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鴨長明『発心集』「第一」:「十一」上人の最後の煩悩!彼は人恋しかった!年老いて女性との親愛の交流が欲しかった!俗世的には《茶飲み友達》!

2020-04-30 13:07:19 | 日記
※鴨長明(1155頃-1216)『発心集』(1214頃)。 ※現代語訳は角川ソフィア文庫を参照。

「発心集 第一」「十一 高野の辺(ヘン)の上人、偽って妻女を儲くる事(※妻を迎えたふりをしたこと)」
(1)
高野の辺(ホトリ)にある聖(ヒジリ)が住していた。帰依者が多く、貧しいわけでなく、弟子も多数いた。高齢になったある日、上人(ショウニン)が、信頼する高弟を呼んで「老いると心淋しいので夜伽(ヨトギ)をしてくれる妻女が欲しい。しかるべき人を探してほしい」と頼んだ。弟子は驚いたが、夫に先立たれた40歳位の女性を上人に世話した。
(2)
「寺の一切の采配は高弟が行うように」と上人は依頼した。そして「私は奥の部屋に住みます。他の人には何も伝えないで下さい。最低限、生きていられるだけの世話をしてください。このようにしていただくのが長年の私の願いでした」と言った。
(3)
上人と女性は奥の部屋で暮らしたが、その部屋には誰も入らず、また彼らは誰にも会わず、6年たって、女性が泣きながら、高弟のところにやってきて言った。「上人は今朝、お亡くなりになりました。」驚いて行ってみると上人は、仏像の御手に五色の糸をかけ、それを手に取って、脇息に寄りかかり、念仏していた手もそのまま、眠っているかのように息絶えていた。
(4)
高弟が女性に事情を細かに聞くと、女性が言った。「上人と長年暮らしておりましたが、男女の関係は一切ありませんでした。迷いの世界の厭うべき様、浄土を願うべきことばかりこまごまと教えてくださいました。『私は生きるすべなく夜伽の相手として参りました。しかし今、素晴らしい師に出会えたと喜んでいます』と上人に伝えたところ、『本当に嬉しいことだ』とおっしゃってくれました。」

《感想》上人の最後の煩悩だ。彼は人恋しかった。しかも年老いて女性とともに過ごしたいと思った。彼は性愛が欲しいのでなく、女性との親愛の交流が欲しかったのだ。俗世的には《茶飲み友達》だ。
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何をそもそも歴史研究の対象とすべきかの《選択》は、現存在の歴史性の事実的な実存的選択の中ですでにくだされている!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第5章」「第76節」(その2)

2020-04-29 12:22:01 | 日記
※ハイデガー(1889-1976)『存在と時間』(1927)「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第5章 時間性と歴史性」「第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源」(その2)

(3)覚悟せる反復(※本来的に既住的に存在すること)のみが、かつて現存していた歴史を開示することができる!
D 「何が《本当に》歴史学の対象であるのか」?(394頁)
D-2 「歴史学の主題は・・・・事実的にかつて実存していた可能性なのである。」(395頁)
D-3「ただ事実的な本来的な歴史性のみが、覚悟せる反復(※運命的反復)として、かつて現存していた歴史を開示することができる」。(395頁)

《参考5》現存在の「事実性」(Faktizität)には次のような事柄が含まれる。①「世界の内部にある」存在者の世界内存在ということ。②しかも「この存在者はその『運命』において、おのれ自身の世界の内部でおのれに出会うもろもろの存在者の存在に連帯していることをみずから了解する」ということ。(第12節)
《参考5-2》ハイデガーは言う。「現存在は先駆において《おのれをふたたび取りもどし》て、ひとごとでない存在可能に直面させる。」「《このように本来的に既住(既在)(※過去)的に存在すること》を、われわれは《反復(Wiederholung)》となづける。」(339頁)Cf. なお了解における「非本来的既住性(既在性)(※過去)」が「忘却」or「忘却性」である。(339頁)
《参考5-3》「歴史とは、実存する現存在の、時間の中で起こる特殊な経歴(Geschehen)であって(※「人間や人間集団や彼らの《文化》などの変遷と運命」)、そのさい相互存在(※人間)のなかで《過ぎ去り》かつ同時に《伝承されて》きて、今日なお影響しつづけているもの(※「《過去》《現在》《未来》」をつらぬく「事件と作用の《連関》」)」。(379頁)

(3)-2 歴史研究の対象の選択は、現存在の歴史性の事実的な実存的選択の中ですでにくだされている!
E 「歴史学的開示も、やはり将来から時熟する。」(395頁)
E-2 すなわち「何をそもそも歴史研究の対象とすべきかの《選択》は、現存在の歴史性の事実的な実存的選択の中ですでにくだされている。」(395頁)

《参考6》現存在自身の時間的存在様式としての歴史性。つまり現存在は、「自己の過去を存在している」。「現存在の根本的な歴史性」!(20頁)
《参考6-2》「現存在の時間性を①日常性、②歴史性、③内時性として開発することによって、はじめて現存在の根源的な存在論の錯綜への仮借ない洞見が与えられる」(333頁)
《参考6-3》「現存在には、事実上いつもそれぞれの《歴史》がある。」というのも「この存在者の存在が歴史性によって構成されているからである。」(382頁)
《参考6-4》「現存在は歴史的であるというテーゼ(※現存在の歴史性)は、《世界を欠く主観が歴史的である》という意味のものではなく、《世界内存在として実存している存在者が歴史的である》と述べている。」(388頁)

(3)-3 まとめ:歴史学の中心的な主題!
F 「歴史学の中心的な主題は、かつて現存していたそれぞれの実存の可能性であり、そして、この実存は、事実的にはいつも世界=歴史的に実存するものである。」(395頁)
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「歴史学的主題化」が「歴史研究の可能的対象」として提示するものは、「かつて現存していた現存在」という存在様相をそなえる!ハイデガー『存在と時間』「第1部」「第2編」「第5章」「第76節」(その1)

2020-04-28 19:04:07 | 日記
※ハイデガー(1889-1976)『存在と時間』(1927)「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第5章 時間性と歴史性」「第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源」(その1)

(1)「歴史を歴史学的に開示すること」は「現存在の歴史性」のうちに根ざしている!
A 「どの学問もそうであるが、歴史学も現存在の存在様相のひとつである。」(392頁)
A-2 「歴史学の実存論的根源」を分析することによって、「現存在の歴史性と、それが時間性に根ざしていること」がいっそう明確に照らしだせる。(392頁)
A-3 「現存在の存在は、原理的に歴史的である。」(392頁)
A-4 ただし「歴史学は、なお特別にぬきんでた意味で現存在の歴史性を前提条件としている」。(392頁)
A-5 「歴史を歴史学的に開示することは・・・・それ自体において、その存在論的構造上、現存在の歴史性のうちに根ざしている」。(392-3頁)

《参考1》「この存在者(※現存在)は《歴史のなかにおかれている》がゆえに《時間的》であるのではなく、むしろ逆に、その存在の根底において時間的であるがゆえにのみ、歴史的に実存し、かつ歴史的に実存することができる」。(376頁)
《参考1-2》しかし「現存在は、《時間のなかにある》という意味においても、《時間的》存在者と呼ばれなくてはならないこともたしかである。」「事実的現存在は、暦や時計を必要とし・・・・使用している。」「無生物や生物における自然現象も、やはり《時間のなかで》出会う。」「これらのものは内時的(innerzeitig)である。」(377頁)
《参考1-3》「《内時性》の意味での《時間》は時間性にその根源をもつ」(→次章「第6章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての内時性」)ところが「通俗的な立場では、内時性の意味での時間の助けをかりて歴史的なものごとを性格づける」。(377頁)

《参考2》現存在は「誕生と死との《間》にわたる存在者」だ。「誕生と死との間の現存在の伸張(Erstreckung)」を顧みなければならない。」「誕生と死の間の《生の連関》」の「存在論的意味」を明らかにしなければならない。(373頁)
《参考2-2》「通俗的な現存在解釈」によれば、「《そのつどの今》において存在している体験だけが、そのとき《現実的》に存在している。・・・・過ぎ去った体験やこれからくる体験は・・・・《現実的に》存在していない」とされる。(373頁)
《参考2-3》だが「現存在はおのれ自身を伸張する」。「現存在自身の存在がはじめから伸張(Erstreckung)として構成されている」。「誕生と死との・・・・《間》は、実はすでに現存在の存在に含まれている。」「誕生と死というこの《両端》とそれらの《間》とは、現存在が事実的に実存しているかぎりは、現に存在している。」(374頁)
《参考2-4》「被投性と、(逃亡的もしくは先駆的な)《死へ臨む存在》との統一態において、誕生と死とはすでに現存在的な《連関》を形づくっている。」「現存在は関心たるかぎりその《間》を存在している」。(374頁)

《参考3》「歴史とは、実存する現存在の、時間の中で起こる特殊な経歴(Geschehen)である」。(379頁)

(2)歴史学における「主題化」の作業!
B 「歴史学の実存論的根源」を解明することは、「方法的」にみれば、「《現存在の歴史性》にもとづいて《歴史学の理念》を存在論的に投企すること」を意味する。(393頁)
B-2 「学問としての歴史学の理念」の中には「歴史的存在者を開示すること」を固有の課題として引き取ったということが含まれる。(393頁)
B-3 すなわち「およそいかなる学問も、第一義的に主題化の作業によって構成される。」(393頁)
B-4 「開示された世界内存在としての現存在において、前=学問的にすでに知られていたものごとが、この主題化をつうじて、それぞれに特有の存在にそくして投企される。」(393頁)

(2)-2 「歴史学的主題化」が「歴史研究の可能的対象」として提示するものは、「かつて現存していた現存在」という存在様相をそなえていなくてはならない!
C 「われわれが歴史を歴史学的に主題化することができるのは、そもそもいつもすでに《過去》がなんらかのありさまで開示されているからにほかならない。」(393頁)
C-2 「さて現存在の存在が歴史的であるということは、それが脱自的=地平的時間性(※誕生と死との間の現存在の伸張)にもとづいて、おのれの既住性(※過去)において開かれているということである。」(393頁)
C-3 「現存在が、また現存在のみが、根源的に歴史的なのであるから、《歴史学的主題化》が《歴史研究の可能的対象》として提示するものは、《かつて現存していた現存在》という存在様相をそなえていなくてはならない」。(393頁)
C-4 「現存在が世界内存在として事実的に存在するとともに、いつもまた世界=歴史が存在している。」(393頁)
C-5 「まだ《現存して》いる遺跡や記念碑や報告などは、《かつて現存していた現存在》を具体的に開示するための可能的《資料》である。」(394頁)
C-6 「かつて現存していた現存在への歴史的なかかわり」すなわち「歴史学者の実存の歴史性」が「学問としての歴史学」を「実存論的にもとづけている」。(394頁)

《参考4》「世界は脱自的=地平的な時間性にもとづいて、この時間性の時熟にぞくしている。」(388頁)
《参考4-2》「時間性の脱自的統一態は――すなわち、将来と既住性と現在という三つの出動における《脱自》(※動的点としての時間)(※将来と既住性と現在)の統一態は――、おのれの《現》として実存する存在者が存在しうるための可能条件である。」(350頁)
《参考4-3》「現存在という名称を負う存在者は、《明けられて》(gelichtet、《明るくされて》)いる。」「この存在者を本質上明けているものを・・・・われわれは・・・・すでに関心(Sorge)として規定しておいた。」(350頁)
《参考4-3-2》「現の開示態全体(die volle Erschlossenheit des Da)は、この関心にもとづいている。」(350頁)
《参考4-3-3》今や「このように明けられていることの光を理解しようとするならば・・・・現存在の全き存在構成としての関心を、それの実存論的可能性の統一的根拠(※すなわち時間性の脱自的統一態)に関して問いただすよりほかはない。」(351頁)
《参考4-3-4》「脱自的時間性が現を根源的に明ける。」(Die ekstatische Zeitlichkeit lichtet das Da ursprunglich.)「それ(※脱自的時間性)こそが、現存在のあらゆる本質的な実存論的構造の統一性を第一義的に規制する原理である。」(351頁)
《参考4-3-5》私見①:現を《開けておく》《明るくしておく》ことが、普通に「意識」と呼ばれる。ハイデガーは、要するに、「意識」とは時間だと言う。時間は「脱自的統一態」だから動的なものだ。現(das Da)とは、普通に「有」「存在」と言われる。「有」は動的時間において、つまり《脱自》のずれにおいて、「意識」となる。つまり《開け》《明るく》なる。(現の開示態!)
《参考4-3-6》私見②:「意識」とは時間的《脱自》のずれであり、《開け》《明るく》された「有」である。
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駒塚由衣江戸人情噺シリーズ「姫かたり」藤浦敦作(2020/04/27公開):「医者負けた、医者負けた、姫かかたりか、大胆な」!

2020-04-28 13:58:36 | 日記
(1)
暮れの年の市(12/17)(※羽子板市)で賑わう浅草観音の境内。「市ゃま(安)けた、市ゃまけた、注連(シメ)か、飾りか、橙かぁ」の掛け声が飛び交う。お忍びで、どこかの大名家の姫様と伴の侍と老女の三人がやって来た。ところが癪でも起きたのか、急に姫様が苦しみ出した。
(2)
伴の侍は近くの高見見物(ケンモツ)という医者の所へ姫様をかつぎ込む。この医者は強欲で貧乏人は診ず高い診察代を取り、それを高利貸しする悪徳医者。そこへ獲物が飛び込んできた。しかも美しい姫様だ。金ぼけ色ぼけの見物(ケンモツ)は、鼻の下を伸ばしよだれを流す。
(3)
伴の二人を隣室に控えさせ、いざ診察と姫様の体へ手を伸ばすと、姫様がしなだれ掛かってくる。見物(ケンモツ)が絶好のチャンス到来と姫様を抱きかかえると、「きゃ~あれ~、何をする!」と姫様が叫んだ。
(3)-2
何事かと踏み込む侍、「無礼者、婚礼前の姫君をはずかしめるとは何たる所業、不届き千万、一刀両断手打ちにしてくれる」といきり立つ。老女も懐剣をかまえ「殿に申し分けが立たぬ、お前を刺し殺し、私もここで自害する」と迫る。
(4)
命乞いする見物(ケンモツ)に侍は、「手打ちにしてもこのことが外に漏れたら一大事」と金での解決を提案。「金なら何とかなる」と見物(ケンモツ)。お互いの腹のさぐり合いの末、見物(ケンモツ)の首の代わりに三百両を侍に払うことで示談が成立する。
(5)
姫様を守りながら三人は出て行った。しばらくして人気の少ない所へ来ると、三人は「・・・こんな堅苦しいもの・・・」と言って武家風の着物を脱ぎ捨て、小ざっぱりした粋な身形(ナリ)に着替える。三人組は姫を騙(カタ)る悪党一味だった。三人組は、「・・・坊主軍鶏(ボウズシャモ)で精進落しだ・・・」と悠々と去って行った。
(6)
これを見ていた見物(ケンモツ)の弟子、一目散に戻って今の一部始終の有様を告げる。唖然として表へ出て悔しがる見物(ケンモツ)の耳に、「医者負けた(市ゃまけた)、医者負けた(市ゃまけた)、姫か(注連か)、かたりか(飾りか)・・・」の掛け声。
(6)-2
見物(ケンモツ):「うぅーん、大胆(橙)な・・・」

《感想1》古典落語では2人で200両か、上記のように3人で300両の「かたり」。今回、藤浦敦作は上記に一ひねり加え、4人で400両の「かたり」になっている。「かたり(騙り)」は人をだまして金品を巻き上げること。詐欺。
《感想2》なお「ゆすり(強請)」は人をおどして金品を出させること。「たかり(集り)」は人をおどして金品・食事をおごらせること。
《感想3》「市ゃま(安)けた、市ゃまけた、注連(シメ)か、飾りか、橙かぁ」の掛け声を、「医者負けた、医者負けた、姫か、かたりか、大胆な」と聞かせるとは、今の時代、なかなか難題だ。そもそも掛け声を知らない。
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スティーブンソン『ジーキル博士とハイド氏』:純粋な邪悪な精神(ハイド氏)の「自由感」!だがジーキル博士は自殺し、善の力で自らの中の悪魔(ハイド氏)を殺した!

2020-04-27 21:33:22 | 日記
※スティーブンソン(1850-1894)『ジーキル博士とハイド氏』The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde(1886)

(1)戸口の由来
弁護士アタスンと友人の有閑紳士エンフィールドが日曜日、ロンドンの街を散歩していた。その途中に、薄気味悪い二階建ての建物があった。その建物に関するある出来事をエンフィールドがアタスンに話した。「冬の明け方、午前3時ごろ、ぞっとするほど気味悪く凶悪そうな男が、医者を呼びに行った女の子と、建物の角で出合い頭にぶつかった。男は倒れた女の子を平然と踏みつけ、泣き叫ぶままに打ち捨てて、立ち去ろうとした。あまりの出来事に、私は彼を詰問した。周りに人も集まって来たので、その男は『100ポンド払う』と言った。彼は二階建ての建物に、鍵で戸口を開け入った。そしてなんと驚くことに、彼は、高名な紳士で知名の士、しかも善行で聞こえるジーキル博士の小切手を持って戻ってきた。その小切手は本物だった。」
(2)ハイド氏捜索
弁護士アタスン氏が保管するジーキル博士の遺言状には、「遺産の全てをエドワード・ハイドに譲渡する」と書いてある。アタスン氏は、エンフィールドの話を聞き、ハイド氏の捜索を始めた。友人で医者のラニョン博士もハイド氏を知らない。アタスンは例の2階建ての建物の戸口の前に張り込み、ついにハイド氏に会い、彼の邪悪な顔を見た。「ジーキルが私のことを話すことはない」とハイド氏がカッと怒ってどなった。ハイド氏は悪魔のような顔だ。アタスン氏は、ジーキル博士のことが心配で家を訪ねたが、老僕のプールが「博士は不在です」と言った。
(3)ジーキル博士の安堵
それから2週間後、ジーキル博士の家で開かれた晩さん会で、アタスン氏が、遺言状について尋ねた。そして「あのハイドという青年のことが、多少わかって来た」とアタスン氏が言うと、ジーキル博士は顔が青ざめた。ジーキル博士が言った。「このことは、お互い口にしない約束だ。そっとしておいてもらいたいのだ。あの気の毒なハイドのことはぼくが事実、非常に心配している。」そして続けた。「ぼくが死んでしまったら、あの男を助けてやってくれと頼んでいるだけだ。」アタスン氏は大きな溜息をもらし、「よろしい、では約束しよう」と言った。
(4)カルー殺害事件(上院議員惨殺事件)
およそ1年後、ロンドンで比類のない凶暴な犯罪事件が起きた。建物の二階から目撃者の証言によると、「サー・ダンヴァズ・カルー氏(上院議員)がハイド氏に道を尋ねると、ハイド氏が突然激高し、ステッキで気違いのように殴りかかり、カルー氏をずたずたにして逃げ去った。ステッキは二つに折れ一方は残された」という。そのステッキは、アタスン氏がジーキル博士に贈ったものだった。ロンドン警視庁のニューコモン警視によってハイド氏の建物の家宅捜索が行われた。そこからステッキの残り半分が見つかった。
(5)手紙の出来事
アタスン氏が、ジーキル博士の邸を訪れる。ジーキル博士は、ひどくやつれて暖炉のま近に座っていた。ジーキル博士が言った。「もう二度とハイドに会わない。もうこの世で、あれとぼくは関係がない。」そしてハイド氏から手紙が来ていた。弁護士アタスンの主任書記ゲスト氏が、「ハイドの手紙とジーキル博士の手紙は、同じ者の筆跡だ」と述べた。アタスン氏は思った。「ジーキル博士が、殺人犯ハイドの手紙を偽造するとはどういうことだ?」
(6)ラニョン博士の変事
時は流れた。上院議員殺害事件の犯人ハイドには数千ポンドの懸賞金がかけられた。しかしハイドはようとして行方がつかめなかった。ジーキル博士ももう2か月以上、平和に暮らしていた。ところがまた、ジーキル博士は引きこもってしまった。半月後、弁護士アタスンと医者のラニョン博士は、憔悴しきったジーキル博士と会った。しばらくしてラニョン博士が、なにか事件があったらしく、「ジーキル博士とは絶交だ」とアタスン氏に言った。それから2週間後、ラニョン博士が死んだ。ラニョン博士はアタスン氏あての手紙を残した。その中には「ジーキル博士が死亡、あるいは失踪するまで開封すべからず」と指示されたもう1通の手紙が、同封してあった。Cf. (9)参照。
(7)窓の変事
日曜日、アタスン氏は、いつものようにエンフィールド氏と散歩していた。二人はジーキル博士の邸の窓で、博士が悲しい面持で風に当たっているのに出会った。博士はにっこり笑った。ところが突然、その顔が、目も当てられない恐怖と絶望の表情に変わった。ジーキル博士はすぐに窓をぴしゃりと閉めた。だが二人とも、ちらっと一目見たその顔が、ハイドの顔だと気づいた。二人とも真っ青だった。
(8)最後の夜
ジーキル博士の老僕プールがアタスン氏の所にやって来て、「邸まで、来てほしい」と言った。「ご主人(ジーキル博士)は自室にこもりっきりです。8日前、神様の御名を大声上げて呼んでいたのですが、突然声が変わってしまった。きっとあの時殺されて、部屋には別の男がいます。」ジーキル博士の邸にアタスン氏が行くと、「その男は、ハイドさんのようだ」とプールが言った。アタスンたちが扉を壊し、ジーキル博士の部屋に突入した。そこには毒薬を飲んで自殺したハイド氏の死体があった。だがジーキル博士の死体はなかった。ジーキル博士の部屋から彼の陳述書が発見された。Cf.(10)参照!
(9)ラニョン博士の手記
上院議員殺害事件の2か月半後、ラニョン博士が「ジーキル博士とは絶交だ」とアタスン氏に言った。それから2週間後、ラニョン博士が死に、彼はアタスン氏あてに「ジーキル博士が死亡、あるいは失踪するまで開封すべからず」と指示した手紙(手記)を残した。その手記の内容は以下の通り。「1/9、ジーキル博士から手紙があった。私は彼が望んだ薬剤を用意した。彼の使いという者(※ハイド氏)がやって来て薬剤を受け取った。使いの者は薬剤を調合し、それを飲んだ。するとなんと彼はジーキル博士に変貌した。ジーキル博士は、自分がハイド氏として行った背徳行為を涙ながらに告白した。それ以後、私(ラニョン博士)は不眠症に取り付かれ、今や余命幾ばくも無い。」
(10)本件に関するヘンリー・ジーキルの詳細な陳述書
人間は「単一な存在」でなく「二元的な存在」だ。一方で「抑えることのできない享楽性」(※ハイド氏)、他方で「尊大に構えて人前に尋常以上の威厳をとりつくろっていたいというわたしの傲慢な欲望」(※ジーキル博士)との二重の気質の分裂。私は「善悪両方面」を持つ「甚だしい二重人格者」、あるいは「調和せざる混合体」だ。
(10)-2 同上(続)
かくて私のうちでは「善悪二つの要素」が「絶えず相争っていた」。これは「人生の災い」だ。私はこの二つの要素を分離し、相克の苦しみから逃れたかった。私は薬剤を調合し、これを飲んだ。「肉を引き裂くような激痛」の後に、私は別の肉体とそこにやどるひたすら「邪悪な」精神となった。純粋な邪悪な精神の「自由感」。これがハイド氏だ。「向こう見ずの念、空想のなかを、水車を回す奔流のように流れ止まらぬふしだらな肉感的な幻影、義務の束縛からすっかり解放された感じ、未知のしかしながら清純ならざる精神の自由感」、「自分の楽しみにかかる犯罪」のうちでハイド氏は生きる。
(10)-3 同上(続)
ハイドは「凶悪邪険」、「為すこと考えること、ことごとく自己中心」、「少しでも他人を苦しめては獣のごとく貪欲に快楽を貪り、冷酷無情、木石のごとくであった」。そのハイド氏が、再び調合薬を飲めば、尊敬され研究にいそしむジーキル博士にもどれた。
(10)-4 同上(続)
だがある日、私(※ハイド)は調合薬を飲んでも自分がジーキル博士の肉体に完全にもどれないことを知った。夜帰宅したハイドが調合薬を飲み、ジーキル博士にもどって寝たのに、朝起きると心はジーキル博士なのに、肉体はハイドにもどっていた。ジーキル博士は茫然とした。しかし、その時はしばらくするとジーキル博士の肉体にもどった。
(10)-5 同上(続)
だが私(ジーキル博士)は考えた。その内、私は肉体も心もハイドに乗っ取られ、ジーキル博士にもどることは出来なくなるのではないか?実際、調合薬でジーキル博士にもどるのが、ますます困難になっていった。そこで私は、恐ろしくなり、ハイドに変身することをやめ、2か月間、ジーキル博士の平穏な生活にもどった。
(10)-6 同上(続)
だが「久しく折のなかに閉じ込められていた私の悪魔が、うなり声をあげながら飛びだして来た。」私(ジーキル博士)は調合薬を飲み再びハイドになった。この日、ハイドはカルー上院議員と偶然行き会ったが、彼の「鄭重な言葉を聞いていたとき、わたしの心のなかに嵐のような苛だたしさ」が湧きおこった。私(ハイド)は「地獄の悪霊」となり「猛り狂った。」「嬉しさのあまり小躍りしながら、わたしは抵抗もしないからだを殴りつけ、殴りつけるたびごとに歓喜を味わった。」
(10)-7
だがハイドの内に残るジーキル博士の心が、恐怖心を引き起こし、死罪を観念させた。私(ハイド)は調合薬を飲み、ジーキル博士にもどった。「だがもはや、いつハイド氏にもどってしまうかわからない」とジーキル博士は思い今や決意した。彼は毒薬を飲み自殺した。そこに残ったのは、だがハイド氏の死体だった。(ジーキル博士は消え去った。)

《感想1》人間は「善悪両方面」を持つ「甚だしい二重人格者」というより、むしろ「調和せざる混合体」として《多重人格者》というべきかもしれない。
《感想2》人間は我儘で、欲望のままに生きたいと思う。暴力(「向こう見ずの念」「自分の楽しみにかかる犯罪」)、享楽の追求(「ふしだらな肉感的幻影」)、「義務の束縛」からの「解放」などだ。
《感想3》ジーキル博士の自殺は、結局、彼の心の内にあった善の勝利だった。ジーキル博士は自殺し、善の力で自らの中の悪魔(ハイド氏)を殺した。
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