津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■有難うございました

2019-12-31 12:09:49 | 徒然

                 年の瀬は ほどほどをもて可となさむ  津々

 齢を重ねますと新年を迎える準備も、あれはいい、是も省略しようとなるたけ重労働にならぬようにしています。
すっかりの持病持ちの身となり、これも消極的になる一因ですが、まだ/\変わりゆく世界を見つめていきたいと思います。

この一年も皆様の温かいお力を得てここまで参りました。誠に有難く深甚なる敬意をもってお礼を申し上げます。有難うございました。

 

                 

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■「阿部茶事談」(11)釈文

2019-12-30 11:05:23 | 史料

11       召出 誰そ御香典拝領の者なし 五助甥両
        人有 兄ハ津崎平右衛門と云 弟ハ津崎庄左衛門
        と此庄左衛門か子を殉死の後家養子尓して
        津崎五助と名乗五人扶持被下被 召出後五助
        も養子を致し團次と云 病身故御給扶
        持差上奥田権左衛門組有野孫左衛門か子を養
        子尓して津崎五助と名乗御奉公尓被 召出
        今以相續首尾能相勤候也 又津崎平右衛門
        ハ殉死の五助由緒申立歩御小姓尓被 召出其
        子仁右衛門御右筆尓被召出御中小姓迄成老
        極致し養子平右衛門触組尓入此平右衛門も水
        野孫左衛門子也 百年御忌の御香典者様子有
        て白銀五枚を津崎仁右衛門頂戴す 忠利公
        御放鷹の折春日寺へ御立寄御茶被召上暫
        御休足の間御髭延させ給ひけるを剃刀せらるべ
        きとて住持尓髪剃刀を差上よと有ければ
        古剃刀を指上ける尓御手尓取らせられ御覧被成
        此剃刀尓て多くの死人の頭をこそけつらんと
        御笑いひ被成御快御髭を被遊ける ケ様の事
        共尓や春日寺此境内尓て御火葬也 又御遺言
                 本ノママ
        也とも云 右春日寺ハ法相宗の寺也 今ハ妙解
        寺末寺に成上代彼邊府中之時分洛陽の祇

 

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■大みそかは心静かに過ごそうかと

2019-12-30 08:18:50 | 徒然

                 市に入りてしばし師走の心かな  山口素堂

 スーパーの駐車場に餅つきの威勢の良い声が聞こえて、丸餅やお供え餅、又あんこ入りの餅などが作られている。
脇にはテント仕立てでお正月飾りなどが売られたり、その他お正月用品が店の外に並び商いをしている。
「市」とまではまいらぬが、まさに今年もあと一日に迫った師走ながらの光景である。
健軍神社では巫女さんたちが、破魔矢や御札やお守りなどの準備でお忙しそう、あいにくの雨で今日は御掃除の奉仕の人の姿は少ない。
郵便局(熊本東)の前は、年賀状を出すために車がごった返しの状態、職員の人たちが何人も外に出て車に近寄っては年賀状を受け取っている。
周辺の交通渋滞に繋がらないようにとの配慮である。是もまた、例年のこの時期の師走の風景ともいえる。
我家はといえば、「お節」は例年の如く注文済なのに、奥方が何やらせわしなくしている。
そうなるとこちらも、のんびりゆっくりしている訳にもいかず、玄関を掃除したり、御飾りを飾り付けたりと動き回っている。
バタバタは今日で終わりとして、明日はゆっくり過ごすことに致しましょう。

                 根松一本買うて師走の納めとす  津々

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■忘れられる地名

2019-12-30 08:03:12 | 地図散歩

 「熊日出版」の「花畑屋敷四百年と参勤交代」に、54頁から81頁にかけて、慶順公(韶邦)の初「御入国御行列之図」が掲載されている。
お花畑前から小幡宮にかけて藩士たちの行列をお待ちする姿が描かれているが、実際はそんなものではない。
まだまだ多くの侍・町民・農民がお迎えしているのだが、大いに省略されている。お待ちする藩士その他の人々の並び方などが詳しく描かれていて興味深い。
先頭を切るのは御役人の行列かと思えばそうではなく、褌一つの裸体の山鹿屋の人足たちが40人程で、「御銀櫃」など5つを運んで観音坂下にかかっている。いよいよあの急坂にかかる直前である。本隊は立町の横井口にまさに入ろうとするところだ。
行列は左から右へ動いているがその場面/\で方位は異なっている。横井口の手前に「馬追込東」の書き込みと道路の反対側には「浄行寺町入り口西」の書き込みが見える。つまりこの場面では右手が立町筋であり、左手は立田方面(豊後街道)である。
この立町横井口は、現在の国道3号線を横切り、立町筋に入り宗心寺のやや先に位置していたことが判る。
堅山南風先生の生家跡のやや北よりであろう。       知らなかった「馬追い込み丁」 
右手前に赤鳥井があり、右へ進むと見性寺前から必由館高等学校(旧・米田邸下屋敷)の通りである。

 立町筋から豊後街道へ出る喉元だが、宗心寺の前で道は少々幅広になっている。ここで隊列を整えて出発したと聞く。
やや興奮気味の馬は、この細い路地に追い込んで落ち着かせたというが、今この地名を知る人はあまりいないであろう。
「熊本県の地名」(平凡社)をみると、細い路地ではなく、「十五間四方の広場」と書かれている。
この地名自体も、熊本地名研究会の「くまもと城下の地名」や「熊本の消えた地名」、又、高田Drの「平成肥後国誌」でも触れられていない。
「御入国御行列之図」のたった数文字の書き込みは貴重である。熊本の歴史をうかがわせる、このような地名が消えていくのは何とも淋しい限りである。

 

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■細川小倉藩(112)寛永元年・万日帳(十月廿九・晦日)

2019-12-29 15:46:48 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)廿九・晦日

         |                                    
              廿九日 両人詰 曇 
         |
土龍ノ黒焼江戸へ |一、土龍之くろやきでき候而、一昨夕作庵持参申候、則明日之便ニ、江戸へ進上可申之由候事、
         |一、神足半七、新参之歩之御小性六人、御鉄炮衆壱人明日出船、江戸へ参候事、
蜜柑江戸へ    |一、右之便、ミつかんを上ケ可申との儀ニ候事、
         |                              (ベトナム)                        
(頭脱)
問太郎介交̪趾へ渡 |一、問太郎介来年正月ニかうちへ渡候ニ、銀子を御持せ候て、若キ御船壱人ニ相添、可被遣通、昨日
海ニ若キ船頭ヲ添 | (樋口)
ウ        |  淡路ニ被申渡候事、

         |      
走リシ下人ノ質入 |一、頼母殿内惣左衛門ゟ、田川野田村庄や惣左衛門所ニしちニ置候女之儀、彼村ニハ左様之者無之
         |              (林)
         |  由、御郡代安宅太左衛門ゟ與兵衛・半左衛門へ之状参候、則頼母殿内小左衛門今朝被呼候て、被

         |  申渡候、弥惣左衛門ニせんさく仕候而、可申上由にて、小左衛門罷帰候事、
         |                         とらへ
天領ノ走者トハ偽 |一、先度はまおきノ者と申、筑前へ走り申候ヲ、人留ニ而留申、則豊後へ進候ヘハ、芦田與兵衛者ニ

宇留津ノ者ニテ入 |           (宇留津村、築城郡)           〃
牢セシム     |  而、在所ハ與兵衛知行うろうすノ者ニて候、親きようたいも御座候、召連帰、籠者江入置候

         |  事                                   〃
         |

         |                                    
              晦日 両人詰 晴天
         | 
江戸供替ニ新参ノ |一、神足半七歩之御小性新参衆六人、御鉄炮衆壱人、御供替ニ江戸へ被差上せ、只今出船候事、助二
歩小性ヲ上ス   |  郎・甚左衛門ゟも状を上ケ申候事、                       〃
         |                 
中野権佐酔狂ニヨ |一、中野権佐相果候通、津川四郎右衛門登城にて御申候、意趣ハ、問太郎兵衛長崎にて、来春渡唐ノ
リ刺殺サル    |  祝振舞仕、殊酒ニゑい申候、主やと迄帰候儀不成候而、道ニとまり申候ニ、やと主も同前ニ給ゑ
犯人ノ宿主ヲ入牢 |                   (長谷川守尚)長崎奉行か
セシム      |  い申候而、夜権佐をつきころし申候、則権六殿ゟていしゅを籠者被申付、色々御穿鑿候へとも、
意趣ナク酔狂ニヨ |  少もいしゅ無御座候、すいきょうにて仕たるニ究候へとも、やかて御誅伐之由候、長崎権佐女房
ルモ誅伐     |  之弟昨日注進ニ参候由候、右之通式ア殿ゟ江戸へ言上候、又御奉行衆ゟハ、神足半七口上にて申
         |  上候様ニとの儀候事、
         |

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■原文に触れる「阿部茶事談」(13)

2019-12-29 08:46:50 | 史料

            

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■年末の風景、縁起物と「判じ文」

2019-12-29 06:30:44 | 徒然

 私がはたち前、もう60年以上前のウソのような話・・・
軒先が落ちかかったような間口一間半ほどの小さな八百屋があり、店先の片隅に新聞紙に毛筆で「十両・五拾円」と書いて、鉢物の小さな植物が売ってあった。
まさに判じ文だが、私は「何のこっちゃ」と思い通り過ごした。
家に帰りそのことを話すと「はいはい」と祖母が反応した。「赤い実がなっとったろう」と聞く。
さてそのことは知らないと答えると、「そりゃえらい高い」という。
よくよく聞くと「やぶこうじ」のことを「十両」と当て字するとの事であった。判じ文は解決したが何故そう言うのかは教えてもらっていない気がするが、赤い実をつける植物に「千両」「万両」があるから、その類だろうと思って来た。

                  「やぶこうじ」の画像検索結果

 そのことに対して蘊蓄を聞いたのは10年ほど前の今頃である。
ある園芸店を訪れたら、お正月の飾りとして「千両・万両」が寄せ植えにしてある。
その下に全く違う赤い実のついた植物が添えられていた。あまり気にせずのぞき込んでいたら、店員が声をかけて「これは、千両・万両ありとおしという縁起ものです」という。
こちらは深い意味があることなど露知らず「そうですか」と返事をすると、「一番ちっちゃいのがありとおしです」という。
蘊蓄をきくと「ありとおし=蟻通し」で蟻を刺すような棘があることからそう呼ばれ「一両」ともいうのだそうな。
ありとおし=有り通し」で、「千両や万両の財産が有り続けるように」との縁起かつぎなのだそうな。
大いに合点していると、店員さんの話はさらに続き「一両・十両・百両・千両・万両」と、それぞれありますとの事で、蘊蓄話は他のお客さんが来て終了した。
こういう話はなかなか忘れがたく記憶している。最近「万両・千両・百両・十両・一両」というサイトを見つけて再確認したことであった。

 十両(ヤブコウジ)は古い土地柄の里山や薮の中などには良く見受けた。
百両についてはとんと知らないが「カラタチバナ」だそうだ。写真を見ても見たことはないように思う。

 散歩の道筋にある道路から一段高いお宅は、地震後擁壁の上のブロック塀を取り壊された。倒壊を心配しての事で、現在はいろんな植物が丸見えである。
そこに千両がありヤブコウジもある。ヤブコウジは10数株ほどで合わせて百数十両程しかなく「千両にはほど遠いな~」と思い口元が緩んでしまった。

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■細川小倉藩(111)寛永元年・万日帳(十月廿七・廿八日)

2019-12-28 16:09:20 | 細川小倉藩

                        (寛永元年十月)廿七・廿八日

         |                                    
              廿七日 両人詰 雨天 夜半時分ニゟ雨、 
         |
毛利秀元仕置ニ下 |一、坂崎伝十郎江戸ゟ今朝被罷下候、御年寄衆・御奉行衆へ 御書参候、毛利殿両国之仕置ニ、毛利
国ス       |  甲斐殿御下候ニ付、人沙汰彼是之儀ニ付、御使ニ御下被成候事、
         |
薬師道祐子ノ見舞 |一、御薬師道祐、竹村弥右衛門同道にて登城候、道祐子京ニ御座候、存命不定ニ相煩候とて、迎を指
ニ上京ヲ願ウ   |  下候、罷上度由候、式ア殿・民ア殿へ被尋可然之由、助進被申渡候事、
         |     (もぐら)           (野中)
土龍ノ黒焼    |一、土龍を上林甚介与ゟ上ケ申候、則作庵所へ遣、くろやきニ仕候へと被申付候事、

         |
竹屋ヲ中国へ買物 |一、竹屋喜兵衛を御申候而、中国へ刀・脇差・数寄道具・もんらんなとかいニ参候へと、 御諚之由
ニ遣ス      |  被申渡候事
刀脇差茶道具紋襴 |
         |                     昨日
寒田牧山ノ厩   |一、川田八右衛門沢田牧馬之こやかけ申付候而、罷帰候事、
         |                             (へ脱)
難破船船頭ノ詮索 |一、御供衆破損舟ノ御船頭両人穿鑿ニ、瀬崎猪右衛門・町市丞しち屋ニ参候事、両人共ニ書物仕上ケ
         |  候事、                             〃
         |                                    

              廿八日 両人詰 晴曇 
         |
走リシ下人ノ女ノ |一、田川御郡代衆へ、頼母殿内こミかと惣右衛門しちニ置候女、ついき郡へ人戻之儀ニふれ状参候、
人質       |  御鉄炮衆使ニ参、今朝罷帰候事、
         |
新牢ノ錠ノ鍵   |一、新籠袖じやうノかぎ出来候て、則式ア殿・民ア殿こそ部御奉行衆・小性三人相添、しやうおろしニ
         |  被遣候、
         |
三斎到津村百姓ヲ |一、式ア殿ゟ、到津善兵衛・孫三郎中津へ被召寄せ候ニ付、江戸へ言上候下書ニ写候て、御奉行所へ
召寄ス      |  参候様子、無相違ニ御奉行衆ゟも言上可有通ニ候事
         |   (速見郡)       (速見郡)      (穿)
天領ノ走者    |一、豊後脇浜之久三郎を、由布院へ連させ、賈鑿ニ被遣候処ニ、芦田與兵衛所ニ奉公仕、罷居者ニ而
         |  候、與兵衛路次にて見付候て、書状相添被越候、宇野七右衛門所ゟも返事御座候事、但、召連参
         |      (牧)
         |  候御鉄炮衆長三郎与赤尾少介・右田少太夫、酉之上刻ニ久三郎召連、罷帰候事、
難破船船頭ノ書物 |一、御船頭助太夫・理右衛門穿鑿ニ猪右衛門・市丞参候、書物仕上ケ候、一昨日ノ書物ニ無相違候事、
         |                                 〃
         |

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■まだ聞けず百舌鳥の高鳴き

2019-12-28 10:26:13 | 徒然

 私が住む「尾ノ上」という地区は新興住宅地だと言っていい。かっての広い農地はマンション用地に替り、5~60坪ほどに区分けされた土地にいかにも今風な建物が立ち並んでいる。
中には広い住宅敷地の隣に7~80坪の畠付きというお宅が見受けられるが、もともとこの地に住んでおられた地主さんであろう。
そんなお宅の畠には、いろんな野菜やかんきつ類が育てられている。一隅では落ち葉や残飯をたい肥としておられ、これらを切り込んで土地は黒々としている。
散歩の途中、その畠の中に立てられたそう高くはない一本の竹のてっぺんに「百舌鳥」が止まっているのを見かけた。
尾の長い奇麗な羽根の色のオス鳥だったが、カメラを向けたら飛び立ってしまった。証拠写真がとれず残念の極みである。
今年は「百舌鳥の高鳴き」をまだ聞いていないが、百舌鳥()といえば宮本武蔵の『枯木鳴鵙図』が有名である。
この絵のごとくこの鳥は高い木のテッペンに止まり、あたりを睥睨して高い声で鳴き存在を主張する。
高鳴きは縄張りを主張するためだとされるが、鳥の数自体が減って縄張り争いも必要ないのかもしれない。
近くに自衛隊周辺や健軍神社の森などがあるから、わりと小鳥を見受けるが、それでも高層建築が多く立ち並び、鳥たちにとっては住みにくい環境になりつつある。
以前は「早やにえ」なども見たことが有るが、もう見かけることはないだろう。
起き掛けで髪の毛がボサボサの状態を「モズの巣」というのだと祖母に教えられた。何故そう言うのかの解説は受けていないが・・・

                      放牛の像ある寺や 鵙の声  津々



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■「阿部茶事談」(10)釈文

2019-12-28 06:54:26 | 史料

10     て参り切腹の時五助犬尓向ひ云やう此度
      大殿様御逝去被遊御高恩の面々御供申上
      る也 我死するならば己連ハ今日ゟ能ら犬と
      可成事不便さよ 御秘蔵の御鷹ハ御葬礼
      の時春日寺の井尓落て死する 是も御供申
      上からならん 己連も御鷹下尓牽連たる事
      なれば家と共尓死せんとハ思わすや 生て居て
      能良犬と成んと思わで此飯を喰ふへし 我と
      同し敷死ならハ飯を喰ふへから須と握飯を
      与へける尓此飯を見たる計尓て喰さりけり
      其時さらば死ぬるかと云けれハ尾をふりて
      五助か顔を守り居りけるを去は不便なから我手尓
      掛るとて引寄せ刺殺し自身も潔く切
      腹す 五助辞世とて其比人の取はやしける歌尓
        家老衆の登間連/\とおしゃ連とも
          留て留らぬ此五助かな
      と謂うて御鷹匠衆ハ御座らぬか御犬牽ハ只
      今参る也と笑て腹を切けると也 又五助尓実
      子幼少有ゟ出家尓成居ける由依て五助妻女
      尓五人扶持家屋敷共尓被げ御年回尓ハ御香
      典拝領此後家三十三回恩忌迄ハ存生せしと
      かや五十年御忌尓ハ果ける養子も未不被

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■大つごもり

2019-12-27 17:49:36 | 書籍・読書

 月の最期を「晦日=みそか」という。一年の最後、十二月の晦日は特別に「大晦日」、「おおみそか」の方がなじみ深いが「大つごもり」ともいう。
資料によると陰暦の月末は、月が隠れることが多く「月隠=つきがくれ」と言ったものが、音変化して「つごもり」となったとする。

今年は年賀状も早めに出したし、なんとなく余裕の年末である。奥方は忙しくしているが、わたしはというと散歩とブログと読書で一日を過ごしている。
さて今日は何を読もうかと本棚を眺めているうちに、私にとっては年末恒例の樋口一葉の「大つごもり」を読もうと、岩波の薄っぺらい一冊を思い出した。
古い本で岩波特有の色合いが、ますます茶色く変色して少々不衛生にも思えるほどだ。
頁を開いて一気呵成に詠みあげた。文語体が味わい深い。
主人公のお峰は両親を亡くし、幼い弟を伯父・伯母に預けて自らは奉公に出ている。伯父も伯母も弟によくしてくれるが、伯父は病で寝込んでしまった。
8歳の弟は学校から帰ると、シジミ売りに精を出すが一家の生活は厳しい。暮れには借金の返済日が迫る中、お峰は安請け合いをしてしまう。
そして、当日弟がその金を受け取りにやってくる。切羽詰まったお峰は、とうとう主家の大事なお金に手を付けてしまうという話である。
「人情咄」の世界だが、意外な顛末も驚かされる。
伯父の家が「小石川」であったり、主家の沢山の貸家が「白金臺町」にあったり、そんな設定も愉快である。

毎年暮れになると必ず読んでいるが、年を重ねたせいか、少々うるうる状態の自分がある。
青空文庫に収蔵されているから、是非お読みいただきたい。https://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/388_15295.html

 

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■細川小倉藩(110)寛永元年・万日帳(十月廿五・廿六日)

2019-12-27 07:16:21 | 細川家譜

                        (寛永元年十月)廿五・廿六日

         |                                    
              廿五日 両人詰 天気能候 
         |
忠利書状到着   |一、広浜加右衛門、昨日酉ノ下刻ニ、江戸ゟ下着候由候、去月廿七日ニ江戸を罷出候由候、 御書参
         |   (米田是友)  (矢野)  (善右衛門)
         |  候、甚左衛門・助二郎・福田所へ御一通之 御書頂戴仕候事、
         |
         |一、御鉄炮衆弐人、江戸を当月九日ニ罷出、昨日申ノ下刻ニ下着候由候事、
         |                                  
古木小屋火事   |一、夜前五つ時ニ、ふる木こや火事出来仕候而やけ申候、残之御蔵共ハけきり申候、御材木なと少々
         |  やけ申候事、
         |          (博多)
黒田家朝鮮信使乗 |一、鏡善右衛門登城、はかた相ノ嶋ニ付置申候御小早参候、官人舟昨日五つ時分ニ参候、筑前ゟも引
船ノ引舟ヲ数多供 |                                         
出ス       |  舟共あまた出申候、こなたゟハ如何被成候哉、式ア少殿へ被参候而、其由たんかう可仕之由、被
         |   (申脱)
         |  渡申候、

         |        (厚狭)      (梶浦)                      (曾根、規矩郡)
米盗人ハ長門ノ日 |一、昨日長門国あさ之郡かぢうらノ孫市と申者、御国へ日用ニ参、そね村ニ居申候が、同村ノ甚五郎雇        |                   (京都郡)

         |  と申者の所ニ而、米壱石ぬすミ、壱俵ハ苅田へ持参うり、残壱俵ハ草ノ中ニかくし、取出シ候ヲ
         |  見付、からめ取候事、
         |
大工小屋ノ番人失 |一、林弥五右衛門登城、大工小屋之番ノ者、火事出来申ニ付、如何可仕哉と、式ア殿へ相尋申候へ
火ニヨリ入牢セシ |                    被  
ム        |  ハ、籠者可申付之由御申候間、其分ニ可御申付之事
         |                               平郡嶋松か崎(周防大嶋郡)
風難之米船米ヲ投 |一、式ア殿ゟ上納被成候御米、豊後ゟ西郷太郎兵衛舟ニつミ上せ候ニ、いわう嶋ニて大風ニ相申、
棄ス       |               (田中氏久)(加藤)            (祝嶋)
         |  御米うち申由、所ノ庄屋処ノゟ猪兵衛・新兵衛所へ状参候事、
         |

         |                                    
              廿六日 両人詰 晴天 
         |    (淡路)
         |一、樋口あわぢ夜前大坂ゟ下候事而登城候事、江戸ゟ御舟頭衆へ被仰渡儀候て、則あわちへ被申渡
         |                   〃
         |    (巨細)        衆
         |  れ、こさいノ儀ハ御奉行三人斗、ひノ口へ御申候事、不存候、
         |                        〃
         |     (小笠原長元)(米田是門)  (矢野)              (正直)  (慰英)
惣談       |一、式ア殿・民ア殿・與右衛門殿・利斎御登城にて、御奉行衆、河喜多・仁保なと御本丸へ被罷上、
         |  惣談候事、
         |
到津村ノ困窮セル |一、同中津御奉行衆式ア殿・民ア殿へ奉書参、到津村之善兵衛・孫三郎手前不罷成由、 三斎様被聞
百姓ヲ三斎召寄ス |  召付候条、中津御領へ可被召寄せ、御諚候条、被得其意候へとの儀ニ候、いかゝ御請合仕哉との
         |  儀、とかく 御諚次第、又ハ善兵衛・孫三郎次第ニ可仕との談合ニ究候事、則上田忠左衛門ニ式
         |  ア殿・民ア殿被仰渡候事、
         |同  (英貴)
下人大坂城普請ヨ |一、有吉頼母内こミかど惣左衛門下人、大坂御普請ゟ走り候ニ付、彼妻子をとり候て、田川郡之庄
リ走ル      |                              (築城郡)
         |  や所ニしちニ置候、然ハついき郡之内中津御領分之者ニ而候間、高塚村へ指返候へと、御年寄衆
         |  へ中津ゟ奉書参候、則御両人ゟ頼母殿へ被仰入、女帰候ニ相究候事、
         |
新銭鋳造     |一、新銭出来次第、銭遣ニ可被仰付哉と、御奉行衆ゟ談合ニ候、 御諚之上ニ候間、不及談合、銭出
十二月朔日寄り通 |  来次第遣候様ニ可被申付之由候、然らハ、十二月朔日ゟ遣候様ニ可申付之由候事、  
用        |
         |同    (加室、周防大島郡)
難破船船頭ヲ質部 |一、今度かむろにて破損舟之御船頭両人、ともニしちへやへ入置、穿鑿可仕旨被 仰下候ニ付、両人
屋ニ入レ穿鑿ス  |     (へ脱)
         |  共ニしち屋へ被入置候事
         |
家中へ懸リ米   |一、御家中へ懸り米大分有之儀ニ候、其内かゝり申間敷者も御座候、野田小左衛門中津ゟ罷帰次第
         |  ニ式ア殿へ寄相候て、吟味を可仕之由、式ア殿・民ア殿御申候、各同心被仕候事、
         |(横山重嘉)(仁保慰英)(栗野)    又                             (山か)
金山新銭鋳造場見 |一、助進・太兵衛・伝介御金山、新銭鋳申様子なと見候て、昨夕罷帰候事、幷高原次左衛門手前算用
分        |  之儀共被申渡候由候事、                   〃
         |

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■原文に触れる「阿部茶事談」(12)

2019-12-27 07:14:19 | 史料

                                 

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◇冬の風景‐みのむし

2019-12-26 14:50:10 | 徒然

                                  

 何か珍しいものでもあればと思い、カメラをぶら下げて散歩に出る。
もう一つ目的があって、街路樹の山茶花についている実を一つ二つ頂戴しようという魂胆である。
七八本ある山茶花の木をこまめに眺めながら歩を進めていると、山茶花の小枝を身にまとった体長4㎝ほどの現役のミノムシを発見・・・
なかなか芸術的な作りではないか。早朝の雨でぬれているが、口を閉じれば防水機能の満点の衣で心配はいらない。
亡くなった母が、ミノムシでつくったがま口を持っていたのを思い出すが、一枚一枚開いて裏返し菱型にして数十枚縫い合わせてあった。
色合いはその侭で何とも地味な感じではあったが、こんなものまで材料にして物を作るすごさを感じたことだった。

山茶花の実はほとんどがはじいてしまって、二つだけ採取、はじけたところで植木鉢に植えてみようと思っている。

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■原文に触れる「阿部茶事談」(11)

2019-12-26 12:40:33 | 史料

                                 

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