津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■「新・肥後細川藩侍帳」整備作業3日目

2020-10-03 17:30:16 | 侍帳

  図書館に出かけることなく手元の資料で「侍帳」の改訂作業を進めている。

 財津氏 「西国武士団関係史料集八」にある、財津家の知行宛行状の記録を加筆する。
     また、NHKファミリーヒストリアで取材に協力した際の、歌手・財津和夫氏のルーツを調べた際の記録を
     加筆する。
     俳優・財津一郎氏について加筆する。

 山形氏 家系研究協議会の会誌「家系研究」の58号~68号 相良一夫氏の論考「肥後熊本藩士の山形氏について」
     を参考として加筆する。かなりの齟齬があったが修正が出来たと思っている。
     また貴重な系図から関係する諸家について関係先に記載する。

 澤氏  熊本史談会の会員でもあった澤治彦氏が、10年来の研究調査で「澤家累代の歴史」をまとめ上げられた
     が、惜しくも去る9月28日に急逝された。突然のことで茫然自失のことであったが、お葬式に参列して

     お別れを申し上げた。
     当方もいくつかの新事実を資料として提供したが、これらも同上資料に明記していただいている。
     詳しい系図が遺されており、これらを参考に転記補強した。
     また、花岡興輝著「近世大名の領国支配の構造」も参考とした。

その他、手元にある諸家の先祖附を取り出して精読を始めた。そのつどUSBの原稿に修正を加えている。
なかなか、面倒な作業であることを実感している。

 
 

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祝・国道57号線 & 同バイパス開通

2020-10-03 08:46:17 | 熊本

              

 先の熊本大地震で国道57号線は山体崩壊により阿蘇大橋を含め大被害をもたらした。
JR豊肥線も被害を受けたが、これは過日全線開通、国道57号線新バイパスが今日開通する。
道路の普通・コロナ禍と試練を強いられてきた阿蘇観光等にとっては待ちに待った朗報である。
GoToキャンペーンを利用して秋の雄大な阿蘇の風景や、温泉や美味しい食べ物を満喫していただきたいと思う。
いま一つの課題・阿蘇大橋も過日左右から延びてきた構造体がつながり、来年には開通の運びとなるだろう。
交通網はこれでようやく地震前の姿になる。
しかしながら、周辺の観光や農業施設など多大な被害を受け、いまだ復旧の道が見えないで居られる方も多い。

来年四月には地震から丸五年を迎えることになるが、橋の開通を契機に大いなる希望に変えて前進していただきたいと切に願う。
私は今年免許を返納したから、なかなか自由に出かけることが出来なくなったが、冥途の土産と思って、なんとか交通機関を利用して再生した新しい阿蘇の姿に触れてみようと思っている。

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■細川小倉藩(365)寛永六年・日帳(二月十五日~十六日)

2020-10-03 06:38:31 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年二月)十五日 ~十六日                

         |       
         |     十五日  加来二郎兵衛
         |

鷹ノ用ニ下関へ状 |一、御鷹之儀、河井権丞ゟ下関伊藤木工所迄申遣状、財津惣左衛門与ノ岡久右衛門ニ持せ遣、御小早
ヲ小早ニテ遣ス  |  ニ而渡候事、
         |  (毛利秀就)
毛利秀就ヘノ飛脚 |一、松平長門様へ御飛脚ニ被遣候御鉄炮衆、寺本八左衛門与有永少九郎・国友半右衛門与野上市太
京銭ヲ給与サル  |            きんせん
         |  夫、両人さき殿にて、京銭壱貫文宛被下候由申候事、則別ニ写也、
火鉢鋳造ノ奉行  |一、御火鉢鋳申候御奉行、横田権佐与八坂権右衛門尉・粟田與兵衛、両人登城被仕候間、川田八右衛
         |  門尉方へ被参、様子被聞届候へ之由、申付候事、
         |             
絵書ノ奉行交替  |一、御絵書之御奉行服部左〇右衛門眼気相煩被申候ニ付、かわりとして大石與四右衛門申付候事、
         |                 (規矩郡)
猟師マタ鯨ヲ突ク |一、備後の国の猟師、又鯨ヲ一つつき、田ノ浦へ付申由、平井五郎兵衛ゟ被申越候ニ付、則小崎與次
         |  兵衛も田ノ浦へ被参候、くしらの長さ六尋有之由也、

         |       
         |     十六日  石本三介
         |
         |一、■■鯨之儀、中津御奉行衆迄注進申上候事、
江戸ヨリ飛脚ノ旅 |一、江戸ゟ御飛脚両人下申候、山川惣右衛門尉与大富久太夫・井関久馬助与森角丞、江戸を二月四日
程        |  ニ出、大坂ニ十日ノ晩着、同夜石井又左衛門舟ニ而出船仕由ニ而、今日四つ時ニ下着、 三斎様
江戸ヨリ三斎ヘノ |  へ被進之御薬と、札ニ在之しふかミ包大小弐つ持下、私共ニも被成下 御書候、

         |   
         |一、伊■殿へ、寺嶋主水所ゟしふかミつゝミ一つ、いたニはさミ候物一つ、石井又左衛門つミ下候、
         |(九郎右衛門)(喜右衛門)
         |  黒瀬・大嶋ニ渡候へと申渡候事、
         |一、清半入へ被遣候、御書、持せ遣候事、
         |一、三斎様へ被進候 御文箱壱つ、幷御薬入由にて箱弐つ参候、又清田九一郎・神戸喜右衛門尉ゟ
         | (貴田政時)(高橋)
         |  権内・兵左衛門尉へ参候文箱壱つ、則江戸ゟ御下候御飛脚両人ニ持せ、中津へ差上申候事、
         |    (辰珍)
         |一、津川四郎右衛門殿ゟ御家老衆への状一つ・高見猪助ゟ内藤宗印への状壱つ、皆川治部ゟ林隠岐へ
         |  の状壱つ相届候事、
               (規矩郡)
鳩綱ニテ隼ヲ打ツ |一、中村兵助永野にて、兄の隼壱つはとあミにて打申候由にて、川井権丞ニ渡候由■■被申候事、
加子全員出勤   |一、去年御上洛之時、御加子有次第、御舟番のものまて不残、御召舟・御借舟ニのりくミ申付候、然
         |  処ニ、上方へ御飛脚被也御上せ候ニ、小早ニ乗せ申加子無之ニ付、四人やとい候て、乗せ申候処
雇加子ノ賃米ヲ家 |  ニ、御家中下奉行とも申候は、飛脚御上せ候加子ノ賃米を、御家中ゟ出申儀不罷成之由申候、此
中ヨリ出来ノ可否 |  方ゟ申候ハ、御加子壱人も不残、御上洛之時、乗組申候からハ、家中ゟ出可申儀ニ候、併、是非
         |  共御家中ゟ出ましきニとの儀候ハヽ、重而御上洛之時、又は御迎船上せ申候時、御加子を御用ニ
         |           〃
         |  遣申候程のこし置可申候、それ相当之加子は御家中ゟ可被出候と申候ヘハ、御加子不残御上洛ニ
         |  御遣候上は、縦御上洛之外之御用にても、家中ゟやとひ出シ可申儀尤候間、右之四人の加子之賃
家中ニ割付ク   |  米御家中のわりに入可申よし、下奉行衆申候通、中神與兵衛被申候事、
         |
道家立成快気出船 |一、道家左近右衛門尉ゟ、玄古を以被申候ハ、煩も弥々快気仕候間、来廿六、七日之比出船可仕と
ノ予定      |  存候、御用之儀候ハヽ、可被仰付由被申候、幷舟之儀上下拾五人御座候、同は荷舟を被仰付被下
         |  候へかしと被申候事、
江戸へ大廻ノ米船 |一、白井兵助・かゝミ善右衛門尉より、三宅清兵衛を以、被申越候ハ、江戸への大廻ニ、御米舟こし
大楠ナル荷船   |  らへ可申旨被仰付候、竹田津ゟ廻り申大楠と申御荷舟壱艘御座候へとも、帆柱無御座候よし申候
         |  事、
         |一、三宅清兵衛ニ申渡候は、江戸への御飛脚両人上せ申候間、御小早か申付由申渡候事、幷道家左近
         |  右衛門被乗候舟之儀も申渡候事、

         

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