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映画『ゴジラ-1.0』(2023年、日本):第2次大戦の日本国の「特攻」(「生きて帰ってくるな」)の方針への批判!

2023-11-11 13:25:39 | 日記
A 第二次世界大戦末期の1945年、敷島浩一は特攻へ向かう途中、零戦が故障したと偽り、大戸島の守備隊基地に着陸する。その日の夜、基地を島の伝説で語り継がれる生物「呉爾羅(ゴジラ)」が襲撃する。敷島は整備兵の橘宗作(並ぶ者がいないほどの高い整備の技術を持つ)から、ゴジラを零戦に装着されている20ミリ砲で撃つように懇願されるが、恐怖で撃つことができず、敷島と橘以外の整備兵たちは全員ゴジラに襲われて死亡する。橘は仲間たちの遺体を前にして敷島を罵倒する。

B  1945年冬、東京へ帰ってきた敷島は、隣家の太田澄子から空襲によって両親が亡くなったと伝えられる。敷島は闇市で、彼同様に空襲で親を失った女性・大石典子と、彼女が空襲の最中他人に託された赤ん坊の明子に出会い、成り行きで共同生活を始める。

C 敷島は米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就き、作業船・新生丸艇長の秋津淸治(戦後処理の特殊任務=機雷の撤去を国から依頼された)、元技術士官の野田健治(戦時中は、兵器の開発に海軍工廠で携わっていた技術者)、乗組員の水島四郎(見習い乗組員)と出会う。
C-2  敷島は彼らから典子との正式な結婚を勧められるが、戦争とゴジラによる守備隊整備兵死亡で「心の傷」を抱える敷島は結婚に踏み出せず、典子もそれを察して自立するために銀座で働きだす。

D ある日、敷島たちは「日本近海にゴジラが現れてたので、ゴジラを新生丸で足止めしろ」という命令を受ける。敷島たち「新生丸」は、ゴジラに機銃や機雷で攻撃するが効果はなかった。さらにシンガポールから帰ってきた接収艦の重巡洋艦「高雄」も砲弾で攻撃するが、ゴジラの吐いた熱線によって破壊された。

D-2  翌朝、東京へ襲撃してきたゴジラは東京湾から品川を経由し、典子が働らく銀座へ進む。敷島は典子の救出へと向かい、ともに逃げるが、典子はゴジラの放出した熱線の爆風から敷島を庇い吹き飛ばされ、行方不明となる。

E  典子の死を嘆き苦しむ敷島を、野田(元技術士官)はゴジラ打倒の計画に誘う。ゴジラによる甚大な被害を受けた日本だが、駐留米軍はソ連軍を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避けたため、占領下で独自の軍隊を持たない日本は民間人のみでゴジラに立ち向かうこととなった。
E-2 駆逐艦の元艦長・堀田辰雄がリーダーとなって開かれた「巨大生物對策説明会」では、野田が第一次攻撃ゴジラをフロンガスの泡で包み、深海まで一気に沈め急激な水圧の変化を与え、第二次攻撃として深海で大きな浮袋を膨らませ海底から海上まで一気に引き揚げ、凄まじい減圧を与えゴジラの息の根を止めるという「海神作戦」(ワダツミサクセン)を説明した。

F 一方で、敷島は、独自のやり方でゴジラに立ち向かおうとして橘(高い整備技術を持つ大戸島守備隊基地の元整備兵)を探し始める。そして野田(元技術士官)にゴジラを誘導するための戦闘機を探してもらう。野田は開発段階で終戦を迎え、実践で使われなかった最新の戦闘機「震電」を見つけた。
F-2  敷島は機体の修復のため、ついに橘を探し出す。敷島は「震電」に砲弾を数多く搭載し、ゴジラの口の中へ“特攻”すると決めていた。橘もゴジラに殺された同僚への復讐のため敷島の計画に協力する。

G ゴジラが再び出現し東京に上陸すると、敷島は「震電」でゴジラを怒らせ相模湾の最深海部の回帰ま海域まで誘導する。二隻の駆逐艦を堀田辰雄が指揮し、ゴジラに対する「海神作戦」(ワダツミサクセン)を実行する。作戦は立案どうりに実行されるが、減圧を与えゴジラの息の根を止めることには失敗した。するとそのゴジラの口の中に敷島が「震電」で突っ込んだ。ゴジラは頭部を爆破粉砕され深海へと沈んで行った。
G-2  だが敷島は「特攻」で死んだのではなかった。「震電」に橘が備え付けた「緊急脱出装置」によって敷島は無事脱出・生還した。
G-3  行方不明だった典子は、その後、病院に収容され治療を受けていることが分かり、敷島と典子、そして養女の明子はハッピーエンドとなる。

《感想1》映画のメッセージは次の3つだ。①第2次大戦の日本国の「特攻」(「生きて帰ってくるな」)の方針への批判。さらに②戦争の死者330万人のうち、兵隊の1/3~1/2は餓死だったことへの批判。また③原爆で30万人が死に、空襲で20万人が死んだ。そのような無謀で国民の命を守ろうとしない戦争の開始への批判。
《感想2》米軍占領期の「レトロ」なゴジラ!
《感想2-2》ゴジラは巨大で「大魔神」のようだ。(コミュニケーション不能!)

★「ゴジラ-1.0」
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