非国民通信

ノーモア・コイズミ

生活保護vsワーキングプア

2008-07-12 22:25:07 | 非国民通信社社説

 2006年のデータですが、生活保護の不正受給件数は1万4600件、総額は89億7618万円に上るそうです。へー。「こんなに不正受給者がいるんだぞ」という文脈での紹介でしたので、たぶん不正受給者を最大限に見積もった結果がこれなのでしょう。ちなみに2006年の受給者は全部で1,423,388人、そこに含まれる不正受給者は1%相当ですね。道徳の帝国は健在です。

 で、以前に生活保護を論じたとき、私は金額のことはあまり考えていませんでした。生活保護には国庫負担分と各自治体の負担分があるわけで、その合計がどの程度か調べてみるのが面倒だったのもあります。まぁ、不正受給者が1%程度なら、その合計額も1%を下回る程度だろうと、そんな推測で済ませていました。こんな態度ではいけませんね、反省反省。

 さて国庫負担分と地方自治体の負担分、両方合わせた生活保護の支給額はどの程度でしょうか? おおよそ2兆5000万円です。人によっては大きく感じるかも知れませんが、軍事費や年金運用に失敗した分に比べれば可愛いものです。そしてこの2兆5000万円に占める不正受給額の割合を考えてみましょう。だいたい、0.35%くらいですね。凄い数値です。未収金は僅かに0.5%という、民間企業が見たらよだれを垂らすような完璧な回収率を誇る給食費ですら霞んで見えます。不正は絶対に見逃さない、この隙間のない体制を築き上げるためにどれほど膨大な予算が投じられたかは知りませんが、とにかくこの不正受給額0.35%という数値は凄まじい、日本のモラル万歳ですね。

 不正受給者に比して不正受給額が少ないのは、「申告漏れ」による不正受給が過半を占めるためです。要するに収入があったり増えたりすればそれを申告しなければならないのですが、馬鹿正直に収入を申告してしまうと受給額が減らされてしまう、真面目に働いても自分の取り分が増えない仕組みになっているわけで、それを怠るケースもあるのです。自立するには全く足りない雀の涙の収入を得たけれど、わざわざ申告して生活保護を減らされてはたまらないと考えて申請しない人もいれば、元より役所なんて行きたくない人もいるでしょうし。ともあれ、これが不正受給の正体です。

 じゃぁ、新聞やテレビや電波ブログに出てくるアレは何? 暴力団関係者が受給しているという話は? アレは単なるネガキャンのネタです。人が犬を噛むような珍例でもあります。犬が人を噛むケースが圧倒的多数であっても、話題になるのは人が犬を噛んだ場合だけ、それと同じことです。むしろあの役割は、生活保護受給者に負の印象を負わせることになると考えた方が筋が通るくらいです。

 収入が当初見込みの99.5%で運営が成り立たなくなるのであれば、仮に収入が見込の100%であっても運営は成り立ちません。売上が目標予算の99.5%で会社が潰れるなら、そんな会社は目標達成していても潰れますし、思わぬ事態に収入の0.5%相当を無駄遣いしたことで生活が破綻するような人間であれば、0.5%の無駄遣いがなくとも生活は確実に破綻します。生活保護もそれと同じ、不正受給が僅かに0.35%、これで受給資格者が受給できなくなると言うのであれば、仮にその不正受給が0であったとしても必要な世帯に行き渡ることはありません。

 原因の一つは、ネガキャンが作り出した世論の後押しです。絵に描いたような不正受給者、生活保護で遊び暮らすヤクザのようなイメージを盛んに宣伝してきたことで、さも生活保護の不正受給が深刻な問題であるかのような虚偽を刷り込み、それを盲信した世論が生活保護に対する悪のイメージを抱え込む、そうして生活保護の申請を不法に抑え込む現状に対する容認が広まったのです。統計的に見れば誤差にすらならないような端金を不正受給者に支払い、かつそれを喧伝することで正当な受給申請を退けることに社会的な理解が得られるようになるとしたら、まぁ安上がりな巧い手です。

 (それでも生活保護の不正受給を問題視したい人はどうするんでしょう? 合法的な受給者を不正受給者に仕立て上げるんでしょうか? ケースワーカーの著書を読んでおりますと、「○○は不正受給ではないのか」など匿名の密告も頻繁に受けるようです、大半は住人同士のトラブルから発展した嫌がらせらしいのですが)

 まぁ実際の数として最も多いのは、資格があっても申請しない人でしょうか。これも生活保護に対するネガティヴなイメージを刷り込まれ、その結果として自分から資格を放棄してしまうケースですね。おかげさまで生活保護水準以下の供与しか支給しない欠陥企業が労働力を確保できているわけでもあります。ここは重要ですね、ワープア職よりも生活保護の方が取り分が多いなら当然、受給資格者は後者を選ぶはずであり、前者は競争原理によって淘汰されるはずです。しかしここで競争原理は巧みに抑え込まれているのだなぁ、と。

 しかし、実際に「働く場がない」というのはありえません。ワンコールワーカーが働く場としている日雇い労働は、誰でも気軽に登録して仕事を得ることが出来ます。生活の糧を得るための仕事がないわけではありません。『生活保護vsワーキングプア』大山典宏、PHP新書、読むべきところもありますが、基本的な立場は出版元からお察し下さい)

 生活保護を不法に拒否する際、頻繁に用いられるのが「働けるのではないか」という口実です。そうですねぇ、確かに、どこかしら働き口はあるでしょう。その点では間違っていません。ですが、「人間らしく」とか「健康で文化的に」とか、そういう要件を付け加えるとしたらどうでしょうか? 働き口を見つけるだけなら簡単です、その労働条件や待遇を一切考慮しないのであれば!

 収入も貯蓄もコネもない貧困層に、生活保護受給とワープア職、二つの道が示されていたらどうなるでしょうか? 当然、待遇のいい方が選ばれます。タチの悪い方が淘汰され、より人を幸せにできる方が生き残る、これが競争原理です。しかし現実はどうでしょうか? 片方の選択肢である生活保護が一方的に断たれ、ワープア職だけが唯一の道として差し出されたとしたら? そう、選択の余地はありません。そして競争原理は失われ、いかに劣った雇用主であろうと労働力を容易く確保できる、そうなるわけです。

 誰もやりたがらないような仕事、割に合わない仕事、適正な給与の支払われない仕事、こうした就労の在り方がが延命を続けているのは、それ以外の選択肢を奪われた人々がいるからであり、彼らから選択肢を奪った人々がいるからです。本来であれば待遇面で劣った仕事はより優れた選択肢によって淘汰されねばなりません。そこで生活保護という選択肢を取り上げ、ワープア職しか選択肢のない人々を供給し続けているのが昨今の社会保障制度であり、生活保護受給にネガティヴなイメージを抱き続ける世論でもあります。

 馬鹿の一つ覚えのように法人税引き下げばかりが叫ばれてもいますが、今度の経済発展を考える上でそれよりも有意義なのは構造改革、低賃金の労働者を酷使することでしか成り立たないような欠陥企業を駆逐し、産業の集約化を進めることです。労働者に適正な給与を支払えないような雇用主にはさっさと退場してもらわねばなりません。そしてそのためにこそ、社会保障の充実が必要です。構造改革の痛みを無責任に国民に押しつけないためにも、です(「日雇い派遣を禁止したら、日雇い労働者はどうなるのか?」などという脅しが成り立つのは、社会保障に欠陥があってこそです。まともな保障がないからこそ、ワープア職にでもしがみつかねばならないわけで)。遵法意識を取り戻して生活保護の門戸を広げ、ワープア職以外の選択肢を与えること、それによって労働者にまともな給与を支払えない欠陥企業の根を枯らすこと、そうして貧困依存の産業構造から脱却することが必要なのです。

 ま、長期的なビジョンよりも現行の労使の力関係を保つことを重んじる政財界は反対するでしょうし、自分が一番かわいそうだと思っているような輩、他人の権利を否定することに汲々としているような人々からすれば、それは受け容れがたいのでしょうけれど。

 

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