津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

冲方丁の天地明察から「土御門家」

2012-10-31 14:42:34 | 徒然

 天地明察に土御門泰福(ヤストミ)成る人物が登場している。細川幽齋の末妹(三淵氏)が土御門久脩に嫁しているが、現況この人の名前がわからない。
泰重、大徳寺僧・宗鶴、信勝(武田藤兵衛)の子があるが、生母が三淵氏かどうかもはっきりしない。泰重の正室は、織田三十郎信重女である。
こうして略系図にしてみると、細川家の閨閥のなんと豊かなことか・・・・ 


         三渕晴員---+---藤英  
                |       
                +---細川藤孝(幽齋)
                |
                +---好重--重政--之直--+--之政==重澄・・・・・・・・・・・・・・・・・→細川家臣・三渕家
                | 
                | 土御門久脩     32                   33
                       |-------泰重 (泰重卿記・編者)---+--泰広
                +--------女       ∥              |  34
                             +--●              +--隆俊 
                             |                 |  35     36
                               |                 +--泰福---泰誠
       織田信長弟                 |
           織田信包-----織田信重    |
                         ∥----+--津田三十郎長相・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→細川家臣・津田家
                     +---●
          斯波管領家        |
             斯波義近---+---津川辰珍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→細川家臣・津川家

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にほんの建築家伊東豊雄・観察記

2012-10-31 10:26:41 | 建築

  

  にほんの建築家 伊東豊雄・観察記 (ちくま文庫 た 65-1)

 
                           筑摩書房


八代の未来の森ミュージアムの設計者である氏の、震災後の動きを私は興味深く拝見している。
津波の跡を見ると、被害などという言葉さえ通用しない、無の世界が残されていた。
建築に携わる人たちは無力感の中から、被災地のために何が出来るかを模索している。「今建築家は何が出来るのか・・・」
特に伊東氏はその先頭に立って試行錯誤を重ねながら、復興のための建築に心を砕いている。
彼の作品が今後様変わりしていくのではないかとさえ予感させられる。 

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memo 重賢公御代いろいろ

2012-10-31 10:14:59 | memo

(宝暦八年)
 ■ 西追手御門御繕 来月朔日より取懸日數三十日程往来留り候付て 御繕中
   夜中就御用御城内え罷出候面々は 南御門より出入有之筈之段 三月廿八
   日御達之事

(宝暦十年)
 ■ 胤次(治年)様御花畑御近所追廻田畑邊 折々御手軽御出被成筈ニ付 参
   懸り之面々扣居候ニ不及 御時宜仕罷通候様 御先御跡ニ足軽罷出居知
   せ候筈旨御達 九月廿五日 

(宝暦十二年)
 ■ 胤次(治年)様御出生之砌御虚弱有之 御届之儀御見合被為置候處 御丈
   夫ニ御成候ニ付 先月十八日御用番之御老中様え御届書被差出候處 無
   御滞御受取被成候 此節細川之御苗字被進當年五歳ニ御成候段御届有
   候 尤御嫡子之御届ニは無之候間 諸事當時迄之通相心得候様 此段觸
   支配方えも以下例文
      宝暦十二 五月十三日 

 ■ 有吉大膳殿儀不叶御意儀有之 隠居被仰付旨 今夕於帯刀殿宅被仰渡候
   尤相續之儀は追て可被仰付旨候 八月七日御達

 ■ 有吉賀七郎殿儀 先祖以来之遺跡為相續 先知無相違被為拝領旨昨朔日
   被仰出候 尤座席之儀代々通被仰付置候 御歌事等之節 御家老中同様ニ
   賀七郎殿宅えも被参候事は其節々可及御沙汰候 右之趣寄々觸支配方へ
   も知せ置可申旨 九月二日御達

(明和三年)
 ■ 長岡帯刀殿依願隠居被仰付 松井主水殿儀家督相續被おおせ付け八代之
   御城御預 長岡之御穪號被下 諸事帯刀殿通り被仰付旨今日於御前被仰
   渡 此段觸支配方へも相知せ可申旨御用番被申聞候間 左様已下例文
   七月朔日御達 

(明和七年)
 ■ 長岡少進殿御役御断ニ付願之通被仰付 百五十人指揃被下段 七月廿一
   日御達

(安永二年)
 ■ 長岡主水殿妾腹之男子岩次郎殿を嫡子ニ被定置段被申聞候 此段為御存
   知申達候由 三月廿三日御達 

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ことば・・「徒党・強訴・逃散」

2012-10-30 11:26:32 | memo

              定

   何事によらす宣からさる事に百姓大勢申合せ候をととうと唱へ
   ととうして強て願事を企るを強訴といひ 或ハ申合せ村方たちの
   きをてうさんと申 前々より御法度ニ候條 右類之儀これあらハ
   居村他村に不限早々其筋の役所へ申出へし 御褒美として と
   とうの訴人銀百枚 強訴の訴人同断 てうさんの訴人同断 右之
   通り下され その品ニより帯刀苗字御免あるへき間 たとへ一旦
   同類に成るとも 發言いたし候ものゝ名前申出るにおひてハ 其
   科を免され御ほうひ下さるへし
一、右類訴人いたすものなく村々騒立候節 村内のものを差押へ
   ととうニ加ハらせす 一人もさし出さゝる村方これあらハ 村役人
   ニても百姓にても重モに取静候ものハ 御褒美銀下され帯刀苗
   字御免 さしつゝき静メ候ものともゝこれあらハ 夫々御褒美下し
   おかるへき者也
      明和七年四月             奉行


 (井田衍義 御惣庄屋十ヶ条懸令條目 743  藩法集7・熊本藩 p394) 

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史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(三)

2012-10-30 10:10:43 | 地図散歩

                           川の中のすながわんどのところで
                           みづそこふかくきり/\かやつ
                           ては下にながしになされた あ
                           のやりかたはしよせんじゃなか
                           どういふあみだしのはてやらね 
                           ひぜんのしゅうはかんしんしておつ
                           たばい
                           わんどのごふしんの時は まづみづの
                           ながれをためしなされるために 
                           川あびの達人にて孫六孫七孫八
                           や河合半ひょうべ・きだどんたち
                           を なんへんも川上よりおよかせ
                           みなはつた
                           川底を川上にすんでのぼらせたり
                           石や岩のあるなしなんきゃそれ
                           者/\ねんにねんを入れなさった
                           が うのせ・やうはいのせ・ば〃くす・大
                           まかり・八まんぶち・ごんのやばね・
                           おしまのなかす・二じゅうのとも・
                           すぎあいのりゅうぶち
                           びわんくびなんきゃ ごふしん
                           のときやあ みなところのかんぬし
                           どんにたのんで ところのおみやで
                           ごきとうをしなはった
                           とものおふなところには 恵の木かある
                           ひはさ々をうへさせになつた
                           水のきつううちあたつてうづまく所
                           と かわっぱのすみそうなよどむ そぎゃん
                           所にやりゅうじんかすみよし
                           さんか こうじんさんなんきゃまつら
                           せになった
                           川つぱも御先々代のごいせいにゃ 
                           へいこうしておつたげなちゅうは
                           なしだったわい 
                           ところのせきと六本松せきの 水の
                           引きかたといひ せいしょ公ものみの
                           松なんきゃ名のこつたたはむり
                           はなかネ 

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江戸大名のお引っ越し

2012-10-29 16:33:13 | 書籍・読書
江戸大名のお引っ越し (新人物ブックス)
         白峰旬
       新人物往来社

最近気になるお方である。別府大学の教授だが、論考がCiNiiで数多く発表されていて興味深く拝見している。

            http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/filter/kyujitai.cgi?url=ci.nii.ac.jp/nrid/9000006079277

なんとなく面白そうな感じを予感させられている。

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我が家検索リスト・6 (68-6-1 熊本所分絵図 向寺原・建部之絵図-1)

2012-10-29 11:02:04 | 地図散歩

 豊前街道(国道・57号線)の北側に位置する場所である。向寺原は「むこうてらばる」、建部は竹部とも記し(たけべ)と読む。長岡和泉守の下屋敷や薬園、百姓地、久本寺・法成寺などの東側(建部)に侍町が広がってきた。久本寺の左手にあるのが藩営の薬園(現肥後銀行・子飼支店)であり、現在の町名薬園町にその名残を止めている。
この地域は道筋にほとんど変化が見受けられない。運転初心者では進入が困難な道筋が多くある。中央に現在の黒髪小学校、右上に済々黌高校、その右手が熊本大学黒髪キャンパスである。

古記録に曰く「竹部出屋敷 熊本御侍屋敷不足ニ付 寛文十年・十二年・延宝三年より六年迄 追々被仰付候事」(井田衍義 垣塚しらへ郡府舊記702)

                                  藩士リストは少々お待ち下さい 

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江戸の城づくり: 都市インフラはこうして築かれた

2012-10-29 10:24:07 | 地図散歩
  江戸の城づくり: 都市インフラはこうして築かれた (ちくま学芸文庫)
                 北原糸子

                 筑摩書房                          

 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480094582/


細川藩が架橋に関わったとされる道三堀の銭瓶橋の辺りは、江戸城普請の折の石揚場であったらしい。
いわゆる公儀普請で各藩苦労するわけだが、石の調達が一苦労であった。
細川藩士・都甲太兵衛に関する逸話は、森鴎外が「都甲太兵衛」に紹介しているが、これは真実かどうかわからないがこれほどの苦労があったということであろう。
(津々堂電子図書館でお読みください。  http://www.shinshindoh.com/tokoutahi.htm )

武蔵野の大荒野をいかに整備して世界一の大都市とならしめたのか、興味深い著作である。 

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史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(二)

2012-10-28 11:16:18 | 史料

                              ひぜんの御家中の人とかにてなつ
                              どめどんとやらが当くにゝきて川             成富殿
                              とかうんへたなんきゃしごとの所
                              にきてふしんのやうすをみとつた
                              こつあおぼえとつたい
                              あの人はいつたてぶこつなもんで口
                              かづすくなくてまえはきかんがお
                              ぼへじやうねのよかつた人らしい
                              かつた
                              くり石のこまかつと太かうら石
                              なんきや入れこむ時にはてんき
                              のつぐあいとしほときを御とのさ
                              まはようくみておつた
                              みづのみはからいやらすみ石など
                              のおきかたとなははりのときや
                              りかたのいかんとなんへんも/\
                              すへかたをやりなほしたりまた自
                              分で手を下しておんなはった
                              ぞ 今ときの人のでくるこつかい 
                              ああいふ御とのさまは人であつて
                              ぼんじんじゃなかつた
                              めずらしいおじひのふかいおかた
                              であのとのさまのこつならほねみ
                              をおしまづにはたらくきになつ
                              とつたばい
                              御国にござつた時はつゆからぼんす
                              ぎころまで白川・くま・きくち
                               川なんきやおりおりお馬や
                              おかちでみわいになつておんなは
                              つたか御先代様の時はけらいし
                              ゆうの中によこしまな人がごつた
                              のでおまりなさるこつあすくなか
                              つた
                              みづなわおひきの時とわんどをお
                              しきのときやみづからなはを引
                              きめされてごけらいしゅうのかん
                              くるばかりのおみはかりには
                              おともしておつた自分たちも
                              おどろくこつの多かつたばい
                               

                               

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「米田家家臣先祖附・御奉公附」

2012-10-28 09:17:27 | 史料

 熊本県立図書館に14冊の「米田家家臣先祖附・御奉公附」が、まったく手がつけられない状態で保管されている。
全部は拝見していないが、虫食い状態で一部水をかぶったような状況も見え、ページをめくるのも困難な状況にある。
家臣の名前のリストくらいあるのかと思ったら、まったく手がつけられていないらしい。
御三卿(代々家老家三家)の松井家は活字化された「御給人先祖附」があるし、有吉家も手元に史料を頂戴しておりお問い合わせがあればご返事できる状況にある。一つ米田家だけがこのような状況であり、何とかしなければならないと思っている。わが史談会のT様のご母堂の実家が、米田家の家臣であったとおっしゃるが、なんとも調べようがなくての話が思い立ちの始まりである。

厚さが3~4センチほどの和綴本を一枚/\めくりながら写真撮影するということになるのだが、来年はこれにチャレンジしてみようかと考えている。
月に一冊くらいは何とか出来はしまいかという算用である。それでも一年では終わらない。健康第一で過ごさなければならない。
 

コメント (1)
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「より」という文字

2012-10-27 10:08:49 | 徒然

「ゟ」という文字の表記が出来るということを最近知った。ひらがなの「よ」+「り」の合字だとずっと理解していたら、ある先生からは「与」+「利」の合字だとお教えいただいた。
それはさておきこの「ゟ」という文字を「単語/用例の登録」が出来ずに苦労している。

ここに表記できたのは「より - Wikipedia 」から copy and paste したものである。
一番手っ取り早く表記するためにはどうしたらよいものかと70爺は大いに悩み、「いっときの恥を忍んで」皆様のお知恵を拝借したいと思っている。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記:2012・10・28
          一太郎2012承をインストールしないと解決しないようですね~。皆様有難う御座いました。     津々堂ゟ

追記:2012・11・02
          Microsoft IME の最新版をインストールしました・・・・これで一件落着でしょうか?

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史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(一)

2012-10-27 09:20:08 | 史料

 この史料の存在は誠に微妙である。詳細は知らないがどうやら原本の上に紙をのせて、鉛筆でなぞったという感じのものである。
故にこの史料の価値については研究者の間では、いろいろ言われているところであるが、しかしながら清正時代の貴重な史料として、論考などにも多々引用されているという特異な存在の史料である。この善藏は熊本城の作事その他に関わった棟梁であろうと考えられている。
この文章はまた、熊本弁によるしゃべり言葉で書かれているのも興味深い。又当時の人でしか知りえない種々の書き込みがあり、一級史料としての取り扱いはとても出来ないものの、加藤時代のことを知る上ではなくてはならない史料である。難解な熊本弁による文章を数回に分けてご紹介しようと思う。

 

                    五丁目からだい村までのあひたの
                    石ともは御先々代さまのときにおし
                    たてになりました
                    このしおきわたいのしごとではなかつ
                    たい まづ水を東ニ西にひきわけ
                    つだんけんぎょうさんのこつでみ
                    いましたたい
                    くいはなんつんうつたことやらしごと
                    は石くどんもいのちかけへでありまし
                    たがおどんたちもつらかつたば
                    な 西の川の方のそこにまついた
                    をうづめたときにやいうにいわれん
                    きつかつたこつは今もわすれん
                    たい 

                    甲佐のうのせとはゝくす村の
                    まぶに山がのまぶをおしきの時と
                    ここんしごともほねみのこたえた
                    石くどんと日ようとりたちはおどん
                    たちよりかまあだとてもとても
                    きつかつたたい
                    みづこしもかめの甲のしごとも
                    はじめのときにや川ンそこにし
                    だをしきつめてその上からくすい
                    たなりまついたをしきつめた
                    ばい
                    このやりかたはどこんでんはねをつく
                    つくんたはつた時もこのやりかたで
                    石のあなのほげにくい時はづいき
                    をおつかいになつたげな そのやりか
                    たはみたこつはなかつた 

 

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初版発行日2012/10/25 歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ

2012-10-26 21:00:11 | 地図散歩
歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)
           磯田道史
         中央公論新社



忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の車窓から関ヶ原合戦を追体験する方法を編み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る――。著者は全国をめぐって埋もれた古文書を次々発掘。そこから「本物の歴史像」を描き出し、その魅力を伝えてくれる。同時に、歴史は厳しいものでもある。地震史研究にも取り組む著者は、公家の日記などから、現代社会への警鐘を鳴らす。歴史を存分に愉しみ、現代に活かせる「歴史通」になりたいあなたへ。

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御恵贈御礼-- 「増穂の小貝」掲載・2009年版ベストエッセイ集(文庫版)

2012-10-26 12:13:09 | 書籍・読書

畏友近藤健氏はサラリーマン・エッセイストである。日本エッセイスト・クラブ編のベストエッセイ集に、プロに伍して過去五回に亘り掲載の栄に浴されてきた。
残念ながらシリーズ化されたこのエッセイ集も発刊がストップし、残念のきわみではある。
09年度版としてすでに発刊されているエッセイ集だが、氏の作品「増穂の小貝」は、今般文庫本化するにあたり後日談が追記してあり、なんと良い話だろうと目頭が熱くなってしまった。重ねての御恵贈を深謝申し上げる。そして皆様にご一読をお勧めする次第である。

               Coffee Break Essay http://www.kitanihon-oil.co.jp/pc/essay/tsuguo01.htm
               湖月館  http://www.kogetsukan.com/
               福永武彦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%B0%B8%E6%AD%A6%E5%BD%A6

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就君様

2012-10-26 08:26:27 | memo

細川家の家記では「就」を名乗った姫様はお一人のみで、治年公の二女で久我前内大臣通明簾中・美子姫だが「就・ナル」「就・ナリ」の後美子と名乗られた。
実はいま一人居られるが、尤もこれは嫁いで後改名・就と名乗られた。「峯姫→芳姫→延姫→邰姫」を名乗っていた齊茲公の長女である。
その名乗りについて「度支彙函」は次のように記している。 

芳姫様御事 松平出羽守様え御婚姻被成御整候常處 御不縁ニ付御双方御熟談之上被成御離縁候段
先月十八日御用番御老中様え御届書被遊御差出候 尤御熟談之御事ニ付 只今迄之通不相替御両敬
ニて可成御通路旨被談合候段申来候 此段觸支配方 已下例文
      文化九年申五月十三日
                                   御奉行衆中 
 

(文化十年)
延(ナガ)姫様御名邰姫様と御改之儀 十一月朔日御觸之事
 

邰姫様御事 一条関白様え御再縁組御願書被遊指出置候處 九月廿四日御願之通被仰出候段御到来
有之 奉恐悦候 此段為被奉承知申達候條 御支配方えも可被相知候 以上
     文化十一年亥十一月朔日             奉行所


邰姫様 先月六日江府御發輿 同廿四日京都御着 同日一條関白様より御結納御祝儀被進 同廿五日夜
御婚姻被成御整 君號被進 邰君様と奉穪候段御到来有之 重畳奉恐悦候 此段為被奉承知申達觸支配
方えも可被相知候 以上
     亥十二月十四日
 

邰君様御儀政所様と奉穪 就君様・政所様御順之儀 表向ニてハ政所様・就君様 御内輪ニてハ就君様・
政所様と被仰付候 此段觸支配方えも可被相知候 已上
     文化十三子正月晦日                奉行所 

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