津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■今朝の風景

2019-06-30 07:40:36 | 細川小倉藩

             雨の合間をぬって

                           風鈴の尾を切るごとく 暴れ梅雨  津々


 朝早くアラーム音が鳴り、自動でTVにスイッチが入った。どうやら大雨に関する情報らしい。
外はすさまじい雨である。とても朝散歩に出られるような状態ではない。今日は日曜日だなと確認して又ベッドに入った。
7時前には起きようと思ったが30分ほど寝すぎてしまった。
昨晩は冷房を切ってサッシュを少し開けて寝たのだが、雨と共に台風並みの風も吹いてそれどころではない。                      
激しくなっていた風鈴もなんとか尾を飛ばされずているが、ベランダに並べた植物類はどっぷり水をかぶり、しばらくは給水の手間が省けそうである。
66年前(昭和28年)の6月26日、熊本は白川が大氾濫、未曽有の大災害となった。数日雨が降り続いた結果であったがそんな感じの雨が数日続きそうだという。
被害が出ないことを祈るばかりである。

                  

 

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■清田家の系図を再び精査する

2019-06-29 10:45:31 | 人物

   清田氏については過去いろいろ書いてきたが、どうもしっくりせずに来た。
多くのコメントもいただいているが、これらを精査し、関係書籍や、サイトなども拝見して私なりにこうではなかろうかと考えたものがこの略系図である。
ご批評いただければ幸いである。

                    +--鎮隅(天正15年・1587)豊前長野一揆に出陣し、戦死
                 | 
               ‖-------------+--五郎大夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(二百石・直家)
      清田掃部鎮忠 (寿閑) ・

           ‖-------------+--(夭折2歳?)         
 大友宗麟-----ジェスタ       |               
           ‖       +--マグダレナ(殉教・列福)(レオン・パジェス著、日本切支丹宗門史・下巻)
      (一条兼定)     |         
           ‖       +------凉泉院    大坂陳一番槍高名・石見
      (一式氏女)         ‖--------+--七助乗栄(室・忠興妹伊与の娘)・・・・・・・・・・・・・→(二百石・弥八郎家)       
                 +----主計鎮乗    |                            

                 |         +--与三右衛門(刑部家附)
                 |         |   
                 |         +--左近右衛門
                 |                      |
                 |         +---幾知(圓通院)      +--立孝・・・・・・・・・・・・・→(宇土細川家)
                                                |                    ‖ -----------------|
                                                |               細川忠興            +--興孝・・・・・・・・・・・・・→(細川刑部家)
                 |
                 | 実兄                  初代               
                 +----
志賀親次------虎左衛門------少兵衛・親勝・・・・・・・・・・・・・→(二百五十石・志賀太郎家)

                      (細川家家臣志賀氏系図、サイト白鷺×城下町を参照されたし)

 

 1、清田掃部鎮忠 (寿閑)には二人の男子と三人の娘がある。前者は先妻の子供であろう。
   後室・ジェスタ(大友宗麟長女)の連れ子(一条兼定・室一色氏子)とする説も見受けられる。
   三人の娘についてはジェスタの子供であろう。
 1、長女は夭折、
 1、次女マグダレナは敬虔な切支丹として殉教した。(レオン・パジェス著、日本切支丹宗門史・下巻)に記載するところである。
   この人物の特定はなかなか難儀である。今後の課題としたい。
 1、三女は凉泉院、彼女も切支丹であったことから、その類族とともに、細川藩における「切支丹類族改」の対象とし、「私家来清田石見母転切支丹凉泉院系」に
        詳しく記録が残されている。

 1、凉泉院は志賀親次の弟・主計鎮乗と結婚した。嫡男・七助乗栄(石見)は大坂陳一番槍として高名である。
 1、凉泉院の娘・幾知(または吉、圓通院)が細川忠興の側室となり、立孝(宇土細川家)、興孝(細川刑部家)二人の子を為した。
   但し「切支丹類族改」に於いては記載されていない。細川家を慮っての配慮が見受けられる。
 1、以下に掲げるそれぞれの史料と照らし合わせても、必ずしも整合はしていない。提案の意味を含めて略系図にしてみた。

 

史料・論考等
 1、大友氏と共に生きた時代、"豊後清田"の要約書として、(清田泰興氏、2005-07-07 ご教示による)
      ・清田庄史談1~4(福田紫城氏論文).清田氏の興亡(1)~(4)(稗田茂氏論文)
 1、「清田一族」(狩野照己・前田重治 共著)
 1、凉泉院について  上妻博之編著『肥後切支丹史・下巻』(1989年(株)エルピス発行)
              

 1、『西国武士団関係資料集』26「戸次文書・清田文書」  芥川龍男,福川一徳 編校訂 文献出版     現況入手不可 
 1、マグダレナ・キオタについて  日本切支丹宗門史「下巻」レオン・パジェス著 
 1、「土佐史談」207号 土佐切支丹外史ーマグダレナ・キオタ考ー(p35~41)
   1、豊後王大友氏家臣・清田氏資料集成

 

其の他
 1、
豊後清田氏とキリスト教
    清田カトリック資料(1)レオン.パジェス/日本キリシタン宗門史 Kiyota
 1、秀逸の「花久留守‐宮本次人キリシタン史研究ブログ」
         清田凉泉院とマグダレナ清田のこと(上)
         清田凉泉院とマグダレナ清田のこと(下)

         『16・7世紀イエズス会日本報告集』による清田一族にかんする記録(史料)

          清田鎮忠・ジュスタ夫妻の男児の有無に関する考察

         「桑姫」再考―あとがき―  宮本氏は過去の推論を否定し、桑姫はジェスタであろうとの結論を得られている。
         隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考・その⑦―
         隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考・その⑥―
         隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考・その⑤―

         「桑姫」再考―その④―
         「桑姫」再考―その③―
         「桑姫」再考―その②―
         「桑姫」再考―その①―

          桑姫御前は「マダレイナ清田」か⑦
         桑姫御前は「マダレイナ清田」か⑥
         桑姫御前は「マダレイナ清田」か⑤
         桑姫御前は「マダレイナ清田」か④
         桑姫御前は「マダレイナ清田」か③
         桑姫御前は「マダレイナ清田」か②
         桑姫御前は「マダレイナ清田」か①
         桑姫御前の謎②
         桑姫御前の謎①

 

 1、志賀親次について  「大友氏顕彰会報・第23号」(2016・2・1発行)全10頁の5~6頁掲載

  

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■「アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反」

2019-06-28 13:27:58 | 徒然

 goo blogの事務局から「アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定されにより現在、1件の記事を公開停止させていただいております。」という連絡が届いた。
【理由1】知的財産権(著作権・商標権等)、名誉、プライバシー等の権利侵害 とある。
「えっ何事??」と思い、その「1件」が下の記事なのだが・・・「これの事か?」とすぐさま理解できた。


  これは7年前(2012-11-08)に書いた 「伊丹三樹彦 vs 荒井(松任谷)由美」という記事だ。
指摘を受けた記事は訂正するのもしゃくだからUPしないことにしようかとも思うがこういう記事も「知的財産権(著作権・商標権等)、名誉、プライバシー等の権利侵害」にあたるということである。

下の記事がその時のコピーだが、******* 部分に一番・二番の歌詞をご紹介したのだ。
一番の歌詞の5行目の「ソーダ水の中を 貨物船がとおる」という部分を強調したかったからに他ならない。
これがアウトになったようだ。私にはまったく悪意はなく、ただただお二人の才能に対し敬意を表したつもりなのだが・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  

      「伊丹三樹彦 vs 荒井(松任谷)由美」   2012-11-08

 最近、伊丹三樹彦の句集「神戸・長崎・欧羅巴」を手に入れて読んでいる。
句調は現代句とでもいうのだろうか、私にはちょっとついていけないものがあるが、この句集の題が示すようになかなかお洒落である。
そんな中に次のような句を見つけた。
                 シェーカー振る 角瓶越しにタンカー浮き   (神戸編・煉瓦煙突から)

  これを読んだとたん、荒井由美の「海を見ていた午後」を思い出した。

           ****************
           ****************        
           ****************
           ****************        
             ソーダ水の中を 貨物船がとおる
           ****************
 

 松任谷(荒井)由美がこの舞台となったレストラン「ドルフィン」を訪ね、作詞に至った状況をTVで話しているのを見たことがあるが、まさにカウンター(テーブル?)の上に置かれたソーダー水に、後ろの窓越しに遠く貨物船が通っていくのが映り込んだのだ。すごい観察力とすぐに詩にまとめる素晴らしい能力に恐れ入って観たことをおぼえている。 

 神戸と横浜、バーとレストラン、夜と昼などの違いはあるが、二人の感性は見事にその風景を切り取り表現している。
まさに天才のなせる業であろう。(70爺にもお二人を天才と思うだけの感性は持ち合わせている) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

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■本郷和人氏著「戦国夜話」から(2)

2019-06-28 09:15:03 | 書籍・読書

 第11夜では本郷教授は「細川家の大坂城人脈」を記し、氏家卜全の息(二男)・行広(荻野道喜)行継(三男)を取り上げている。
卜全の死後、行広はその遺領・桑名の城主となったが、関ヶ原に於いては西軍に加担し改易された。しかし大阪の陣に於いては再び西軍に加担、落城に際し城内で自刃している。(淀君を介錯したとも伝えられる)
その弟・行継も関ヶ原に於いては兄と行動を共にしたが、こちらは高野山に蟄居した。のち忠興に6,000石の知行をもって召し抱えられた。
                        
私は氏家家のご当主が出版された「氏家家永代記録」という本を所持しているが、氏家家の史料に於いては、本郷氏の御説通り行広を二男、行次(行継・元政)を三男としている。

ここには「肥後讀史総覧」からの引用として系図が掲載されているが二男・三男が逆転している、これは本郷教授の御説や氏家家で伝えられている史実とは異なる。参考の為に掲載されたのであろうが、間違っている旨の記載があってしかるべきではなかったのか?
この系図が引用されることが多く、真実が伝えられるにはなかなかむつかしいものがある。

後に細川家に仕えた行継の娘は、忠興の二男・興秋に嫁いで女子(鍋)をなしている。その興秋も大坂陣に於いては西軍に加担し、こちらは父・忠興の命により自刃した。
行継女と興秋とは離別することになるが、氏家家資料によると、これは二人の間が不仲であった事が原因らしい。
飛鳥井中納言持信に再嫁しているが、忠興の配慮であることが判る。



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■「どんぐり」の本

2019-06-27 14:42:10 | 書籍・読書

 史談会の会員でもある S さんは、ドングリを探して世界の各地を回るなどされた「どんぐり博士」でもあった。
前回の史談会でお話を頂いたのだが、これが出席者の大好評を得た。
私も「ドングリ」の事を知りたいと思い、氏に本を紹介していただいた。Amazonや日本の古本屋などで購入したのが、この三冊である。

                

 読了するには相当な時間を要するが、斜め読みをしてみても、なかなか面白く興味深いものがある。
歴史関係の本の中に、すでに場所を得て鎮座している「照葉樹林文化」の横に並べた。

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■元和九年・覚書(閏八月朔日~閏八月七日)

2019-06-27 06:10:40 | 細川小倉藩

 元和九年には八月に閏月がある。以下の日付の頭にある「壬」は「閏」を略して記されている。つまり門構えを外して壬と表記している。
閏という文字は会意文字であり、「門」と「王」が合わさったもので、「王が門の内側に篭って休むこと」が原義だという。
閏日や閏月には王が政務を休みにした事から、「追加された日や月」「うるう」という意味になった。

         |
         |      壬八月朔日      
         

         |   弥五右衛門ニ、さしかミニて申遣也                
鉄炮試射     | 一、ミつからミ御鉄炮、明日ためし申事

         |
         |  (小笠原長元)                                     殿様御父子様共ニ
忠利三斎京ニテ賜 | 一、民ア殿ノ使、京ヲ去月廿一日ニ罷立、大坂ヲ廿五日に出船の由申候、三斎様御暇ハ廿一日出申
隙        |     (徳川家物)
         |   候、当将軍様ノ御暇ハいまたニて候つる由申候
         |
川成改奉行    | 一、川成改之衆、今朝未明ゟ被罷出候也
         |
         | 一、弐間ニ参間之家弐つ
         |   〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |
         |
         |      壬八月二日 曇      
         |  (猪兵衛)
         |   冨嶋与ノ内藤左太夫ニ遣也
         | 一、横田宗清へ遣状之事
         |
北ノ丸掃除ノ者  | 一、北ノ丸さう地ノもの之事
         |
         | 一、弐間ニ参間之家弐つ、京都郡之内、山口村四十人頭清兵衛
         |
         |
         |      壬八月三日 雨天      
         

         |   忠左衛門くミ   三丞くミ  (ママ)
         | 一、中井作左衛門・山口三次
         |
         |
         |      壬八月四日      
         |

野瀬某隠地ノ報  | 
書物不念ニツキ差 | 一、野瀬喜左衛門知行ノ内、隠地在之由申来り候へとも、書物不念ニ候間、もとし申候
戻ス       |                (友好)
         | 一、桜井少左衛門小性久介、松井宇右衛門へ戻り候を、外記ニ渡候
         |
百姓未進ニツキ売 | 一、志井村之惣右衛門未進之儀ニ付而内、三石弐斗五升ニ、馬壱疋・牛壱疋・古畳七帖売立、御蔵切
立        |              〃〃〃〃〃   
         |   手取置候間、此分ハ御算用立候カくれ候へと、御代官衆被申分ニ候へ共、惣右衛門籠者仕候而、
         |   以後ニ売被立儀候間、右之三石弐斗五升之米ハ、杉弥三郎方へ可被相渡候、御代官奥田孫右衛門・
         |   手嶋小右衛門ニ可申渡候事
         |
         | 一、小田村與三右衛門女房、親以来ノ田地作仕事
         |
         |
         |      壬八月五日 晴天      
         |

         |   かうりざとう     斤目、合千弐百六拾六斤半、ふうたい共ニ
氷砂糖      | 一、樽数弐拾壱   正味、合千三拾弐斤百四拾目也
         |           ふうたい弐百四拾七斤半也、桶一つニ付、拾壱斤半宛
         |
         |   塩ざとう       斤目、合三千七千百七拾四斤半、ふうたい共ニ
塩砂糖      | 一、桶数合六拾五  正味、合三千弐拾七斤也
         |           ふうたい七百四拾七斤半也、桶一つニ付、拾壱斤半宛
         
|    二口ノ正味、合四千五拾九斤百四拾目也

         | 一、七百弐拾参匁壱厘弐毛五拂ハ丁銀  砂糖氷代、壱斤ニ付、七分宛也
         | 一、壱貫八百拾六匁弐分ハ丁銀也    塩砂糖代、壱斤ニ付、六分宛也
         |    二口銀、合弐貫五百三拾九匁弐分壱厘弐毛五拂也
         |
規矩郡下北方村新 |   規矩郡下北方村新町立申家道具事
町家道具     | 一、弐間に三間ノ家壱軒           中国ゟノ牢人  與三兵衛
         | 一、弐間に三間ノ家壱軒       下ノ北方吉右衛門名子ニて候 仁介
         | 一、弐間に三間ノ家壱軒            田川郡ゟ参候者 與三右衛門
         | 壬八月五日
         | 一、弐間・三間ノ家壱軒            先年ゟ新町ニ居候 弥介
         | 同日
         | 一、弐間・三間ノ家壱軒                守垣村ゟ参候 彦五郎
         | 同日
         | 一、弐間・三間ノ家壱軒          吉右衛門名子ニて候 新左衛門        
         | 同日
         | 一、弐間・三間ノ家壱軒                                   先年参牢人 茂兵衛
         | 同日
         | 一、弐間・三間ノ家壱軒          二郎左衛門名子ニ而候 甚兵衛
         |                  家数合八軒也
         | 同日
小獺上ル     | 一、ちいさき川うそ壱疋、宇佐郡日岳伝右衛門手永ゟ上ケ申候事
         |
         | 同日                 (勧進)      (歌舞伎)     (出狂坊)         (猿引)  
金山停止ノモノ  | 一、金山停止之もの 一、諸くわんしん 一、かふき 一、てくるはふまわし 一、さる引 此外仕も
         |   のにても、金ほりこのもの手前ゟ、ものもらいニ出候ものたるへし
         |
         | 同日(小笠原長元)
忠利大坂ニ着ス  | 一、民ア殿ノ使、京ヲ廿六日ニ立、大坂ヲ廿七日に出船仕り、今日後八月五日ニ下着仕候、 殿様
         |   廿九日ニ、大坂へ被成御下着、去二日、三日ノ間ニ御出船と申也
         |
         | 同日
三斎時代ハ留守中 | 一、御留主中ハ、先代ハ夜御城ニ不相詰候〇由、民ア殿今日御物語候て承候間、則、利斎、又御番衆
ハ夜詰セズ    |   なとへ相談仕候ヘハ、三年が間御用候へば、夜相詰候間、今以ハ少之間ニて候間、御用候ハヽ、
夜ノ間ノミ夜詰  |   夜宵ノ間相詰、■■むさとしたる者出入無之候様ニ可仕との、談合ニ相究、則、相詰申候也、
         |
         | 同日     (船頭頭)
         | 一、鏡善右衛門、今朝出船仕候
         |
         |
         |      壬八月六日 晴天
         
|   だいり=大里

大里茶屋ノ清掃  | 一、内裏御茶屋ノ掃地ノ儀、茂左衛門ニ申渡候
            かわら いのひざ
         | 一、香春猪膝両所御宿誘ノ儀、四郎左衛門・二郎右衛門ニ申付候
         
         |
         |      壬八月七日 雨天
         

         |   知行高弐百石
         | 一、磯部長八(五)郎、此地罷居候儀、此中不存候而、何も御小〃性衆御目見えニ被罷出候せんさくニ付、
         |   しれ申候事
         |                     磯部長五郎→当家の初代・庄左衛門の実兄で同じ時期に召し出された。
         |  (細川立孝)    (国東郡)
女ノ出入     | 一、御坊様御知行麻田村ノ市右衛門と釘本半左衛門と、女之出入ニ付て、国東之御惣庄や小原太郎右
         |   衛門・重藤村之庄屋・女ノ弟長蔵罷出候間、様子申渡候事 

                          
                        
    

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■本郷和人氏著「戦国夜話」から(1)

2019-06-26 17:54:20 | 細川小倉藩

 東大史料編纂所の人気教授・本郷和人氏の著「戦国夜話」は、「細川家」「前田家」「上杉家」の三家を3章72夜(話)で語られている。
第1章の第1夜~第21夜までが「細川家の巻」である。氏の洒脱な語り掛けるような文章は肩がこらずによい。

                      

その第20夜が「廃嫡された細川家長男と西園寺家」である。本郷教授は忠隆の四人の娘は前田利家女・千世姫の子と断定するような書き方である。
上の三人の娘、徳は慶長10年、吉は慶長13年、福は同14年に生まれていることは以前「永源師団壇紀年録」の記述を典拠としてご紹介した。
もう一人の女子・萬は夭折したらしい。(平成宇土細川家系譜)一方、細川家主要家臣系図には、久世通武に嫁いだクノという女性が紹介されている。
このあたりが整合していないのが少々気になる。

本郷教授の解説によると、父忠興によって廃嫡された忠隆は、利家女千世姫と離婚することもなく幽齋のもとに身を寄せていたというのである。
幽齋の知行が二人の生活の支えとなったが、その死(慶長15年)後は細川家から3,000石が支給されて生活は安定したという。
長女・徳が西園寺家に嫁している。徳は先に記したように慶長15年の生まれ、その嫁ぎ先西園寺家とも親しい間柄であったろう。
そして徳が西園寺家に嫁いだ後は、忠隆から500石を分与されこれが西園寺家の生活の基盤になったという。
父・忠興の離縁の勧告を押し切って京に住み続けた忠隆が、何故千世姫と離婚するに至ったのがよく理解できない。
前田家資料に於いても、二人の離婚の時期や、千世姫の再婚の時期などを知ることが出来ない。
娘たちがそれぞれ嫁いだ後、忠隆の許を離れたという事だろうか。
しかしながら、著者は東大史料編纂所の教授であられるから、これらの事についてははっきり認定しうる典拠をお持ちなのであろう。
問い合わせをしようかとも思うが、僭越の極みではあり少々モヤモヤが残る。


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■梅雨入りの報やらボヤ騒ぎやら

2019-06-26 13:32:56 | 熊本

 九州中部・北部がようやく梅雨入りした。台風も接近していてこちらの影響もあって明日くらいは大雨の予想が出ている。
一気に季節がかわったという感じだ。

                        「桜町開発ビル」の画像検索結果 

                 桜町再開発ビルで火災 周辺は一時騒然 TKUニュースの映像から

 そんな中、九月にはオープンだという市中心部の再開発ビルで火事の一報が友人から入ってきた。
熊本では1973年、太陽デパート火事が発生し100名を超す死者が出た。
そんなことが思い出されて詳細がわかる迄やきもきしていたが、TV各局のチャンネルを切り替えても何所の局も平常番組を放送している。
しばらくしたら「鎮火」の情報と共に映像も映し出された。6階の広いバルコニーに積み上げられた資材が燃え出したらしい。
最後の追い込みで現場には多くの作業員が入っていたが、全員避難したが、交通は遮断され、現場のまえがバスターミナルであるため、バスの運行もストップしてしまったらしい。
大がかりな放水がなされて鎮火に及んだようで、少なからず被害が出ているのではないか。
しかし、まずは一安心である。気持ちを引き締めて頑張っていただきたいと切に思う。

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■元和九年・覚書(八月廿七日~八月廿六日)

2019-06-26 06:54:41 | 細川小倉藩

         |      八月廿七日 晴天 
         |            

         | 一、黒原町ニ、弐間ニ三間之家壱軒        中国之牢人 甚左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             喜左衛門
         | 一、湯川町ニ、弐間ニ三間之家壱軒            弥左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             源蔵
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             半三郎
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             孫二郎
         | 一、高原新町、弐間ニ三間之家壱軒        中国牢人  太郎介
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             新左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             万三郎
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             小左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             彦兵衛
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             惣左衛門 
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             源五郎
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             半介
畠ニ家ハ建ツべカ |   
ラズ       |   右八人之屋敷、畠ニ家を立候てハならさる所ニて御座候故、其〃ニ見合屋敷をハ相〇へく候、屋
相応ノ屋敷ヲ渡  |   ニ仕分之御年貢ハ被成御赦免候様ニ可申上との、かた書を仕申候也
         |
大坂ノ魚屋ニ魚ノ | 一、大坂ゟ罷下魚や九左衛門ニ、急度魚取候へと、申渡候ヘハ、進上候と返事申候事
上納ヲ命ズ    |
         |
         |      八月廿八日 晴天     
         
|                  八月十六日ノ 
岩間正成下着   | 一、岩間六兵衛、昨廿七日之伴ニ下着、御書、今朝辰ノ刻ニ、御城ニて頂戴仕候
         |                                       岩間六兵衛(1) (2) (3)
迎舟ヲ上ス    | 一、御迎舟、不残差上せ候事
         |
         | 一、米うたせ候事
         |
         | 一、財津市兵衛、手伝ノ御鉄炮衆弐人、山へよひニ遣事
         |
採銅所金奉行ノ交 |   松田五左衛門を加、三人ニて、弐人宛かわり/\ニ可仕候事
替勤務      | 一、採銅所御金奉行ノ事
         |
五十丁立ノ船ノ囲 | 一、五十丁立かこい、其まゝ可置事
         |
         |      (守尚)        (ママ) 
         | 一、長谷川権六殿御着候由候て、
         |
         | 一、門司之御材木、八月廿八日迄ニ、不残仕舞申由候
         |
         |
         |      八月廿九日 晴天     
         

         |                    (米取
利堺前ノ利分   |   利堺以前ニ、御借米奉行ヨリ奉行所へ届無之候間、御借奉行ヨリ利分可被出候也   
宇佐郡借銀取立ノ | 一、宇佐郡御借米奉行蓑田甚丞・米田久介、両人被参、被申候ハ、権八・長兵衛かり銀の出入被
出入       |   申候米ヲ、庄屋・小庄屋ノ預り切手取置由候間、急度銀ニても、米弐ても被払候へと申付候
         |     (ママ)
         | 一、御舟
         |
         |
         |      八月晦日 晴天
         |
         |   利堺過候間、せんさくの上、無念之所ヨリ、利分可出候事
         | 一、真下七兵衛米之事
         |                (米取
利分期限切ノ措置 |   利堺ヨリ以前ニ、奉行所へ届無之候間、御借奉行ヨリ利分可被出候也
宇佐郡借米奉行ノ | 一、宇佐郡御借米奉行手前大唐米三石余、八月七日ニ御蔵入被仕候、吟味候事
大唐米      |
         |   御郡奉行・御惣庄屋・小庄屋よびよせ、せんさく可相極候事
種子米未進ノ詮索 | 一、金津助二郎知行種子米未進滞之事
         |
         |      (守尚) 清水口御門                   (室)
長谷川守尚ヲ応援 | 一、長谷川権六殿清兵衛殿口ヨリ御はいり候て、田町ヨリ諸町ヲ二階町通、大里御通り候、大里御ち
ス        |                                           (重良)
         |   や屋へ瀬崎左助・新貝作太夫ヲ付置、菓子なと上げケ申候、御樽十五荷・三種、此御使谷忠兵衛也、
         |                               

                      

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■いよいよ梅雨入りか・・

2019-06-25 18:35:03 | 熊本

                      「昭和28å¹´ 熊本大水害」の画像検索結果 

 今日の熊本は33度の真夏日、朝早く病院まで出かけたがそんな時間帯でも肌を刺すような暑さである。
それでもようやく、明日から下り坂、週間予報では連日の雨、いよいよ梅雨入りになるらしい。
6月26日は「遅い梅雨入り新記録」となるが、昭和28年には熊本大水害があった日で、わが家は床上1.8mほど浸水して、なんとか命を拾った苦い思い出がある。小学校の同窓生が10数名亡くなった。

どうやら陽性の雨になるような報道もある。被害が出ないように願うばかりである。


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■肥後国中「御家人名附」・(5-完)

2019-06-25 07:06:51 | 細川小倉藩

 以下は豊後領の各手永に関するものであるが、底本「肥後国中寺社御家人名附」に於いては「阿蘇郡」の各手永として扱われているので、これにならいご紹介する。

■阿蘇郡久住手永
     御郡医師          加藤玄栄      
     一領一疋  久住村     筑紫安太夫
           白丹町     同 儀兵衛
           阿蔵野村    志賀秀左衛門
           小園村     坂井丞左衛門
           桐迫村     大塚左太右衛門
           滝水村     志賀満右衛門
           山鹿村     筑紫安之允
           久住町     同 伴右衛門
           右同町     同 恵太夫
           波野村     楢木野五郎左衛門
           山鹿村     伏田善右衛門
           波野村     楢木野宇平次
           久住村     末松喜兵衛
           桐迫村     志賀善右衛門
           久住町     後藤文八
           阿蔵野村    志賀恵蔵
           浪野村     筑紫杢太郎
           中江村     飯田曾平太
     地侍    阿蔵野村    渡辺恵右衛門
           右同村     轟 理三右衛門
           右同村     渡辺彌次右衛門
           右同村     佐藤八兵衛
           右同村     佐藤安右衛門
           右同村     首藤理三次
           右同村     渡辺礒右衛門
           右同村     大塚庄内
           右同村     志賀文太夫
           浪野村     楢木野助左衛門
           右同村     斉藤伊右衛門
           右同村     楢木野市郎右衛門
           桐迫村     吉野惣兵衛
           右同村     渡辺政右衛門
           宮原村     大塚甚太夫
           赤仁田村    進 源右衛門
           右同村     大塚幸太郎
           久住町     志賀権九郎
           中江村     吉田喜平太
     直触    中江村     楢木野角右衛門
           浪野村     楢木野茂右衛門
           宮原村     本江理三右衛門
           小園村       徳右衛門

■阿蘇郡野津原手永
     御郡医師  野津原町    米野順益
     野津原御茶屋 但御番人御切米取
                   山下吉兵衛
     御山支配          河野円右衛門
     一領一疋  野津原村    佐藤林右衛門
           右同村     小野忠兵衛
           右同村     小野団之允
           右同村     熊吉武兵衛
     地侍    入蔵村     橋本源左衛門
           右同村     武田甚兵衛
           胡麻鶴村    角 伝兵衛
           原村      那須宇右衛門
           下詰村     佐藤万右衛門
     井出方定手伝足軽
           下詰村     佐藤東右衛門
           矢野原村    河野丹次
     詰足軽   野津原村    馬場杢右衛門
           右同村     熊谷礒右衛門
           右同村     小野沢右衛門
           右同村     森 丹蔵
           右同村     森 丹助
           入蔵村     橋本忠蔵
           辻原村     河野伝次
           竹内村     那須太三右衛門
           右同村     三浦源右衛門
     社人    矢野原村    立川長門

■谷村手永
     御家人   谷村      工藤弁助
     御郡間触足軽        清田源助
     一領一疋  馬籠村     工藤半右衛門
           谷村      清田善左衛門
           右同村     工藤四郎兵衛
           大蔵村     生権彌五兵衛
           田尻村     馬見塚幸七
           福宗村     猪原貞右衛門
     地侍    阿鉢村     佐藤武四郎
           篠原村     三ケ尻茂四郎
           右同村     同  伊右衛門
           中村      池部団七
           馬籠村     麻生文蔵
           五ヶ瀬村    小原新兵衛
     社司    田野小野村   佐藤河内

■高田手永
     一領一疋  鶴崎村     安達宇兵衛
           国宗村     宇多彌七
           伊与麻村    一万田才次郎
     刀鍛冶   関内村     高田忠行
           右同村     高田則平
           右同村     高田行次
           右同村     高田勝行
           右同村     高田正次
           右同村     高田国平

           浦上御番の役人については27に及ぶ役職とそれにかかわる人数が記されているが氏名は記されていない。

     在医師   鶴村      正庵
           国宗村     養元
           志村      祐伯
           迫村      秀慶
           常行村     宣仙
           上徳丸村    李仲

■関手永
     在触医師  横田村     高山如庵
           
     住吉社   政所村     佐藤備後
     日吉社   丸田村     小野筑後
       宮主          安藤播磨
     関宮神主          関 治部
       拝殿宮主        安倍 亘
       神明社         幸 山城
       釈迦堂         小野隠岐
       文殊堂         小野河内
       天神社         小野近江
       弁財天         幸 久馬
       神楽殿         小野求馬
     
     御郡医師  佐賀関     関 立慶
     一領一疋  市村      高橋丈九郎
     直触医師  木佐上村    渡辺文恭
           佐賀関     上野正璞

    関御番の役人については5に及ぶ役職とそれにかかわる人数が記されているが氏名は記されていない。

 

     尚、この名簿については正式な時代は示されていないが、諸資料から宝暦年間であろうと推定されている。

                   (了)

       

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■福岡市中央区天神「飯田角兵衛屋敷跡」

2019-06-24 10:11:17 | 歴史

 熊本地震により多大な被害を受けた熊本城の中で、かろうじて一本足で支えて倒壊を免れた「飯田丸五階櫓」は一躍その名をとどろかせた。
現在は櫓は解体され、石垣の復旧に取り掛かっている。(古い石垣が発見されるなど話題は尽きない)
加藤清正に仕え三傑と称えられ、「飯田丸五階櫓」にその名をのこした飯田角兵衛は、加藤家没落後は熊本を離れ嫡子が筑前・黒田藩に召し出された行動を共にしている。
細川家にも二男の系統か、角兵衛の孫を初代とするお宅があり、明治に到っている。
もう40年以上前だが、福岡市の天神のあるビルで開催されたゼミに出席した際、偶然角兵衛が清正をしのび植えたという「銀杏の木」を見かけたことが有る。
まだ私が歴史にまったく疎かったころである。
以前手に入れた「河出書房新社」が出版した「九州の城下町を古地図で歩く本」を眺めていたら、この「銀杏の木」の話と共に、古地図が紹介されていた。
その説明文をたよりに地図で調べると、現在はタワーマンションが建てられているという。
この土地を取得するときに、福岡市の保存樹となっている「銀杏の木」を残すことが条件となり、現在もその雄姿を見せているという。
                      飯田角兵衛屋敷跡・大銀杏
そしてこのタワーマンションの案内の中の「HISTORY」に、角兵衛屋敷の由来に関する記述も載せられていた。


復元が待たれる熊本城の「飯田丸五階櫓」だが、福岡に於いてはこの「銀杏の木」が保存樹として大事に生き残っていて、飯田角兵衛の名はいつまでも残ることであろう。

 

 

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■元和九年・覚書(八月廿一日~八月廿六日)

2019-06-24 06:03:45 | 細川小倉藩

         |      八月廿一日 
         |             申候ハ

葭奉行      | 一、よし奉行大靏六左衛門屋敷渡候所之分、よし売申度由申候事、当分相使ニ、御鉄炮衆相添申
         |   候由候                          

         | 一、護摩結願ノ事、馬五疋・人足五七人、郡送ニ申付候事
         |                〃
         | 一、御借米奉行御算用ノ案内被申衆、一番ニ熊毛、二番ニ宇佐、三番ニ国東、築城四番ニ築城衆、五
         |                 (正直)                〃〃
         |   番ニ上毛衆、以上五郡ノ衆ゟ、河喜多・財津へ被届次第如此之由也
         |
         |
         |      八月廿二日 晴天 
         |
         | 一、川北平七屋敷之事
         |
         | 一、新地・替地・上り地共ニ、奉公人遣取ノ事、約束日限可召置候との、ふれ状廻候
         |
         |   (元信)細川興秋の娘(錩)聟
         | 一、南条殿へ戻シ候御荒仕子、約束ノ日限相尋候事
         |
         |     
         | 一、牧〇馬殿ノ奉公人請人ノ事、書物ヲ取置、可得御意事
         |    (興相) 
         |
         | 一、御舟頭舟瀬六郎左衛門と、御昇ノ野々村半左衛門と請人ノ出入、徳右衛門・半左衛門を召寄、様
         |   子申聞せ、半左衛門ニ出させ可申候事
         |
         |
         |      八月廿三日 晴天 
         |
         |             (松井興長)(小笠原長元)(河喜多)        (矢野)(横山)(国遠)(矢野)
大坂魚屋     | 一、大坂うおやノ儀ニ付、式ア少殿・民ア少殿・又右衛門登城ニ而、利斎・助進・道倫・助二郎惣談
小倉魚屋ニ入札ヲ |   ニ而、弥 御諚ノことくニ可仕ニ相究候て、吉田少右衛門呼候而、当町ノうおやニ入札可仕旨、被
命ズ       |   申付候へと申渡候事
         |
請人ノ出入    | 一、舟瀬六郎左衛門ト、御昇衆半左衛門ト請人出入ノ儀ニ付、御船手ノ請状取寄せ、見申候上、半左

         |   衛門米出スニ相究候間、併、御代替りノ時、御加子せんさくノ時ニ、請人ノ手前迄せんさく有之  
代替ノ時水夫詮索 |   由、半左衛門申候間、左様之儀於有之ハ、何ノ請人ノ手前お改候との儀■■相究可申旨、申渡候、
ニ請人迄詮索ス  |   道倫・助二郎・助進、三人ニ而申渡候也
         |
         |
         |      八月廿四日 晴天
        
 |      

         |          からむし 
苧ノ価      | 一、吉川九太夫手前、ノ直段相究■可申候
         | 一、 記載なし
         |
         |
         |      八月廿五日 晴天
         
|                                        (矢野)助二郎

         | 一、河喜多平七屋敷望申者在之ニ付、屋敷二つニ〆相渡可申旨、平右衛門ニ申渡候事 (国遠)道倫 
         |                くじ                        (仁保慰英)太兵衛
明家ノ鬮引    | 一、新開長二郎、矢野角右衛門家鬮取ニ取被申候処ニ、高直之由被申、家返し可申由候へ共、先年ゟ
         |   左様ニ無之間、長二郎ニ相渡候へと、平右衛門可申渡候也           右同人前
         |
         |
         |      八月廿六日 晴天
         |  (富田)(組)
国東郡草取完了  | 一、十太与ノ山中弥次右衛門・戸田五平次、国東郡草取仕廻申■■、夜前罷帰ル由候て、被罷出候
         |         
中津郡草取    | 一、右同組川上角介、中津郡草取仕廻、夜前罷帰候由候て、被出候事
         |
         |     (釘)                 宇佐郡
宇佐郡草取    | 一、右同針野権左衛門・中尾五右衛門、草取仕廻、夜前罷帰候由候て、被出候事

         |
上毛筑城郡草取  | 一、右同尾藤仁左衛門、上毛・築城草取仕廻、去廿一日ニ罷帰候由候て、被出候事
         |
京都郡草取    | 一、右同筒井平七、京都郡草取仕廻、夜前罷帰候由候事
         |
田川郡草取    | 一、右同市川九兵衛、田川郡草取仕廻、夜前罷帰候由候事
         |
         |         
魚屋共ニ漁猟権ヲ | 一、当町魚や共、大橋より豊後橋ノ間、上方ノ魚や壱貫めニ請候間、当町ノものニ壱貫めニ請候へと申
競ラシム     |   候ヘハ、請申候儀不成候と、吉田少右衛門登城仕、返事被申候事
         |

                            

                           「豊前国小倉上絵図」 この絵図をクローズアップすると、最北部に「大橋」、最南部に「豊後橋」の書き込みが見える。 

           
           

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■ブラタモリ「白金」そして「阿蘇」

2019-06-23 10:46:11 | 徒然

                                                              ã€Œæœé¦™å®®é‚¸ã€ã®ç”»åƒæ¤œç´¢çµæžœ   ウイキペディアから                                                     

 昨日の「ブラタモリ」、細川家の下屋敷があった「白金」の名前の由来などを含め、詳しく紹介されていた。
旧・朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)」は、アールデコ様式の見事な建物が、このように素晴らしい状態で現存していることは誠に喜ばしいことである。
建築に携わるものとしては一度は見てみたい建物の一つだが、素晴らしい解説付きで拝見して大いに満足したところである。
旧・高松藩の下屋敷跡(白金台5丁目)だが、細川家の白金邸(白金2丁目)にほど近い。上皇ご夫妻の仮御所となる、旧高松宮邸もほど近い。
                         江戸切絵図「目黒白金」(中央に広大な広さの松平讃岐守屋敷、左下に細川越中守の書き込みがある)
 
5代綱利室・本源院はその高松藩の松平讃岐守・頼重の養女である。高松藩松平氏は水戸徳川氏だが、本源院は水戸中納言・徳川頼房の息女である。
つまり本源院にとって頼重は養父であるとともに実の兄でもある。あの水戸光圀公は頼重の弟だから、これも本源院の兄となる。
そういう関係から、いたって近い距離に下屋敷を構えた両家では行き来も頻繁にあったのではないかと推察される。
大変興味深く楽しんだことであった。

次回29日は「阿蘇」が放映される。世界に冠たる阿蘇山やカルデラの成り立ちなど、大いにタモリ氏の心を動かすものと思われる。
               https://www4.nhk.or.jp/buratamori/x/2019-06-29/21/34684/2009138/
              

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■肥後国中「御家人名附」・(4)

2019-06-23 09:34:06 | 史料

■阿蘇郡内牧手永
     御郡医師          片山文庵
        内牧御茶屋番     須藤勘次
        的石御茶屋番     小糸武七郎
     一領一疋  小里村     大塚太次兵衛
           黒流村     大塚佐次兵衛
           小野田村    山本丹右衛門
           狩尾村     吉良平兵衛
           片野村     宇都宮権平
           内牧町     甲斐牛右衛門
           右同町     三井嘉助
           右同町     小原団之允
           乙姫村     松村仙蔵
           内牧町     河瀬佐平次
           永草村     村上左三太
           西町      田代理三太
           内牧町     渡辺仙助
           小里村     大津五平次
           永草村     犬塚百助
           内牧町     河瀬和内
           小里村     大津喜三右衛門
           坊中町     衛藤伝右衛門
           内牧町     田代次郎右衛門
           同       河瀬宇平次
           同       岩本九右衛門
           同       甲斐武助
           同       大津円次
           同       西岡平九
           同       田代半吾
           同       楢木勇平
           同       森 弥十郎
     直触    宇土町     下村文之允
           内牧村     馬場清大夫
           同外料     中村立庵
           同       安達見籠
     地侍    内牧町     奈良丹七
           宮地      小坂梨儀助
           赤水村     多久宇平
           宇土村     伊藤喜右衛門
           小野田村    志賀形助
           役犬原村    蔵原理三次
           小園村     小嶋吟右衛門
           内牧町     加来貞次
           右同町     三井伴蔵
           成川村     山内才助
           内牧町     森 令蔵
     浪人            富岡慶庵
                   高橋左源太
                   小野宗実     
     阿蘇坊中衆徒・行者     (略す)

■阿蘇郡坂梨手永          
     一領一疋          安藤見籠
           坂梨村     高森善右衛門
           右同村     加藤理助
           右同村     江藤七之允
           右同村     大塚金兵衛
           右同村     市原儀七
           右同村     坂梨勇右衛門
           右同村     市原助次郎
           北坂梨村    坂梨彦太夫    
           手野村     林 清助
           右同村     岩田藤内
           右同村     渡辺理平次
           宮地村     草野角右衛門
           塩塚村     山本梶平太
     地侍    坂梨町     石田三九郎
           右同町     江藤理彌太
           右同町     江藤森右衛門
           右同町     市原卯左衛門
           右同町     高森甚右衛門
           右同町     田嶋勘兵衛
           右同町     園田五郎次
           右同町     江藤嘉左衛門
           右同町     飯島郡平
           右同町     小野利平

■南郷布田手永
     一領一疋  下久木野村   野田藤次
           錦野村     今村栄助
           布田村     広瀬寿平
     地侍            西村亦太郎
           宮山村     長野忠右衛門
           長野村     長野形右衛門
           上久木野村   芹口清右衛門
           右同村     今村次右衛門
           久木野村    今村次三右衛門
     寺社    鳥子村     日置相模

■南郷高森手永
     一領一疋  下市村     片山嘉左衛門
           市下村     下村幸平
           白川村     山室七郎右衛門
           竹崎村     山村団次
           下市村     片山彦左衛門
           上市村     山村和左衛門
           下市町     下村伝右衛門
           高森町     武田七郎次
     御郡医師  高森町     古沢仲庵
     直触    高森町     津留彌次右衛門
           白川村     山室宗恕
     地侍    吉田村     林 吉左衛門
           白川村     山村新十郎
           吉田村     林 森右衛門
           二子石村    河内儀平次
           右同村     友田助五郎
           吉田村     衛藤半右衛門
           二子石村    河内角右衛門
           吉田村     衛藤勘右衛門

■南郷野尻手永
     御留守居御番方
           向津留村在宅  野尻伊三次
                   野尻熊之允
     御留守居組御番頭預
           右同所在宅   野尻瀬兵衛
     御中小姓格 野尻村在宅   野尻清右衛門
     右同    向津留村在宅  野尻市左衛門
    
     御郡医師  野尻村     西 秀益
     一領一疋  野尻村     野尻甚兵衛 
           津留村     野尻幾右衛門
           牧戸村     野尻才右衛門 
           中村      本田理三次
     地侍    尾下村     古沢市左衛門 
                   瀬井庄右衛門
                   森 理藤太
                   興梠源蔵
                   野尻忠右衛門
                   佐藤武右衛門
                   佐藤源四郎
                   佐藤勘左衛門
                   白石八郎助
     直触    鶴新町     寺倉元圩
           河原村     野尻左三右衛門

■南郷菅尾手永
     一領一疋  柏村      佐藤伊平
           柳村      佐藤清左衛門
           菅尾村     山村三郎兵衛
           柳村      栗屋用右衛門
           菅尾村     山村次太夫
     御郡医師  菅尾村     山口草庵
     地侍    目細村     工藤勘兵衛
           竿渡村     吉田茂次右衛門
           西竹原村    甲斐角右衛門
           西楮尾村    興梠新七
           柏村      小崎儀三
           小倉村     佐藤武左衛門
           高野村     倉岡喜平
           小嶺村     倉岡茂太夫
     直触    大野村     山口平助
           柳村      佐藤寿見
     寺社 幣立社大野村     春木伊与

■小国
     御郡医師  宮原町     上野甫庵
     一領一疋  黒淵村     室原次兵衛 (但杖立見)    扌偏に乄=
           赤馬場村之内市原村
                   佐藤理右衛門
           宮原村     堤 理七
           赤馬場村    松崎惣市
           右同村     佐藤兵太夫
           馬場村     松崎善右衛門
           宮原村     武石角右衛門
           杉田村之内脇戸村 波多野兵蔵
           黒淵村之内小薮村 大塚喜七郎
           北里村     北里彦四郎
     直触    赤馬場村之内市原村
                   佐藤理兵衛
     地侍    杉田村     北里仁三右衛門
           右同村之内関田村 下城幸右衛門
           中原村     伊藤権之允
           赤馬場村之内年手村
                   橋本仁兵衛
           杉田村     北里助五郎
           赤馬場村之内馬場村
                   波多野貞右衛門
           上田村之内蔵園村 坂田孫右衛門
           幸野村之内江古尾村
                   長谷部源吾
           黒淵村之内城村 松崎理右衛門
           下城村之内杖立村
                   久野忠右衛門 (但湯支配)
           北里村之内塩井川村
                   田北順助
           宮原村     阿津九兵衛
     寺社 高橋
         両社大明神社人
           宮原町     高野因幡

           
  

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