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清水克行『室町は今日もハードボイルド』第3部第9話「婚姻のはなし」:「うわなり打ち」をした政子が「男まさり」と言うのは不正確で、中世の女性はみんな、政子に限らず「男まさり」だった!

2022-09-28 16:38:43 | 日記
※清水克行『室町は今日もハードボイルド、日本中世のアナーキーな世界』2021年:第3部「中世人、その愛のかたち」(「人びとのきずな」)

第3部第9話「婚姻のはなし、ゲス不倫の対処法」
(1)平安中期から江戸前期の「うわなり打ち」(「後妻打ち」)の慣習!
(a)平安中期から江戸前期にかけて「うわなり打ち」(「後妻打ち」)の慣習があった。夫が現在の妻を捨てて、別の新しい女性(「後妻」)のもとに走ると、捨てられた現在の妻が、女友達を大勢呼び集め、夫を奪った女(後妻)の家を襲撃して破壊、時には相手の女の命を奪う。
(b)室町時代中頃、備中国上原(カンバラ)郷という荘園(東福寺の所領)に僧・光心という代官がいた。光心は「長脇殿の未亡人」と内縁関係にあった。ところが光心は好色な僧で「長脇殿の未亡人」に隠れて、他の「百姓」の女たちにも次々手を出した。
(b)-2 やがて光心は「百姓の下女」(身分の低い召使い)にまで手を出した。このことを知った内縁の妻「長脇殿の未亡人」は激怒した。「百姓」の女性に浮気するだけでも許しがたいのに、自分よりも遥かに身分の低い「下女」と通じていることに、「長脇殿の未亡人」のプライドはズタズタに傷ついた。
(b)-3 嫉妬の念に駆られた「長脇殿の未亡人」は、ついに長脇家の家人たちを大挙動員して、その「百姓の下女」の家に「うわなり打ち」を仕掛ける。未亡人の命を受けた家人たちは「下女」を召し取り、殺害してしまう。 
(b)-4 だがこのあと、「長脇殿の未亡人」が殺人の罪に問われた形跡はない。男を奪われた女が新たな女に復讐するのは、慣習的に許容されていたようだ。
《感想1》ただし実際に「うわなり打ち」ができるのは「強者」の側だ。襲われるのは「弱者」の側だ。「慣習的に許容」とは、「法」的に許容されていたということだ。
《感想2》「法」的に禁止されていれば、「強者」の側であろうと、公権力によって処罰される。だが「法」的に許容されていたので、「下女」を殺した「長脇殿の未亡人」が公権力によって殺人の罪に問われることはなかった。

(2)北条政子の「うわなり打ち」:政子が「男まさり」と言うのは不正確で、中世の女性はみんな、「男まさり」だった!
(c)「うわなり打ち」(「後妻打ち」)を行った人物としておそらく史上もっとも有名なのは源頼朝の正室の北条政子(1157-1225)だろう。政子は頼朝の愛人の「亀の前」に怒り、1182年、配下の者に命じ「亀の前」の屋敷を襲撃させた。「亀の前」は辛うじて逃げた。
(c)-2 この逸話は、北条政子の「男まさり」を語るエピソードとされるが、「うわなり打ち」は、中世の女性には当たり前に許されている行為だった。政子が「男まさり」と言うのは不正確で、中世の女性はみんな、政子に限らず「男まさり」だった。

(3)10-11世紀は貴族層の婚姻形態が「一夫一妻制」(「一夫一妻多妾制」)になっていく時代だった!正式な妻の座をめぐる女性たちの間の対立が先鋭化し「うわなり打ち」の慣習が成立した!
(d)最古の「うわなり打ち」の記録は1010年である。この摂関政治の全盛期、藤原道長(966-1028)の侍女が、自分の夫の愛人の屋敷を30人ばかりの下女とともに破壊している。この侍女は翌1011年にも別の女の家を襲撃し、道長自身の日記『御堂関白記』には「宇波成打(ウワナリウチ)」と書かれている。
(e)10-11世紀は貴族層の婚姻形態が「一夫一妻制」になっていく時代だった。それ以前は「乱婚」に近いようなルーズな婚姻形態だった。
(e)-2 「一夫一妻制」と言っても現実は「一夫一妻多妾制」だった。したがって正式な妻の座をめぐる女性たちの間の対立が先鋭化した。かくて「うわなり打ち」で女性たちの怒りは、ライバルの女性に向かった。身勝手な男たちには向けられなかった。
(e)-3 つまり「うわなり打ち」の習俗は10-11世紀に「一夫一妻制」(「一夫一妻多妾制」)が成立したのと軌を一にした現象だった。
(e)-4 この限りでは「うわなり打ち」は中世の女性の「強さ」というより、「弱い立場」の表れと言うべきかもしれない。

(4)江戸時代の「うわなり打ち」は「復讐」から「儀礼」へと姿を変えた!
(f)「うわなり打ち」は江戸時代にも受け継がれる。磐城平(タイラ)藩の内藤忠興(タダオキ)(1592-1674)の正室・天光(テンコウ)院は、自ら薙刀を取って忠興の妾を預かる家臣の家に押し入った。また佐賀藩の鍋島直茂(ナオシゲ)(1538-1618)の前妻は後妻陽泰院(ヨウタイイン)の家に「うわなり打ち」を仕掛けるが、その時陽泰院は動じることなく前妻を丁重に出迎えてかえって評価を高めたという逸話もある。
(g)だが16世紀末~17世紀初頭の「うわなり打ち」は象徴的な「儀礼」へと姿を変えた。①妻を離縁して5日ないし1か月以内に夫が新妻を迎えた場合は、必ず「うわなり打ち」を実行した。②襲撃に男は加わらない。②-2 親類縁者の女など総勢20-100人で新妻の家に押しかける。③その際は使者を立てて襲撃を通告する。④武器も刃物は使わず、木刀・竹刀・棒に限る。⑤破壊は台所を中心に鍋・釜・障子に対して行われる。⑥一通りの破壊が終わると、仲介者が和解を取り持つ。
(g)-2 江戸時代に入って「うわなり打ち」は、「復讐」から「儀礼」へと姿を変えた。ただし江戸幕府から「うわなり打ち禁止令」が出たことはない。時代が「復讐」や「暴力」をネガティヴなものとする方向へ変化したというべきだろう。
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スターダンサーズ・バレエ団『“Dance Speaks”ウェスタン・シンフォニー/緑のテーブル』神奈川県民ホール(2022/09/03):アメリカ西部開拓時代!戦争に振り回される兵士やその家族!

2022-09-26 11:09:54 | 日記
(1)
無条件に楽しい『ウェスタン・シンフォニー』。初演1954年。ジョージ・バランシン振付。4楽章に分かれる。アメリカのフォークソングなどを編曲・オーケストレーションした音楽。19世紀のアメリカ西部開拓時代が舞台。人々が集って心ゆくまで踊る、そんな新大陸アメリカらしい、自由で闊達な気分にあふれる。


(2)
1932年のパリ国際舞踊コンクールで最優秀賞を受賞した歴史的傑作『緑のテーブル』。クルト・ヨース振付。平和会議を意味する“緑のテーブル”が置かれた架空の国の国際会議のシーンに始まり、身勝手な指導者たちの衝突と、戦争を利用する者の暗躍、それに振り回される兵士やその家族を描く風刺劇。 シンプルなステージ。2台のピアノによる生演奏。細部までこだわり抜いた構成。『緑のテーブル』が創られた1932年は、ナチスが政権をとる1年前。なお国内で『緑のテーブル』の上演権を持つのはスターダンサーズ・バレエ団のみ。
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映画『十二単衣を着た悪魔』(2020)黒木瞳監督:弘徽殿女御(コキデンノニョウゴ)の自覚的・目的合理的行動が、称賛される!マキャベリズム的な弘徽殿女御は貴族的人格の典型だ!

2022-09-25 20:11:22 | 日記
黒木瞳の監督第2作。内館牧子の小説『十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞』を映画化。源氏物語の世界に紛れ込んだ現代の青年(雷)が、自覚的・目的合理的で強い女性(弘徽殿女御)に翻弄されながら成長していく。

(1)就職試験に59社落ちてフリーター・雷(ライ)(伊藤健太郎)は彼女に振られる。雷は京大に合格した弟に劣等感を抱く。ある日、アルバイトで雷は『源氏物語』の世界のイベントの設営をする。その帰宅途中に激しい雷に襲われ雷は意識を失う。
(2)雷が目を覚ますと、そこは『源氏物語』の平安貴族の世界。彼は警護係の良喬(ヨシタカ)につかまる。そこは弘徽殿女御の屋敷で、雷はアルバイト先で配られた「源氏物語のあらすじ本」のおかげで、未来を予言できる陰陽師(オンミョウジ)として弘徽殿女御の信頼を得る。
(3)弘徽殿女御(右大臣家の娘)は桐壺帝の正妃で、桐壺更衣(キリツボノコウイ)は弘徽殿女御のいじめの中、早くして死ぬ。弘徽殿女御は、息子・一の宮(後の朱雀帝)を、異母弟・光源氏(桐壺更衣の子)との帝位争いに勝たせるべく闘う。光源氏は臣籍に降格される。
(4)桐壺帝は今度は、桐壺更衣によく似た藤壺を愛する。藤壺は男子(後の冷泉帝)を産むが、それは光源氏との不義の子であった。弘徽殿女御は桐壺帝と交渉し、弘徽殿女御の息子・一の宮を次の天皇(朱雀帝)とすることを認めさせる。
(5)さて源氏の正妻葵上(左大臣家の娘)は、六条御息所(ロクジョウノミヤスンドコロ)の生霊に呪い殺される。六条御息所は自分の睡眠中に自分の生霊が体から抜け出し、葵上を呪い殺したことに関し、自分の罪深さを責める。だが弘徽殿女御が「愛を貫くことで自分を責めることはない」と六条御息所を慰める。
(6)雷は、陰陽師として弘徽殿女御につかえ、彼女の自覚的・目的合理的行動に振り回されながらも、次第に触発されていく。雷は「悪名高い」弘徽殿女御の生き方を理解し、彼女のために仕え続ける。やがて、ある日、彼は蛍の舞う竹林で再び現代にワープする。

《感想1》弘徽殿女御の自覚的・目的合理的行動が、称賛されている。
《感想2》だが日本の貴族世界は太古から、政敵の排除のための自覚的・目的合理的行動として、殺戮・策略に満ちている。愛の情緒に生きる源氏物語的世界は、むしろニッチ的世界にすぎない。弘徽殿女御的世界がノーマルな貴族世界だ。マキャベリズム的な弘徽殿女御は貴族的人格の典型だ。

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清水克行『室町は今日もハードボイルド』第2部第8話「国家のはなし」:「中世」は容積(「枡」)、距離(「里」)、通貨換算法(「さし銭」)がバラバラ!だが「ディストピア」とは言えない!

2022-09-24 22:45:13 | 日記
※清水克行『室町は今日もハードボイルド、日本中世のアナーキーな世界』2021年:第2部「細かくて大らかな中世人」(「多元性」)

第2部第8話「国家のはなし、ディストピアか、ユートピアか?」
(1)中世の「さし銭」はバラバラ:「省百法」(ショウビャクホウ)!「枡」(マス)、「里」もバラバラ!
(a)室町時代、銭は真ん中の穴のあいた部分に縄を通し、100文単位で1本に結わえておくのが原則だった。この銭束は「さし銭」と呼ばれた。
(a)-2 だが「さし銭」の枚数が100枚であることはほとんどなく97枚だったり96枚であったり、数枚足りないのが一般的だった。当時の人たちは100枚に満たない「さし銭」を、それを承知のうえで100文とみなし使用していた。
(a)-3 こうした当時の銭の通用ルールは「省百法」(ショウビャクホウ)と呼ばれる。
(b)この「省百法」のルールは、なぜ当時の人たちに受け入れられていたのか?①「さし銭」を作成した者への手間賃。②慢性的な銭不足への対抗策。(当時の銭は中国からの輸入銭だった。)③中国の短佰法(タンパクホウ)(省百法と似た中国の慣習)の影響など。確定的なことはわかっていない。だが「省百法」は一般社会の商慣行だった。
(c)当時、「銭100文を何枚とするか」(Ex. 98枚、97枚、96枚)は、地域や状況によって全くバラバラだった。
(d)中世の「枡」(マス)も、すでに見たように、地域によってバラバラだった。
(e)距離についても中世はバラバラだった。大きく分けて西日本は1里=36町(約3.9キロ)、東日本は1里=6町(約650メートル)だった。西日本でも1里=48町(約5.2キロ)、1里=50町(約5.4キロ)の所もあった。

(2)日本の中世社会の3大特質:①自力救済原則、②呪術的な信仰心、③多元的・多層的な政治・経済・社会! 
(f)中世日本は政治的に、分権的な社会で、鎌倉時代には西に朝廷、東に幕府という二つの中心があり、それがさらに戦国時代には大名の領国ごとに細かく分裂していく。
(f)-2 現実の社会はさらに、容積、距離、通貨換算法もバラバラに細分化され、アナーキーだった。
(g)日本の中世社会の3大特質は、①公権力に頼らずすべてを当事者の「自力」(ジリキ)で解決する自力救済原則、②呪術的な信仰心の篤さ。③政治・経済・社会の諸分野における多元的・多層的な実態と特徴づけられる。

(3)室町幕府と全く無関係に、朝鮮国に派遣されたニセモノの国家使節団!
(h)室町幕府は、大陸の明帝国と半島の朝鮮王朝と長く通交関係を維持してきた。朝鮮側の史料『朝鮮王朝実録』によれば当時、室町将軍は「日本国王」と称し幕府重臣を介し朝鮮王朝に使者を送り交易をおこなっていた。
(i)ところが『朝鮮王朝実録』の中に不思議な重臣名義の使節団が幾度も登場する。1455年から1480年について言えば、実在しない重臣7人、死去した重臣4名、誤った官職名の重臣2名の使節団の記録がある。
(i)-2 実は彼らは室町幕府と全く無関係に、朝鮮国に派遣された「ニセモノ」の国家使節団だった。
(i)-3 一般に国家使節団は、帰国に際し朝鮮王朝から莫大な返礼品がもらえ、堂々と交易も行うことができる。「ニセモノ」の国家使節団は、返礼品と交易の利益目当ての「なりすまし詐欺」集団だった。
(i)-4 朝鮮王朝側は、うすうす詐欺と気づきながらも、100年以上にわたり、彼らを国家使節として遇した。ことを荒立てると「面倒」だから「穏当に」遇した。室町時代は海賊集団「倭寇」が暴れており、「日本国王」使節団を名乗る国際詐欺集団は、彼ら海賊たちの洗練された姿だったと言える。
(i)-5 この時期の朝鮮国との通交は、対馬の宗(ソウ)氏に室町幕府が一括してゆだねていた。違法交易の取り締まり業務は宗氏が担った。
(i)-6 一連の国際「なりすまし詐欺」集団は、対馬の宗氏と博多の商人あたりが結託して組織したものだったらしい。
(j)豊臣秀吉による天下統一が実現された1590年、朝鮮使節が150年ぶりに日本の土を踏む。この時彼らは初めて真実を知る。日本は外交使節もおちおち信用できないアナーキーな国だった。

(4)「アナーキーでハードボイルドな社会」がディストピアだったとは言えない!
(k)「中世」の日本は、政治権力が分裂し、枡も通貨換算法も、さらに距離単位もまちまちだった。おまけに対外的に国家を代表する「日本国王」使節も、海賊まがいの詐欺集団だったりした。現代なら「破綻国家」「崩壊国家」と呼ばれてよい。
(k)-2 つまり「中世」は日本の歴史のなかでも最もアナーキーな時代だった。対外的にも対内的にも「国家」としての建前としてギリギリで維持されている社会だった。
(l)だが「アナーキーでハードボイルドな社会」がディストピアだったとは言えない。
(l)-2 というのも地球上の戦争や圧政、それによって生ずる貧困や不幸の一因は「国家」に由来するからだ。
(m) かといって、それらの元凶である「国家」を廃して「世界政府」を樹立しても、それでみんなが幸せに暮らせるわけでもない。「世界政府は専制の極限形態である」(カント)。
(m)-2 「世界政府」の弊害は「離脱不可能性」である。邪悪あるいは無能な権力者のもたらす災厄から「離脱」・「逃走」が不可能になる。これに対し、現在の多様な国家の分立は、他の国家への「離脱」・「逃走」を可能とする。
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ラリー・ダイアモンド『侵食される民主主義 : 内部からの崩壊と専制国家の攻撃』(上下):「民主主義の防衛戦士」になりたい者は必読!

2022-09-20 20:19:44 | 日記
※ラリー・ダイアモンド(Larry Jay Diamon)(1951生)は「ミスター・デモクラシー」と呼ばれる政治学者。

《感想1》上巻は「民主主義と権威主義」のサマリー本!下巻は「民主主義の防衛戦士」になりたい者は必読!
【上巻】民主主義は「豊かさと公平さ」が前提。上巻は民主主義と権威主義のサマリー本。【下巻】「反民主主義」に対する「対抗策」の実践本。施策決定者や情報機関の上級分析官向けの本格的な実践本。一般人はたじろいでしまう水準。ウクライナにも言及あり。陰謀論や映画の中の話かとかでなくリアルな出来事が述べられる。「民主主義の防衛戦士」になりたい者は必読。民主主義側が後手後手に回ってやられる一方だが、それを打開するようなカウンター本。

《感想2》民主主義は「選挙」によっていとも簡単に破壊される:「ポピュリスト政治家」の台頭!
(a)世界の民主主義国の数は、前世紀末まで増え続けていたが、今世紀に入り逆にマイナス傾向に転じ民主主義が後退している。
(b)民主主義の後退の大きな要因のひとつは「ポピュリスト政治家」の台頭だ。ポピュリスト政治家はトルコ、ハンガリー、ポーランド等で政権を獲得。本書では、ポピュリスト政治家・政党の権力掌握手法の情報を詳しく解説し大変参考になる。
(c)さらに「専制国家」ロシア・中国の①「民主主義国」の開放性・多元性を逆手に取った「偽情報攻撃」による民意操作と、②巨大な経済力を背景にした戦略的経済援助(債務の罠)の問題がある。
(d)民主主義の政治とは「主権は国民にあり、政治運動の自由は保障されており、選挙で選ばれた政治家・政党が政権を担い、政府政権は国会が定めた法律に基づいて国民生活の向上を目標とした国家運営を行う」ことだ。
(e)しかしポピュリスト政治家は「国民のための政治」など全く眼中にない。ポピュリスト政治家は政府権力者に成った途端、その一派、縁故者や取り巻きに利権を与え、私腹を肥やし、なおかつ権力を長期間保持することのみに邁進する。ポピュリスト政治家達は一国を乗っ取り、食い物にする。
(f) ポピュリスト政治家・政党が用いるのは、形式的に民主主義法治国家を装い国民の目を欺く手法だ。民主主義は「選挙」によっていとも簡単に破壊される!①最初は、「現政権や官僚は腐敗している」と誇張糾弾し、経済不況・危機や社会問題・スキャンダルのすべてを与党の責任にし、なりふり構わず「選挙」に勝つ。②その後は、過半数の議席を獲得した国会の場で、自分たちの政権維持を妨げるもの(裁判所、選挙制度、メディア、人権市民団体等)の関連法を改悪して骨抜きにし、裁判官・官僚等の人事を都合の良いように入れ替える。③また政府を批判する反対野党等を法的に抑圧し一党独裁体制を進める、④更に野党が選挙で勝つことを不可能にするような選挙制度に変更する。例えば、ハンガリーではポピュリスト政権就任1年目で12回も憲法を改正し、その間に50以上の条項を変更した。⑤加えて、世論を自分たちの都合のいいように誘導するためメディアを政府の管理下に置くか国有化し、インターネットも統制下に置く。
(f)-2 ロシアではプーチン(完全なポピュリスト政治家ではない)がこれとほぼ同じ手法を、迅速かつ冷酷に行っている。

《感想3》「専制的国家」(ロシアと中国)による攻撃!「民主主義国内部」での後退!
(a)本書は、冷戦終結後の「民主化の第三の波」が停滞or揺り戻しに入っていると指摘し、「民主主義国」内の民主主義の変質と、「専制国家」(ロシアと中国が挙げられている)による民主主義国への攻撃を考察する。
(b)著者は「民主化支援」を行っていた人であり、現状分析と対策は(時に細かすぎるぐらいに)かなり具体的だ。
(c)まず民主主義は単に「選挙制度」を取り入れるだけでは非常にもろく、さまざまな周辺的な環境が重要である。民主主義国における民主主義の後退とは、具体的には、(ア)汚職の増加、(イ)ガバナンスの低下、(ウ)様々な市民的自由の制限、(エ)法の支配や権力抑制の衰退などである。
(d)また「民主主義」の維持のためには、敵対する相手を「全面的に叩き潰すべき悪」として認識するのではなく(Cf. 安倍の攻撃)、また「自分の信奉する正義のみを正義だと思う」のでなく、相手への「相互承認」と「抑制的な礼節」、「寛容」、「多様性の文化」が非常に重要だ。(「負けたら何をされるか分からない」状況では、「血みどろの争い」に容易に向かう。)
(e)筆者はシュミッター、オドンネル などを引きつつ、「独裁から民主主義への移行」の際には、「独裁者を訴追しない」など、相手の利益の保証をする妥協が必要だと肯定的に議論する。(むしろ「その約束が権力移行後に守られない」ことが問題だと見る)。具体例としては南アフリカが言及される。
(f)アメリカ内などの民主主義の衰退も概観されているが、衝撃的なのはロシアと中国がいかに民主主義の根幹を深刻にむしばんでいるかという話だ。①2016年アメリカ大統領選は、大規模にロシアがサイバー攻撃を仕掛け成功した。②ヒラリー・クリントンのメール問題のハッキングは有名。③ロシア工作員は極めて入念に準備を行い、個人情報を用いたSNSのターゲット広告などを駆使し、トランプを共和党予備選段階から押し上げるよう立ち振る舞った。④リベラルな標的に対しては、クリントンの醜聞を撒くと同時に、④-2 民主党ではなく「緑の党」に投票するよう促した。実際ラストベルト地帯では「緑の党」の得票をヒラリーに積み上げればトランプに逆転していた。
(g)中国の攻撃はこれより目立たないが大規模である。特に中国による浸食が著しい国は「オーストラリア」だ。①政治家を金銭的に抱き込もうとする。②中国共産党ネットワークによって動員された運動をまるで「草の根の市民」の意見のように見せかける工作も起きている。③中国の出資・買収で、例えばオーストラリア放送協会の中国関連報道に対する実質的検閲が起きたり、また③-2 中国に批判的な本を出さないよう出版社に圧力をかけている。④孔子学院を設置する大学では、チベット問題や人権問題の講演を控えるように圧力をかける。⑤中国系の在外在住者が中国政府から攻撃を受け身の危険にさらされる事態も生じている。
(h)中国の攻撃に対する対抗策として、(ア)ビザ発給制限(特にお金と引き換えに即座に永住権さえ取れるような、キプロスやマルタのような方法の制限)、(イ)専制国家からの資金提供に対て高い透明性を要求すること、(ウ)中国人留学生への脅迫などに対する保護プログラムを設けること、(エ)外国人登録制度の徹底などが挙げられている。
(i)民主主義の「浸食」が進む一方で、世界の多くの人々は民主主義を「よいもの」と考えている。ラテンアメリカと中東では少し下がるものの、それでも7割前後が民主主義を支持し、アフリカにおける民主主義の支持の度合いはG7と同等かそれ以上である。
(j)「民主主義を守るための対抗方法」として、①専制国家内での民主化勢力の様々な支援、②マネーロンダリングや外国からの政治献金の禁止、③独裁者や支配層をピンポイントで狙うような制裁(そのためには国際的資金管理が不可欠である)などが挙げられている。
(k)民主主義国内については、(ア)インターネットの安全を保つための方法、(イ)フェイクニュースへの対応が必要とされる。
(l)選挙制度については、「単純小選挙区制」と「単純比例代表制」の双方が政治家の極端化を推し進めるので、「優先順位付投票」が擁護される。
(m)抽象論よりも具体的事例と実践的な提案の多い一冊である。細部にまで言及し、現在の民主主義の危機がよく伝わってくる。
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