社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言(朝日新聞)
日本では高齢者の年金と介護への政府支出が国内総生産(GDP)の1割を超えて増え続ける。ところが健康寿命は伸びており、元気な人も多い高齢者を一律に「弱者」と扱って予算をつぎ込む仕組みが「いつまで耐えられるのか」と問う。
一方で、保育所整備や児童手当などの現役世帯向けはGDPの2%未満。ひとり親家庭の子どもの貧困率は5割を超え、先進国で最悪の水準だ。
報告書は「現役世代に極端に冷たい社会」のしわ寄せが子どもに向かっていると指摘。高齢者も働ける限り社会に貢献し、未来を担う子どもへの支援に「真っ先に予算を確保」するよう求めた。
などと経産省の若手が意味不明な供述をしており、警察では余罪があると見て追求する――のではなく朝日新聞がヨイショしていたりもするのですが、いかがなものでしょうか。確かに、福祉予算削減への欲望を隠さない人は少なくない、政治家にも官僚にもメディアにも普通の市民の間にも、目立つわけです。そしてストレートに己の欲望を語るのではなく、何かしらの大義名分を掲げて正当化を計るのもまた常套手段と言えます。そこで使われる錦の御旗は財政再建であったり、「若者(現役世代)のため」であったり……
まぁ高齢者叩きは万人受けするところがありまして、韓国人や中国人への差別発言には眉をひそめる人もいる、「福島」の排除や偏見にだって苦言を呈する人はいる一方、高齢者を悪者にするような言説は賛同を集めやすい、批判を受けにくいようにも思います。実際の高齢者は自分を高齢者だと思っていない、自分を高齢者だと認められる頃には反論する気力も失せているからでしょうか。ともあれ「若者(現役世代)のため」を掲げて高齢者を悪玉視する言論は、それだけで共感を得ることが多いわけで、朝日新聞の評価はまさに典型的と言えます。
なんでも2017年3月時点で生活保護受給の51.1%を高齢者世帯が占めるのだとか。この辺は(民間企業から「働けない」と判断された)現役世代を窓口で追い返した結果でもある反面、本来であれば年金で生活できなければならない世代・世帯が深刻な貧困に陥っていることを示すものでもあります。経産省の若手や朝日新聞記者の頭の中では予算がつぎ込まれているはずの高齢者の年金ですけれど、それでは生活が成り立たない人が当たり前のように存在しているのが現実なのです。
日本の経済格差の拡大が取りざたされ始めた頃、小泉内閣の見解は専ら「高齢化のせいだ」というものでした。所得の格差が大きい高齢者人口の占める割合が増えたから、全体の格差も広がっているように見えるのだ、と。これは複数ある格差拡大の要因――経済政策の失敗など――から目を背けるため、都合の良いものを唯一の犯人として選択した結果ではあります。とはいえ、高齢になるほど経済的な格差は拡大する、富める者はより裕福に、持たざるものはより貧困になっていく、それは小泉政権ですら認めた事実であることは意識されるべきでしょう。
しかるに高齢者を一律に、手厚く扱われているかのごとく語りたがる人が多いわけです。手厚く扱われているのは裕福な人だけであるにもかかわらず、ですね。そしてこれは特定の世代に限った話ではありません。高齢者でも現役世代でも、富裕層は徹底した分離課税や低い所得税率によって守られる一方で、高齢者でも現役世代でも、貧困層は日本の福祉というザルの目からふるい落とされています。高齢者でも若年層でも同じでも貧困は世代を問わない問題なのですが、ここから目を背けさせようとする人がいる、この辺はまさに政治の問題だな、と。
「貧困層に極端に冷たい社会」は、まさしく解消されるべき喫緊の課題です。ところが富裕層や企業に優しい社会を継続したがっている人もいて、それを正当化する方便を探している人もいると言えます。結果として出てくる典型的な目くらましが、この朝日新聞が持ち上げているような世代間格差への落とし込みです。確かに経済的に恵まれない現役世代に「も」我々の社会制度は冷たい、ならば福祉の財源として累進課税や分離課税の撤廃などが考慮されるべきでしょう。しかし、それを避けたい人がいる、福祉の貧困の原因を、富裕層の優遇ではなく高齢者に求めようとする人がいるわけです。
とりあえず「高齢者も働ける限り社会に貢献」すべきだと説く人はまず、「高齢者が若者の雇用を奪っている」と強弁する人と、どこかの密室で議論でもしていて欲しいですね。そして彼らの親が高齢化したタイミングで、出所してもらいましょう。現役世代の負担軽減のため、彼らには自分たちの親の面倒を見ることから始めてもらえば良いと思います――公的な福祉抜きで。年金と介護への公的負担を削って個人単位で老親の面倒を見る、そんな「現役世代に優しい」社会を、まずは経産省の若手や朝日新聞記者に実践させれば、何が正しく何が間違っているかは自ずと明らかになることでしょう。