津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■最後の悪あがき

2020-10-15 17:07:27 | 熊本史談会

 史談会の資料を作っているが最後の悪あがきをしている。
いろいろ文章化して、典拠を明らかにしようと思っているが、さてどこに書いてあったかなと思い出すのが一苦労である。
数冊の資料をデスクの横に並べて悪戦苦闘している。このほかにも「地名辞典」だとか「熊本藩年表稿」「フォトグラフ熊本城」「古写真に見る・熊本城と城下町」「マンスフェルトが見た長崎・熊本」「熊本城下町絵図」数点など、床の上に足の踏み場もない。今日中に何とかまとめてこれらを本棚のもとの位置に戻してやらないと、わが部屋は歩くにも難儀する有様である。
レジュメ5頁、絵図7枚ほどでなんとかおさめををつけようと思う。明日は200枚ほどのコピーが待っている。
最近肺活量がめっきり落ちている爺様、しゃべれるのかしら、90分ほどでご勘弁願おうと思っている。

             

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■細川小倉藩(377)寛永六年・日帳(閏二月十二日)

2020-10-15 06:53:21 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年閏二月)十二日                

         |       
         |     十二日  加来二郎兵衛
         |
河口ノ行燈風ニ破 |一、河口ノ御番上林二郎右衛門尉登城仕申候ハ、河口ノあんとんを今夜ノ風ニ吹破申候、其上一方ノ
損ス       |  (桁)
         |  けたをふきおり申候、繕申付候様ニと申候、心得候由、申候事、
鉄炮足軽ヘノ知行 |一、金子喜左衛門登城にて被申候ハ、御給知取之御鉄炮衆ニ渡申知行わり之儀、吉志ヲ百四十石惣高
割ノ裁定     |  之内ニわり入候ヲ、御鉄炮衆吉志ヲ少にても請取申儀不成候間、上ヶ申由申候ニ付、喜左衛門ニ
吉志村ノ請取ヲ拒 |              (加藤)
ム        |  其通申候ヘハ、喜左衛門ゟ新兵衛ニ談合被申候処ニ、新兵衛被申分ニも、吉志ヲのけ申儀ハ不成
知行方奉行如何様 |  候間、渡申上ハ、たといいかやうニ成候とても渡シ申由、喜左衛門被申候、新兵衛・喜左衛門談
ニナルトモ割渡ス |  合之上ニ而返事被申候事、
客人屋ノ茶釜購入 |一、武藤加右衛門登城にて被申候申候ハ、御客やの茶釜無御座候間、壱つ御渡可被成由、去年九月ニ
         |            〃〃〃
買物奉行ヨリ渡サ |  惣積り之衆ニ申候ヘハ、壱つかい可渡由被申、御かい物奉行衆ゟかい被渡候、直段いまに不究候
ル 闕所奉行ニ釜 |  故、御かい候釜ハ売主へ返し、御けつ所の内ニ有之ハ請取可申と、御闕所奉行衆ニ相尋候ヘハ、
アルモ余リニ良シ |  釜壱つ有之候ヘ共、あまり能候間、如何可有哉と披申候由申候、此方ゟ、去年九月ニかい候て、
         |  いま本主へ返し申儀ハ売主めいわく可仕候由申候、惣積り之衆ゟ銀子請取切手調、被相渡候ニ
         |  付、かい申ニ究り候、乍去、去年九月之事ニ而候間、 御印帳ニハ付不申候、相談之上かい申、
         |  御きやくやニ渡置申候事、
鉄炮足軽ノ給知割 |一、御給知取之御鉄炮衆ニ、規矩郡中御百生上申田地之内にて、新兵衛・喜左衛門割苻候て、被相渡
         |  候処、御鉄炮衆申候ハ、悪敷田地を御切米三石分ニ七反、八反、壱町、又ハ壱町余もうけ取申様ニ
         |                  (米脱ヵ)
         |  御座候、か様ニ御座候ヘハ、種子作飯大分入申候而、御切米三石分ニ一石七、八斗、人ニゟ弐石
望ノ村カ或ハ蔵米 |  ゟ外、今迄取不申候間、作り申儀不罷成候間、望之村にて被下候か、さも無御座候ハヽ、御蔵
三石ヲ願フ    |  米ニ而三石宛被下候様ニと申候へ共、莵角唯今割苻之村にて渡候ハて不叶由、喜左衛門・新兵衛
鉄炮足軽ノ申分ヲ |  被申候ニ付、我等共申候ハ、御鉄炮衆申分尤候間、七百人之御鉄炮衆ニ、規矩郡ニ而御割苻ノ由
尤トス      |  地之内
 

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