津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

おしゃべりな喪主

2010-03-30 09:03:57 | 随想
 娘婿の祖父にあたる人が亡くなった。正式には祖母の連れ合いである。喪主であるこの祖母殿は、娘婿の母親の実姉というややこしい関係である。つまり姉が妹を養女にしているわけである。祖父なる人は多彩な病歴を持ち、ガンを患っての生涯であったが享年82歳であったから、祖母殿にいわせると、「よう長生きした、天寿じゃ」ということになる。二三度しかお目にかかっていなかったが、お通夜・お葬式に参列した。お通夜の席で一言お悔やみをと思い声を懸けると、速射砲の如きおしゃべりが始まった。ご亭主の病歴から臨終までが時系列で詳細に、それも口を挟む間もないほどの速さで語られる。娘からきいていた「おしゃべりおばあちゃん」が喪主殿で有ることを忘れていた。和室の式場で膝が悪い喪主殿は椅子に腰掛けていたが、妻の「お膝がご不自由のようで」の一言を聞くや否や、今度は主題がそちらに移りとうとうとその予防策についての講義が始まった。まわりの人たちは、喪主殿のおしゃべりについてはとっくにご承知らしく、時折被害者たる我々の方を眺めてくる。お気の毒にといった感じである。一歳二ヶ月の孫(祖母殿から玄孫)が会場を走り回り、参列者に体当たりしていく。笑い声が上がり祖母殿の話が一瞬途切れた。ここぞとばかりに挨拶をして席を離れた。孫の頭をなぜたのは、さよならの挨拶と共に感謝の気持ちを添えてである。祖母殿は二つ三つ作られている話の輪から取り残されて、淋しい喪主の顔に戻っていた。
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「使われることのない鍵」

2010-03-08 22:05:56 | 随想
 ’88年版・ベストエッセイ集「思いがけない涙」の中にあるエッセイである。エッセイスト内田英世氏の筆になるものだが、これは今は壊されてないご実家のものだ。ご母堂が一人お住まいになっておられた。

 私も母の形見の鍵を二本守っている。母が使っていた箪笥の鍵である。タンスと書くより箪笥が似合う古いもので、多分東京から帰る時に持ち帰ったものである。昭和28年の大水害で完全に水没したこの箪笥は、出し入れにも困るようにがたがたになったが、母はこれを使いつづけた。二本の鍵は全く使用不可能になって使われることはなかった。亡くなる数年前に転居したが、その際この箪笥は廃棄処分となった。「もう捨てるよ」という母の一言によってであった。母が亡くなった後、わずかばかりの遺品を整理していたら、文箱の中からこの二本の鍵が出てきた。「何故鍵だけ?」という思いがあった。鉄製の鍵は錆が出ていて、手が入れられた気配はない。サンドペーパーで丁寧に錆を落とし、油で拭き上げるとなかなか捨て難い。現在キーホルダーの一部となって、交通安全の御守りにして入る。

 内田氏の「使われることのない鍵」は、父母兄弟や実家への想いに繋がって氏の手元にある。
私の鍵も同様母への想いに繋がっている。二人の息子に一本ずつ残そうかと考えていたが、私がもって母と再会したときに、「文箱に残された鍵」の謎を聞きたいと思っている。
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不快な事

2008-04-06 22:59:25 | 随想
 数日前から左胸がちかちかする。背中も痛いし、咳も出るし・・いやな感じ。医者に行こうと思うと休診日だったりして・・。妻の友人Mちゃんのご主人が、心臓の手術をして生還した。心配するMちゃんに、「大丈夫だよ、あそこの心臓手術は定評あるから」とか、慰めにもならない慰めをしたものの、自分のちょっとした変調に「ぽっくりって事ないだろうな」と不安になったりする。なんとか75歳の誕生日を迎えるまで、歴史狂いをしていたいという強い思いがある。あと八年と十ヶ月、今までやってきた年月の二倍の時間で、やっておきたい事を済まさなければならない。後期高齢者とかいういやな言葉があるが、お上が仰る言葉だから甘んじてお受けはするが、自らの積極的活動も是が限界だろうと思うのである。あとはおまけだ。問題は「持つか?」という話だ。時々襲う不快な痛みに100%の自信はないのだが、まあ何とかなるだろうという楽観的観測で頑張ろうと思う。逆療法だと思って、今日は「焼酎on theロック」をいただいた。なんとも情けない話で二杯ほどいただいたらよい気分、酒は百薬の長だ、痛みも少し和らいだ気分。もしかしたら心臓を動かしているのは、アルコールではないのか・・・・。(女房殿がお風呂の間にあと一杯いただこう)
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ドンカッチョ

2006-09-09 14:38:01 | 随想
 魚の名前などというものは、地方/\で異なり方言の最たるものであろう。熊本で「ドンカッチョ」と呼ばれる、清流の水底に生息するこの川魚は、多分「ドンコ」なのだろうと思っている。オコゼのような不細工な顔がご愛嬌である。私が子供の頃は、近くの江津湖が格好の遊び場で、魚獲りが楽しみの遊びだった。「湖」とついているが、水前寺成趣園を水源とし加勢川に至る、周囲6キロほどの湖沼である。昔は阿蘇の伏流水を源とする湧水が豊かであったが最近は激減した。それでも、一日約40万トン程を湧水する、熊本のオアシスとして釣りやボート遊びの場所として市民に親しまれている。俳人中村汀女の生家も近く、遠くに阿蘇の峰々を望む豊かな風景は、彼女の作句の心象風景ともなっている。
 昭和28年熊本は未曾有の大水害に見舞われ、この江津湖もすっかり川底(?)が上がって現在にいたっている。それ以前の澄み切った江津湖の流れは小さな川魚の宝庫だった。シビンタ(タナゴ)やアブラメ(?)、ハエ(ハヤ)などが群れていた。下流域では鯉や鮒、うなぎ等の川魚漁も行われていて、舟着には川舟が幾艘ももやってあった。上流部は水深も深いところでも6〜70センチほどで子供達にとっては最高の環境だった。その川舟の下が「ドンカッチョ」にとっての安息の場所で、川舟をゆっくり動かして網で捕らえるのである。当時は「ドンカッチョ」の上に、「イシカキ」という言葉を冠していた。ずっと私は「イシガキ」と濁って覚えていたのだが、「イシカキ」が本当らしい事を最近知った。舟の下といっても、川底にへばりついている訳ではなく、流れに流されまいと石の下の窪みなどに潜んでいる。その石を静かに動かす訳だが、「イシカキ」は「石掻き」なのだろう。大きいもので14〜5センチ、小さいものでも4〜5センチのものを七八匹捕まえて数時間を楽しむと、鼻歌気分でリリースして心豊かに帰るのである。
 後年の事だが、職場の仲間やその家族たちと釣りを楽しみ、釣果を屋外でフライや煮物にして楽しんだ事がある。あの「イシカキドンカッチョ」は、真っ白な身が美しい煮物になって皆の賞賛を受けたものだった。

 最近、江津湖では4〜50センチクラスのシーバスが釣れると聞く。時は流れ魚の世界も様変わりしている。
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