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2016年大統領選挙で白人の58%がトランプ氏支持!2019年米国は「南北戦争以来の分断」の状況!

2019-11-28 18:55:27 | 日記
(1)2019年米国は「南北戦争以来の分断」の状況!
トランプ大統領は再選のため、分断を煽り続けている。「既得権にまみれたエリート政治から見捨てられてきた庶民の代弁者」とトランプ氏が3年前の大統領選挙で主張した。得票数6300万。現在、支持者4割、支持しない人5割台前半。大統領選は、州ごとの勝敗で勝利が決まる。(2016年、総得票数は民主党クリントン氏が300万票多い。)両海岸で惨敗しても中西部(白人労働者の熱狂的支持あり)で勝てば、トランプ氏は再選可能。米国は「南北戦争以来の分断」の状況。
(2)「陰謀論」、「彼ら対我々」、「自分たち以外はみな誤り」!
草の根保守運動「ティーパーティー」の「陰謀論」、「彼ら対我々」、「自分たち以外はみな誤り」という不寛容な態度が、今のトランプ氏に引き継がれた。
(3)都市部はクリントン氏、地方はトランプ氏!
3年前の大統領選挙で、都市部の郡はクリントン氏がほぼすべて制し、地方の郡はトランプ氏が9割制した。都市が比較的リベラルで、地方が保守的なのは米国に限らない。だが米国では溝が加速度的に広がる。今や「都市を離れれば離れるほどトランプ一色になる。地方では民主党支持者が、身の危険を感じるほどだ。」
(3)-2 分断の背景!
①背景には産業構造の違い。都市部は多様な人材を受け入れ、ITやサービス産業が成長を引っ張る。地方は製造業の衰退から転換できず、人口流出・高齢化が進む。(Ex. ラスト・ベルト)②かくて「未来に確信を持つ人々」と「未来に怒りと不満を持つ人々」の分断。③「移民」、「人種」、「政府の役割」、「同性婚」、「妊娠中絶」についての考え方で、都市と地方が異なる。
(4)2016年大統領選挙で白人の58%がトランプ氏支持!
トランプ大統領は「この国が嫌いなら出ていけ」「もとの国へ帰れ」と言う。2016年大統領選挙で白人の大半はトランプ氏を支持。白人58%がトランプ氏支持、38%がクリントン支持。(Cf. 1980年にはアメリカ人の8割が白人だった。現在は6割だ。)
(4)-2 「大学教育を受けていない白人男性」の7割がトランプ氏支持!
トランプ氏は特に、「大学教育を受けていない白人男性」に強く支持された(7割がトランプ氏支持)。また「大学教育を受けていない白人女子」も、6割がトランプ氏に投票した。
(5)かつての共和党の理念!
ある共和党支持者が失望した。かつて共和党の理念は「見た目や出自に関係なく他者や弱者に寛容で、財政規律を守る」だった。トランプは共和党なのに「憎悪、人種差別、偏執」をまき散らした。「伝統と家族を大事にしながら安全に暮らせるのが米国の価値だ」と思っていた。
(6)中流家庭は失われてしまった!
ペンシルベニア州エリー郡、「ラストベルト」の女性(78)が言う。「米国の暮らしをよくするというトランプ氏の言葉に期待した。」「自分たちのような中流家庭は失われてしまった。働き口がどこにでもある良い時代は変わってしまった。」
(6)-2 二つ、三つ仕事を掛け持ちするのが当たり前!
同じくエリー郡の女性(55)。「ここでは二つ、三つ仕事を掛け持ちするのが当たり前。これがアメリカ。何かが欲しければ、外に出て働く。みんな自分で勝ち取る。」また「キリスト教」信仰や、「銃所持の権利」を大切と思う。「『メリー・クリスマス』でなく『ハッピー・ホリデーズ』という人が増えた。とんでもない。」「米国が嫌なら、ここから出て行けばいい。」「銃を持っていれば、ちょっかいを出してこない。彼らは逃げていく。」
(8)「オバマケア」の受益者!
民主党支持の1型糖尿病患者の女性(52)は「オバマケア」の受益者。トランプ氏は「大失敗だ」と批判しその撤廃を進める。「このままでは無保険になり、仕事続けられなくなるかもしれない」とこの女性は懸念する。

《参考》「BBCニュース「米政権交代:トランプ氏はどう勝ったのか 年齢や性別や人種などから」(2016/11/14)
《参考》『朝日新聞』2019/11/3, 11/4
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①死の隠蔽への「誘惑」と②死の「鎮静」と③死からの「疎外」は、現存在の日常性における「頽落」の存在様相である! ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第1章」「第51節」

2019-11-28 11:48:39 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在」「第51節 死へ臨む存在と、現存在の日常性」

(2)世間(世人)の世間話(空談)のなかにこもっている心境(情状性)的了解は《死へ臨む存在》をどのように開示しているか?
E 「日常性における自己とは、公開的な既成解釈にのなかで構成される世間(世人、das Man)である。」「この解釈は、世間話(空談、as Gerede)のなかで発言している。」(252頁)
E-2 「解釈」の基礎を提供する「了解」は常に「心境(情状性)的な了解、すなわち気分に染まった了解」である。(252頁)
E-3 かくて問いは、「世間(世人)の世間話(空談)のなかにこもっている心境(情状性)的了解は《死へ臨む存在》をどのように開示しているか」である。(252頁)
《感想2》ハイデガーによれば、「公開性」とは、自明性(当然とされること)だ。(127頁)

(2)-2「現存在の日常性」における「公開的な既成解釈」は、「《ひとはいつかきっと死ぬ、しかし当分は、自分の番ではない》」と言う!
F 「日常的な相互存在の公開性」は「死」を「たえず発生する災難」、「死亡例」として「承知している」。(253頁)
F-2 「世間」(世人)の「話」は、つまり「公開的な既成解釈」は、「《ひとはいつかきっと死ぬ、しかし当分は、自分の番ではない》」と言う。(253頁)
F-3 「《ひとは死ぬ》(man stribt)」という話し方は「死はいわば世間の人の身の上に起こるひとごとだ」と言っている。「この《ひと》とは、だれでもない世間(das Man)のことだ」。(253頁)

(2)-3 ①(※死の隠蔽への)「誘惑」と②(※死についての絶え間のない)「鎮静」と③(※「ひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない存在可能」としての死からの)「疎外」は、(※現存在の日常性における)「頽落」の存在様相の特徴である!
F-4 「世間は、《死へ臨むひとごとでない存在》をおのれに隠すことを正当化し、そしてその隠蔽への①誘惑を深める」。(253頁)
F-5 「近親者たち」は普通「臨終の人」に向かって、「死なずに済んで、間もなく・・・・落ちついた日常性へもどってくるであろう」と言って「心遣い」(Fürsorge)し「慰め」る。「世間はこのようにして死についての絶え間のない②鎮静を配慮する。」(253頁)
F-5-2 「公開性」は自分が「配慮」している「屈託のなさ」を維持しようとして、「ほかの人びとの臨死」に接して「迷惑視」したり「当人の不始末」とみなしたりすることも稀でない。(253-4頁)
F-6 「世間の公開的な既成解釈」は「死へ臨む不安」を「現存在のいさぎよしとしない弱気」と言いふらし、かくて「《人は死ぬ》という事実に対する平然たる《無関心》」を養成する。現存在は《死へ臨む存在》としての
「ひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない存在可能」(Cf. 251頁)(※死)から③「疎外」される。(254頁)
F-7 「①誘惑と②鎮静と③疎外は、頽落の存在様相の特徴である。」(254頁)
F-8 現存在は、「平均的な日常性」において・・・・・「(※死に対する)屈託のない無関心さ」を工夫するという配慮の様態にある。(255頁)
F-8-2 「日常的な《死へ臨む存在》」は「《死へ臨む頽落的な存在》」である。(255頁)
《感想2-2》①(※死の隠蔽への)「誘惑」と②(※死についての絶え間のない)「鎮静」と③(※「ひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない存在可能」としての死からの)「疎外」は、(※現存在の日常性における)「頽落」の存在様相の特徴である!
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「再びマルクスに学ぶ」斎藤幸平:「成長すれば社会全体が潤う」という論理がでたらめだ!「資本主義そのもの」が問題だ!

2019-11-24 21:24:44 | 日記
※参考:「再びマルクスに学ぶ」大阪市立大准教授斎藤幸平(1987-)(『朝日新聞』2019.10.30)

(1)「自己責任」の問題vs「構造」の問題!
私(斎藤)が大学に入学した2005年は、改革ブームの時代だった。私は格差や貧困は「自己責任」の問題だと思っていた。だがそれだけでは解決できないと知った。それがマルクスだった。身の回りの人間関係や自分の意識を「構造」的に考える必要がある。
《感想》人は利害関心のもとづいて行動する。経済的利害、政治的利害、権力的利害、声望的利害、軍事的利害、出世的利害、名誉的利害等々。これらの利害関心を方向付ける制度・構造を設計し、「正義」の社会構造を実現しなければならない。さらに理念的利害関心もある。
(2)脱成長モデル!
すでに国連が「経済成長だけを求めるモデルは持続可能性がない」と脱成長モデルを検討しつつある。
(3)市場原理主義的資本主義(グローバリズム)!
1991年、冷戦体制崩壊(ソ連崩壊)で市場原理主義的資本主義(グローバリズム)が地球を覆った。そして今、インターネットや情報技術の発展で、政治や社会のメカニズム(構造)を変えず、技術と市場メカニズムで問題を解決できるとの見方も強い。
(4)「成長すれば社会全体が潤う」という論理がでたらめだ!
しかし「人間と環境を破壊しない」形に資本主義を変えなければ問題は解決しない。この30年間(1990-2019)、「成長すれば社会全体が潤う」という論理がでたらめだとわかった。非正規雇用が増え、低賃金労働・長時間労働が蔓延しただけ。
(5)「再分配を強化し景気をよくする」という問題でない!
「再分配を強化し景気をよくする」という問題でなく、「資本主義そのもの」が問題だ。
(6)「自然」は「私有」されるものでなく「コモン(共有財産)」だ!
「地球=環境」つまり「自然」は、本来、「私有」されるものでなく「コモン(共有財産)」だ。資本主義は一部の人がこれを私有化し、利益を生み出す元手とする。
(7)資本主義:人々をたえざる労働と消費に駆り立てるシステム!
資本主義は「希少性」を人工的に作り出し人々をたえざる労働と消費に駆り立てるシステムだ。技術発展でこれだけ生産力が上がったのだから、本来労働時間を減らしてもよいはずだ。
(8)「人間と自然の循環システム」!
マルクスは人間の生活の本質は「自然とのたえざる物質代謝」(人間が労働を通じて自然に働きかけ、受け取り、廃棄する循環システム)だと考えた。資本主義はこの「人間と自然の循環システム」を徹底的に破壊し、また人間と自然を破壊する。
(9)ソ連は成長第1主義で資本主義と同じだ!
ソ連はマルクスの思想の体現でない。成長第1主義で資本主義と同じだ。
(10)人間と自然の両者を包括する「ポスト資本主義」の構想!「グリーンニューディ―ル」!
資本主義の問題を解決するため、人間と自然の両者を包括する「ポスト資本主義」の構想が必要だ。「グリーンニューディ―ル」だ。(1)公共事業で各産業分野での再生可能エネルギーへの転換を後押しし、新しい雇用を生み出す、(2)生活に欠かせないものは気候変動対策の観点から「公有化」する。Ex. 自家用車を減らすため、公共交通機関を無償化する。
(10)-2 経済成長を一義的な目標にしない!
「グリーン・ニューディール」は、経済成長を一義的な目標にしない社会をめざす。(Cf. 成長を目的としたオバマ大統領のグリーン・ニューディールと異なる。)
(10)-3 「反緊縮」の議論は成長を重視し、「グリーン・ニューディール」と異なる!
「反緊縮」の議論は再分配重視だが、成長を重視し、環境(自然)を無視する点で20世紀型であり、「グリーン・ニューディール」と異なる。
(11)人々が「コモン」を資本の支配から取り戻さなければならない!
民主主義においては、選挙だけでなく社会運動によっても政治や経済を変えられる。人々が「コモン」を資本の支配から取り戻さなければならない。
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「存在可能」つまり「実存」としての現存在にとって、死とはひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない可能性である! ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第1章」「第50節」

2019-11-24 16:14:11 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在」「第50節 死の実存論的=存在論的構造の素描」

(1)「死」もしくは《終末へ臨む存在》において、③実存(※《おのれに先立って》)と②事実性(※《内にすでに存在する》)と①頽落(※《・・・・・・のもとに存在する》)とがどのように姿を現してくるか?
A 「死の現象は《終末へ臨む存在》として、現存在の根本的構造にもとづいて解釈される必要がある。」(249頁)
A-2 「現存在の根本的構成は関心(気遣い、die Sorge)である。」
A-2 「関心(気遣い)」は「①《(世界の内部で)出会う存在者のもとにある存在として、②(世界の)内にすでに、③おのれに先立って(※投企的or可能的に)存在すること》」と定義される。(249頁)
A-3 「③《おのれに先立って》のなかには実存が、②《内にすでに存在する》のなかには事実性が、そして《・・・・・・のもとに存在する》のなかには頽落が、それぞれ表現されている。」(249-250頁)
A-4 死の現象(《終末へ臨む存在》)において、「③実存と②事実性と①頽落とがどのように姿を現してくるか」?(250頁)

《感想1》ハイデガーは既に述べている。「《おのれに先立って(※③実存)――内世界的存在者のもとにあることとしての(※①頽落)――世界の内にすでに存在すること(※②事実性)》」という関心の構造は、現存在の開示態をうちに含んでいる。」(220-1頁)

(1)-2「存在可能」としての現存在、つまり「実存」(《おのれに先立って》、③)としての現存在と死:死とはひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない可能性である!
B 「存在可能として、現存在は死の可能性を追い越すことができない。死は、現存在が絶対に不可能になることの可能性だからである。このようにして、死とはひとごとでない、係累のない(※「ほかの現存在へのあらゆる連絡が解かれてしまう」こと)、追い越すことのできない可能性である。」(250頁)
B-2 「死へ臨む不安は、ひとごとでない、係累のない、追い越すことのできない存在可能を『目前に控えた』不安である。」(251頁)

(1)-3「事実性」(《内にすでに存在する》、②)としての現存在と死:《終末へ臨む存在》は・・・・気の持ち方として・・・・生ずるものでない!
C 「《終末へ臨む存在》は・・・・気の持ち方として・・・・生ずるものでない。それは本質的に現存在の被投性(※②「事実性」)に属す」。(251頁)
C-2 ただし「事実的には、さしあたってたいていは死に無関心でいる人びとが多い」。(251頁)

(1)-4「頽落」(《・・・・・・のもとに存在する》、①)としての現存在と死(その1)
Ⅾ「現存在は、実存(※③)し続けるかぎり、事実上(※②)、死に臨んでいる。しかし、さしあたりたいていは頽落(※①)の様相において、死に臨んでいる」。(252頁)
《感想1-2》ハイデガーは既に述べている。「現存在の存在構成には頽落がそなわっている。」頽落は自己喪失である。つまり「存在可能性への投企としての了解」は「世間das Man」に融けこみ、「公開的既成解釈」によって支配されている。「存在者」は「歪められている」、つまり「存在者」は「仮象の様態で現れている」。(221-2頁)

(1)-5「頽落」(①)としての現存在と死(その2):不気味さからの「逃亡」!
D-2 「この《・・・・のもとに頽落する存在》のうちに、無気味さからの――すなわちここでは《死へ臨むひとごとでない存在》からの――逃亡がうかがわれる。」(252頁)

《感想1-3》「頽落」とは、「世間das Man」に融けこみ、「公開的既成解釈」によって支配されていることだが、ハイデガーは、人々(現存在)が死から「逃亡」していると言う。だが、人々は、自らが《死へ臨むひとごとでない存在》であることについてよくわかっている。人々は普通、死を主題としないが、副主題として常に意識し、しかも当然の出来事と考えている。人々(現存在)は、死を恐れつつも不可避と受け入れる。現存在は死から「逃亡」しているわけでない。
《感想1-3-2》「メメント・モリ(memento mori)」つまり「死を忘るなかれ」と人々はよく知っている。《死について覚悟せよ》、《死の意味を考えよ》、《死の形而上学を考えよ》、《天上・彼岸を信じよ》、《この世は無常だ(諸行無常)》等々と、人々は「世間das Man」に融けこみつつ「公開的既成解釈」においてすでに、死に立ち向かっている。
《感想1-3-3》「メメント・モリ(memento mori)」は、もちろん、「公開的既成解釈」において「この世を楽しめ」とも提示される。
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①リンゴの種、②人が最も笑う時、③ネズミが笑う、④全人類の笑い!(”Reader’s Digest”, September 2019)

2019-11-24 06:59:04 | 日記
(1)白雪姫とリンゴの種!
白雪姫が、毒リンゴでなく普通のリンゴを食べ死ぬためには、リンゴの種を160粒、食べればよい。(ただし、よく噛む。)リンゴの種にはシアン化合物が含まれている。
(2)人は、友人や親しい者たちと話をしているとき、最も笑う!
人が一番笑うのは、冗談や可笑しい話を聞いた時でない。人は、友人や親しい者たちと話をしているとき、最も笑う。笑いはコミュニケーションツールだ。
(3)ネズミが笑う!
チンパンジーが笑うのは知られているが、実はネズミも笑う。ただしその笑いは超音波だ。また子ネズミは大人のネズミよりよく笑う。
(4)全人類の笑い!
笑いは、全人類に共通だ。人類である限り、笑いをわからないことがない。(Cf. 犬は、人の笑いがわからず、人と一緒に笑うことがない?)
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