中学教諭:日本の教員働き過ぎ 1週間53.9時間で最長(毎日新聞)
経済協力開発機構(OECD)は25日、日本を含む34カ国・地域の中学校教諭の勤務状況に関する調査結果を公表した。1週間当たりの勤務時間は日本が53.9時間と最長で、授業以外に部活動や事務作業に長い時間を使っていた。一方、自らの指導力に対する自己評価は極めて低く、参加国・地域の平均を大きく下回った。「仕事に忙殺されているうえ自己評価も低い」日本特有の教員像が浮かび上がった。
2013年の国際調査「国際教員指導環境調査」(TALIS、タリス)の結果で、調査は08年以来2回目。日本の参加は今回が初めて。34カ国・地域にある中学校の教員と校長を対象に実施した。
1週間当たりの教員の平均勤務時間は38.3時間。日本は最長の53.9時間で、そのうち部活動など課外活動指導が7・7時間と参加国平均(2.1時間)の3倍超。書類作成など事務作業の時間も5.5時間と参加国平均(2.9時間)のほぼ2倍で、これらが長時間勤務の要因だった。授業時間は17.7時間で、参加国平均(19.3時間)より短かった。
OECDによる調査結果が発表されまして、各紙から概要が伝えられています。どこも着目点は同じようで、ここに引用した毎日新聞の見出しにもある通り日本の学校教員の労働時間の長さが第一に伝えられているところです。まぁ、この辺は周知のことと言いますか過去の調査からも知れているものであり、むしろ私であれば見出しには「日本の学校教員を取り巻く状況に改善なし」とでも書きたくなりますかね。今さらながらに言われずとも、問題の所在は既に把握されていたわけで、そこにメスを入れられることのないまま放置されており、何も良くなっていない――この点こそ伝えられるべきではないかと思います。
もう一つ注目して欲しいのは、単なる労働時間の長さという学校教員に限らず日本社会全体に共通することではなく、反対に「時間をかけていない」領域の方ですね。働く時間が長いのは教師だけではない、それは日本のどこの職場でも同じようなもの、それはそれで大いに問題でありますが、一方で費やされている時間が「短い」分野もあるわけです。すなわち学校教員の場合であれば「授 業 時 間」であることが今回の記事で伝えられています。日本以外では本分と見なしている国が多いであろう授業時間が、日本の場合は短い、教師の労働時間全般が長いにもかかわらず、授業時間だけは国際平均より短いのです。
参考、必要とされていないから
自分の小中学校時代を思い起こしても、専ら学校行事に向けて整列と行進の練習に明け暮れておりマトモに勉強を教わった記憶がありません。勉強とは、塾でやるものでした。とかく日本の大人は学力テストの点数に一喜一憂するものですけれど、では日本の学校で学力テストの対象となるような教科のために、どれだけ力が注がれているのでしょうか。カリキュラム一つ比較してみても、日本では体育だの道徳だの総合学習だのホームルームに掃除だのと、学力テストの対象にならない代物にばかり時間割が割かれており、諸外国のそれに比べて「勉強するところ」としての意味づけが際立って薄いことが分かります。
学力低下だの脱ゆとりだの教育再生だのと声高に叫ばれているわけですが、学校教員の労働時間は長いままでありながら勉強を教える時間だけは短い、そんな状況を誰も変えていないようです。ならばやるべきことは簡単、勉強だけが全てではないとか人間形成とか下らないヨタを切り捨てて、勉強「以外」の時間を減らすことです。式典で国旗を掲げて国歌を歌わせている時間があるなら、ちゃんと勉強を教えるのが学校の役割ではないでしょうか。学校行事や道徳教育と言ったムダを徹底して削減して、もっとリソースが授業に回されるようにしなければなりません。
まぁ、学校で勉強を教えない、勉強「以外」のことを重んじるというのはある意味で日本社会の縮図にも思われます。学校を出て会社に入っても、新人研修と称して仕事とはまったく無関係なことを強いられるなんてのは、至って普通のことですから。社員に仕事を教える代わりに穴を掘らせたり無人島で生活させてみたり、カルト宗教とそっくりの自己啓発セミナーを開催したかと思えば自衛隊に体験入隊させてみたり等々、それが日本社会における「教育」なのです。大人相手の教育だってこんな有様なのですから、子供を対象にした教育だって本来の役割とはまったく無関係な方向に暴走したって、何ら不思議ではありません。
体育の時間を利用して準備をするのはいいとしても
「一日かけてやるのは少なくしてくれ」と思いました。
短距離走と長距離走は良くも悪くも参加する人数を絞っているのでいいとしても、組体操がしんどかったです。
卒業して二十数年が経ちますが、生徒数の割りに時間が長いままなら呆れることは確かです。
因みに体育祭は一学期に行われていました。これだけは認めないとダメかもしれません。
道徳の教科化が言われていますが、「勉強が出来ない者はそのままでいいをガチでやるのかよ」という話になります。
高校ぐらいにもなればだいぶマシになるところも出てくると思いますが、それでも強制的な学校行事への参加のために費やされてしまうものは多いですよね。運動会の組体操とかマスゲームとか、もう少し批判的な声が左右双方から上がっても良さそうに思うのですけれど。