DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

笑い話「鬼瓦の手本が死んだ」安楽庵策伝『醒酔笑』(1628):残酷で暗い笑い話だ!

2019-05-31 23:04:24 | 日記
あるところに瓦職人が住んでいた。 In a certain place, there lived a tile maker.
その近所に、娘が住んでいた。しかし彼女はとても醜かった。 Near him, a young woman lived. But she was very ugly.
数年後、彼女は24歳か25歳で死んだ。 After a few years, she died at the age of 24 or 25.
瓦職人は激しく泣いた。 The tile maker cried hard.
彼女の両親が彼に尋ねた。「なぜあなたはそんなに激しく泣くのですか?」 Her parents asked him, "Why do you cry so hard?"
彼が答えた。「鬼瓦の手本を失ったからです。」 He replied, "Because I lost a model of a demon tile."

《感想1》残酷な笑い話だ。ひどく醜い娘は、鬼瓦のような顔だった。Cf.「後ろ弁天前不動」という諺さえある。
《感想2》今も美人がもてはやされる。美人は、労働力としても交換価値がある。
《感想2ー2》女の価値の多くが美醜で決まる。これは人間としての尊厳を傷つけることだ。
《感想3》ここには暗い笑いがある。相手を蔑(サゲス)み、いたぶる笑いだ。「笑う門(カド)には福来たる」は嘘だ。悪魔が笑う。
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兼好法師『徒然草』第17段「山寺にかきこもりて・・・・・・」:すでに引退し財産もあった兼好法師でさえ、弱肉強食のこの世とつきあい、「心の濁り」をコントロールする必要があった!

2019-05-30 23:08:04 | 日記
山寺にかきこもりて I want to stay at a temple in a mountain.
仏に仕(ツカ)うまつるこそ There, I dedicate myself to Buddha.
つれづれもなく、 In such a situation, I don't feel desparately bored.
心の濁りも清まる心地すれ。 At the same time, I feel that my dirty heart contaminated by wrong desires becomes clean.

《感想1》年を取ったら、そして独り身なら、山寺に籠もるのもいい。仏は宇宙であり、また宇宙の真理だ。君は小宇宙だ。
《感想2》今、山寺に籠るのが難しいなら、君は身を慎んで、正しく生活する。だがそうした生活のなんと難しいことか!君を取り巻く不安。そして君の様々の欲望。
《感想2-2》ただし不安や欲望を、「心の濁り」つまり「煩悩」として退けたら、君は弱肉強食のこの世で生きていけない。大切なのは不安や欲望を退けることでなく、コントロールすることだ。
《感想2-3》すでに引退し財産もあった兼好法師でさえ、弱肉強食のこの世とつきあい、「心の濁り」をコントロールする必要があった。
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ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第1編」「第4章」「第26節 ほかの人びとの共同現存在(共現存在)と日常的共同存在(日常的な共存在)」(その4)

2019-05-30 22:23:05 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」
※「第1編 現存在の準備的な基礎分析」
※「第4章 共同存在(共存在)と自己存在としての世界内存在、『世人(世間)』(Das “Man”)」

(8)世界は、「用具的なもの」だけでなく、「現存在」(「共同現存在」)をも明け渡す!(123頁)
M 世界は、「世界の内部で出会う」ものとして、「用具的なもの」を明け渡すだけでなく、「現存在」をも、すなわち「ほかの人びと」をも、彼らの「共同現存在」において、明け渡す。(123頁)
M-2 なお「自己の存在へ関わり合う現存在の存在」とは、要するに「自己の存在」とは、「いかなる趣向(適所)ももちえないもの」、むしろ「現存在自身がそれを主旨として現に存在してところの存在」である。(123頁)

(8)-2 現存在は共同存在の様相で存在している!
N 「現存在がおのれの存在そのものにおいて関わらされているそれの存在」には、「ほかの人びととの共同存在」ということがぞくしている。(123頁)
N-2 「現存在は共同存在としては、本質上、ほかの人びとを主旨として『存在』している」。(123頁)
N-3 「特定の事実的現存在が、①ほかの人びとのことを意に介さず、②彼らがいなくてもいいと思いこみ、あるいは逆に、③彼らがいないことに耐えている場合にも、この現存在は共同存在の様相で存在している」。

(8)-3 「ほかの人びと」は「用具的なもの」のなかから姿を現してくる!
O 「ほかの人びと」は「宙に浮いた主体」という姿で現前しているのでなく、「彼らの環境的配慮的な世界内存在」のなかで、「この世界の内部にある用具的なもの」のなかから姿を現してくる。これは「世界の世界性の構造」にもとづく。(123頁)
O-2 「相手(der Andere)はさしあたり、配慮的待遇(顧慮)のなかで(in der besorgenden Fürsorge)開示されている」。(124頁)

(9)「感情移入」の問題!
P 「とりたてて相手にむかっていたわりつつ彼を開示する待遇(顧慮)」も、いつも「彼との原義的な共同存在(aus dem primären Mitsein mit ihm)」(※モナド共同体)のなかからのみ芽ばえてくる。(124頁)
P-2 「このような他者認識」(※待遇)は、いわば他者の「主題的な開示」である。(124頁)
Q この場合、「まず単独に与えられている自己主観から、さしあたって、まったくとざされている他者主観へ通っていく橋」を「感情移入」という現象によって「存在論的に架けようとする」立場がある。(124頁)
Q-2 「感情移入」とは、「他人は自己の複製だ」という考え方にもとづく。(124頁)
Q-3 「現存在の自己自身への関係(※意識)を、どうして、他者としての相手に開示しようというのか(※独我論の問題)、どこまでも謎のままである。」(125頁)

(9)-2 「現存在(※モナド)が、世界内存在として、いつもすでにほかの人びとと共に存在している(※モナド共同体である)」!(125頁)
R 「ほかの人びとへ関わり合う存在は・・・・・・共同存在として、すでに現存在の存在とともに存在している。」(125頁)
R-2 「現存在が、世界内存在として、いつもすでにほかの人びとと共に存在している。」(125頁)
R-3 「共同存在は、『感情移入』によってはじめて構成されるのではない。むしろ『感情移入』の方が、共同存在にもとづいてはじめて可能なのである」。(125頁)

《参考1》「内存在は、ほかの人びととの共同存在(共存在)(das Mitsein)である。」(第26節、118頁)
《参考2》「現存在(※モナド)は本質上、共同存在である(※モナド共同体である)。」(第26節、120頁)

(10)まとめ:①共同存在、②共同現存在、③相互存在
S ①「共同存在(Mitsein)(※モナド共同体)は、世界内存在の実存論的な構成契機である。」(125頁)
S-2 ②「共同現存在(Mitdasein)(※他モナド)は、世界の内部に居合わせる存在者の固有の存在様式である。」(125頁)
S-3 ③「現存在(Dasein)(※モナド)は、そもそも存在しているかぎり、相互存在(das Miteinandersein)というありかたをしている。」(125頁)

(10)-2 問題の再確認:「日常性において現存在であるのは誰なのか」という問い!
T 「現存在は・・・・・・配慮された世界に(in der besorgten Mitwelt)融けこみ、すなわち、とりもなおさず、ほかの人びととの共同存在(im Mitsein zu den Anderen)に融けこんでいて、自己自身ではない。」(125頁)
T-2 「それでは、日常的相互存在としての存在を引き受けているのは、いったい誰れであるのか」

《参考》「第4章 共同存在と自己存在としての世界内存在、『世人(世間)』(Das “Man”)」(冒頭)         
A 「日常性において現存在であるのは誰なのか」という問いを、かかげ、これから追跡する。(113-4頁)
A-2 かくて、現存在の根源的構造として、「世界内存在(In-der-Welt-sein)」とともに、「共同存在(Mitsein)」と「共同現存在(Mitdasein)」の解明へと進む。(114頁)
A-3 そして日常性の「主体」である「世人(世間)」(das Man)がみとどけられる。
B 「平均的現存在の『誰か』」について扱う本章は次のように分節される。
一、現存在の誰かをたずねる実存論的な問いの手がかり(第25節)
二、ほかの人びとの共同現存在と日常的共同存在(第26節)
三、日常的自己存在と世人(世間)(das Man)(第27節)
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映画『スーサイド・ショップ』 (2012年、 フランス・ベルギー・カナダ合作):幸福な者にとっては不愉快な映画だ!始まりがとても暗いが、不幸な者にとって事実だ!

2019-05-30 10:27:13 | 日記
(1)
カネが、人生における君の行動を大筋で決定する。商売の内容が人の行動を決定する。君の商売が、君の魂を決定する。
(1)-2
自殺用具販売店は、自殺を奨励する。自殺用具を売るため。「人生は労苦のみで無意味だ」と主張する。君がそう思うわけでなく、人にそう思わせて自殺道具を売るのだ。(Cf. 武器商人は戦争・殺し合いを歓迎する。)
(2)
始まりが、とても暗い映画だ。「生きることは苦しみで、生まれないほうが良かった」と主張する。これは非成功者、不運な者、競争に負けた者、軽蔑されいたぶられる者、食っていけない者、不幸な者にとって事実だ。
(2)-2
だが成功を夢見る者、幸運な者、競争の勝者、傲慢に人を差別しいたぶる者、裕福な者・あるいは人並みに食っていける者、幸福な者にとっては不愉快な映画だ。人生を諦めていない多くの者に、この映画は不人気だ。
(3)
後半で映画は、「人生に意味を与えるものの一つが恋だ」と主張する。これは確かだ。恋は生きる意味になりうる。恋の楽しみは生きる意味だ。「恋は動物的で、人間の理性を否定する」という見解は嘘だ。「命短し恋せよ乙女」が本当だ。
(3)-2
補足:恋は、性欲の処理と異なる。もちろん両者は重なり、また区別が難しい面もある。しかし恋のない、性欲の処理があり、これが広汎に性産業を発展させる。他方で、恋と性欲の合体は、性愛として恋を燃え上がらせる。
(4)
確かに、人生は苦難の連続だ。死にたくもなる。だが幸福を探そう。楽しみを探そう。「いばらの人生」の中に、楽しみがあってもいい。
(5)
人生は戦いだ。君は修羅になる。何よりも君は、成功を夢見る者であり、幸運な者、競争の勝者、裕福な者あるいは人並みに食っていける者、幸福な者をめざす。(この場合、君は傲慢に人を差別しいたぶる者にもなりうる。)(既述(2)-2参照)
(5)-2
一面では、君は「望んで戦い、修羅になる」のでないとも言える。非成功者、不運な者、競争に負けた者、軽蔑されいたぶられる者、食っていけない者、不幸な者にならないため、君は戦う。
(5)-3
人間、いずれどうせ死ぬのだから、君は自殺しない。戦って死ぬ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」!君が血路を開く。生きよ!戦え!楽しめ!負けたら、君は殺される。それも運命だ。君は戦って殺される。
(4)-4
だが、むざむざ殺されるわけにいかない。君は狡猾になり、策略を駆使し、生き残る。戦いには勝たねばならない。
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清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?)「頼もしげなきもの」(159段):頼りにならないものは、①浮気者で薄情な婿(夫)、②嘘つき、③強風下の帆船、④寝込んだ高齢者!

2019-05-29 13:30:49 | 日記
 「頼もしげなきもの」 Things you can not rely on (「頼りにならないもの」)

心短く、人忘れがちなる婿の、常に夜離れ(ヨガレ)する。 A son-in-law, whoes love is temporal and never steadily continues, rarely comes to his wife at night (愛情が一時的で、長続きしない婿が、めったに夜、妻を訪れない。)
そら言する人の、さすがに、人のこと、なし顔にて、大事うけたる。 A man who often tells a lie, nevertheless, promises to do an other man’s important thing as if he would do it absolutely. (よく嘘をつく者が、にもかかわらず、人のために大切なことを、確実に実行するかのように、約束する。)
風早きに、帆かけたる舟。 When the wind blows hard, a ship goes with its sails raised. (風が強く吹いている時、船が帆を上げ進む。)
七、八十ばかりなる人の、ここちあしうて日ごろになりたる。 A person aged about 70 or 80 becomes ill and lies in bed already for some days. (70歳から80歳位の人が、病気になって寝込み、すでに何日にもなる。)

《感想1》頼りにならないもの。①浮気者で妻に薄情な男。彼は滅多に夜、妻を訪れることもない。ひどい話だ。
《感想2》②嘘つきは、1000年前にも、居たのだ。「なし顔にて、大事受けたる」(大切なことを、確実に実行するかのように、約束する)とは、とんでもない奴だ。
《感想3》③風が強すぎると帆が、好ましい翼型を維持できず、帆船は不安定になる。清少納言は、時々、そういう様子を見たのだ。
《感想4》④当時、70歳から80歳位の者と言えば、相当の高齢である。彼らが病気になって寝込み、すでに何日にもなれば、心配だ。
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