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LGBTと性暴力

2013-03-11 16:18:43 | スタッフ日記
支援における〈“女”同士の絆〉を考える:“女”同士の絆〉と生き抜くこと ―アジア圏の「レズビアン」のつながりを考える―
10日、国際基督教大学ジェンダー研究室のイベントで登壇させていただき、レインボーカフェについての報告をする、という場を頂いた。

登壇者は、れ組スタジオの若林さん、LOUDの大江さん、coLLaboの加澤さん、ESTOの内田さんに私という、レズビアン諸氏。もう、大先輩たちの中で私のようなものが何を話したらいいのか、正直私は当日まで本気で緊張していた。だって、若林さんに至っては私が生まれた頃から活動家なわけで、3才の時にはれ組スタジオなわけです。

ずっと何を話すべきか考え続け、その場に至って「失敗談をしよう」と思った。
性暴力被害というものに関わる中で、「出来なかったこと」それが、私にとってLGBTのレイプサバイバーに対する支援なんじゃないかと思う。
結構前から、LGBTサバイバーは身近にいた。しかし、現行法、支援の実情から、そこについての対処は非常に遅れていて、「こうしたらいいよ」なんてことがそう簡単に言えるものじゃない。
その中でセクシュアリティによる困難と被害体験を抱え、自殺してしまった友人もいた。
自分自身、解離していたのだと思う。
そこに問題を感じないようにしてきた。この数年、LGBTと性暴力ということにコミットして活動する中で、やっぱり実感として分かったことがある。
LGBTと性暴力というのは、あまりに深刻で、にも関わらず今の日本では手を付けられていない問題なんだ。

私は研修などをする際に、大概最初に
「自分自身にとって、性暴力は身近なものだと感じる人は手を挙げてもらえますか?」
と聞くことにしている。

市民講座で手を挙げる人は1割弱。
諸々の支援現場での研修で2割弱。
DVや性暴力についての支援者養成の研修で3割弱。
LGBT関係のイベントでは、大体半数近くが、
挙手してくれる。

どういうことなんだ、と思う。

LGBTで「身近だと思う」人の率が、高すぎやしないか、といつも思う。
しかも、他の場所では大概、手を挙げ終わるのに時間がかかる。周りの様子を見て、おそるおそるあげる、という感じだ。
しかし、LGBTに関しては、早い。すぐに手が挙がる。
ほんとうに「身近」だからなんだと思う。

研修が終わってから何人かの人に声をかけてもらった。
その中で、自分たちの周りにもサバイバーはいるけど、正直ピアサポートの領域を越えていると感じることがある、というような話があった。
性暴力に関しては、その後に起こる症状なども含めて知識がなければ気付けないこと、行動におこせないことが沢山ある。
RTS(レイプトラウマ症候群)を知っていれば「あぁ、こういうことか」と思えることもあるし、
LGBTの中で問題だな、と思うのは「本人自身が暴力体験に自覚的になるのに非常に時間がかかる」ということ。
何故かと言えば、LGBTは大概、社会的な偏見や差別に曝されることから「我慢癖」がついている事が多い。
「悪口いわれてもしかたない」「からかわれるのも日常」「嫌な事があってもクローゼットでいなければいけない」様々な葛藤を日々している。
その中で通常であれば拒否するべきことと、日常的な葛藤とのボーダーラインが非常に曖昧になる。
どれが被害なのかわからなくなる。
実はこれ、全部被害ではあるのだけども、それほどに暴力が恒常化してしまう。
恒常化することによって人は無力化してしまう。「どうせ自分なんて」で留まってしまう。
そして孤立してしまう。助けをもとめるということが出来なくなってしまう。
そして孤立化する中で、問題が透明化してしまうのだ。見えなくなっちゃう。

まずは知ることから始めよう。
自分自身の問題に気付くために。
自分の身近な人が抱える困難に気付くために。
そうすれば、出来ることは沢山あるはずだし、きっと自分自身の助けになることがあるはず。

当事者に対して話をする場所が、もっと増えていったらいいな、と思った。





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