Cf. 浮世博史『もう一つ上の日本史『日本国紀』読書ノート』古代~近世篇2020、近代~現代篇2020。
Cf. 百田尚樹『日本国紀』2018。
(1)主義主張が先にあり、歴史『で』語る!(Cf. 歴史『を』語る!)
歴史にまつわる俗説や誤認はネットが普及した2000年以降、顕著だ。自分の主義主張が先にあり、それに合わせて歴史『で』語る。歴史『を』語るのでない。
《感想1》「百田尚樹氏は、自分の主義主張が先にあり、それに合わせて歴史『で』語る」と、浮世(ウキヨ)氏は言う。浮世氏は「歴史『を』語る」立場から、『日本国紀』の歴史の説明について、検討する。
《感想2》これは、確かに必要な作業だ。評者としては、ともかく「事実」が知りたい。「何が事実か」は漸近線的にしか明らかにならないだろうが、多くの者が多くの資料で検討すれば、相当程度、「事実」に接近できるはずだ。
(2)日露戦争は一面で「アジアを失望させた」!
日露戦争の日本の勝利は、一方で「アジアに勇気や自信を与えた」が、他方で「日本の帝国主義と植民地支配のきっかけになった」つまり「アジアを失望させた」(孫文、ネルー、ビルマの独立運動家バー・モウ)。
《感想1》日露戦争の日本の勝利は、一方で「アジアに勇気や自信を与えた」のは確かだろう。日本人にとってもそうだったはずだ。その後、「無敗の皇軍神話」が形成されていく。かくて日本が愚かな道を歩むきっかけになった。日本は「天狗」になった。
《感想2》こうして、欧米崇拝のもと、日本人は名誉白人だと思い、アジア蔑視した。日露戦争が「日本の帝国主義と植民地支配のきっかけになった」つまり「アジアを失望させた」のも、当然の成り行きだor事実だ。
《感想3》中国の列強による植民地支配は、日本の日清戦争(1994-95)勝利後、本格的に始まった。それから100年超が経ち、2010年GDP世界第2位となった中国が再び世界の「大国」としてふるまい始めた。(Cf. 中国はおそらく100年間の屈辱を晴らしている。)
(3)織田信長は「金持ちのボン」!
織田信長は一方で「時代を切り開いた寵児」だが、他方で父・信秀が海運業などで築いた経済力を引き継いだ「金持ちのボン」でもある。信長は現在、1960~70年代の時ほど評価されていない。
(3)-2 歴史は複数の力の合力だ!
どんなに偉大な人物でも、一人の力で歴史を動かすことはできない。信長の時代、武士は7%に過ぎない。あとは大部分、農民だ。歴史は複数の力の合力によって動く。
《感想》「一人の力で歴史を動かすことはできない」としても、多くの歴史諸力の「主要な」一つになる限りで、その「一人」(Ex. 信長)は偉大だ。
(4)近代の始まりは明治維新でなく、ペリー来航!幕府が近代化を開始した!
幕末の志士が「先見性ある英雄」で、幕府は「保守的で頑迷」と簡単に言えない。「幕府が近代化を進め、明治政府はその上に乗っかった」側面がある。ペリー来航の情報を幕府は事前に入手し、米国と粘り強く交渉した。近代の始まりは、明治維新でなく、ペリー来航だ。
《感想》日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した連合艦隊司令長官東郷平八郎は1912年、自宅に小栗上野介の子孫・小栗又一を招待し感謝の意を述べた。「日本海海戦でロシア艦隊を破ることができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです。」小栗上野介は、幕府旗本で、勘定奉行や外国奉行などを歴任した。
(5)寺院焼き討ちは普通の事! 信長は「常識外」でない!
司馬遼太郎『国盗り物語』によって広まった、信長の比叡山焼き討ちが「常識外の人物」によるものだとのイメージは誤りである。武士たちは鎌倉時代以降、躊躇なく寺院焼き討ちをしていた。(Cf. なお『坂の上の雲』の秋山好古、真之兄弟は過大評価の面がある。)
《感想》寺院は聖界諸侯であり、大名である俗界諸侯と、政治的軍事的に基本的区別はない。俗界諸侯の信長が、聖界諸侯の比叡山を攻撃するのは、当然の事だ。もちろん比叡山は、仏をもちだし宗教的に信長を非難するだろう。だからと言って信長が「常識外の人物」になるわけでない。
(6)中高生:ネット慣れしており「ネットには嘘がある」と受け流す姿勢あり!
中高生は大人よりネット慣れしているので「ネットには嘘がある」と受け流す姿勢があり、歴史のフィクションやフェイクに対し免疫がある。また大学の研究者がつくる入試で、フィクションやフェイクの答えは書けない。(減点される。)
《感想》中高生の多くは、ネット慣れしているだろうが、そもそも歴史に興味もあまりないだろう。(例外はある!)また受験科目で日本史を取る者も一部だ。
(7)中高年:歴史のフェイクを信じやすい!
中高年の方が歴史のフェイクを信じやすい。その2つのタイプ。①教科書の事実をよく知っているが、最新の史実や解釈が修正されたことを知らない。かくて新説と思いフェイクを信じる。②教科書の事実を批判する人がいる。「実はそうじゃないんでしょ?最近読んだ本(Ex. 『日本国紀』)やネットに書いてあった。」
(7)-2 戦前戦中への反省から80年代頃まで、日本の植民地支配が強調して教えられていた!
今の中高年(Ex. 50-60歳、2020年)が中高生(Ex. 高1年16歳、1976-86年)だった80年代頃までは、戦前戦中への反省から、日本の植民地支配の話が強調して教えられていた。中高年世代にはその反動がある。
《感想1》1980年代の政府の立場は次の通りだ。1982年 宮澤喜一内閣官房長官の発言:「 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミュニケの中において『過去の関係は遺憾であって深く反省している』との認識を、中国については日中共同声明において『過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する』との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。」
《感想2》1984年昭和天皇は次のように発言している。「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。」(韓国の全斗煥大統領が国賓として訪日した際の宮中晩餐会にて。)
(8)蒙古襲来:元・日本・高麗・南宋・ベトナム(陳朝)!
蒙古襲来(1274, 1283)の説明:①《戦前》神社が祈祷し「神風」で元を撃退。神国思想を強める意図。②《戦後》武士が頑張ったから勝てた。(以上、1980年代頃まで。)③《近年》(ア)高麗の三別抄の乱(1270-73)で元の日本遠征が遅れた。日本は戦闘準備できた。(Ex. 20kmの元寇防塁)(イ)元は文永の役のあと南宋を滅ぼす(1279年)が厭戦気分が広がっていた。(ウ)元はベトナム(陳朝)の反乱鎮圧で3回目の日本攻撃を中止した。(1288年、白藤江の戦い で元軍敗北。)
《感想》蒙古襲来の鎌倉幕府勝利の原因は多様だ。①暴風雨(偶然であって「神風」ではない)、②武士の奮戦。③高麗の三別抄の乱、③-2南宋戦の後の厭戦気分、③-3ベトナム(陳朝)の反乱。「武士の奮戦」を除けば、他に4つの偶然の原因が、日本を元の侵略から守った。さらに④地政学的に、そもそも日本が島国であり海という天然の防御線があること、また④-2モンゴルが陸戦中心であったことも、日本勝利の要因だ。
(9)「日本はすごい」!
「日本はすごい」という歴史観、歴史修正主義は相当程度、支持され人々の心に入りこめている。
《感想1》①「日本はすごい」と日本に生まれた者なら、普通、思いたくなる。(Cf. お国自慢!)人情だ。
《感想2》②日本は「過去」について十分、謝罪している。(1980年代については先述。)近年では例えば次の通り。(ア)2007年安倍首相:「自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えている。」(イ) 2005年 小泉純一郎首相:「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。」
《感想3》③日中韓は「未来志向」で、つき合うべきだ。実際、今生きてる大部分の人は、過去の戦争の時代に指導者・兵士として参加していない。その意味で「過去」に対して直接の責任はない。自分がやったから「悪い」と直接、謝る理由はないし、「悪い」といつまでも言われても困る。
《感想3-2》中韓の人々についても同様のことが言える。今、生きている大部分の人は、過去の戦争の時代に指導者・兵士として参加していない。だから直接、ひどい目にあったわけでない。日中、日韓、互いに人間同士として「未来志向」で、つきあっていけるとよいと思う。
《感想3-3》日本は「過去」について上述のように十分、謝罪している。この気持ちを多くの日本の者たちも共有しているはずだ。
(9)-2 リベラルとされる人たちの「上から目線」!
リベラルとされる人たちは、「上から目線」で歴史を語ることがある。「歴史のこんなことも知らないのか?」という態度だ。
《感想1》例えば「学徒出陣」がなぜ「特別に」問題になるのか?あの時代、大学生以外は、すでに兵士として「出陣」して戦っていたのだ。当時の大学生は「特権階級」だ。彼らが平等に兵士になるのは、「特別に」問題になることでない。当時としては「当たり前」のことだ。(Cf. リベラルとされる人たちのリーダーは「特権階級」(大学卒)が多かったのだ!)
《感想2》だが問題なのは、そもそも「愚かな」戦争を開始したことだ。戦争指導の責任こそ「特別に」問題にすべきだ。多くの誠実な「兵士」が「愚かな」戦争指導で死んだ。(Ex. 兵士の多くが「餓死」している。)
《感想3》「敗戦で自決した阿南惟幾(アナミコレチカ)は立派だ。」「お公家さんの近衛さんが自決した」のに、「陸軍軍人のくせに東条は自決しなかった。」死んだ多くの兵士に対し無礼だ。軍人として恥ずかしい。
《感想3-2》ただし評者は、阿南惟幾(アナミコレチカ)の「徹底抗戦」論は誤った戦争指導方針だと思う。1945年、御前会議の時点で「無条件降伏」しかなかったはずだ。だが玉音放送を待たず,「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」との遺書を残し陸相官邸で自決した阿南惟幾は、戦争指導の失敗の責任を取った点で、軍人として立派だった。
《感想4》戦後生き残った戦争指導者たちは、特に軍人なら敗戦の責任を取って自決するのが筋だ。あるいは出家すべきだった。それが軍需物資を横流しして焼け太りし、平気で生き残る図々しさが許せない。死んだ兵士たちに対し責任を取れ。また空襲や原爆で悲惨な最期を遂げた者たちに対しても、責任を取れ。(Cf. 勝者による裁判があろうとなかろうと、そんなことは関係ない)。
(10)多方面の言説!
多くの人は一方の言説に凝り固まっていない。多方面の言説に接する必要がある。
《感想》自由な言論が保障されねばならない。
Cf. 百田尚樹『日本国紀』2018。
(1)主義主張が先にあり、歴史『で』語る!(Cf. 歴史『を』語る!)
歴史にまつわる俗説や誤認はネットが普及した2000年以降、顕著だ。自分の主義主張が先にあり、それに合わせて歴史『で』語る。歴史『を』語るのでない。
《感想1》「百田尚樹氏は、自分の主義主張が先にあり、それに合わせて歴史『で』語る」と、浮世(ウキヨ)氏は言う。浮世氏は「歴史『を』語る」立場から、『日本国紀』の歴史の説明について、検討する。
《感想2》これは、確かに必要な作業だ。評者としては、ともかく「事実」が知りたい。「何が事実か」は漸近線的にしか明らかにならないだろうが、多くの者が多くの資料で検討すれば、相当程度、「事実」に接近できるはずだ。
(2)日露戦争は一面で「アジアを失望させた」!
日露戦争の日本の勝利は、一方で「アジアに勇気や自信を与えた」が、他方で「日本の帝国主義と植民地支配のきっかけになった」つまり「アジアを失望させた」(孫文、ネルー、ビルマの独立運動家バー・モウ)。
《感想1》日露戦争の日本の勝利は、一方で「アジアに勇気や自信を与えた」のは確かだろう。日本人にとってもそうだったはずだ。その後、「無敗の皇軍神話」が形成されていく。かくて日本が愚かな道を歩むきっかけになった。日本は「天狗」になった。
《感想2》こうして、欧米崇拝のもと、日本人は名誉白人だと思い、アジア蔑視した。日露戦争が「日本の帝国主義と植民地支配のきっかけになった」つまり「アジアを失望させた」のも、当然の成り行きだor事実だ。
《感想3》中国の列強による植民地支配は、日本の日清戦争(1994-95)勝利後、本格的に始まった。それから100年超が経ち、2010年GDP世界第2位となった中国が再び世界の「大国」としてふるまい始めた。(Cf. 中国はおそらく100年間の屈辱を晴らしている。)
(3)織田信長は「金持ちのボン」!
織田信長は一方で「時代を切り開いた寵児」だが、他方で父・信秀が海運業などで築いた経済力を引き継いだ「金持ちのボン」でもある。信長は現在、1960~70年代の時ほど評価されていない。
(3)-2 歴史は複数の力の合力だ!
どんなに偉大な人物でも、一人の力で歴史を動かすことはできない。信長の時代、武士は7%に過ぎない。あとは大部分、農民だ。歴史は複数の力の合力によって動く。
《感想》「一人の力で歴史を動かすことはできない」としても、多くの歴史諸力の「主要な」一つになる限りで、その「一人」(Ex. 信長)は偉大だ。
(4)近代の始まりは明治維新でなく、ペリー来航!幕府が近代化を開始した!
幕末の志士が「先見性ある英雄」で、幕府は「保守的で頑迷」と簡単に言えない。「幕府が近代化を進め、明治政府はその上に乗っかった」側面がある。ペリー来航の情報を幕府は事前に入手し、米国と粘り強く交渉した。近代の始まりは、明治維新でなく、ペリー来航だ。
《感想》日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した連合艦隊司令長官東郷平八郎は1912年、自宅に小栗上野介の子孫・小栗又一を招待し感謝の意を述べた。「日本海海戦でロシア艦隊を破ることができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです。」小栗上野介は、幕府旗本で、勘定奉行や外国奉行などを歴任した。
(5)寺院焼き討ちは普通の事! 信長は「常識外」でない!
司馬遼太郎『国盗り物語』によって広まった、信長の比叡山焼き討ちが「常識外の人物」によるものだとのイメージは誤りである。武士たちは鎌倉時代以降、躊躇なく寺院焼き討ちをしていた。(Cf. なお『坂の上の雲』の秋山好古、真之兄弟は過大評価の面がある。)
《感想》寺院は聖界諸侯であり、大名である俗界諸侯と、政治的軍事的に基本的区別はない。俗界諸侯の信長が、聖界諸侯の比叡山を攻撃するのは、当然の事だ。もちろん比叡山は、仏をもちだし宗教的に信長を非難するだろう。だからと言って信長が「常識外の人物」になるわけでない。
(6)中高生:ネット慣れしており「ネットには嘘がある」と受け流す姿勢あり!
中高生は大人よりネット慣れしているので「ネットには嘘がある」と受け流す姿勢があり、歴史のフィクションやフェイクに対し免疫がある。また大学の研究者がつくる入試で、フィクションやフェイクの答えは書けない。(減点される。)
《感想》中高生の多くは、ネット慣れしているだろうが、そもそも歴史に興味もあまりないだろう。(例外はある!)また受験科目で日本史を取る者も一部だ。
(7)中高年:歴史のフェイクを信じやすい!
中高年の方が歴史のフェイクを信じやすい。その2つのタイプ。①教科書の事実をよく知っているが、最新の史実や解釈が修正されたことを知らない。かくて新説と思いフェイクを信じる。②教科書の事実を批判する人がいる。「実はそうじゃないんでしょ?最近読んだ本(Ex. 『日本国紀』)やネットに書いてあった。」
(7)-2 戦前戦中への反省から80年代頃まで、日本の植民地支配が強調して教えられていた!
今の中高年(Ex. 50-60歳、2020年)が中高生(Ex. 高1年16歳、1976-86年)だった80年代頃までは、戦前戦中への反省から、日本の植民地支配の話が強調して教えられていた。中高年世代にはその反動がある。
《感想1》1980年代の政府の立場は次の通りだ。1982年 宮澤喜一内閣官房長官の発言:「 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミュニケの中において『過去の関係は遺憾であって深く反省している』との認識を、中国については日中共同声明において『過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する』との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。」
《感想2》1984年昭和天皇は次のように発言している。「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。」(韓国の全斗煥大統領が国賓として訪日した際の宮中晩餐会にて。)
(8)蒙古襲来:元・日本・高麗・南宋・ベトナム(陳朝)!
蒙古襲来(1274, 1283)の説明:①《戦前》神社が祈祷し「神風」で元を撃退。神国思想を強める意図。②《戦後》武士が頑張ったから勝てた。(以上、1980年代頃まで。)③《近年》(ア)高麗の三別抄の乱(1270-73)で元の日本遠征が遅れた。日本は戦闘準備できた。(Ex. 20kmの元寇防塁)(イ)元は文永の役のあと南宋を滅ぼす(1279年)が厭戦気分が広がっていた。(ウ)元はベトナム(陳朝)の反乱鎮圧で3回目の日本攻撃を中止した。(1288年、白藤江の戦い で元軍敗北。)
《感想》蒙古襲来の鎌倉幕府勝利の原因は多様だ。①暴風雨(偶然であって「神風」ではない)、②武士の奮戦。③高麗の三別抄の乱、③-2南宋戦の後の厭戦気分、③-3ベトナム(陳朝)の反乱。「武士の奮戦」を除けば、他に4つの偶然の原因が、日本を元の侵略から守った。さらに④地政学的に、そもそも日本が島国であり海という天然の防御線があること、また④-2モンゴルが陸戦中心であったことも、日本勝利の要因だ。
(9)「日本はすごい」!
「日本はすごい」という歴史観、歴史修正主義は相当程度、支持され人々の心に入りこめている。
《感想1》①「日本はすごい」と日本に生まれた者なら、普通、思いたくなる。(Cf. お国自慢!)人情だ。
《感想2》②日本は「過去」について十分、謝罪している。(1980年代については先述。)近年では例えば次の通り。(ア)2007年安倍首相:「自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えている。」(イ) 2005年 小泉純一郎首相:「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。」
《感想3》③日中韓は「未来志向」で、つき合うべきだ。実際、今生きてる大部分の人は、過去の戦争の時代に指導者・兵士として参加していない。その意味で「過去」に対して直接の責任はない。自分がやったから「悪い」と直接、謝る理由はないし、「悪い」といつまでも言われても困る。
《感想3-2》中韓の人々についても同様のことが言える。今、生きている大部分の人は、過去の戦争の時代に指導者・兵士として参加していない。だから直接、ひどい目にあったわけでない。日中、日韓、互いに人間同士として「未来志向」で、つきあっていけるとよいと思う。
《感想3-3》日本は「過去」について上述のように十分、謝罪している。この気持ちを多くの日本の者たちも共有しているはずだ。
(9)-2 リベラルとされる人たちの「上から目線」!
リベラルとされる人たちは、「上から目線」で歴史を語ることがある。「歴史のこんなことも知らないのか?」という態度だ。
《感想1》例えば「学徒出陣」がなぜ「特別に」問題になるのか?あの時代、大学生以外は、すでに兵士として「出陣」して戦っていたのだ。当時の大学生は「特権階級」だ。彼らが平等に兵士になるのは、「特別に」問題になることでない。当時としては「当たり前」のことだ。(Cf. リベラルとされる人たちのリーダーは「特権階級」(大学卒)が多かったのだ!)
《感想2》だが問題なのは、そもそも「愚かな」戦争を開始したことだ。戦争指導の責任こそ「特別に」問題にすべきだ。多くの誠実な「兵士」が「愚かな」戦争指導で死んだ。(Ex. 兵士の多くが「餓死」している。)
《感想3》「敗戦で自決した阿南惟幾(アナミコレチカ)は立派だ。」「お公家さんの近衛さんが自決した」のに、「陸軍軍人のくせに東条は自決しなかった。」死んだ多くの兵士に対し無礼だ。軍人として恥ずかしい。
《感想3-2》ただし評者は、阿南惟幾(アナミコレチカ)の「徹底抗戦」論は誤った戦争指導方針だと思う。1945年、御前会議の時点で「無条件降伏」しかなかったはずだ。だが玉音放送を待たず,「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」との遺書を残し陸相官邸で自決した阿南惟幾は、戦争指導の失敗の責任を取った点で、軍人として立派だった。
《感想4》戦後生き残った戦争指導者たちは、特に軍人なら敗戦の責任を取って自決するのが筋だ。あるいは出家すべきだった。それが軍需物資を横流しして焼け太りし、平気で生き残る図々しさが許せない。死んだ兵士たちに対し責任を取れ。また空襲や原爆で悲惨な最期を遂げた者たちに対しても、責任を取れ。(Cf. 勝者による裁判があろうとなかろうと、そんなことは関係ない)。
(10)多方面の言説!
多くの人は一方の言説に凝り固まっていない。多方面の言説に接する必要がある。
《感想》自由な言論が保障されねばならない。