DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

井伏鱒二(1898-1993)「つくだ煮の小魚」(1925年)、「勧酒」の訳詩(1935年) 

2016-09-11 11:33:07 | 日記
 つくだ煮の小魚
ある日 雨の晴れまに
竹の皮に包んだつくだ煮が
水たまりにこぼれ落ちた
つくだ煮の小魚達は
その一ぴき一ぴきを見てみれば
目を大きく見開いて
環(ワ)になって互にからみあってゐる
鰭も尻尾も折れてゐない
顎の呼吸(コキフ)するところには 色つやさへある
そして 水たまりの底に放たれたが
あめ色の小魚達は
互に生きて返らなんだ

《感想》
①つくだ煮の小魚達は、結局、死んでいる。小魚達の死体を、人は、食べる。
①-2 小魚達に、人間に似た魂があると、この詩人は考える。
② 人は、普通の生活者である限り、小魚が、人間に似ていると思わない。小魚は、食材である。食材は、物にすぎず、人間に似た魂をもたない。
③つくだ煮になった小魚達は、死体なのに、生きていた時と、同じままの所がある。(a)目を見開いている、(b)鰭も尻尾も折れていない、(c)顎のエラも、完全で、呼吸可能に見える
④だが、小魚達は「あめ色」に煮られたので、水の中に戻されても、生き返ることがない。
⑤詩人の複雑な気持ち。(ⅰ)小魚も生き物で、魂がある。その点で人間と同じ。(ⅱ)その小魚を殺して食べないと、人は生きていけない。(ⅲ)罪の意識。(ⅳ)しかし人は、普通の生活者で、そんなことを考えて暮らさない。(ⅴ)しかし、ふと立ち止まり、考えてしまう。
⑥なお、この作者は、「強度の含羞の人」であると、大岡信氏が、1977年に述べている。(井伏鱒二『厄除け詩集』講談社文芸文庫、1994年)そうだと、思う。


 「勧酒」(于武陵)の訳詩
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

勧君金屈巵(サカヅキ、シ)
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

《感想》
①「サヨナラ」ダケガ人生ダ!ほんとうに、名訳だと思う。出会いと別れは、世のならいだ。
②「七五 七七 七七 七五」と、言いやすい。
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