サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

美しい真央さん、元気な真央さん、どんな真央さんも応援します。良かったらご一緒に!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

■スポーツ紙より遥かに信用できる週刊誌の記事。ただ、実家にまで押しかけるのは遠慮して欲しい

2017年04月30日 00時04分00秒 | 日記と女性アスリート応援












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浅田真央ちゃんとまだまだ呼ぶぞ~!真央ちゃんの「ありがとうございました」?過去形にはしません、進行形です。(微笑)


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女性自身による、浅田真央ちゃんの執拗な追跡記事
女性自身による捏造記事に思えますが、話を作った所で女性自身に何のメリットも無い事からご紹介しておきましょう。

訪問頂いている親愛なる“おやびん”さまのコメントにもありました、女性自身に掲載された真央ちゃんの記事をご紹介いたしましょう。
おやびんさま、情報ありがとうございます。

各所で色々な真央ちゃんの記事が一人歩きしている様子ですが、真実は分かりません。
しかし、真央ちゃんのこれからの行動に目が離せないのも事実。
過去の真央ちゃんが受けて来た色々な出来事を今後ゆっくりと解明していければ良いのですが、ミステリアスな部分も必要かもしれませんね。(微笑)
適度に必要に応じてご紹介して参りましょう。

◆女性自身の記事より

浅田真央 連盟最後の演技要請を拒否!消えた“幻の出演計画”
「国別対抗戦は、国際大会の格付上だとそれほど重要ではありません。しかしシーズン最後のお祭りのようなもの。そのためスケート連盟幹部は水面下で“幻の計画”を進めていたんです」(フィギュア関係者)
 
4月20日から行われた世界国別対抗戦。会場となった代々木体育館には多くのファンが押しかけ、熱い声援を選手に送り続けた。
 
大いに盛り上がった今回の国別対抗戦だが、大会を主催する日本スケート連盟は“あるサプライズ”を準備していたという。それは、現役引退を発表した浅田真央(26)がエキシビションに出演するという驚きの計画だった。
 
「連盟の幹部の一人が、試合を放送したテレビ朝日の関係者に明かした話です。この幹部は『今大会を、真央ちゃんの最後の舞台にする!ファン思いな彼女のことだから、出演依頼は絶対に断らないはずだ!』と息巻いていたといいます。しかし、その思惑はみごとに外れてしまいました。浅田さんが所属事務所を通じて出してきた答えは『出場要請ありがとうございます。しかし申し訳ないのですが、今回の出場は辞退させていただきます』という内容だったそうです」(前出・フィギュア関係者)
 
衝撃的な引退の陰にあったもう一つの“事件”。そこには彼女のゆるぎない決意が込められていたようだ。別のフィギュア関係者はこう語る。
 
「真央さんは、連盟の意向に翻弄され続けてきました。連盟が年間スケジュールのほとんどを決め、彼女はそれに従わなければなりませんでした。引退時期もそう。連盟は人気者の真央さんにできるだけ長く競技生活を続けてほしかった。彼女は満身創痍にもかかわらず、そうした要請を無視できなかった。そして結果的にここまで引き際を遅らせてしまったそうです。しかし彼女は引退を機に『もう自由になりたい。自分の人生は自分で決めたい』という思いを強くした。だからこそ今回の要請をあえて断る決意をしたのでしょう」
 
7月29日からは、ライフ・ワークともいえるアイスショー『THE ICE』に出演する予定の浅田。しがらみに縛られない新たな彼女の門出が、もうすぐ見られそうだ――。


言ってみれば客寄せパンダにしようとした?

そもそも、真央ちゃんの今の状況を把握してのサプライズなのか?
膝の故障を抱える状態でサプライズ出演?
連盟が勝手に盛り上がって居ただけで滑りたくても滑れないと言う状況は十分に考えられた筈。
断られる事は無いと考える事事態、真央ちゃんサイドからすれば何を考えているのかと言う状況だと思うのですが?
真央ちゃんも私の見解も間違っているとは思えませんが?

まぁ~秘密裏に行われて事だとすればその思いも空回りに終わって良かったですね。
公表されていれば、真央ちゃんがドタキャンだと言って大騒ぎされる所でしたね~、非常に連盟の勝手な判断に大きなお世話と言う想いしかありませんね。

結局、奴隷の様に働かされて来た事に関して、最後に真央さんご自身が決別したと言う結果ですね。
でも、それも故障の状態がどの程度かが一番の問題です。
出たくても出れなかったと言う状況も有り得たと言う事。
でも、それもどうでも良いでしょう。
自分たちの都合でアスリートに要らぬ負担をかける連盟に決別したとしても全く納得の出来事と言えますからね。
結果は、実に痛快な出来事だったのではないでしょうか?

そして、こんな記事もあったんですね。
◆こちらも女性自身の記事からです。




浅田真央「夢に出てきて…」引退陰にあった亡き母の“遺言”

「匡子さんは独学でトレーニング理論を学んでいました。ノートは100冊を超えていたそうです。またマッサージも勉強し、練習後は真央さんの身体のケアもするようになっていました」(フィギュア関係者)
 
4月12日の会見当日、浅田真央(26)は開始2時間前に都内のホテルへと到着していた。海外メディアを含む430人の報道陣がつめかけるという、今世紀最大級の記者会見。約50分の質疑応答を終えると、彼女は込み上げる涙をこらえながら壇上から去っていった。
 
そんな彼女の胸に去来したのは、亡き母・匡子さん(享年48)との日々だろう。名古屋市にある実家の近所の住人はこう振り返る。
 
「真央ちゃんがここまでの存在になれたのは、やっぱりお母さんが一生懸命だったからだと思います。お母さんは毎日、真央ちゃんを車に乗せてリンクや学校へ送迎していました。朝早くから夜遅くまでね。大変だったと思います」
 
そんな母の姿は、引退決断の陰にもあったようだ。昨年11月、浅田はグランプリシリーズのフランス大会で自己最低となる9位と惨敗。その夜、浅田は母の夢を見たという。
 
「夢に現れた匡子さんは優しく微笑み、『真央、もういいよ。長い間、お疲れさま』と囁いたそうです。その夢を母の“遺言”と受け取ったのでしょう。真央さんが引退を考え始めたのはこのころからだと思います」(別のフィギュア関係者)
 
氷上では厳しかった母。だが浅田がいちばん辛いときに優しい言葉をかけるのも、いつも匡子さんだった。それでも「平昌五輪に出場すると宣言して復帰した以上、やめるわけにはいかない」と競技を続けた浅田は、左膝の怪我の影響で力を発揮できず全日本選手権でも12位に。そして2カ月間に及ぶ逡巡の末、ついに現役引退を決意したという。
 
「引退会見で『言ったことを必ずやり遂げるというポリシーは、誰に教えてもらったの?』と聞かれた真央さんは『やはり母かなと思います』と答えていました。また彼女は旅行に行ったとも明かしていましたが、実は1月にロサンゼルスを訪れたそうです。ここはロスは匡子さんと10年前に長期滞在した地。ジャンプ練習のためお母さんと暮らした日々を、振り返ったのではないでしょうか」(前出・別のフィギュア関係者)


このエピソードは、事実ですね。
下手なマスゴミの捏造記事より遥かに真実を書いている事にびっくり、こうなると真央さんの事に関しては、週刊誌の方が自分たちの都合の良いように書立てるスポーツ新聞より正確な記事であると言えそうです。

そして、さらにこの記事も気になります。

こちらは、褒めた後の裏切り行為、真央ちゃんの実家にまで追いかけた女性自身、芸能人ならまだしもアスリートへの対応には、十分な配慮が必要だと思えますが?
◆女性自身より

浅田真央 胸中告白!母の墓前に捧げた「赤いバラの花束」



引退会見から一夜明けた4月13日、浅田真央(26)の姿は名古屋市内にあった。“真央ちゃんショック”が冷めやらぬなか、彼女はひそかに実家へと戻っていたのだ。マスク姿で実家から出てくると、駐車していた車へと乗り込もうとする。そこで記者は声をかけた。


――浅田さん、今日はお父さんへの引退報告に来られたのでしょうか?

 
「いや、ワンちゃんもいますから(笑)」

 
明るい声でそう答える。

 
――お母さんの墓前には、どんなご報告を?


「特に何も。でも、報告しなくても(母は)わかってくれているので……」

 
しみじみと、しかし確信をもったようすで頷いた。

 
――本当にたくさんの感動をありがとうございました。


「はい、ありがとうございました!」

 
車に乗ると笑顔で記者に一礼し、自ら運転して実家を後にした。その表情には、ひとつの区切りをつけた晴れやかさがあった――。
 
アスリートの枠を超え、国民的ヒロインとして日本中を湧かせてきた浅田。その道のりは苦難の連続でもあった。競技生活21年。ついに届かなかった五輪の金メダル。高い壁にぶち当たるたび、いつも浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だ。
 
「匡子さんは練習場で『死ぬ気でやりなさい!』と激を飛ばすこともありました。でもそれは娘の夢をかなえという母心。真央さんもそれをわかっていました」(フィギュア関係者)
 
そんな匡子さんだが、バンクーバー五輪で涙を流す娘には「銀メダルってすごいことだよ」と言葉をかけたという。厳しかった母が心からの笑顔で労ってくれる。その優しさに触れた浅田は涙を拭い、再び前を向くことができた。しかし母の身体には病魔が潜んでいた。
 
「バンクーバー五輪後、匡子さんは肝臓の病気が悪化したため治療に専念することを決めました。真央さんと姉の舞さん(28)は『自分の肝臓を母に移植してほしい』と直訴したといいます。しかし匡子さんは頑として受け入れなかった。そして真央さんに『あなたにはフィギュアを一生懸命頑張ってほしい』と伝えたそうです」(前出・フィギュア関係者)
 
そして11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。
 
冒頭の話を聞いた翌日、浅田は再び実家から出てきた。祖母を乗せ車に乗り込んだ彼女は、真っ赤なバラの花束を抱えている。向かったのは、匡子さんが眠る墓地だった。
 
花束を母の墓前にそっと供え、引退報告をした浅田。一般的な和花ではなくあえてバラを選んだのは、匡子さんが好きだったからだろう。墓前の周りを囲むように供えられた赤い花束。それは母とのこれまでを讃えるメダルのように、鮮やかに輝いていた――。


この肝臓移植の話は、姉妹で話し合って舞さんが匡子さんに提供する筈でした。
しかし、匡子さんは断固として愛娘につらい思いをさせる訳には行かないと拒否したと言う事ですよね。
姉妹の確執を舞さんがエピソードして話すのは、この状況を乗り越えた姉妹だからこそのエピソードと言えるわけです。
決して軽い気持ちで舞さんが口にされている事では無いと言う事をご理解頂ければと思います。

概ね、私の知っている話と一致していると言う事を最後に書いておきましょう。
中々、女性自身の本気の記事でした。

真央ちゃんの実家に攻め入るのだけは、感心できませんけどね。

これで、月間 Hanada 6月新緑号の真嶋夏歩さんの“浅田真央引退 「彼女は十分やった。時代を生きた」”を紹介できれば最高なのですが。




◆浅田真央さん、ほかの皆さんの動画のご紹介です。お付き合いください。
動画主の皆さま、ありがとうございます。ご紹介させて頂きます。(微笑)
同じものを何度も上げる事が有ると思いますが、すみませんね。正直、忘れてしまいますので何度でもご覧ください。


★元メダリストが語る引退した浅田真央への言葉が深い。【ゴシップ帳】


◆最終的には真央さんが越えてしまったと思えますが先駆者である事は確かですし、みどりさんが居なければ真央さんもここまで夢中になれたかと言われれば、みどりさん抜きでは、真央さんの進歩も危ういかも?
★伊藤みどり


★*XOI* Opening - Christmas on Ice 2014


★Daisuke&Mao ~ずっと二人で・・


◆ただただ、ため息、素晴らしいですね。
★2014 XOI Daisuke & Mao


★2014 XOI Dai & Mao ②


★2014 XOI Finale




いつもご覧頂きまして感謝申し上げます。
真央ちゃんとともに!(微笑)

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真央ちゃん劇場、第2章の始まりです。

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コメント (11)
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