非国民通信

未来なんてあるわけがない

給与を上げるのは解決になり得るけれど

2012-05-14 22:59:20 | 雇用・経済

男女の給与 10対7から7対10に入れ替えるだけで景気は回復する(週刊朝日)

 不景気だと言われ続ける日本社会。しかし、東日本大震災などに見舞われた昨年でさえ、実は輸出額は63兆円と、高い国際競争力を維持している。その国際競争力をさらに上げるキーポイントは、感性を磨ける程度の給与増加だと、日本総研主席研究員の藻谷浩介氏は言う。

(中略)

「とくに重要なのは、男性の7割程度にとどまっているといわれる女性の給与を上げることだ」(藻谷氏)

 雑誌や洋服、化粧品、食事、旅行、どの市場をみても消費意欲が強く、モノに対する感性が鋭いのは女性とも言える。男女の給与を10対7から7対10に入れ替えるだけでも、消費が増加し確実に景気はよくなると藻谷氏は主張する。

 

 ここで引き合いに出されている藻谷浩介氏は自身を批判するブログ記事へ「早く死んで子供に財産でも残せ」と書き込み、損害賠償としてブログ主に10万円を支払うよう地裁の判決を受けたことで有名な人です。私のブログではその手の書き込みは全部消してますけれど、裁判に持ち込めば1件当たり10万円と考えれば結構儲かりそうだなぁと、藻谷氏への判決が下された当時は思いました。とかく反原発の人は、すぐ「死ね」とか「殺す」とか言いますので。訴訟費用を差し引いても、普通にブログの脅迫コメントを裁判所に持ち込むだけで生活できちゃいそうです。わぁい、明日から働かないで済むや。

 まぁ冗談はさておき、上記引用は週刊誌ということを差し引いても色々と酷い記事です。一見すると男女の給与格差是正を求める記事のように見えるかも知れませんが、「男女の給与を10対7から7対10に入れ替えるだけでも」云々はどうでしょうか。あくまで皮肉として、極論として持ち出しただけと見ることもできますけれど、敢えて字義通りに考えてみたいと思います。「男女の給与を10対7から7対10に入れ替え」た場合に何が起こるでしょう? 女性の給与は上がるのかも知れませんが、男性の給与は下がります。もちろん男性の給与を据え置いたままで女性の給与だけを上げることも理論上はあり得ますが、どうにも日本流の格差是正論、日本式ワークシェア論よろしく、社会全体としての給与を下げる方向に動くように思えてなりません。まぁ、そうやって給与が下がればコストが下がって国際競争力は増す、日本で働く人の購買力が落ちた分だけ他国に売りつけようとする傾向は高まるわけでもあります……

 それよりも、「モノに対する感性が鋭いのは女性」みたいなステレオタイプが嫌ですね。こういうステレオタイプに寄りかかって持論を展開する人の言うことは、基本的に信用しない方がいいです。むしろステレオタイプに基づいて考えるなら、家計の財布を握っている主婦の方が締まり屋で、お父さんや独身貴族の方が消費傾向は強いんじゃないかとか、そういう風にも言えるわけですし。

 

「この仕事は合ってません!」と1カ月で辞める新人の“事情”(日経ビジネスONLINE)

 でも、つい先月に政府が開いた「雇用戦略対話」でも、2010年春に大学・専門学校を卒業し正規雇用で就職した56万9000人のうち、およそ35%に当たる19万9000人が、既に2年で辞めていることを明らかにした。
 
 若者が3年以内に仕事を辞める傾向が高まっていることは、ここ数年問題視されてきたが、「2年で35%」となったのだ。「このままいったら、3年以内で辞める大卒者の離職率は5割を超える」との憶測もある。

(中略)

 「彼はうちの会社に来る前に、大手の企業にいたんです。最初は何か問題でも起こして辞めさせられたんじゃないかって、疑いました。だって、賃金の面でも大手は何かと恵まれているのに、『なぜ、うちに?』と普通は思うでしょ。」
 
 「ところが、採用面接の時に、『もっと自分の力が目に見える会社で働きたいと思った』なんて言うものですから、『だったらうちに来い!』となりましてね。自慢じゃないですけど、我が社の若手はみんな元気がいいし、彼らが『働きがいがある』と言ってくれることだけが、私の自慢でもありましたから」

(中略)

 そんな自分と出会うには、ある程度の時間が必要なのだ。たった1カ月、たった1年、たった2年で、「合わない」と結論を出すのは早急すぎる。「石の上にも3年」なんて説教くさいことは言いたくないけれど、3年だけ仕事にひたすら向き合ってみてから、自分に合った仕事探しをしても遅くはない。

 

 で、これまた酷い記事です。要するに「今時の若者は辛抱が足りん」と言いたいようですが、これもまたステレオタイプに寄りかかった、信用に値しない駄文です。確かに、若年層の離職者は増えているのかも知れません(厚生労働省の統計pdfからは一概にそうも言えないように見えますが)。しかし、それは若年層だけの問題でしょうか? 社会全体の雇用情勢が悪化、意に反して仕事を失う人が珍しくなくなった時代です。そうした波から若年層が無縁でいられるはずがありません。引用したコラムでは、というより俗流若者論の文脈では「この仕事は合ってません!」みたいな、あくまで離職者側の都合に見えやすい理由がピックアップされますけれど、果たして離職した若者の内で「本当に」そういった理由が当てはまる人はどれだけいるのか、私は大いに疑問を感じるところです。

 結局のところ、規制緩和と超・買い手市場の結果として、あまりにも雇用側が強くなりすぎている、それが労働者側に無理を強いていることにも繋がっているわけです。そして押しつけられる無理難題に応えられないものは会社から追い出され、また新しい人が採用される、そうしたブラック企業型のサイクルが離職者を増やしてはいないでしょうか。若者の全員が「自発的に」離職しているのならいざ知らず、少なからぬ若者(若者だけに限りませんけれど)が意に沿わぬ形で職場を追われているとしたら、上記のコラムのような精神論へのすり替えほど悪質なものはないと言えます。

 また転職活動中の自分には常識としか思えないのですが、「前の会社を辞めた理由」が正直に語られることなど滅多にないものです。前の会社を辞めたからには何らかのネガティヴな理由があるのが実際のところで、しかるに面接でネガティヴなことを口にすれば敬遠されるのが常でもありますから。だから「もっと自分の力が目に見える会社で働きたいと思った」みたいな一見すると「前向きな」転職理由が述べられるわけです。それを額面通りに受け取る人がいるとしたらバカとしか言い様がありませんけれど、偉い人にはそれがわからんのですと言ったところでしょうか。ともあれ離職した人の述べる「表向き」の理由を鵜呑みにすべきではありません。

 もっと簡単に社員を解雇できるようにしろとの要求が喧しい一方で、早期退職者の数に眉をひそめる道徳論じみた声もまた目立つのは、ともすると矛盾したことに見えます。しかし「全ては雇用主の御心のままにあるべきなのだ」という観点からは首尾一貫したことなのでしょう。会社が社員をクビにしたいときは自由にクビに、しかし社員の側から自発的に辞めるのは許さない、そういう思惑があると上記の二つの主張が並び立つことになるわけです。だからこそ、若者の側に危機意識が募るのかも知れません。今は大丈夫でも、いずれ中高年に足を踏み入れたら会社から追い出されるのではないか、そうなったときにはもう転職先など見つかるはずがない、そういう危機感が真に迫ったものとして存在しているからこそ、まだやり直しの利く若い内に少しでもマシな会社をとの行動にも出るのでしょう。本当に若者を会社に引き留めたいなら、長年にわたって勤めた人に待遇面で報いるなどのニンジンが必要です。しかるに、これを放棄、否定してきたのが近年の日本社会でもあります。長く勤めることのメリットがなくなった、それで早期離職者が増えるとしたら当たり前のこと、必然的な結果として起こっていることを嘆くのはお門違いというものです。

 

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確実なことは分からなくても、だいたいのことは分かるのに

2012-05-12 22:57:10 | 社会

ある中学校の三年生の生徒100 人の身長を測り、その平均を計算すると163.5cmになりました。この結果から確実に正しいと言えることには○を、そうでないものには×を、左側の空欄に記入してください。

(2)100 人の生徒全員の身長をたすと、163.5 cm × 100 = 16350 cm になる。

 

 上記は日本数学会による「大学生数学基本調査」で設けられた問の一つで正解は「○」らしいのですが、それが「確実」なのかちょっと疑問を感じないでもありません。たとえば163.0cmの人が50人、164.0cmの人が49人、165.5cmの人が1人の場合を考えてみますと、合計は16350.5cmになります。この場合の算術平均は163.505です。100人の平均がジャスト163.5cmであれば話は単純なのですけれど、小数点以下第2位から先を四捨五入した結果であれば、もしかしたら厳密な平均は163.527とか、163.468かも知れないわけです。そうである場合、100人の合計はジャスト16350cmにはなりません。他にも有効数字4桁などと条件が明示されていれば、やはり100人全員の身長の和は16350cmに収まりますが、そのような条件は問題文に明記されていません。有効数字4桁と「推測」するのは概ね妥当と考えられますが、それが設問に示されたものではない以上、「確実」と言い切ることにはためらいがあります。100人の生徒全員の身長を足した場合が16350cmになるのかどうか、確実なことは分からないと言えなくもないのではないかと。

 16350cmになるかどうかはわからない、設問の条件からは絶対に確実と言えるものは導けません(とりあえず上記は前フリなので、そういう前提で進めてください)。では16350cmになるとは限らないからといって、100人全員の身長の和が65536cmになるかも知れないと主張する人がいたらどうでしょうか? それは確実に間違いですね。これは絶対の自信を持って誤っていると言えます。厳密に16350cmとなるかは不確かであっても、16350cmを中心に誤算の範囲、16345cm以上16355cm未満に収まることまでは導けるわけです。仮に16350cm「ではない」可能性が十分に考えられるとしても、だからといって16350cm以外の数値が「何でも正解でありえる」ことにはなりません。あくまで16350cm周辺から離れることはないのです。

 その辺は、普通に理解される範囲と思います。これは上記設問に限った頃ではありません。何かが確実ではないからといって、その確実ではないもの以外に「何だって起こりうる」と想定するのは、それ
は実に突飛な、自ら不正解になろうとする態度と言えるでしょう。確実に正しいものは滅多にないとしても概ね正しい範囲というものがありますし、逆に確実に誤っているものはたくさんあります。しかし、あるものが確実ではない、全てが明らかになってはいないという点を足がかりに「何だって起こりうる」と信じる動きも昨今は顕著ではないでしょうか。典型的、というよりまさに直球なのが、被曝の影響、低線量被曝の影響を巡る言論ですね。

 年間100ミリシーベルト未満の緩慢な被曝の影響については、しばしば「よく分かっていない」と言われます。仮に影響があったとしても小さすぎて有意な差としては表れないから、あるのかないのか分からないわけです。もしかしたら、影響はあるかも知れない、絶対にないとは言い切れない、しかし実際に計れるほどの影響は観測できない、すなわち「ほぼ0」です、ほぼ0ですが……厳密に「0」であるかどうかは不確実、それが被曝の影響について「分かっていること」です。ところが、一つでも「分かっていない」点があれば十分とばかりに、その不明な点を自分の好きなように拡大解釈し、好きなように色を付けたがる人たちもいたりします。

 原発構内でもない場所で被曝して人がバタバタ死んでいる云々とデマを飛ばしたり、もう人が住めない/住めなくなると脅しをかけたり、あるいは福島は元より宮城や岩手のガレキまで放射性物質が拡散するから危険だとか真顔で言っては被災地復興を妨害している人は、基本的にその類です。現状で考えられるレベルの放射線量で何かの影響があり得るのか、絶対確実に「0」であるかどうかは確かに「分かっていない」のかも知れません。しかし確実なことが「分かっていない」からといって「何でもアリ」にはならないわけです。それはあくまで「0」を中心として誤差の範囲と呼べる水準に収まるものであって、無尽蔵の危機が訪れる可能性を示すものでは断じてありません。0ではないかも知れない、というのが「あり得る」範囲であって、そのリスクを無限大に拡大して考えるのはあくまで「トンデモ」でしかないのです。

 ところが、社民党のようにあろう事か国会にまで議席を持つ政党ですら堂々とトンデモを信奉しているのですから呆れます。まぁ、政治家とは人気商売ですから「お客様」に喜んでもらえるような言動を繰り返すことこそ自分たちの責務とでも考えているのでしょう。しかし、こうした社民党が同調するような類のトンデモ危険説に国民が耳を傾けるようなことこそ「あってはならない」ものと思います。耳を傾ける「必要がない」のではなく、「あってはならない」と。

 いつだって、脅威を煽る輩は我々の社会に害を及ぼします。何であれ脅威を誇張する人はいつだって有害です。例えば、残念なことですが日本における外国人の犯罪は0ではありません。しかし、この外国人の犯罪をことさらに大きく見せかける輩には、どう向き合うべきでしょうか。彼らの掲げる「予防原則」のごときものに従って外国人を日本社会から排除しようとするのなら、まぁ愚かなことだと大半の人は分かってくれることと思います。しかし、扇動の主題となっているのが放射線/被曝の影響を、これまでに観測されてきたものよりも何万倍も大きく見積もることであったなら?

 私は同様に、こういう人にも立ち向かう必要があると思います。特定の何かが絶対的に危険視されるようになると、しばしば「その他の」問題から目が背けられがちですから。例えば(実際は減少している)凶悪犯罪のリスクを過大視して、一件の犯罪も許すまいと監視の目を張り巡らせようものなら、我々の市民生活は大いに侵害されること必至です。しかるに昨今の脱原発論も然り、原発のリスクを過大視、かつ絶対視した結果として、電力不足等のリスクは著しく蔑ろにされているものでもあります。放射線の影響ばかりが重視されるが故に、適正なリスク評価が妨げられ、それが我々の社会を蝕んでいるわけです。それを押しとどめるためには、危険神話とでも呼ぶべき原発/放射線に関するトンデモがしかるべく白眼視されるような社会を目指さなければならないでしょう。

 

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会社は友達付き合いの場ではありません

2012-05-10 23:03:40 | 雇用・経済

“5月病”は日本の文化!? 海外から見たニッポンの“病”事情(ハリウッドチャンネル)

 5月になるとやる気を失くす、いわゆる“5月病”。日本では一般に認知されているが、海外で同じような症状はあるのだろうか? また、日本の“5月病”は諸外国でどう捉えられているのか、外国人に質問してみた。

 大方の予想通り、「自分の国にも“5月病”が存在する」という外国人は皆無だった。

・「人それぞれ落ち込むことはあるけど、時期も理由も人それぞれ。みんな揃って5月病なんてことはない。日本人は共通病名をすぐつけたがるのが特徴だ」。(スリランカ:50代男性)

 

 4月に新卒が一斉に入社して、ちょうど一息つきたいところにまとまった連休があるという日本特有のスケジュールがあってこそ「5月病」というのは成り立つわけで、そうした事情の違いを無視して外国人に「5月病」を問うというのも随分と間が抜けた話です。まぁ何ですか、私のような転職の機会を窺う身からすれば5月病で新入社員が適度に脱落してくれないと困ったりします。新卒が採れるときは、どこの会社だって新卒を欲しがるもの、期の中途で誰かが辞めてくれないと、中途で新たに入り込むのは著しく困難ですから。もっとも中途で入社できる余地の大きい会社ほど、中途で辞めた人が多いことを意味する、すなわち辞めたくなるのも当たり前or成果が出ないと退職を強いられるブラック会社の可能性が高かったりするのですが。その辺はさておき、スリランカの50代男性からは「日本人は共通病名をすぐつけたがる」とたしなめられているようです。

 

友達との飲み会には行ける、海外旅行には行けるけど・・・会社には行けないという心の症状があるらしい(TOP BRAIN)

 これは4月29日(日)に放映されましたNHKスペシャルで私(代表 片桐)が知ったことです。こうした症状は20代〜30代で急増しており、上場企業2200社に実施したアンケートの有効回答中、65%の会社にこうした症状の社員がいるという回答を得たそうです。

 特徴は症状は似ていても、原因不明、原因に共通性がなく、休職して復職しても再発を繰り返すそうです。このような社員の対応として就業規則に、「病気欠勤期間中に病気を治すことに専念しなければならない」という一文を盛り込んだ企業もあります。

 私の前職の同期も5年ほど前、一時期、休職しながらも、その最中にSNSで活き活きしていたことを目にしたことがあります。私はそのことを受け入れられずに、SNS上の友達になることはありませんでしたし、同じ会社の社員でないにも関わらず、むしろ不愉快に感じました。

 そうした休職社員の穴は残った社員が埋めなくてはならず、負担がかかります。「病気を治して、1日でも早く元気に復帰して欲しい」ことを願うからこそ、頑張れる訳で、治療専念していない姿を見れば、「俺達は会社を休んで遊ばせる為に働いてる訳じゃない」と今でも私は思います。このトピックスで取り上げたような症状を番組では「新型うつ」と呼び、番組には「職場を襲う"新型うつ"」という題名が付けられていました。

 

 さて、「日本人は共通病名をすぐつけたがる」という悪癖が端的に表れているものの一つとして、この「新型うつ」が挙げられるように思います。こんなくだらない言葉を作って喜んでいるような人こそ、大いに反省が求められると言えるでしょう。

 なお引用元の見出しにあるように「友達との飲み会には行ける、海外旅行には行けるけど/会社には行けないという」のが「新型うつ」の症状とされているわけです。う〜ん、「○○が分からなかったらアスペルガー症候群の疑いが〜」みたいな信憑性の微妙なテストもありますけれど、どうなんでしょうか、「友達との飲み会には行ける、海外旅行には行けるけど/会社には行けないという」ことを不思議に思ってしまう人がいるとしたら、その人は率直に言って、どこか抜けているとしか……

 バッティングマシーンの球は打てる、打撃投手の球は打てるけれど、公式戦で相手投手が投げてくる球は打てない、そういう野球選手はたくさんいます。まぁ、当たり前のことですよね。それを不思議だと思える人がいたら、その人の頭の中身の方が不思議です。そして友人との飲み会や旅行には行けても会社には行けないのもまた、当たり前のことでしょう。打ちやすいボールは打てても打ちにくいボールを打てないのは、別に本人が怠けているからでも八百長に荷担しているからでもありません。難しいボールが打てないのは平凡な打者にとって至って普通のことです。そしてプレッシャーのかからない行動はできても、プレッシャーのかかる場面では行動できなくなってしまうのも同様です。それぞれ難易度が違うのですから。

 より平明に言い換えるなら「簡単なことはできるのに、難しいことはできない」という状態を指して「新型うつ」と呼んでいるのではないでしょうか。ごく当たり前のことなのに「新型うつ」などと、あたかも珍現象であるかのごとく思い違いをしている人の方がむしろ、ちょっと病院で頭を診てもらった方がいいんじゃないかという気がしてきます。ちょっと精神的のバランスを崩した、というより脳という一種の臓器が機能不全に陥ったとき、簡単なことはできても、難しいことはできなくなる、どうしてこれが「新型」なのでしょうか。私など、それが「新型」に見える人の方が病んでいると言いたくもなります。ゆっくり歩くことはできても、速く走ることはできない、そういう人を指して「本当に足を怪我しているのか、怠けているだけではないのか」とか「これは新型の怪我である」などと言い出す人がいたとしたらどう思います?

 ただまぁ、「友達との飲み会」と「会社に行くこと」の違いを理解できない人もいるのかも知れません。私のように前者は簡単、後者は負担と感じる人間であれば、両者の難易度には雲泥の差があるように見えるのですけれど、そうでない人もいるはずです。選りすぐりの社畜であれば、会社に行くこととは息をすることと同じようなもので、気がつけば会社に足が向かっている、それが当たり前と何の疑問も感じないものなのでしょう。ましてや、近年のコミュニケーション能力偏重は、会社との関わりをビジネスライクなものから友人関係を擬したものに近づけているところもあるような気がしますし。

 何かと曖昧な「コミュニケーション能力」ですが、身もふたもない言い方をすれば「友達を作る能力」なのではないでしょうか。どこかの会社が、求職者のコミュニケーション能力を計るために友人の数を聞いてみる云々と述べていたのを見た記憶があります。要するに、応募者にコミュニケーション能力を要求する求人広告に書かれているのはこういうことなのです。


  も
    だ
      ち
        が
          ほ
            し
              い

 特定分野に限っては能力を発揮しても角があって付き合いづらい人間は避けたい、そうではなく自分たちと仲良くやっていける人、自分たちの気持ちを察して上手に合わせてくれる人、最も広範に求められているのは、こういう人なのでしょう。あくまで契約関係とビジネスライクに割り振った態度は職場で好まれないものです。会社で友達関係を築いてくれる人こそが好んで集められる、その結果として会社組織に適応した人=トモダチになっている側面もあるように思います。友達と遊ぶのは好きでも学校に行くのは嫌いな子供は、学校に友達がいない、少ないのかも知れません。逆に学校に友達が多い子供であれば、友達と遊ぶことと学校に行くことに差はないでしょう。だから友達と飲みに行くのも、会社に行くのも同列に見てしまう人というのは、会社=友達を作る場所になっている疑いがあります。会社をあくまで仕事の場所と捉えているのであれば、友達と飲みに行くのと会社に行くことの「難しさ」の違いは当然のこととして理解できるはずですから。

 

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家庭だけで済むはずがない

2012-05-08 22:59:18 | 社会

関電、節電達成で優遇措置=家庭向け―電力不足対策(時事通信)

 関西電力は4日、大阪府と大阪市が合同で設置したエネルギー戦略会議で、今夏の電力不足対策として、節電目標を達成した家庭に対し、商品券を渡すなど一定の優遇措置を導入する方針を明らかにした。同社が家庭の節電への取り組みに関し優遇措置を導入するのは初めて。また、ピーク電力抑制のため、午後3時前後の電気料金を上げる一方、夜間料金を下げるメニューも新設する。

 関電大飯原発(福井県おおい町)3、4号機の再稼働の行方が不透明な上、大飯原発が再稼働したとしても、今夏は依然として大幅な電力不足に陥る可能性があると同社は見込んでおり、家庭向けに優遇措置を導入することにした。 

 

 さて、最後の原子力の灯であった泊原発も運転停止し、一応は再稼働方針が示された大飯原発にもこれといった進展が見られない中、関西電力圏内の危機は刻一刻と近づいています。そもそも行政サイドはアリバイづくり的にしか仕事をしていないのか、大飯原発にしか再稼働の見込みを出すことができていない、その他の原発に関しては全く目途が立っていない有様です。元より関西電力にしても大飯原発だけの再稼働では厳しい、その大飯原発ですら確実でないのですから、まぁ行政の怠慢は厳しく問われるべきでしょうね。玄海原発を巡っては九州電力の失態もありましたけれど、いずれにせよ震災から1年以上を経て、平常運転に戻すどころか西日本にまで原発問題を波及させ、昨年以上に事態を悪化させているわけです。メルトダウンしたのは、たぶん理性の方だったのでしょう。

 先日は、原発再稼働に反対すると称して反日だけハンストした瀬戸内寂聴氏が「私が生きてきた90年で、こんな悪い時代はなかった」「戦争中の方が、まだ、ましでしたよね」などと取材陣に述べたそうです。私が実体験ではなく文献から知る限り「戦争中」であれば、曲がりなりにも政府方針となっているものに対して公然と抗議しようものなら特高に捕まって拷問で殺される可能性も否定できないイメージがあるのですが、実際に当時を生きていた人の証言によると戦争中の方がまだマシで、今の方が悪い時代なのだそうです。これが戦争体験の風化か!などと思わないでもありませんが、当時を生きてきた人が言うのですから、たぶんそういうものなのでしょう。今後は原発稼働停止で今まで以上の化石燃料を確保する必要性に迫られるだけに、南方に進出して日本の「共栄圏」でも作ることを考えなければいけないのかも知れませんね。そうなったら戦争ですけれど、その方がまだマシと戦争時代を実際に経験した人が力説しているのですから。

 それはさておき、迫り来る電力不足の危機に対処すべく、大阪府と市、そして関西電力が設置したエネルギー戦略会議では、ニンジン作戦を考えているようです。何でも節電目標を達成した家庭には商品券をプレゼントだとか。そうは言っても、元より家庭の消費電力が占める割合はそう大きくありません。加えて、昼間の電力が足りないのに、昼間は働きに出て家を留守にしている家庭では節電の余地などないことは誰にでも分かると思います。家庭部門がどう足掻いたところで「なんちゃって節電」「節電ごっこ」の域を出ることはないでしょう。結局、本格的な節電のためには「平日の昼間に工場を止める」しかないわけです。そのためには家庭向けだけではなく産業向けの電力料金も、今まで以上に「昼は高く、夜は安く」設定するなどしてピークとなる時間帯のシフトを促すことが効果的なのですが、しかし……

 当然ながら人がいなければ機械は動かせません。平日の昼間に工場を動かすのを止めて夜間に操業させるとならば、その分だけ深夜労働しなければならない人が急増します。現時点では、今まで以上に夜間料金を下げるメニューはあくまで家庭向けのようですけれど、同様のことが産業向けに行われたとしても何ら不思議ではなさそうです。電力会社だけではなく行政府の公認の元、料金割引というニンジンによって夜間の操業即ち深夜労働へのシフトが推進されるという悪夢のような事態も差し迫った危機として想定されなければならないことでしょう。何せ行政の長があの人ですから、さらなる節電/ピークシフトを促す策として深夜労働の割増賃金撤廃を提唱するとか、深夜労働を増やした企業に報奨金を出すとか、そういう事態だって一概にあり得ないとは言えません。

 先日は深夜バスの大事故もあったばかりで、まぁ個人の資質に寄るところはあるにせよ概して深夜労働はキツイものです。少しでも働く人の立場を慮る政治家であれば、なるべく深夜労働を余儀なくされる人を減らそうと考えるのが筋というものではないでしょうか。深夜時間帯の割増賃金が定められているのは、負担が重い労働への補償でもあり、深夜労働が増えすぎないようにと抑制する意味合いだってあるはずです。しかし、目立った自治体の長は概ね電力不足を深刻化させる方向で動いているようです。その結果として出てくるのは、さらなる節電の必要性、ピークシフトの必要性であり、深夜労働の増加でもあります。いくら「電力は足りている」と強弁したところでない袖は振れない、操業中に停電されたら困るような企業は自分なりに対策を取ることでしょう。深夜営業に「ケシカラン」と声を上げる政治家はいても、必然性のない深夜労働を増やさないようにと動いている政治家はどれだけいることやら。

 そういえば、学生時代にちょっとだけ深夜のバイトをしていたことがあります。まぁ、短期間でも夜勤はつらいですね。幸いにして夜のバイトをしてみた時期とは別なのですが、家の隣で延々と工事が続いていたことがありました。それと時を同じくして夜は夜で道路工事が重なったというのはさておき、まぁ昼間はずっと工事でやかましいことこの上なかったわけです。あまりにうるさいので建設会社に電話してみたりもしましたが、早朝の音出し作業は控えるとの言質は採れても(実際は何も遠慮なしでした)、昼間は仕方がないでしょうと全く取り合ってもらえなかったことが記憶に残っています。近隣住民が皆、夜に寝て、昼間はどこかに外出する生活を送っていると想定しているのであれば、それでいいのかも知れません。ところが実際には夜に働く人もいる、本人の希望に関わらず昼夜の逆転した生活を余儀なくされている人もいるのです。深夜に働いて、昼間に寝ようと思ったら工事が始まって轟音が止まらない、でも建設会社は昼間に寝ようとする人にまでは配慮しないし、それが当然だと思っていたりする、まぁ夜間に働く人の世間的な扱いって、そんなものなのでしょうね。でも電気が足りない以上、皆で一斉に電気を使うわけにはいきません。電気を「分け合う」為には、電気を使う時間をずらさなければならない、その分だけ仕事を夜間に回さなければならない人も増えるのです。

 

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いずれはそれも当たり前に

2012-05-06 22:55:45 | 雇用・経済

箱根老舗旅館でたった1人の入社式−初めての新卒採用を実施/神奈川(小田原箱根経済新聞)

 箱根芦之湯温泉に1662年に創業した「鶴鳴館 松坂屋本店」(箱根町芦之湯、TEL 0460-83-6511)で今年、初めての新卒採用が行われた。
 
 慢性的な人手不足が続いていた同館。人員確保のために派遣社員を入れるなどして乗り切って来たが、どんなに優秀な派遣社員でも必ず期限がある。新人が派遣されると、その度に教育する必要があり時間も労力も大変だった。
 
 同館の若旦那である松坂滋彦さんは「ホテルや旅館で働きたい」と考えている新卒者を採用することでこの問題を解決することにした。昨年9月、遅いと分かりながらも大学やホテル学科のある専門学校を回り採用活動を始めた。

 

 何というか、わかりきったことではあるのですけれど、こういうニュースを目にすると悲しくなっちゃいますね、現役の非正規雇用としては。本文で伝えられているように箱根のある旅館では派遣社員を取っ替え引っ替えしながら人員確保していたところを、新卒採用に切り替えたそうです。そんなことをしなくても元からいる派遣社員を直接雇用すれば業務に切れ目もなく円滑に進みそうなものですが、それは雇用側のプライドが許さなかったのでしょう。キヤノン本体だったかグループ会社だったかは忘れましたが、正社員の採用セミナーに「派遣社員等で現在キヤノンに勤務中の方の参加はご遠慮下さい」などと臆面もなく掲げていた企業もありました。手垢の付いた派遣社員を正社員として登用するよりも新たに外部から、可能なら初々しい新卒者を新たに取ってくる方が、どこでも好まれるものなのかも知れません。非正規雇用の扱いってのは、そういうものです。

 

ホテル滞在中に中国人ツアー手配か…河野容疑者(読売新聞)

 群馬県藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された千葉市中央区新宿、運転手河野化山容疑者(43)が、休息のため石川県内のホテルに滞在中、中国人向けツアーの手配をしていたことが3日、バス運行会社の関係者らの話で分かった。
 
 群馬県警は、河野容疑者がツアー手配のため十分な休息を取らなかった可能性もあるとみて、詳しく調べる。

 

バス事故、運転手は日雇いか…1回ごとに報酬(読売新聞)

 群馬県藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、バスを運行していた陸援隊の針生裕美秀社長が、国土交通省関東運輸局の特別監査に対し、河野化山容疑者(43)=自動車運転過失致死傷容疑で逮捕=について「人手が足りない時、都合がつけば運転を頼んでいた。1回ごとに報酬を払っていた」などと答えていたことが分かった。

 同省は、道路運送法上禁じられた日雇いにあたる可能性があるとみて調べている。
 
 道路運送法に基づき定められた「旅客自動車運送事業運輸規則」では、運転手の教育や健康管理が不十分になり、安全確保ができなくなる恐れがあることから、運転手の日雇いや、2か月以内の期間を決めての雇用を禁止している。

 

 さて、例のツアーバス事故の続報です。別の報道によればドライバーは中国残留孤児の子だとも伝えられています。言うまでもなく中国残留孤児と言ったら元々は日本人だったはずの人々なのですが、近年の中国残留孤児とその親族に対する日本側の冷淡な扱い、時には露骨に差別的な態度を取る人々を見るに、まぁ酷いものだなと思うことしきりです。それはさておき、前日までは休暇だったはずの河野運転手、調べによると中国人向けツアーの手配をしていたとのことで休息が十分でなかった疑いが持ち上がっています。まぁ休息が十分でも深夜の長距離運転は危ないですし、そもそも道路側の安全管理や緩すぎる規制にも問題があったのではないかと色々ツッコミどころはありますけれど(参考、あんな格安料金では安全対策にコストはかけられないだろうなと)、自身のコンディション管理という面では運転手側の落ち度と言えるのかも知れません。

 例えば従業員に副業を禁止している会社も少なくないわけです。副業のせいで、本業に支障が出たら困りますからね。そういった点では、夜間運行の前日に副業のため忙しくて休養が不十分みたいなことはあってはならない事態と言えるでしょう。しかるに、ここで伝えられるように「日雇い」であった場合はどうなのか、常勤フルタイムであれば副業禁止規定が合理的であるとしても、今回の運転手の場合はあくまでも「日雇い」です。日雇いでしかない人間の副業にまで雇用側が干渉するとしたら、いくらなんでも横暴というものです。副業に走らないように従業員の行動を管理したいのなら、それは継続的な雇用の上でないと筋が通りません。本業単独で十分に生活できるような報酬を出しているのならいざ知らず、副業も併せてようやく生活が成り立つような状況を放置しておきながらでは、副業禁止なんてあり得ない話です。

 道路運送法では、運転手の教育や健康管理が不十分になり安全確保ができなくなる恐れがあるとの理由から、運転手の日雇いや2か月以内の期間を決めての雇用を禁止しているそうです。この辺も、今回の事故がなければいずれ規制緩和で自由化される、好きなように非正規雇用で済まされるようになっていたのではないかと思われるところです。いや、今回の事故があってさえ、記憶が風化した頃にはいずれ規制緩和されるものなのかも知れません。単に雇用側の言い分を受け売りしているだけなのに、さも経済のことが分かった風な顔をしている人も多いですし、ひたすら雇用側に便宜を図ることを以て経済政策と、この国では信じられているようですから。製造業などへの労働者派遣が解禁されたように、いずれは運転手の日雇い派遣だって当たり前になる、その危険性と規制の必要性を説く声があらば「運転手の雇用を奪う」などと称して囂々たる反対が巻き起こる、10年後にそういう時代が到来していたとしても何ら不思議ではありませんね。

 

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維新という名の守旧派

2012-05-04 23:02:07 | 社会

親も教育…虐待・モンスター防止へ維新が条例案(読売新聞)

 大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)大阪市議団は1日、保護者に家庭教育の学習機会を提供する「家庭教育支援条例案」を、15日開会の5月定例議会に議員提案する方針を固めた。

 児童虐待や、無理難題を強いる「モンスターペアレント」の出現を防ぐ狙いで、成立すれば全国でも異例の条例となる。

 市議会で審議中の教育基本2条例案に盛り込まれた保護者向け家庭教育支援を具体化する内容。「親になる心の準備のないまま子どもに接し、途方に暮れる父母が増えている」とし、具体的には市内の全保育園・幼稚園に保護者を対象とした一日保育士・幼稚園教諭体験の機会を設けるよう義務化。結婚や子育ての意義を記した家庭用道徳副読本を高校生以下の子どものいる全世帯に配布するほか、市長直轄の推進本部を設置し、「家庭教育推進計画」を策定することも盛り込んだ。

 

 大阪維新の会が提出しようとしている「家庭教育支援条例案」はこちらで全文を読めますが、まぁ当然のことながら方々からツッコミが入っています。特に明白な誤りとして各所で指摘されているのは、以下の行ですね。

 

(伝統的子育ての推進)
第18条
わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する

 

 例えば富裕家庭なら「乳母に任せる」とか、貧困家庭なら「間引きする」とか「丁稚奉公に出す」などの伝統的子育てによって発達障害は予防できると橋下一派は主張したいのでしょうか。まぁ発達障害の早期発見と「間引き」を組み合わせればもしかしたらと思えないでもありませんが、それは完全に優生思想の世界でもあります。そして言うまでもなく乳母に子供を預けたり、子供を奉公に出したりといった伝統的な子育てで「予防」できるような代物では、発達障害はないわけです。加えてサザエさんみたいな近代的な家族モデルで育てられようが発達障害が「防止」されることもありません。維新の会と、それに何のツッコミも入れられない読売記者の頭の中の発達障害って、いったいどういう類の障害なのでしょう? 昨今は社民党辺りも大概ですけれど、とかくエセ科学的な知見が政治に取り入れられやすいところがあります。本来ならば政治に入り込ませてはいけないものなのに、その分別が付けられない政治家がのさばってしまうことには危機感を覚えるところですが、社会の木鐸とやらは読者のウケばかり考えているのか役割を果たそうとしていません……

 この「維新」とか、そうでなくとも「改革」の類を看板に掲げる人々は往々にして「保守」であり、守旧派、復古派、退行志向であったりします。文字通りに「維新」というのなら、これまでの日本にはなかった何か新しい家族モデルを提唱してくれても良さそうなものですが、「伝統的子育て」なる本人もよく分かっていないであろうモデルを称揚している辺りに、その特徴が表れていると言えるでしょう。むしろ伝統的なものを乗り越えてこそ「維新」ではないかと思うのですが、とかくこの国の「維新」や「改革」は保守的な人々と相性がいいわけです。改革を唱える政治家がのさばればのさばった分だけ社会が退行してきた、日本が世界から取り残されるようになってきたのも宜なるかな、ですね。

参考、カッコーの巣の上へ

 そもそも発達障害に関しては大人になってから発覚するケースが増えているとも聞いたものですが、その辺も子育ての結果だと考えたがる人がいるのでしょうか。何はともあれ、維新の会では他にも引用元で伝えられているように、「児童虐待や、無理難題を強いる『モンスターペアレント』の出現を防ぐ狙い」云々を主張しているそうです。その前に橋下がモンスター首長、維新の会がモンスター会派なんじゃないのかと言いたくもなりますが、モンスター首長とかモンスター会派というと、どちらかと言えば強そうな、肯定的なニュアンスになりそうで何だか嫌です。まぁ、学校の教職員を含めた市の職員とか昨今では電力会社とかに無理難題を強いているのはモンスターペアレントなる架空の生物よりも先に、まず橋下でしょう。橋下をどう躾ければいいのか、私だったらそっちを考えるべきと提言します。

 

1人で子育て…順調な成長「遅い」と悩み殺害か(読売新聞)

 東京都練馬区のアパートで27日、住人の滝島優希ちゃん(2)が殺害された事件。

 殺人容疑で逮捕された母親の滝島希巳江容疑者(41)は「子育てに悩んでいた」と供述、優希ちゃんの発育を心配し、区に繰り返し相談していた。

 しかし、区によると、優希ちゃんの成長は順調で、希巳江容疑者の「思い込み」だった可能性が高い。夫と離婚し、一人で子育てをしていた希巳江容疑者に手を差し伸べる相談相手はいなかったのか。

 「息子が言うことを聞かずに動き回り、タンスから物を出して投げつける」。昨年12月、優希ちゃんの健診のため、区の保健相談所を訪れた希巳江容疑者は保健師に打ち明けた。

 健診では発育に異常は見あたらず、保健師は思い過ごしだと判断、「様子を見ましょう」となだめた。

 

 維新の会の狙いの中には児童虐待を防ぐなんてのもありますが、果たして「一日保育士・幼稚園教諭体験の機会を設ける」ことや「結婚や子育ての意義を記した家庭用道徳副読本を〜配布する」ことが防止に繋がるのかどうか、この辺も大いに首を傾げるところです。子育ての意義はまだしも結婚の意義とか、まぁ維新という名の守旧派にとっては大切なことなのかも知れませんけれど、そういう拘りが子育てのハードルを高くしてもいるわけです。低下する出生率を回復させた成功例としてはフランスなんかがよく挙げられますけれど、フランスでは婚外子の割合が50%を超えています。「結婚の意義(キリッ」と曲がりなりにも議席を持つ政治家が説法する、道徳が支配する日本では考えられない世界ですね。日本の伝統である「間引き」の精神が今なお息づいているのでしょうか。結婚して「親になる心の準備」が整ったものだけが子供を産むようにと、そうやって子供を制限していくことで児童虐待を防ごうという発想なのかも知れません。少子化が進むのも当然だなぁと今更ながらに思うのでした。

 

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あんな格安料金では安全対策にコストはかけられないだろうなと

2012-05-02 22:52:31 | 社会

関越道で高速バス事故 7人死亡 39人けが(朝日新聞)

 29日午前4時40分ごろ、群馬県藤岡市岡之郷の関越自動車道上り線で、高速バスが道路左側の防音壁に衝突する事故があった。高崎市等広域消防局と群馬県警によると、女性6人、男性1人の計7人が死亡し、39人が負傷。そのうち9人が重傷という。負傷者は周辺の複数の病院に搬送された。群馬県警は、バスの運転手らを自動車運転過失致死傷の容疑で調べる。

 群馬県警によると、亡くなった女性6人は20歳前後だという。負傷者には10代もいるという。現場は関越道上り線78.8キロポスト付近で、路面にタイヤ痕はなかった。バスには45人の乗客が乗っていた。運転手(43)もけがをしており、病院への搬送前、居眠りをしていたという趣旨の話をしていたことが、捜査関係者への取材で分かった。

 バスは千葉県印西市の針生エキスプレスが運行。28日午後10時10分に金沢市を出発して、東京都内で新宿駅、東京駅を経由し、東京ディズニーランドに向かう予定だったという。

 

 事故そのものについては至る所で報道されているので今更ですが、とりあえず概要は上記の通りです。TV報道ではもうちょっと詳細で、確かガードレールに接触した後、防音壁に「突き刺さる」みたいな説明だったでしょうか。道路の構造上の欠陥でもあるのではないかと思いました。ガードレールがヤワで車体が外側にはみ出し、防音壁へ垂直方向にぶつかるようになったのであれば、道路側の安全対策にも不備があったのではないか……などと事故当時に書いて、もうちょっと他に色々と書き加えてからブログに載っけようと考えていたら今日のニュースでは、この辺の問題も既に指摘されていました。まぁ、その辺は私よりもうちょっと詳しそうな人も提言していましたので、ご参考までに。

 

「起きると思っていた事故」 TDRでバス運転手に聞く(朝日新聞)

 「いつか起きると思っていた」「起こるべくして起きた事故」。多くのツアーバスが駐車場で帰りの客を待つ東京ディズニーリゾート(TDR)で、運転手たちは業務の過酷さを口にした。

 関越自動車道で死亡事故をおこしたバスと同じ石川県を前夜に出発、29日早朝に着いた男性(45)は、もう1人の運転手と2時間おきに交代しながら運転してきた。「それでも、事故が起きた時間帯はいつも眠くなる。どれだけ寝ても体のバランスが取れない」

 やはり北陸地方から来た男性(47)は「1人では負担が大きすぎる。2人で交代しないと無理」と話す。しかし「大型連休やお盆は運転手が足りない。ふだんは2人で走っていても、この時期だけは1人で走る会社も出てくるのでは」。

 

 伝えられる限り、事故を起こしてしまった運転手は前日までは休暇で過労になるような状態ではなかったそうですけれど、たとえ休養が十分であっても深夜勤務はつらいものです。まぁ、人によって耐性はあるのかも知れませんが(大学時代の友人に「3日ぐらいなら余裕で徹夜できます」と自己アピールして就職を勝ち取った人がいました……)、やはり昼間に寝て夜に働く生活は負担が大きい、昼夜を逆転させるのは余分に睡眠を取っても簡単なことではないわけです。ここで伝えられるドライバー(同業者でしょうか、年齢的には結構なベテランのはずです)の声を聞いても、深夜の長距離運転は相当に堪えることが分かります。国交省の基準では「運転手1人の1日当たりの走行距離と運転時間の上限を2日平均で670キロ、9時間」と定めているそうですが、その基準の範囲内であっても今回の事故は起こりました。

 

関越道でツアーバス激突 格安競争、安全を犠牲に(産経新聞)

 今回事故を起こした高速バスは定期の路線バスと異なり、旅行会社が観光バスを借り上げて運行する「ツアーバス」だった。格安を売りに人気を集め、年間利用者は600万人。一方で過当競争による過酷勤務などから重大事故も起きており、国土交通省はツアーバスに路線バスと同じ法令を適用するよう方針転換したばかりだった。国交省は29日、日本バス協会などに大型連休中の安全確保を徹底するよう通達した。

(中略)

 今回のバス料金は金沢−浦安で3500円と、特急と新幹線を乗り継ぐより1万円近く安い。関西大学の安部誠治教授(公共事業論)は「何より値段が安く、快適なサービスも増えて人気が出た。だが、過当競争で旅行会社はチケットを安売りし、そのしわ寄せでバス会社に無理が行きがちとなる」と話す。

 19年2月には大阪府吹田市でスキー客を乗せた長野県のツアーバスが事故を起こし、乗客ら27人が死傷。大阪地裁は運転手が過労状態だったと認定した。事故を受け、国交省はバス会社に対し1日当たりの勤務を9時間、670キロまでとするなど安全策を強化した。

 一方で、貸し切りバス会社は11年度の2336社から22年度の4492社へ倍増。行政処分も18年の237件から昨年は過去最高の625件に増えた。バス会社の関係者は「過当競争で旅行会社からの無理な金額設定を断れず、法令順守など安全対策がおろそかになっている零細のバス会社も多い」と打ち明ける。

 

 深夜に店員を一人しか置かず、同業他社に比べて圧倒的に強盗に入られる件数が多いことではゼンショーのすき家が有名です。あまりにも強盗が多発するので警察から直々に指導が入ったという筋金入りですが、コストダウンに熱心な会社とはそういうものなのでしょう。北陸から東京近県までの深夜バスの運転も「1人では負担が大きすぎる。2人で交代しないと無理」と言われつつ、ドライバーを2人に増やしたら採算が取れない、そういうギリギリのラインで運営されているのではないかと推測されます。あたかも憲法に「競争は日本国民の義務」書かれてでもいるかのように、とかく国内レベルの競争は賛美されがち、一方で競争していないとされる世界(公務員や電力業界)は、それこそ国民の義務を果たしていないかのごとく扱われるものですけれど、もうちょっと競争のもたらす弊害に日本人は目を向けた方がいいのではないでしょうかね。

 消費者への提供金額が安いと言うことは、その分だけ他のどこかにしわ寄せが来ているわけです。にも関わらず消費者の利益と経営側の都合だけが考慮されて、労働者の立場が蔑ろにされるのが我々の社会の常なのかも知れません。価格競争を激化させ、日本国内、業界内部でのつぶし合いに勝利した企業を経済誌やコンサルタントの類は賛美しますが、果たしてそれが我々の社会を豊かにするものなのか、大いに疑わしいものです。タクシー料金とかでもそうですけれど、こうしたバスツアーに関しても「自由な」料金設定には歯止めをかけた方がいいようにも思います。安全を担保するためのコストを負担し、末端の従業員に十分な賃金を支払えるだけの採算性を備えた料金設定になっているかどうか、そうした面での規制も必要でしょう。旅行会社の無茶な料金設定を放置したまま、バス会社に安全対策を求めるだけではどうやったって無理が出ますから。どこかの会社でちょっと経営が苦しくなろうものなら、すかさず「リストラで」というのが当然のこととして受け入れられてはいますけれど、その結果として失われるのは雇用だけではないのです。

 

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Need for Redemption

2012-04-30 22:58:13 | 雇用・経済

日本も格差拡大、構造改革を…OECD事務総長(読売新聞)

 経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長は25日、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で講演した。

 日本が取り組むべき課題として、労働市場の二極化や男女格差の解消、財政再建などを挙げ、「格差の原因となっている構造の改革が必要だ」と訴えた。

 グリア氏は、日本でも他のOECD諸国と同様に、1980年代半ばから所得格差が拡大していると指摘。最大の要因は賃金の格差にあり、非正規労働者の社会保障の適用範囲の拡大や職場訓練の充実などが必要との見方を示した。

 

 「格差の原因となっている構造の改革が必要だ」とOECDの事務総長が訴えたそうで、その省略形として見出しには「構造改革を…」となっているのでしょうか。しかるに日本で「構造改革」と言ったら、問題となっている格差の原因の最たるもの、格差を拡大させた要因でもあるわけです。そりゃ一口に「構造改革」と言っても内容は千差万別たり得るのでしょうけれど、そうであるからには用法にも注意が求められます。OECDの「構造改革を…」という提言を受けて、この十数年来の構造改革路線のアクセルを踏み込む、それでさらなる格差拡大に拍車がかかるなんて事態になったら目も当てられませんから。そこに精神的満足感を覚える人はいるにしても、いい加減に経済合理性など「実利」の部分を考えねばならない段階に来ているはずです。日本的な改革の理想を追いかけて経済と社会を破綻させるような未来は御免です。

 小泉一派とその支持層は、格差拡大の原因を専ら高齢化のせいだと主張しました。確かに世代が上になるほど所得/資産の格差は大きくなる、必然的に高齢化の進行は格差の拡大の一員となるのですが、それだけを格差拡大の原因として挙げるのは乱暴に過ぎるでしょう。それ以前に彼らの自家撞着ぶりを示すのは、格差拡大を高齢化のせいと言い繕う人ほど高齢者向けの福祉には冷淡で、あろうことか削減の対象と見なしがちだということです。自分が格差拡大の原因だと説明したものに手を施そうとしないどころか、逆に事態を悪化させようというのですから笑えます。まぁ、笑って済まされるものではないですけれど。たぶん彼らにとって格差拡大は批判的に見るべきことではなく、むしろ歓迎すべきことなのでしょう。いわゆる「好転反応」って奴ですね。格差拡大は意図して推し進められてきた、それは時に経済成長を蔑ろにしてでも実現させるべき改革の理想だったのかも知れません。

 なおOECDのグリア氏によると「最大の要因は賃金の格差にあり、非正規労働者の社会保障の適用範囲の拡大や職場訓練の充実などが必要」なのだそうです。確かに賃金の格差は大きいですし、この低賃金が容認されたままでは社会保障の適用範囲が拡大されても、日本の逆進的な社会保障制度の元では加入することによる負担もまた決して小さいものではありません。そうした面からしても賃金格差の是正は求められますが、単に格差是正というと正社員の賃金を下げれば良いのだと素面で口にする改革論者がこれまた幅を利かせているのですから日本は恐ろしい世界です。まぁ、正社員を含めた日本で働く人をことごとく貧困化させて日本経済を破綻させたところで、正規雇用と非正規雇用の賃金格差は解消されることはないでしょう。正社員の賃金が下げられる一方で、非正社員の賃金がそのまま維持されるなどと夢想するのは、あまりにもナイーブに過ぎるというものです。

 日本のように非正規雇用が実質的に完全自由化されている社会では、どうあっても非正規雇用=使い捨ての労働者になってしまいがちです。ほぼ「何にでも」非正規雇用が使える以上、必然的に雇用側の都合のいいようにしか使われなくなるのは当然でしょう。あくまで周辺的立場の労働者として、仕事が減ったり、他の人に入れ替えたくなったりしたときに切り捨てるために非正規で雇う、そういうことを可能にする規制緩和が行われてしまった以上、非正規雇用が正規雇用の「安価な代替品」として扱われることからは免れられません。それを避けるためには、派遣などの特殊な雇用形態はあくまで「特別な」職業に限定して、余人を持って代えがたいポジションのみを非正規として認めるよう規制していく必要があります。つまり、構造改革が破壊したものを修復することが求められるわけです。それが嫌なら、最低賃金を2000円程度まで引き上げるなど「新たな」改革が必要になりますけれど、マトモな賃金を払ったら経営が成り立たなくなるような採算性の低い企業の延命を重視する構造改革論者にとって、それは受け入れられないことでしょうね。現行の構造改革路線を続ける限り格差拡大は止めることができない、そこで格差は悪いことではないと彼らなりの道徳論を持ち出す、愚かな政治ですが、それもまた国民の支持を得た政治家の決めたことです。

 

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西日本の方がヤバイってどういうことだよ

2012-04-28 23:12:13 | 社会

節電新税、橋下市長が提案 企業向け奨励金の財源に(朝日新聞)

 2府5県と大阪、堺両市が参加する関西広域連合は26日、電力不足が懸念される夏に向け、プロジェクトチーム(PT)で具体的な節電策を検討していく方針を決めた。橋下徹大阪市長は、大口需要家の企業などに奨励金(インセンティブ)を出して節電を促す一方、財源として新税の創設を提案した。

 大阪市内で開かれた会合には7府県知事と2市長らが出席。関西電力の香川次朗副社長が参考人として招かれ、2010年並みの猛暑となった場合、8月で16.3%の電力不足が起きるとの試算を説明した。

 これに対し、嘉田由紀子滋賀県知事は「駄々っ子のように電力供給ができない理由ばかりを言っている」と批判。連合長の井戸敏三兵庫県知事も、他社からの融通電力や揚水発電の活用などを挙げて「まだ余力はあるのでは」と疑問を示した。広域連合は専門家チームを関電に派遣し、詳細な説明を求めると決定。政府にも客観的な需給見通しを示すよう申し入れる。

 

 関西電力の発電量に占める原発の比率の高さを考えれば、原発抜きでは電力が不足することなんて誰の目にも明らかであるように思えるのですが、滋賀や兵庫の知事も橋下とあまり大差ないレベルに見えますね。以前にも触れたように、政治家は電気が足りなくなっても困ることはない職業なのでしょう。実際のリスクとは無関係に、人気を追っていれば済むのですから楽なものです。こういう人を相手にしながらも電力の安定供給に務める電力業界には頭が下がりますが、だからといって発電設備が止まったままではどうしようもありません。そんなアホな知事を選んだ人が悪いと関西地域を見捨てたくもなりますが、私の住む関東だって決して油断できる状態ではないのですから、今から目眩がしてきます。

 しかしまぁ、あの震災直後に心配されたのは東日本の電力不足であって、西日本からの電力融通で凌ぐとか、西日本への製造業のシフトで乗り切るとか色々と言われていたものです。全国各地の選挙でも原発推進派と都市部の新聞からレッテルを貼られた候補の当選が相次ぎ、女川原発の再稼働に向けても地元の首長から前向きな発言が続くなど、むしろ今現在よりも政治は冷静だったのではないかと思えてきます。それがどうしてこうなったのか、やはり浜岡の強引な停止がターニングポイントとなったのではないか、あれで日本の政治の理性が決壊してしまったのではないかという気がしますね。結局、原発を動かせなくなったのは浜岡にとどまらず、あろうことか東日本に電力を融通して復興を支えるべき立場であった西日本の方が危機的状況というのですから無残なものです。福島第一原発の冷温停止には成功しても、沸騰する世論の冷却には失敗してしまったと言うべきでしょうか。それに政治が媚びなければ済む話ではあるのですが。

 いかに「電力は足りている」と念仏を唱えたところで、今年の夏は震災の記憶も覚めやらぬ昨年の夏よりさらに厳しい状況が待ち受けているわけです。実効性は何もない「節電ごっこ」で自己満足に耽っていた人ならいざ知らず、実際に大規模な節電に協力した製造業界やそこで働く人にとっては厳しい未来が予測されます。総じて製造業が大好きな日本人ですが、あまり製造業には優しくないのだなぁ、などと皮肉を言っている場合ではなさそうです。まぁ、いざ深刻な電力不足で何が起ころうとも、それは全て電力会社が悪いのであって原発の再稼働を阻んだこととの因果関係には決して目を向けようとしない人も多いのかも知れません。広域連合は「政府にも客観的な需給見通しを示すよう申し入れる」とのことですけれど、それで何か楽観的な需給見通しを用意してもらって電力会社を咎める足がかりにしようとでも言うのでしょうか。原発なしで関西地域の電力が賄えるような想定なんて、それこそ津波対策も地震対策もしなくて、かつ非常用電源も一つだけ用意しておけば万が一の場合も原発は大丈夫と、そう想定するぐらいの大甘な見通しなんですが。

 まぁ、公務員を叩けば財源が無尽蔵に出てくると信じるような人にとって、電力もまた同様に電力会社を叩けば出てくるものに思えているのかも知れないですね。それに比べれば節電を促そうという橋下の方がマシなところがないでもありませんけれど、この人の場合はどうなのでしょう、むしろ節電の必要性にかこつけて、住民に忍従を強いる、必要不要とを問わず住民を押さえつける好機と考えているんじゃないかと思えないでもありません。「今回の大震災と大津波、それに伴う原発事故は、低エネルギー社会への転換を促す天からの啓示」と言い放った下衆野郎もいたものですが、こういう状況を利して自分の理想を他人に強要しようと、そういう思惑を持っている人も多いですから。

 そもそも節電奨励策の類は震災「前」、原発事故「前」から程度の差はあれ行われてきたもので、これは必ずしも「人間」に優しいものではありませんでした。それはピーク時の電力需要を抑え、発電設備をこれ以上増やさずとも済ますためには必要なことではあったとしても、優しいのは地球に対してであって、人に対してではなかったはずです。つまり、電力需要の集中する昼間の電力使用を抑えて、電気の余る夜間の使用を促す動きが震災前からもあって、そのために夜間の電力料金が割安に設定されたりもしてきたわけです。そこで、では深夜に余る電力を有効活用しようと工場の操業を専ら夜間を中心にシフトさせるともなればどうでしょうか? むしろ電力需要が昼間に集中することになろうとも、夜間の割引は止めて大口需要者即ち工場などの操業時間が夜間にシフトする要因を一つでも減らす、そうすると発電所をもっと増やさなければならなくなりますけれど、「人」には優しくなります。

 しかるに電力需給が逼迫する中、必然的に不足する電力を「分け合う」必要が出てきた、ある人が昼間に電気を使う一方で、工場で働く人は夜、あるいは土日に電気を使う、こうした不平等な「分かち合い」もまたあったはずです。そうした「分かち合い」の結果として昨年の夏はかろうじて乗り切られたわけですけれど、そうした負担の存在を意に介さず「電気は足りている」と強弁する人もいて、まぁ人の痛みが分からない輩はどうしようもないな、と思います。そして震災とも原発事故とも無関係であったはずの関西地域では、昨年とは比べものにならない危機的な状況が着々と迫っています。将来的な脱原発云々はさておき、まずは目先の問題を片付ける必要があるのですが……

 

労働局、内部告発9件放置 担当官「忙しかった」 静岡(朝日新聞)

 国の雇用調整助成金をめぐり、「自分の会社が助成金を不正受給している」などとした内部告発に対し、静岡労働局の担当官が速やかに検査をしていなかったことが朝日新聞の調べでわかった。

 各地で同助成金をめぐる不正受給が相次いだことを受け、厚生労働省は2010年度に検査強化を全国の労働局に指示したが、担当官は10年度以降で9件の告発を事実上放置。告発後1年以上たってから検査していた。

 担当官は朝日新聞の取材に「会計検査院への対応や刑事告訴が必要な別の不正受給事案が重なり、手が回らなかった」と説明。そのうえで「検査はしており、放置したわけではない」と説明している。

 

 さて、生活保護など社会保障費の不正受給ばかりがことさらに大きく誇張して取り上げられる一方で、企業による助成金の不正受給もまた探せばいくらでも出てくるものです。労働局担当官の手が回らなくなるほど多数の不正受給案件が重なっている辺り、必要な人員が不足しているであろうことを鑑みても、決して例外的な事例ではないものと推測されます。そうでなくとも、全国各地で莫大な補助金と優遇措置を受けながら早期に撤退する工場なんてのは相次いでいるわけで、企業が国や自治体に「たかる」ケースも少なくないことを国民はもうちょっと意識する必要があるでしょう。

 そして冒頭で橋下が掲げた節電を促す奨励金です。この財源として新税の創設が考案されているとのこと、何に使われるかは分かったものではありませんが、脱原発とか節電のためと唄えば非道も美談化されるものです。何かをいじくり回さずにはいられない橋下らしい発想でしょうか。ともあれ、この奨励金が実現されればどうなるのか、当然のことながら不正に受給する企業も出てくることが予測されます。そうでなくとも奨励金目当てに従業員へさらなる無理を強いる、それを正当化する経営者も出てくるはずです。それもこれも節電のためだと称してオフィスの空調を切る、あるいは昼間の操業を止めて専ら深夜に働かせる、あるいは土日に働かせる会社も輪をかけて増えることと予測されます。働く人にとっては大変ですが、経営側は奨励金が懐に入る上に、節電に協力的な企業として社会的にも賞賛されるとあらば、まぁ酷いことになりそうです。労組なんかでも原発再稼働反対とか趣味に走っているところも目立ちますけれど、もうちょっと己の本文としてやるべきことがありそうな気がします。

 

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日本的教育

2012-04-26 23:26:22 | 社会

日本とアメリカの小学校の違い10個 / 「留年がある」 「先生への謝礼は常識」(ロケットニュース24)

さて、自分たちの常識は世界の常識でも慣習でもありませんよね。日本で当たり前と思っているシステムも海外では全く違ったものに。それは学校のシステムも同じです。ということで、今回は12年アメリカに住むOさんに、日米の小学校の違いについて話を聞きました。

1. 入学式がない
満開の桜の下、校門をくぐり、上級生の歌や校長先生のお話をどきどき、わくわくしながら聞く入学式。アメリカにはそんなものはありません。クラス分けを見て、そのクラス番号のついた教室に親が送っていく。初日からその程度。感動も何も感じることはありません。

(中略)

4. ノートもなければ、えんぴつも必要ない?
教科書もノートも持って行かないことに驚いていてはいけません。それだけではなく、えんぴつも消しゴムも、すべて学校にあるので自分で持って行く必要はありません。日本でよくあるお道具箱と似たものは用意しますが、その後の補充は学校がしてくれるところがほとんどです。

5. 体育があっても音楽がない?
州がまるで国のように機能しているアメリカでは、州や市の財政によって学校のクオリティに大きな違いがでます。たとえば破綻寸前のカリフォルニア州では多くの小学校が、財政難により体育や音楽などの科目がカットされており、音楽があっても体育はなし、体育があっても音楽ない。なんていうことが起きています。

6. 体育館がない
日本では普通にある体育館もアメリカの公立小学校にはないことも多いのです。私立に見学に行くと、「我が校にはこんな立派な体育館があるのですよ!」と胸をはって自慢されることも。

 

 まぁ、何度も書いてきたことではありますが、日本の学校と他の国の学校では、力点の置かれている場所が色々と異なるわけです。ここではアメリカの場合が挙げられていますけれど、向いている方向が根底から異なっているのが分かるのではないでしょうか。日本で当たり前と思っているシステムも海外では全く違ったものに〜と引用元で語られているように、しばしば日本の常識は世界の非常識だったりします。それはどちらが正しいというものではないにせよ、世界の常識を知ることは日本のポピュリズム政治が陥りがちな独善性から免れるための一助となることでしょう。

 この辺は当ブログにて繰り返し述べてきたことになってしまいますけれど、学校を「勉強するところ」と位置づけるのか、そうでないのかというのが大本の違いと言えます。総じて日本は勉強軽視、むしろ勉強漬けでは良くないと道徳的な非難も少なくない、にも関わらず昨今の大学生は勉強しないとか、ゆとり世代が云々とかの断罪もまた横行する、さりとて就職しようという際に問われるのは学校の成績ではなくコミュニケーション能力みたいな煮ても焼いても食えない代物だったりするわけです。ネームバリューのある大学を留年することなくストレートに卒業することを求められこそすれ、何を学んできたかは問われないどころか学生気分は忘れろと言われ、研修のため自衛隊に体験入隊させられたりする、こうした世間の矛盾した要求の中で日本の学校もまた、その役割が実は不鮮明極まりないものになってはないでしょうか。

 アメリカだけではなくヨーロッパの学校でも、しばしば体育や音楽などの授業は存在しなかったりします。武道が必修化され、道徳教育の重視が声高に叫ばれる日本とは全くの別世界ですね。学力テストの結果に一喜一憂しているにも関わらず、その学力テストの対象になる類の「勉強」に時間を割かないのが日本の教育の特徴の一つと言えます。学校は勉強をするところと位置づけられているのなら、「勉強」以外の余計なものは当然ながら控えめになる、勉強の妨げになるものを敢えて増やそうとは思わないものでしょう。子供が勉強に専念できる環境を整えてやるのも大切です。しかるに日本は学校行事ばかりが重視され、学校行事のために勉強の時間が潰されることも珍しくありません。教員だって本当は勉強を教えるのが仕事のはずなのに、昨今では国歌を起立して斉唱することの方が大切なようでもありますし。

 もしかしたら日本で言う「塾」の方が、ここで挙げられたアメリカの学校に近いのではないでしょうか。極論すれば、学校なんて全廃して全児童が塾に通えるようにインフラを整備するくらいした方がマシなのではないかとすら思えてきます。もっとも中東では「規律を学べる」として日本式教育への評価が高いそうです(参考)。中東諸国の権力者と同じような意識で国民を見ている人々からすれば、日本の公教育もそう悪いものではないのかも知れません。国民の教育水準を高めるよりも、インテリは一握りで十分、国民の大多数が身につけるべきは規律と考えるなら、客観的に見て日本の教育システムは上出来のようですから。

 

7. 親のボランティアと寄付活動が盛ん
アメリカでは、親のボランティアなしでは授業が成り立たないと言っても過言ではありません。生徒のファイルにプリントを入れたり、宿題の添削をボランティアの親がやることも少なくありません。遠足ではボランティアの親達の車に分乗、ということもよくあります。

 

 ……そして「親」の役割も挙げられています。どうなんでしょうか、日本では小中学生の「母親」にとってPTA活動は並々ならぬ負担と聞くだけに、母親だけでも活動が盛んという点ではアメリカと変わらない点もあるのかも知れません。しかしPTAって、いったい何をやっているのでしょう? ネット上では自分が小学校だった頃の教師が日教組で云々と、本人の言を信じるなら小学生にして自分の担任教師が所属する教職員組合を把握していたことになる恐ろしく早熟な子供も多いようですが、自分はそんな利発な子ではありませんでしたので、小中学校時代に身の回りのPTAが何をしていたのか、さっぱり思い出せません。そして現在、子供がいませんので当然ながらPTA活動とは無縁です。むしろ関わろうとしたら「児童に男が声をかける事案が発生」と警察情報に載せられてしまいますし。

 例によってネット上で調べる限りですと、これまたPTA活動がよく分からない、どうにも一部の教職員と会議したり、あるいはPTA内部で会議したり、PTA活動の会誌を発行したり、後はおぼろげに私の記憶にも残っているのですが学校行事とは別にPTAが独自に行事を主催したりみたいな「活動」が散見される辺りです。アメリカの「親」のボランティアと日本の「母親」のPTA活動、どの程度まで異なっているのでしょうかね。ただ日本の教育に関わるものが往々にしてそうであるように、PTA活動もまたアメリカのボランティア活動に比べると曖昧と言いますか、狙いがはっきりしないところがあるような気がします。社員研修と言いつつ具体的な仕事のノウハウを教えるよりもまず精神論を叩き込んだり、学校では勉強を教えるよりもまず国歌を起立して歌うことが問われたりするように、PTA活動もまた「そもそもなんのためなのか」が忘れ去られ、PTA活動のためのPTA活動になっていたりするんじゃないかと。

 何かにつれ日本人は曖昧だなどとは事実誤認も甚だしいとは思いますけれど、ただ狙いが不明瞭なまま、ただ「やる」「やらせる」ことにのみ満足してしまう傾向は少なくないのではないでしょうか。その辺は規制緩和だとか国内競争の促進だとかも同じで、総じて「とにかくやるべきもの」「やらなければならないもの」と位置づけられる一方で、その必要性や効果のほどは検証されない、むしろそこに加わらない人を糾弾するための枠組みとして存在するとすら言えます。社員を自衛隊に体験入隊させるとか、国歌斉唱を徹底させるとか、PTA活動への参加を要求するといった類は、具体的な必要性があって行われているのではなく、とにかくこの枠組みの中に入ることが求められる、それ自体が目的化しているところも目立つように思います。

 

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