非国民通信

ノーモア・コイズミ

I'm not Charlie

2015-01-13 23:43:59 | 社会

福島風刺の仏紙、「ユーモア感覚ない」と日本の批判を一蹴(AFP)

 【9月13日 AFP】福島第1原発事故の問題を抱える日本が2020年夏季五輪の開催地に選出されたことを風刺する漫画を掲載し、日本側からの怒りを買っている仏週刊紙「カナール・アンシェネ(Le Canard Enchaine)」は12日、「責任をもってこの風刺画を掲載した。いささかも良心に反するところはない」と述べ、日本人にはユーモアのセンスがないと嘆いた。

 問題の漫画の一つは、損壊した原発の前の土俵で3本の腕や脚がある力士が向かい合い、その横でスポーツ解説者が「すごい、福島のおかげで相撲がオリンピック競技になった」とコメントしているもの。もう一つは、プールの前で防護服を着用し放射線測定器を手にした2人が、ウオータースポーツ会場は福島に建設済みだ、と話している。

(中略)

 菅義偉(Yoshihide Suga)官房長官は記者会見で、「このような風刺画は、東日本大震災で被災した方々の気持ちを傷つける」と述べた上で、「汚染水問題について、誤った印象を与える不適切な報道」とも指摘、同紙に対し日本政府から正式に抗議する構えを明らかにした。

 これに対し、同紙のルイマリ・オロー(Louis-Marie Horeau)編集長は、「われわれには悪意のないように思える風刺画」に対する日本からの反応に「ただただ困惑している」として、「ユーモアを表現しているからといって、被災者の皆さんを侮辱していることにはならない。ここ(フランス)では、悲劇に対してはユーモアを持って立ち向かうものだが、どうやら日本ではそうではないようだ」と語った。

 

 これは2013年の報道ですが、ここで問題となった(自称)風刺画の作者は先日の仏シャルリー・エブド社襲撃事件で亡くなったそうです。疑いようもなく差別的で福島を中心とした被災地への偏見を広めるヘイトスピーチでしかない代物を「ユーモア」と自称した編集長は「ここ(フランス)では、悲劇に対してはユーモアを持って立ち向かうものだ」と語っていたわけですが、著起因の悲劇に対してもユーモアを持って立ち向かっているのでしょうか。フランス社会全体としては9.11以後のアメリカを思わせる盛り上がりを見せており、そこに「ユーモア」を感じる余地は少ないように見えます。

 私としてもヘイトスピーチやテロリズムに「ユーモアを持って立ち向かう」のが適切であるとは思わないところです。そこは毅然として退ける姿勢が求められるものでしょう。逆にヘイトスピーチを言論の自由の名の下に野放しにしていった結果として「実力行使」が発生してしまうケースもあるのではないかと考えられます。フランス社会が単なる偏見の流布や侮辱でしかない類をしかるべく白眼視できていれば、自分の生命を危険にさらしてまで凶行に及ぶ人は減ったのではないかという気もしますね。まぁ、何をやっても通用しない人だっていますけれど。

 

フランスで200万人行進、反テロへ結束 各国首脳らも(朝日新聞)

 連続テロ事件が起きたフランスの各地で11日、テロに屈しない決意を示す大規模な行進があった。仏メディアによると計200万人超が参加したという。イスラム過激主義を背景に、表現の自由を踏みにじり、17人の命を奪った現実に抗議の意思を表明した。オランド仏大統領ら欧州の首脳に加え、イスラエル、パレスチナのトップも顔をそろえた。ただ、ドイツでは11日も新聞社への放火があった。

 100万人に達したとされるパリでの行進は約3キロにわたった。テレビ演説で「団結こそ力だ。国民よ立ち上がれ」と訴えたオランド大統領は、各国首脳らに参加を呼びかけていた。

 独メルケル、英キャメロンの両首相らが腕を組んで行進を始め、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長の姿もあった。ウクライナのポロシェンコ大統領らも含め56の国・地域・国際機関の代表らが出席者リストに名を連ね、ロシアのラブロフ外相も加わる予定だという。

 

 かつての米ブッシュ政権は9.11テロの結果として支持率を取り戻したわけですが、オランド大統領はどうなるのでしょう。格好の「外敵」を前に社会が「団結」を見せる、高まりつつあったオランド批判が脇に追いやられることもあるのかも知れません。なおテロに屈しないとの名目で行われたデモにはイスラエルのネタニヤフ首相やウクライナのポロシェンコ大統領も参加したとか。う~ん、ネタニヤフ政権時代に、いったいどれほどのパレスチナのジャーナリストが命を奪われたのかを思うと何とも皮肉です。そしてウクライナは、2014年の「報道の自由度ランキング」では180カ国中127位と、イスラエル以下です。まぁ、テロに反対する意思の方は分かります。

参考、French Muslim: 'I'm not Charlie, it's racist'(BBC)

 テロリストを安易に殺すべきではない、殺してしまえば殉教者となり尾を引くものだと主張する人もいます。しかるに今回の件では、まず殉教者となっているのがテロで殺された編集者や風刺画家の方ですね。ただ殺されるのが適切であったはずがないのは確かである一方、逆に殉教者のごとくに祭り上げられるのもどうなのかな、と私などは思うわけです。凶悪なテロリストでも殺されれば殉教者として英雄視されるように、自国内の「異教徒」を(ついでに冒頭の事例では日本在住者をも)傷つけてきた人々が社会の広範な共感を呼んでいる、それは私には納得のいかない話です。

 

 ←ノーモア・コイズミ!

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする