ許 |  仕度之由申候、如何可仕やと彦兵衛被申候ニ付、無用之由申渡候也、
サズ       |
         |                         (烏丸光賢室)
島正次烏丸万方祝 |一、嶋又左衛門尉方夜前罷下候よしにて、登城被仕候、 御万様へ御祝儀の御使しまひ、一段首尾よ
儀ノ使者ヨリ帰ル |  く相調申候よし被申候也、
         |  追記
小袖給与サル   |  「御万様ゟ御小袖一重拝領申由、被申候事」
江戸ヨリノ飛脚ノ |一、江戸ゟ、御飛脚谷忠兵衛与飯田七左衛門罷下候事、江戸を三月廿三日に出、同晦日ニ大坂へ着、
旅程       |  則出船仕、今日小倉着申候事、
江戸ヨリノ書状  |  一、御年寄衆三人へ之 御書箱壱つ、右之七左衛門持参、
         |                            (吉重)
         |  一、修理・兵庫ニ 御書箱壱つ、内ニいよ殿へ之 御書・沢村大学殿へ 御書・佐藤将監ヘノ
         |    御書参候事、
         |  一、いよ殿へ、松井少吉ゟ状壱包参事、
         |
         |  一、きくノ伊折やとへ、いおりの状壱包、これハ林隠岐ニ可被渡申由、黒瀬九郎右衛門ニ渡事、
三斎への眼薬   |  一、三斎様へ被進候御目薬、幷 御書箱壱つ参候事、御飛脚両人ニ持せ、中津へ差上申候事、
         |                      大学内
請取       |  一、沢村大学ニ被成下 御書慥ニ請取申候、 谷口助兵衛(花押)
         |  一、佐藤将監へ被遣 御書、高波権平ニ持せ遣事、
         |  一、いよ殿へ 御書壱つ・松井少吉ゟいよ殿への状壱つ包、くろせ九郎右衛門ニ渡候事、
         |                          〃
大橋ノ柱ヲ包ムニ |一、河田八右衛門・矢野勘右衛門ゟ、使にて被申越候ハ、大橋ノ柱包申ニ、松やに壱石御座候、柱六
三本ニ付松脂一石 |  本包ニ三本分御座候、〆壱石無御座候ヘハ、又三本つゝミ申ほと無御座候間、いま壱石急ニ入申
ヲ要ス      |  ニ付、松本彦進ニ申候ヘハ、当町尋候而、弐升か三升ほと外有間敷候由被申候、左候ハヽ、上方
更ニ一石ヲ求ム  |  へかいニ被遣候とも、急ニハ下り申間敷候間、御郡中へ被仰付、急度壱石ほと参候様ニ、被仰付
         |  加被下由被申候、又残柱もかへ申候ハヽ、弐三石も松やに入可申候間、上方へ便御座候ハヽ、御
         |  買下候様ニと被申越候、心得申候、面談可申通申遣事、
走加子ノ女房ヲ抑 |一、今度走り申御加子六助女房、前かとこうとうの坊遣申ものにて候故、こうとうの坊むすめ吉田彦
へ預リ先ヲ求ム  |  右衛門妙坊にて候故、彼むすめニ■六助女房預り被申候哉と、古庄次左衛門・足立與兵衛を彦右
         |  衛門所へ尋ニ遣候処ニ、彦右衛門女房被申候ハ、■尤前かと遣申ものにて御座候へとも、今度の
親ハ町人故女房ヲ |  せんさく御座候ニ付、おやかたへ返し申由候間、おやハ町のものニて候ゆへ、吉田縫殿へ右両人
町牢ニ入ラシム  |  を以申入候ヘハ、得其意申候、請人立させ可申哉、籠ニ入可申哉と被申候間、籠ニ御入置可然
         |  由、返事申候事、
いよ忠利ヘノ帷子 |一、殿様御召帷子五つ入ノ箱壱つ、いよ殿ゟ御上ヶ候、式ア殿ゟ、明日江戸へ人御下候使ニ、言伝下
ヲ言伝ス     |  申候事、


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■体力ナシ

2020-10-28 16:50:15 | 徒然

 県立図書館に返却日を越した本を返しに自転車出かける。
体調があまり良くないが、そろそろ催促電話がかかってきそうな感じで、おして出かけた。
行はなだらかな下り坂、快調に飛ばしていたら「マスク」を持たずに来たことに気づきコンビニに立ち寄る。
以前やはり図書館に出かけるのに同様のミスで「マスク」を買いに入った店だが、当時は全くなくて図書館行をあきらめたが、今は品数も潤沢である。
手の消毒・検温・アンケートの記入をして入館、まずは本を返却して、三階の郷土コーナーで数件の調べ物成果なし。
「くまもと文学・歴史館」に寄って「絵図が語るくまもとー熊本県立図書館 絵図コレクションからー」を展観、現物の迫力に圧倒される。
退館するとこんどはだらだら坂を必死の思いで自転車をこいで、途中で金木犀の大木の下にしばしたたずみ、あるお宅の塀際の萩の花を写真に収め、健軍神社に拝礼しながら、何とか帰宅・・・
疲れ果ててしまった。それにしてもここ最近、目に見えて体力が落ちていることを実感させられる。
うまい物でも食って体力をつけなければならない。大いに実感した今日。

                                                           

追記:少々疲れひどく20:15ベットに潜り込むことにします。

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■細川小倉藩(388)寛永六年・日帳(卯月三日)

2020-10-28 07:03:59 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)三日

         |       
         |     (四月)三日  石本三介
         |                                             遣、
町加子ノ父入牢セ |一、町加子加右衛門親五郎右衛門、昨日籠者被仰候付候、則籠ニ入候切手壱枚、修理・兵庫者ニ持せ〇、
シメ切手ヲ渡ス  |  番衆ニ渡候也、
         | (筑紫重門室、細川幸隆女)
かね幷いよヨリ端 |一、御かね殿ゟ、御使にて被仰下候は、江戸へ被成御上候御帷子、御飛脚参候は御言伝有度ノ旨、被
午ノ帷子進上ノ便 |              (長沢顕長室、沼田清延女)  
ヲ求メラル    |  仰下候、いまた究不申候、いよとのよりも御帷子御上せ候、是も御家中ゟ使者被参候ハヽ、それ
         |  ニ言伝可申との事にて候、追而御左右可申上よし申候也、
         |     (六脱)                                   (隆重)
明家奉行家屋敷ヲ |一、大津留左衛門・波多理右衛門、家屋敷ノ望申衆ノ書立、持参被申候、村上八郎左衛門内田頭又右
         |      (口脱)
望ム者ノ書立ヲ持 |  衛門屋敷面五間半ニ、入四間五尺、山添彦兵衛望申、別ニ望て無之由候間、かたかきニ、別
参ス       |  ニ、望て無之候ハヽ、可被相渡通、かき付候事、
         |一、志水市兵衛上り屋敷、面口五間ニ、入拾五間御座候、上野角左衛門望申由候、これも別ニのそミ
         |  申者無之候ハヽ、可被相渡候通、肩書ニ仕、遣事、
         |                                    (野脱)    (野脱)
         |一、面口五間半ニ、入拾五間八木田平右衛門上り屋敷、右家屋敷南野九郎兵衛・菅八左衛門・庄理左
鬮取       |  衛門・岩下弥次右衛門、四人ニてのそミ申候、くじ取ニ庄理左衛門取当り申候間、可被相渡通、
         |  肩書仕、遣事、
請藪理リノ書物  |一、国東郡竹田津ノ長助・慶竹・助丞請藪理りノ書物壱つ、中津ゟ国東郡御奉行ニ当り申、蒲田久
         |  左衛門・清水自兵衛ゟノ状壱つ、共ニ清田次左衛門ニ渡候也、
忠利ヘノ端午ノ帷 |一、黒瀬九郎右衛門呼、伊与殿へ被申候へと申候ハ、一昨日被仰候ハ、 殿様御帷子五つ急度江戸へ
子        |  上ヶ可申候間、便無之候ハヽ、態上せ可申由被仰候、今日御家老衆ゟ、御飛脚両人江戸へ可被遣
         |  候間、申付候へと被仰候間、此使ニ御上ヶ可被成由、被申候へと申候ヘハ、其通申候ヘハ、今少
便船一両日出発ヲ |  はり申御帷子御座候間、一両日御またせ被成候儀ハ成申間敷哉と被仰候、それは成不申候、子細
延スコトナラズ  |  ハ、我等共ゟ遣申飛脚にて無御座候間、御家老衆ゟ被遣儀候間、まち申儀ハ成申間敷通、御返事申
         |  候事、
         |一、今日上り申御小早御船頭田辺長助登城申事、
すやき      |一、安場仁左衛門被申候ハ、先日申候すやきの事・御番筒台金具事、大学殿へ尋申候ヘハ、すやきハ
番筒ノ台金具   |  急ニ入申候ハヽ、木ほりにて成共約ニたて可申候、台かな具ハ急ニ成申間敷候間、申付可然由、被
十一丁分御印帳ニ |  仰候通被申候間、台金具御番筒拾壱丁分、御印帳ニ付申候事、
記入ス      |
         |一、今日江戸へ参候御飛脚寺本八左衛門与有永少九郎・同与川上少右衛門、右両人上り候也、
江戸ヘノ書状   |  右ノ御飛脚ニ上せ申もの
         |  一、御年寄衆ゟ言上ノ文箱壱つ、
         |  一、修理・兵庫ゟ文箱壱つ、但、言上也、
         |    野田小左衛門・乃美市郎兵衛状二つ遣也、

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■評判の銭湯をTV紹介

2020-10-27 18:29:56 | 熊本

 熊本の構造建築家が自ら作り経営している評判の銭湯がある。自宅兼銭湯という不思議な建物は、木造で豊かな表情を見せている。
小さな銭湯で評判を呼んでいるようだが、経営として成り立っているのかは少々疑問だが、評判は全国区になりつつあるようだ。
そんな銭湯を地元のTVがニュースで取り上げていた。(少々遅いよ~。)

             熊本での令和初の新規オープン銭湯!神水公衆浴場

     東バイパス沿いに突如現れたオシャレな【神水公衆浴場】。気になったので勤務中にひとっぷろ浴びてきた。

                     #神水公衆浴場

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■少々昼寝をします・・・

2020-10-27 13:07:10 | 徒然

 昨日は左胸の痛みとおおいなる倦怠感で、散歩も止め、図書館行の予定もやめて一日グダグダと過ごしてしまった。
狭心症予防のために昨年の12月にニトロの処方を受けたことが有る。心臓肥大があるともいわれたが、ニトロを服用したことはない。
それでもニトロのありかを確認したりした。
PCのキーをたたくのさえ苦痛だった。

今日はごみ捨てもあって、外へ出てみた。ついでに歩いてみようと思い3キロほどのコースへ出た。
2キロほど歩いたところで疲れ果てしばらく休憩、自販機で水を買おうと思ったら、ポケットには一銭もない。
何とか帰り着いて倒れ込むように椅子に座り込んでしまった。

風に乗って金木犀の匂いが漂ってくる、良い天気だし少々昼寝をすることにする。

    追記:夕方になり少し元気が戻った気がするが、足のむくみと、左手のしびれが取れないでいる。
       軽い心不全といったところだろうか?

コメント (2)
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■細川小倉藩(388)寛永六年・日帳(卯月朔日~ニ日)

2020-10-27 07:02:37 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)朔日~二日

         |       

         |     (卯月)朔日  石本三介
         |
         |  (長沢顕長室、沼田清延女)
忠利ノ端午ノ帷子 |一、いよ殿ゟ、黒瀬九郎右衛門を以被仰候ハ、 殿様御帷子出来申候間、二三日之内ニ便無之候ハヽ、
ヲ上セントス   |  御上せ可申由、被仰越候事、
         |一、江戸ゟ、御飛脚両人片岡九郎右衛門与こと市大夫・山内勘兵衛与靏田宇右衛門被罷下候事、
         | 追記
         | 「右両人ノ衆江戸ヲ三月廿一日ニ出、同廿六日之午の刻ニ大坂着申候事。」
         |一、徳嶋八兵衛、右両人之御飛脚のせ被下候事、
江戸大廻出船予定 |一、御船頭中嶋二郎右衛門尉登城にて申候は、やかて江戸大廻り仕候、別ニ御用等御座候ハヽ、可被
         |  仰付之由申候也、
惣積奉行横目ヲ求 |一、中嶋茂左衛門相果申候ニ付、当分奉行申付まて横目を一人被申付候由、粟野伝助・深野二郎右衛
ム        |  門尉・豊岡甚丞ニ申渡候、大槻仁右衛門尉粟野仁右衛門尉、此両人何の役不仕居候間、此内ハ
人物評価     |  如何可在之やと、右三人ニ申遣候ヘハ、此両人は悪敷可有御座候由被申候、覚書をも仕候ものを
         |  被仰付候而可然よし申候事、
         |  (規矩郡)
呼野金山囲用ノ縄 |一、呼野御金山御かこひノ御用ニ、縄爰元ゟ呼野へ遣候ニ付、御こにだニ付、呼野へ遣候へと、上田
ヲ小荷駄ニツケ運 |  中左衛門尉ニ申渡候候、かこひ仕候御奉行村上伝左衛門尉にて候間、彼方と相対可被仕候由、忠左
用ノ奉行     |  衛門ニ申渡候事、
船頭加子ノ女房娘 |一、御船頭林六右衛門女房壱人・御加子加右衛門女房壱人幷むすめ壱人、籠者申付候ニ付、籠ニ入
入牢ニ番人へ切手 |  候切手壱枚、修理・兵庫ものニ持せ相番のものニわたさせ候事、
ヲ渡ス      |                  〃

         |       
         |     二日  安東九兵衛
         |
         |          (破)
在所行ノ届    |一、不波平大夫夜前罷出候由にて、登城被申候、中山佐治右衛門も平大夫ニ替り、明日、明後日之内
         |  ニ在郷へ可参と存候由、被申候事、
         |                                ( 受 領 )
刀鍛冶大道左兵衛 |一、大道左兵衛・同佐太郎京都ゟ夜前罷下候由にて、登城申候、左兵衛じゆれうの名は但馬之弾正ニ
改名 但馬ノ弾正 |  成申候、刀ノめいニハ但馬の弾正大道直房と打申由候、国ノ守と付申度申上候へ共、いつれも守
大道直房ト銘ス  |  と云字ハ御免なく候付、不成由相当事、
国守ハ許サレズ  |

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■細川小倉藩(387)寛永六年・日帳(閏二月廿八~廿九日)

2020-10-26 06:36:00 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年閏二月)廿八~廿九日

         |       
         |     廿八日  安東九兵衛
         |                                         (加室、周防大崎郡)
         |  26日の小早

         |一、先日ご家老衆ゟの言上取おとし有之を、跡ゟ御船頭中靏弥吉ニ持せ、追懸ヶさせ候処ニ、加むろ
         |      (安下崎、同郡)
         |  のきわ、あげさきと申所にて追付、右御家老衆言上相済、返辞取、罷帰候事、
大坂城普請鍛冶奉 |一、松田五左衛門・豊岡理介登城にて被申候ハ、去年大坂御普請鍛冶奉行被仰付、御参照仕上ヶ、返
行ノ算用完了   |  号取申由、被申候事、
         |                             御見廻ニ
         |一、佐分利作左衛門尉登城被申候、明日、明後日の間に、中津へ〇致伺公由、被申候、
本丸作事取毀シノ |一、河田八右衛門尉被申候は、今日御本丸作事の所こわさせ候間、御上り候て、可被成御覧由被申
見分       |  候事、
         |     (有吉英貴)                                (牧興相)   (敦行)
走者幷連ノ女ヲ中 |一、京都郡頼母殿知行所へ、下毛郡新介と申者女をつれ参候を、頼母殿左馬殿状を御添候而、続平右
津へ連レ行ク   |  衛門めしつれ、中津へ被参候事、
         |                          (猪膝、田川郡)

         |一、釘本半左衛門尉ゟ申来候ハ、昨廿七日ニ、申ノ下刻ニ、いのひさノ町ゟ拾丁余南ノ大道ニ而、日
石川忠総領分ヨリ |   (忠総)
馬盗人乗逃ゲ来ル |  田郡石川主殿助殿御領分より、馬を乗迯来候由にて、追懸来、行逢搦候所を、田ニ仕事仕候而、
搦者幷馬ヲ留置ス |  居候者共見相候而、御惣庄屋太郎左衛門ニ申聞、即刻出合、搦者幷馬留置候由申来候、追懸来候
         |  物共ハ、重而御理化申上の由申候て、罷帰候通、太郎左衛門申候、定而各様へ御理可有御座候
         |              (田川郡)
香春ニ入牢    |  間、為御心得申上候、搦者ハ香春へ召寄、籠へ入置申候、右之通御家老衆へも申入由、日申越候
         |  事、

         |       
         |     廿九日  加来二郎兵衛
         |
牛皮ノ仕上方ヲ問 |一、平井五郎兵衛所ゟ、使にて被申越候ハ、昨日牛ノかわを持せ被下候、則はらせニ遣申候、是は毛
ハル       |  皮にてはり申候や、又はなめしニ仕せ可申候哉、其様子不承候ニ付、如此ニ御座候との儀被申越
鞣ニセシム    |  候間、なめしニ被申付候而、日差上候へと申返事候事、
村井内蔵助進上ノ |一、無落内蔵助留守居にわ鳥持参仕候、内蔵助今朝出船仕候、にわ鳥之儀申置候間、持参仕候、御意
鶏絵図ニ異ナル故 |  ニ入申候ハヽ、上可申由ニて候へ共、絵図ニ進候ニ付、差返候事、
返ス       |
神足八郎右鶴打ノ |一、神足八郎右衛門、此間靏をねらい申候へとも、もはや靏居不申候間、御印上申由にて、金子喜左
札返上ス     |  衛門尉方ニ被渡申候事、
北前ニテ六十丁立 |一、香山清兵衛被申候は、北前にて六十丁立ノ其外之舟道具代銀壱貫九百め分ニ、手付銀として四百
等ノ舟道具ノ注文 |  目渡置申候処ニ、右御材木入不申早漏間、調ましきよし、北前へ被仰下候ニ付、手付銀を取返候
手付銀ヲ渡ス   |  儀ハ不罷成候ゆへ、三月十日ゟ内ニ材木出来候ハヽ取可申候、さなく候ハヽ、材木取間敷由申
買入中止ノ命   |  置、罷帰候、如何可被 仰付哉と尋被申候、伝介・甚丞両人へ被申、扨大学殿へ尋候ハねは、此
         |  方ゟ可申様無之由申候、(後欠)
                 〇以下落丁アリ、
            (前欠)申間■敷候、尤手間を入候ハヽ、荒目ニハ知レ可申候間、先不成事と可被思召由、返事申
            候事、 

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■土佐人の肥後訪問とその対応

2020-10-25 10:50:36 | 歴史

 坂本龍馬の友人だという土佐人・樋口真吉という人物の 文久元年十月六日~慶応三年二月十六日に至る「倦遣録-愚菴筆記」という日記がある。
(国立国会図書館サーチでは「遣倦録-愚菴筆記」と紹介している。「遣」「倦 」が天地さかさまになっている)

この日記の「章3」は、三条公から熊本藩主への直書を携行しての熊本への旅が記されている。正使は谷守部、真吉は副使とある。谷守部とは後に熊本鎮台司令官となり、明治10年の西南役で熊本城を死守した谷干城のことである。このころから熊本との縁があった。
原文を読みたいと思うが情報にありつかない。ただ「薪情報・木の駅ひだか」というサイトに「釈文+解説文」が紹介してある。日記本文だけをたどりたいと思うが、それには少々難儀する構成となっている。
又、カテゴリーに独立していないので見つけ出すのに一苦労した。「章11」を検索しても出てこないから「章10」が最後だと思われる。

 出発当日、目明し文吉が殺されたという情報を得ているが、時代背景は誠に混とんとしている。
文章を読む限り二人の使者に対する熊本藩の対応は決して良いものではなかったようだが、熊本勤皇派の面々が接していることが判る。

 

 

   倦遣録/梗概(日記:樋口真吉/訳解説:南寿吉)

   倦遣録の章1

   倦遣録の章2  

   倦遣録の章3

   倦遣録の章4

   倦遣録の章5

   倦遣録の章6

   倦遣録の章7

   倦遣録の章8

   倦遣録の章9

   倦遣録の章10

   

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■細川小倉藩(386)寛永六年・日帳(閏二月廿七日)

2020-10-25 07:58:49 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年閏二月)廿七日

         |       
         |     廿七日  石本三介
         |

三渕重政知行所へ |一、右馬助殿ゟ両人へ、御捻にて被仰越候ハ、今日知行所へ罷越候、自然御用等御座候ハヽ、御留守
赴クヲ通知ス   |  迄申進候様ニと被仰候、使者ハ有田吉右衛門也、
伊与へ渡ス茶ノ目 |  一、極上  半十一  一、鷹爪極 小半
録        |  一、青極上 同    一、別儀揃 ニ斤
         |  一、別儀  半
         |              (長沢顕長室、沼田清延女)
         |  右之分壺一つニ入在之を、伊与殿へ進之候、黒瀬九郎右衛門参、茶無用之由申候ニ付、渡申候事、
         |

                                                   

                                                                    捻文 山本博文著「江戸の宮廷政治」から引用

         |
銀屋彦丞算用ノ出 |一、銀屋彦丞前廉算用出入在之ニ付、帳箱一つ上置候をを、被下候様ニと申付候、渡申候、
入        |
         |          (下毛郡)
百姓去年出牢ノ礼 |一、財津善内兵衛知行曽木村の與左衛門尉、去年籠より被成御出候、忝段早々御礼ニ可罷出候へと
ニ出ズ  長牢ニ |  も、永々籠者仕居申候故、行歩不罷成候故、唯今罷出候由申候事、
行歩ナラズ    |
         |                    (松井興長室、三斎女)
伊与古保ヲ振舞ハ |一、黒瀬九郎右衛門尉申候は、来月四日ニ 御こほ様をいよとの御振舞被成候、就夫、鮒五六十ほと
ントス      |  入申候間、被仰付候而被下候へかしとの、いよとの被仰分にて候、此方よりの返事ニ、西田吉内
吉内ニ網打ヲ命ズ |  所へ人足を遣候而、拙者とも両人打せ候へと申候とて、吉内ニうたせ被調候へと、九郎右衛門ニ
         |  申渡候事、
大丸盆作製ノ奉行 |一、横田権佐与藤井喜兵衛、今迄大丸盆ノ奉行仕居候へとも、山中弥二右衛門相衆二申付候、此者御
         |  印信かたを心得たる由、弥二右衛門申ニ付、申付候、若又大丸盆の奉行、残ル二人之外ニ其方替
         |  入候ハて不叶たニ候ハヽ、権佐与ゟ被申付候様ニ、可被申候事、
中間病死ニツキ借 |一、御中間長助、江戸ニ而閏二月六日ニ病死仕候、就夫、御増借ノ借状直シ、前廉ノ借状ノ御加印御
状ノ書替     |  やふり被成候而被下候様ニと、御中間小頭加助申候事而、加印つきなおし遣候事、
         |                         〃
         

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