津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■令和二年の中秋の名月

2020-10-01 21:22:39 | 熊本

               

                21:15頃の中秋の名月です。今晩は少し暑い感じがしています。

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■「新・肥後細川藩侍帳」整備作業2日目

2020-10-01 16:43:27 | 侍帳

                

「侍帳」整備二日目は、足の具合が良くなく今日も図書館まで出かける元気がなく、手持ちの資料を開いて間に合わせている。
今日は、越後騒動事件で遠島処分を受けた小栗美作の七人の子息の内の四男~七男の四兄弟の内の一人(六男)九十郎政常に関する資料「越後騒動之犠牲者・仙台小栗氏考」と、手元に所持する「先祖附」「小栗氏御預人一巻」等から、小栗半十郎家(南東13‐16)に取り掛かった。
小栗七兄弟の配流は四十年にも及ぶ過酷なものであり、資料を読んでいると同情を禁じ得ないでいる。
四男は罪が解かれた後、京都にいるという姉を訪ねたのち帰国しているが、子孫に関する資料は見当たらない。
五男は18歳、七男は34歳で亡くなっているから、質屋から解放されることもなく死去している。
六男・九十郎は50人扶持を頂戴して御番方に召し寄せられた。以降7代に至るが御番方に属し最後は30人扶持に至っている。
途中二人の養子が入っているが、5代の常辰が原田常丞の弟であり、この原田家は時習館教授・高本紫冥の実家である。
そのような事実も踏まえ、原田家の「侍帳」にもこのことを書き込む。

図書館に出かけ、先祖付を読みながら一日五件と大言壮語したが、今日の塩梅からすると、せいぜい三件が良い処だろう。これでは二年では終わりそうにない。
少々絶望的になってきた。どうやら「長生きしろ」ということらしい。

             参考 ■天和元年七月四日お預かり

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■細川小倉藩(363)寛永六年・日帳(二月十日~十一日)

2020-10-01 08:58:19 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年二月)十日 ~十一日                

         |       
         |     十日  石本三助
         |

         |一、御小早御船頭桑田左兵衛大坂ゟ下り申候事、
秘蔵ノ隼びりょう |一、河井権丞ゟ、使ニて被申候ハ、御ひそうのびりやう昨日■遣に出、見うしない申候間、尋ニ罷出
逸ル       |  候、いつれ成共、尋ニ被遣可被下由申候、権佐与の衆へ尋ニ被遣候へと申遣事、但、はやぶさ也、
紫革 柄鮫 目貫 |一、桑田左兵衛舟ニ紫皮三枚・御つかさめ弐十五枚・御目ぬき廿具持下事、
鶴打       |一、田辺作左衛門靏壱つ打、上ヶ申候事、
能衣装江戸へ下ス |一、明後日、江戸へ御能衣装持下候御鉄炮衆、井門亀右衛門尉与町田吉左衛門尉・山田勘兵衛与靏田
         |  宇右衛門尉也、
         |                           (沢村吉重)
具足ノ直段少シモ |一、安場仁左衛門登城ニて被申候ハ、御具足直段之様子、大学殿ニ申候ヘハ、直段之儀ハ少も御かま
構ハズ      |  い無之候、御奉行衆御使ニて御買物方加判迄ヲ可仕由、被仰候通被申候、如何様ニ被仰付候哉、
上方ノ具足ハ当地 |  上方ゟ参候御具足ハ、当地ニて仕候と同直段ニて候へ共、少つゝ悪敷御座候由 御意被成候、其
ノモノヨリ悪シ  |  上御具足や衆ニも、此地ニて仕候へと被 仰出候、如何可被仰付やと被仰■■被申候、此方ゟ申
忠利小倉ノ具足師 |                                 〃〃
ニ誂ウ      |  候ハ、此地にて仕候へとの 御意の上ハ、当地にて被申候て可然由、申候事、
新参ノ歩小姓ノ与 |一、歩之御小性与わき田坂角介・東兵助、登城にて被申候ハ、新参ニ被出候歩ノ御小性与ニ御入候
入レ       |  儀、如何可仕やと被申候、先与と跡与と之儀、多少無之様ニ御わり、入候へと申渡候事、
硯        |一、野田源四郎方ゟ、御硯壱つ、江戸へ便御座候ハヽ、御上可被成ト申、飛脚ニ持せ被越候、請取置
         |  申候事、
奥ノ横目母ノ重病 |一、奥之御横目松見長三郎儀、御供仕罷上申筈ニ御座候つれ共、其刻母相煩申ニ付手、快気仕次第江
死去服忌ニヨリ出 |  戸へ可参旨被成 御諚候、併 母儀ハ相果候由申候、もはやいミも明申候間、江戸へ参度由申
府延引ス     |  候、林隠岐同道ニ而申候、跡ゟ可被参由、申渡候事、
         |                               (加藤) (金子)
諸郡山奉行ニ起請 |一、諸御郡山奉行ニ、ゑこひいき仕間敷由ノせい帋仕せ候、さ候て、新兵衛・喜左衛門ゟ、覚書一
セシム      |  郡ニ一つ宛被調渡候ニ、此方加判候て、遣候事、

覚書ヲ調渡ス   |
土々呂木以真花木 |一、土々呂木以真被申候ハ、花木をうへ申候間、明日手伝四人申付くれ候様ニ被申候付、申付候事、
ヲ植樹ス     |
         |一、御能衣装つゝミ申手伝も、六人申付候事、
         |                                     (宗茂)
江戸ヨリノ来状  |一、江戸ゟ、御鷹師高瀬勘兵衛御書持被下候事、 三斎様へ被進之候御書壱つ、幷立花飛騨守様ゟ 三
         |             (毛利秀就)            (松井興長室、三斎女)
         |  斎様へ被進候御状壱つ、松平長門様へ被進候 御書壱つ、御こほ殿へ被進候御状壱つ、何も則
         |  御書とも持せ進上仕候事、

         |       
         |     十一日  安東九兵衛
         |
         |一、夜前夕へ夜半ニ、江戸ゟ御飛脚 御書持下候事、
         |  〃〃      伊藤金左衛門与山田十三郎・佐分利作左衛門与秋本彦大夫、両人夕ア持参、
         |          (山岡)
         |一、江戸ゟ林隠岐所へ、書鑑所ゟ書状参候、則持せ遣候、菊野伊織所ゟやとへ遣候状、則持届候、
         |                                     (鞆、備前沼隈郡)
手子木      |一、大坂ゟ、手子木積下候御船頭手嶋喜助、唯今罷下候由にて、登城仕候、手こハ則ともにて江戸廻
         |  り之舟ニ積渡候由、申候事、
         |一、歩之御小性久持作丞、夜前罷下候由にて、登城被仕候事
         |       白鳥の漢名
こほへヲ贈ル  |一、御こほ殿へこう壱つ被進候、式ア殿内堀江少五郎ニ相渡候事、
         |  (長沢顕長室、沼田清延女)
伊与へノ塩鳥  |一、いよ殿へ被遣こうノ塩鳥壱つ、大嶋喜右衛門相渡事、
江戸ヨリノ飛脚ノ |一、伊藤金左衛門与山田十三郎江戸ゟ罷下候、正月廿三日ニ江戸を立、大坂ニ二月四日ニ着、今月十
旅程       |                                  (磯・箱根、中郡)
         |  日夜五つ過ニ小倉着、 三齋様へ被進 御書廿三日ノ御日付一箱、又大いそ迄追かけ被遣箱壱
         |  つ御急之御使ニて無之候由之事被遣候由申候事、
         |一、佐分利作左衛門与秋本彦大夫、江戸を正月廿五日ニ出、二月朔日ニ大阪着、則朔日の日のり候へ
         |  共、日和悪敷ニ付、出船不罷成処ニ、右之十三郎追付、同前ニのり下候由申候、右二人共御小人
         |  壱人宛付被遣候、是も 三斎様へ之御文箱壱つ持下、又両度之御使、私共ヘノ 御書弐通致頂戴
         |  候事、
         |  (筑紫重門室、細川幸隆女)
かねへノ塩鳥  |一、御かね殿へ被遣こうノ塩鳥壱つ、御かね殿御内今井與兵衛ニ渡事、
         |                                (成定)
         |一、中嶋二郎兵衛所ゟ坂崎道雲へ、扇箱の様成小箱壱つ、幷かたなノ鍔と見え候物壱つ参候を、松本
         |   (玄)
         |  見古ニ渡候事、

 

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