DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

現存在が、良心において、おのれ自身を呼んでいる」!「良心は、関心の呼び声である」!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第2章」「第57節」)

2019-12-31 19:16:19 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性」「第57節 関心の呼び声としての良心(Das Gewissen als Ruf der Sorge)」

(8)「現存在が、良心において、おのれ自身を呼んでいる」!「良心は、関心の呼び声である」!
M 「良心は現存在の自己を、世間(das Man、世人)のなかへの紛れから呼び起こす。」(274頁)
M-2 この「呼ぶ者」は「ただならぬ無規定性につつまれている。」(274頁)
M-3「現存在が、良心において、おのれ自身を呼んでいる。」(Das Dasein ruft im Gewissen sich selbst.)(275頁)
M-4「良心の呼び声は、私の内から、しかも私を越えて聞こえてくる。」(275頁)
M-5 「呼ぶ者は、おのれの不気味さのなかに立つ現存在であり、異郷にあることとしての根源的な被投的な世界内存在であり、世界の無にさらされた露骨な《事実》である。」(276-7頁)
Cf.「平均的な既成的解意(※世間話)の当然さや安心感の中には、・・・・根源喪失へ押し流されていくのに、・・・・現存在自身にはこの不動の不気味さが気づかれずに蔽われている、ということが含まれている」。(170頁)
M-6 「現存在は呼ぶ者であるとともに呼びかけられる者でもある」とは、すなわち「良心は、関心の呼び声である」ということだ。(277頁)
M-7 「呼び声はいつも私自身である存在者から来る。」(278頁)

《感想8》ハイデガーは次のように言っている。「世界内存在は本質的に関心(気遣い)(Sorge)である」。ゆえに「用具的なものにたずさわる存在は配慮(Besorgen)として、そして内世界的に出会うほかの人びとの共同現存在との共同存在を待遇(Fursorge)としてとらえることができた。」(193頁)
《感想8-2》「実在性は、存在論的名称としては、内世界的存在者(世界内部的存在者)に関わるものである。・・・・用具性と客体性が実在性の様態」である。「実在性」は「伝統的な意義」では「事物の客体性」という意味での「存在」を指す。(211頁)
《感想8-3》だが現存在が存在しているかぎりでのみ、存在が《与えられている》!実在性は「関心」に依存している!「実在性(Ralität)は・・・・関心(Sorge)の現象へさしもどされるべきものである。」そもそも「現存在が、すなわち存在了解の存在的可能性が、存在しているかぎりでのみ、存在が《与えられている(es gibt)》のである。」「現存在が実存していないならば、存在者が存在するとも、存在者が存在しないとも言うことができない。」「存在は存在了解に依存している」。すなわち「実在性は関心に依存している」。(211-2頁)
《感想8-4》「現存在の存在は関心である。」(232頁)
《感想8-5》「現存在の根本的構成は関心(気遣い、die Sorge)である。」(249頁)
《感想8-6》ハイデガーは次のように言う。「関心(気遣い)」は「①《(世界の内部で)出会う存在者のもとにある存在として、②(世界の)内にすでに、③おのれに先立って(※投企的or可能的に)存在すること》」と定義される。「③《おのれに先立って》のなかには実存が、②《内にすでに存在する》のなかには事実性が、そして①《・・・・・・のもとに存在する》のなかには頽落が、それぞれ表現されている。」(249-250頁)
《感想8-7》ハイデガーが言う「関心」(気遣い、die Sorge)とは、普通に言えば「存在」である。ハイデガーは「存在」を客体的「存在」に限定する。そして、現存在(モナド)の存在は、《気分に彩られた存在》つまり「関心」だと、ハイデガーは言う。「関心の呼び声としての良心」は「《気分に彩られた存在》(関心)の呼び声としての良心」と言い換えることができる。
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映画『 僕のヒーローアカデミア2』:主人公が試練を乗り越え成長する純情な映画!

2019-12-31 12:17:26 | 日記
※正式な題『 僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング』(2019年)

◎雄英高校ヒーロー科1年A組の生徒たちは、校外ヒーロー活動のため離島・那歩島(ナブジマ)を訪れる。平和な島で、出久(デク)たちは駐在ヒーローとして島の人々の生活を助け、忙しく、それでいてのんびりとした時間を過ごしていた。
◎そこに突如、敵のヴィランたちが那歩島(ナブジマ)に襲来、次々と島の施設を破壊していく。ヴィランを指揮するのは「ナイン」。出久や爆豪(バクゴウ)ら1年A組のメンバーは力を合わせヴィランに立ち向かう。
◎敵を率いるナインの「個性」(いわば超能力)は想像を遥かに超える。ナインは「細胞活性化」の「個性」を、(その「個性」を持つ)幼い子供から奪おうとしていた。なおナインの仲間のスライスは長い髪の毛を刃物のように操り、切りつける。また狼男が強力だ。
◎1年A組の生徒、緑谷出久(ミドリヤイズク)(緑髪の青年、デク)と爆豪勝己(バクゴウ カツキ)(金髪の青年)が守る幼い姉弟の物語が中心だ。弟が持つ細胞活性化の「個性」を、ナインが狙う。

《感想1》「ヒーローアカデミア」について全く知らなかった初心者が映画を見た。(また今回、少し調べた。)最初の感想は「純情な映画だ」ということ。「個性」(特殊能力)がバラバラでも仲間として協力し助け合う。また主人公が試練を乗り越え成長していく。
《感想2》
ナインは9つの「個性」(いわば超能力)を奪いとり保有する。唯一の弱点は「個性」を使用すると身体(細胞)が壊れていくこと。そこで細胞活性化の「個性」を奪う必要がある。
《感想2-2》
「細胞活性化」とは何か考えてみる。(a)死んだ細胞を活性化させるとすれば、それは死からの蘇りだ。(b)生きている細胞を長く生きさせる意味での細胞活性化もありうる。(c)死んだ細胞と類似の細胞を複製する細胞活性化もある。(d)すでに失われた細胞を復活させるとすれば、残った細胞からDNAのもつ身体全体設計図を読み解き複製する。

《参考》
◎オールマイト:日本のNo.1ヒーロー。主人公緑谷出久(ミドリヤイズク)の師匠であり、彼の通うヒーロー養成校雄英高校の教師を務める。 存在そのものが敵(ヴィラン)犯罪の抑止力。「無個性」の少年・緑谷出久と出会い、彼が見せた勇気にヒーローとしての資質を見出し、自分の後継者とすべく鍛え上げていく。
◎出久(デク)ら雄英高校ヒーロー科1年A組の生徒たちは、No.1ヒーロー「オールマイト」の跡を継ぐ「次世代のヒーロー育成プロジェクト」の下に学習にはげむ。
◎緑谷出久(ミドリヤイズク):困っている人は誰であっても放っておけない。心優しく正義感溢れる。愛称「デク」。
◎爆豪勝己(バクゴウ カツキ):口癖は「半端な結果はいらねえ!」「どんだけピンチでも最後は絶対勝つんだよなあ!」
◎麗日お茶子(ウララカ オチャコ) :出久とクラス内で行動を共にすることが多く、「デクくん」と呼んでいる。彼女はこの呼び方を「『頑張れ!』って感じで好きだ」と好意的に受けとめる。
◎飯田天哉(イイダテンヤ):ふくらはぎにエンジンのような機関がついており、俊足を誇る。(韋駄天!)「皆さん…大丈ー夫!」「俺は学級委員長だ!クラスメートを心配するんだ!」
◎轟焦凍(トドロキショウト):普段は不愛想、目上の人間にも不躾だが、「人を助けたい」という想いは強く、周囲に対しても気遣う姿勢を時に見せる。
◎「個性」の発現によって、特殊能力が発揮されるが、しばしば見た目も異形化する。首を伸ばす個性、翼が生える個性、体が牛になる個性など。


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「良心」によって、「世間的-自己のうちの自己だけが呼びとめられ・・・・世間(世人)の方は支えをなくして崩れ落ちる」!  ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第2章」「第56節」

2019-12-29 18:52:35 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性」「第56節 良心の呼び声としての性格」

(7)「良心」によって、「世間的-自己(das Man-selbst)のうちの自己(das Selbst)だけが呼びとめられ・・・・世間(das Man、世人)の方は支えをなくして崩れ落ちる」!
L 「良心の呼び声において・・・・呼びかけられるものは・・・・現存在自身である。」(272頁)
L-2 「日常的=平均的な配慮(Besorgen)のなかでいつもすでにおのれを了解しているというありさまにおける現存在が、すなわち良心の呼び声にうたれる者である。」(272頁)
L-3 「ほかの人びととともに配慮的に共同存在している世間的-自己(das Man-selbst)が、良心の声に呼びとめられる。」(272頁)
L-4  その場合、「各自の自己(das eigene Selbst)へむかって」呼びかけられる。「現存在が公開的な相互存在のなかでもっている勢力や能力や職務へむかってではない。」(273頁)
L-5 「世間的-自己(das Man-selbst)のうちの自己(das Selbst)だけが呼びとめられ・・・・世間(das Man、世人)の方は支えをなくして崩れ落ちる。」(273頁)

《感想7》ハイデガーは「現存在」の《本来的自己》を「私自身(ich selbst)」(という役割)のみと考える。しかし私見では、そうでなく「現存在」の《本来的自己》は、「世間的-自己(Man-selbst)」と「私自身(ich selbst)」の全役割の束だ。(この場合、「私自身(ich selbst)」とは全役割間の調停者役割のことだ。)
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ユニティ・ダウ(1959-)『隠された悲鳴』(2002):「儀礼殺人」とは呪術薬ディフェコの材料を得るため、生きたまま子供の腋の下、左右の乳、肛門、恥部を切り取り殺す儀式だ!

2019-12-27 22:14:10 | 日記
※The Screaming of the Innocent, Unity Dow, 2002

舞台はボツワナの最僻地オカバンゴ・デルタにあるハファーラ村、1999年。
(1)ハファーラ村の実業家ディサンカ氏:ボツワナ!
ディサンカ氏は村の名士で実業家だ、正妻ロシナと4人の子供、他に何人かの愛人と子供たちがいる。
(2)村長ボカエ氏
村長ボカエ氏は、代々「首長」の血筋で多くの村々を支配するはずだったが、部族が「正妻の息子である」と認めず、準首長(村長)となった。彼は、「首長になること」を呪術で実現しようとする。
(3)副校長セバーキ氏
セバーキ副校長は校長を追い落としたい。彼は、呪術医の調合薬を校長の椅子に塗る。数か月後、校長は交通事故で死に、副校長セバーキ氏が校長となる。
(4)村の3本柱:ディサンカ氏、ボカエ氏、セバーキ氏
今から5年前、ディサンカ氏がボスで、「毛のない子羊を狩る」計画をたて、ボカエ氏とセバーキ氏を誘う。彼らは地域の3本柱だ。
(5)アマントル・ボカア(22歳):TSP(看護師研修者)
ハファーラ村国家奉仕プログラムに参加するTSP(国家奉仕ワーカー)。アマントルの場合は看護師研修。彼女は、学生運動のリーダーとみなされ、最僻地に派遣された。診療所の看護師2人は公務員で、村人たちを馬鹿にし横柄だ。
(6)5年前、行方不明になった子供ネオ・カカンの血の付いた服
5年前(1994年)行方不明になった子供ネオ・カカン。その血の付いた服が入った箱を、アマントルが倉庫を掃除して見つける。それを母親モトラツィ・カカンに連絡する。ネオ・カカンの行方不明事件は、5年前、「儀礼殺人」でなく、「ライオンに襲われた」とされ、捜査終了された。今、村人や母親は「証拠品の服を警察に渡さない」と激高する。
(6)-2「儀礼殺人」
「儀礼殺人」とは呪術薬ディフェコの材料にするため、生きたまま子供の腋の下、左右の乳、肛門、恥部を切り取り殺す儀式だ。数人の大人が子供を押さえつける。有力者(「お偉方」)が出世・権力拡大・事業拡大などのため、呪術薬が必要なので「儀礼殺人」をおかす。
(7)1994年:マウン警察署で証拠品のネオ・カカンの服がなくなる!
5年前(1994年)、「ハファーラ村で、儀礼殺人で子供が殺されたらしい」とのニュースが、ボツワナで報道された。12歳のネオ・カカンが行方不明になった。村人ショショがネオ・カカンの血の付いた服を発見し、警察に届けた。服の確認のため、30キロ先のマウン警察署まで、カカン家の者が行く。ポシロ部長刑事が、服を見せない。証拠品として服を入れた箱がなくなったのだ。
(8)マウン警察の捜査終了:ネオ・カカン(子供)はライオンに殺された!
その2週間後、セナイ部長刑事が、マウン警察署長に命じられ、ハファーラ村のモトラツィ・カカン(母親)の家に来る。「ネオ・カカン(子供)はライオンに殺された。捜査は終了だ。証拠品の服などない。届けたというのは酩酊していたショショの思い違いだ。」
(8)-2 村人の怒り!
村人は怒り、警察・政府の車を3回にわたり襲う。政府は武装した凖憲兵隊を村に送り込む。しかし村人は手を出したら皆殺しになるので、手を出さなかった。やがて村人の怒りは尻すぼみになった。
(8)-3 1999年:再びネオ・カカンの服が見つかった!
だが今、5年後1999年、ネオ・カカンの血の付いた服が入った箱が見つかり、村人の怒りが、再び燃え上がった。
(9)モトラツィ・カカン(35歳)
ネオを産んだ時、モトラツィ・カカンは35歳で教師だった。しかし医者にレイプされカカンを産んだ。夫は別の女のもとへ去った。
(10)アマントルがマウン警察署長と交渉する(1999年)
村人は証拠品のネオ・カカンの服を警察に渡さない。呪術師に渡して殺人者に復讐すると主張。アマントルが村人の側に立ち、マウン警察署長と交渉する。(Cf. アマントルは2年前のナショナル・スタジアムでの学生たちの反軍デモのリーダーだった。)
(11)国家奉仕プログラム事務所のモラポ所長
モラポ所長(女性)は、マウン警察署長がアマントルを他の村のTPSにするよう異動を要請したが、根拠がないと反論する。彼女は、警察に対し対決姿勢を取る。
(12)弁護士ブイツメロ・クカマ(女性)
1997年、軍に対する学生デモで、アマントル・ボカア(高等課程2年)がリーダーの一人だと逮捕される。「不当逮捕だ」とアマントルが警察を告訴した。その時の担当弁護士がブイツメロ・クカマ(女性)だ。
(12)-2 法学部学生ナンシー・マディソン(イギリス人)
ナンシー・マディソン(法学部学生)は、ブイツメロの法律事務所で研修する。ボツワナに来たイギリス人。まだ来て日が浅い。ナンシーは5年前のネオ・カカンの事件が、「呪術薬ディフェコのための儀礼殺人でないか」と報道する新聞記事について調べる。
(13)SSG(準憲兵隊)を派遣するな!
アマントル・ボカアがマウン警察署長バディディに電話して、「SSG(準憲兵隊)を派遣するな」と要請。SSG(準憲兵隊)は暴力的に武力で村を制圧する部隊だ。
(14)アマントルが、弁護士ブイツメロに電話し、相談・依頼!
アマントルが、弁護士ブイツメロに電話し、ハファーラ村民の側の警察への対応について、相談・依頼する。
(15)ハファーラ村の村民の司令塔:アマントル!
アマントルは今やハファーラ村の村民の司令塔だ。マー・ネオ(ネオの母親、モトラツィ)が「真実を明らかにしてほしい」と言う。ラー・ナソ(結核の老人、マー・ネオに優しい)が「看護師に手を出すな」「流血は避けよ」と言う。村民はこの方針でまとまる。
(15)-2 アマントル:マウン警察署長バディディへの要求!
アマントルが、警察署長バディディに電話する。「村で暴動が起きれば、責任を取るのはあなただ」とアマントルが、署長に言う。そして彼女が要求を出す。①政府・警察の車両をハファーラ村に入れるな、②国家安全保障大臣と警視総監に連絡せよ、③ネオ・カカン行方不明事件を「隠蔽した」疑いのある巡査・部長刑事、計4人を呼べ、④血液鑑定をする法医学研究所の責任者に連絡せよ。
(16)検察局検事ナレディ・ビナーン
検事ナレディ・ビナーン(25歳)は、検察局長(副法務長官)パコ氏の助手だった。ナレディは5年前のネオ・カカン事件のファイル(訴訟記録要旨)を読みまとめるよう検察局長パコ氏から命じられる。「カカン事件は儀礼殺人だ」とナレディは思う。他方、昨日、ブイツメロ・クカマからナレディに、5年前の儀礼殺人事件の問い合わせがあった。
(17)ネオ・カカン事件のファイル(訴訟記録要旨)
数日後、弁護士ブイツメロと検事ナレディが会う。ナレディは「正義と真実」を追求したいと言う。「事件のファイルをコピーしておいてほしい」とブイツメロがナレディに頼む。
(18)国家安全保障省でのネオ・カカン事件に関する会議!
出席者:マディング国家安全保障大臣、ロラン次官、セレペ警視総監(2年前機動隊の残虐行為を告訴したアマントルが、今回、村側の代表であることに苛立つ!)、モラポ国家奉仕プログラム事務所長(女性)、パコ検察局長(副法務長官)、ゲイプ厚生大臣(彼は「凖憲兵隊をすぐ送り、村を制圧せよ」と主張)。
(18)-2 政府側、村人との和解方針を決定する!
マディング国家安全保障大臣が「村人と和解し、証拠の服を手に入れる必要がある」と言う。そして「村でコートゥラ(村民と政府の話し合い)を開く」と決定した。
(19)コートゥラでの「村側の対応方針」をアマントルとブイツメロたちが決める!
アマントルとブイツメロたちがハファーラ村の郊外で村民に知られないよう会い、コートゥラでの「村側の対応方針」を決める。(村民の中に儀礼殺人の犯人がいる可能性がある。)ナレデイは、今回、村側に立つので検察局を解雇されるだろうが、「正義と真実」を追求すると決意する。「ネオ・カカンの証拠の服の箱」は、移送途中の交通事故で、まぎれて診療所に運ばれてしまったと推理された。ナンシー(ブイツメロ法律事務所のインターン)が、コートゥラの場面をヴィデオ記録・写真撮影を担当する。「証拠の服は政府側に渡すが、警察に捜査ミスを認めさせよう」そして「マスコミにすべてを報道させよう」と、アマントルとブイツメロが決定する。
(20)優しい老人ラー・ナソ
ネオの母親マー・ネオ(モラツィ・カカン)を、優しい老人ラー・ナソが慰める。
(21)~(22)ディサンカ氏の娘レセホ
ディサンカ氏の娘、レセホ・ディサンカは、「父親が5年前のレオ・カカンの儀礼殺人事件の犯人の一人だ」と事件の日(1994年)に気づいた。レセホは突然、家を離れ寄宿学校へ移った。レセホの母親は「ディサンカ氏が娘が寄宿学校に移ると言い出した原因だろう」と思い夫を責めた。ディサンカ氏の家族は壊れた。
(23)ハファーラ村でのコートゥラ(村民と政府の話し合い)!
1994年ネオ・カカン事件に関し、2000人以上の者がハファーラ村でのコートゥラに集まった。要人席に、政府側高官、マウン警察署長、村長たち、村の有力者たち、が座る。村の3本柱と言われるディサンカ氏、ボカエ氏、セバーキ氏もその内に居た。さらに要求が通りマー・ネオ(ネオ・カカンの母親)、アマントル(村側の実質的司令塔)、ブイツメロ弁護士も要人席に座った。
(23)-2 政府と村側との和解
マディング国家安全保障大臣が「政府と村側との和解」を提案する。①5年前の「ネオ・カカン行方不明事件」は、ライオンに殺されたのでなく、儀礼殺人であると認定する。②警察が捜査を終了したのは、「意図的な隠蔽」でなく、「警察官たちが殺人犯による呪術的報復に恐怖した」ためだ。③証拠品のネオ・カカンの服は政府側が引き取り、科学的鑑定を行い、今後の捜査に全力を尽くす。④当時、事件の捜査に関わった警察官たちは罰する。
(24) 唯一の切り札である証拠の服を政府側に渡す!
村側は結局、和解案を受け入れ、「ネオ・カカンの証拠の血の付いた服」を鑑定のため政府側に渡した。ハファーラ村でのコートゥラの様子はメディアが報道した。アマントルは、唯一の切り札である証拠の服を渡したので喪失感が大きい。ブイツメロ弁護士は暴力を回避し、マディング国家安全保障大臣がほとんど要求を飲んだと、喜んだ。
(24)-2 「毛のない子羊」を狩る!
「話さなきゃならんことがある」とラー・ナソ老人がアマントルに言った。「5年前のある日、男が来て『ヤギを5匹やる』と言った。男は、『初潮を迎えていない少女』『毛のない子羊』『まだ男を知らない少女』がいいと言った。男は娘のナソを見た。」「彼のような男にノーと言えない。私は貧しい。」「私は怖かったのでとっさにネオのことを言った。」「数日後、今度は3人で来た。」「車内に手足を縛られたネオがいた。」「私は泣いた。」「『一緒に来い。来ないならワニに食わせるぞ。』と脅された。」
(24)-3 儀礼殺人
ラー・ナソ老人が続けた。「(※儀礼殺人の)現場に着くと4人は全員裸になった。ディフェコの力を解き放つためだ。ネオを、私を含む3人で押さえつけた。生きたままネオの腋の下、左右の乳、肛門、恥部を切り取った。彼らはほくそ笑み、血をなめ、ネオの服でその血を拭いた。」「ネオの死体はワニにくれてやると川に投げ込んだ。」
(24)-4 4人目の男!
「その時、別の車が来て、4人目の男が降りた。その男が切り取ったネオの体の部分を受け取った。」「私はネオの服をポケットに詰め込み、ブッシュの中に服を捨てた。」「彼らは『もししゃべったら殺す』と私を脅した。」
(24)-5 少女ネオの悲鳴!
「それ以後、少女ネオの悲鳴がいつも聞こえる。私は地獄に落ちる。」とラー・ナソ老人が言った。
(24)-6 マディング国家安全保障大臣!
ラー・ナソ老人が4人の男の名前を言った。「実業家ディサンカ、村長ボカエ(首長になる野心あり)、セバーキ校長(当時は副校長だったが、呪術薬のおかげで校長が交通事故で死んだ)。」「そしてもう一人が4人目の男、肉片をとりに来た男だ。その男を今日見た。マディング国家安全保障大臣だ。」(マディングは、一度失脚した後、大臣に復活した。)
(24)-7ネオの服
「ネオの服には4人の血がついている。自分たちの血をネオの服で拭いたから」とラー・ナソ老人が言った。
(24)-8 ラー・ナソ老人の死!
その翌日、ラー・ナソ老人は首を吊った。彼は絶えず聞こえる少女の悲鳴に耐えられなかったのだ。
(25)アマントル:証拠は、敵の手にわたってしまった!
「だが証拠は、敵の手にわたってしまった」とアマントルが思った。Cf. 有力者(「お偉方」)が出世・権力拡大・事業拡大などのため呪術薬を必要とする。かくて「儀礼殺人」をおかす。

《参考1》著者ユニティ・ダウ氏(1959-)は2002年当時、ボツワナの外務国際協力大臣。また同国女性初の最高裁判事も務めた。
《参考2》ユニティ・ダウ氏が述べる。(a)「アフリカでもアジアでも、どんな地域の人でも求めるものは、同じだと感じる。尊厳ある生活、暖かい夜、十分な栄養、まともな仕事、そして自由に考え、自分が共にいたいと決めた人々と過ごすこと。」(a)-2「こうした求めを満たすこと」が「つまり人権を守ること」だ。
《参考2-2》(b)「人権を守ること」は「個人の自由を促すこと」でもある。(c)「個人の自由を促す」とは「理不尽に、もしくは不公平、不合理に、他人の自由を侵害することなく、自己を実現すること」だ。
《参考2-3》(d)「個人の価値観(たとえば、経済活動、信仰、ジェンダーの役割、家族のかたち、国家の役割に関するもの)には、相反していて両立しえないものも多くある。」(d)-2「人権問題に取り組むとは、そういった両立しえない価値観や利益を持った人々が調和して暮らすことができる状態を、絶え間なくあがいたり、バランスをとったりしながら、創造していくことだ。」
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映画『アリス』 (1988年) :「首を斬れ」と言うトランプの女王は原作では残酷でない!実はすべて彼女の「幻想にすぎない」!だが映画は残酷だ!

2019-12-26 22:39:26 | 日記
※『アリス』Něco z Alenky (1988年)監督ヤン・シュヴァンクマイエル、チェコ語、84分、製作国チェコスロバキア・スイス・イギリス・西ドイツ

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』が原作。シュヴァンクマイエル独自の世界観で脚色。アリス役のクリスティーナ・コホウトヴァー以外は、すべて人形。1987年度アヌシー映画祭最優秀長編アニメーション映画賞受賞。 ウサギを追いかけ机の引き出しの中に飛び込んだアリス。彼女は
「不思議の国」に入り込む。
(1)
ウサギは原作では生きたウサギだが、映画ではおがくずの詰まった人形。人形は釘で台に固定されている。そのウサギが動き出し、釘を自分で抜き取る。不気味。ウサギはアリスにいつも冷淡で親切でない。また敵対する。そしてアリスの首を斬ろうとする。
(2)
アリスの好奇心は旺盛。子供らしい好奇心。だが残酷でもある。原作のアリスは不思議の国の動物たちに対し親切で友好的だ。だが映画のアリスは動物たちに興味を持つが、友好的でない。
(3)
突然登場する一個の机とその引き出しが、魔術世界(「不思議の国」)への入り口。これは原作と異なり映画に独自だ。原作では入り口は垣根の下のウサギ穴だ。
(4)
映画の中で、ハサミは残酷さの象徴。ハサミが「首を斬る」ため使われる。子供の残酷さ、魔術世界の残酷さだ。ただし映画で首を斬られるのは人形かトランプの絵で血が流れない。グロテスクな映画でない。
(4)-2
原作で「首を斬れ」とばかり言うトランプの女王は残酷でない。すべて彼女の「幻想(fancy)にすぎない」とグリフォンが笑って言う。映画は残酷だが、原作に残酷さは全くない。
(5)
映画の面白い点一覧表(その1)。①アリスは映画でバケツの中に落ち、吸い込まれ別の場面(出来事)へ移ることがある。原作にはそのようなことがない。アリスは必ず歩いて次の場面に行く。②映画では小さくなったアリスが人形になる。確かに人形は「ヒトガタ」であり人間(小さくなったアリス)と等価だ。③アリスがドアを開けると別の世界が広がる。ドアの向うは異世界だ。原作ではアリスは不思議の国を歩いて回る。④ネズミがアリスの頭に杭を打ち、火を焚き料理するのが奇想天外かつ残酷だ。(この話は原作に全くない。監督の創作。)⑤泣くアリスの涙がプールの水のように大量にたまる。まるで涙腺が水道だ。小説の「涙のプール」(Pool pof tears)が映画で見事に可視化され感激する。⑥ウサギは女王の所に行くのに「遅刻する」と心配し続ける。ウサギはさっさと行けばいいのに、余計なことばかりし、かつアリスに敵対的だ。
(6)
映画では動物たちがすべて骸骨だ。またアリスに友好的でない。原作との大きな違いだ。原作ではアリスは動物(時には植物)たちと友好的に話す。(friendly chat)ところが映画では、動物はいつもアリスに敵対的だ。またアリスは骸骨の動物たちやウサギに対し、好奇心はあるが中立的で、友好的でない。この点でダークな映画だ。
(7)
映画の面白い点一覧表(その2)⑦魔法のクッキーを食べて巨大になったアリスが人形になる。ところが実はその人形の中にアリスが閉じ込められている。拷問具のアイアン・メイドゥン(鉄の乙女)を思い出させ不吉だ。⑧生肉が歩く。これが不気味だ。解体され死んだ肉が、生きている。面白いがグロテスク!⑨缶詰を開けると中からたくさんの甲虫がでてくるのも不気味だ。カフカの『変身』を思い出す。(⑦⑧⑨は監督の創作で、原作にない。)
(8)
靴下が芋虫になるのが不思議だ。アリスの履いていた靴下さえ芋虫になる。バケツに入った入れ歯とむき出しの目玉が、靴下の芋虫にくっつき、歯と目のある芋虫になる。原作の芋虫は靴下でない。靴下の芋虫というアイデアは、シュヴァンクマイエル監督のものだ。不気味だが、しかし可愛い芋虫!
(9)
映画の面白い点一覧表(その3)⑩頭にカツラとパフをつけた宮廷の使い、魚と蛙が愉快だ。原作の挿画に似る。蛙が長い舌でハエを食べる。面白いが、気持ち悪い。
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「Mad Tea Party(狂った茶会)」は原作でも映画でもハイライトだ。(a)映画では、三月ウサギは人形。ボタンの眼が取れそうになり、糸を引っ張ると元の位置にもどるのが可笑しい&便利だ。(b)帽子屋は映画では木の人形。紅茶を飲むとえぐられた木の腹を紅茶が流れ、人間の解体標本を見るようだ。(グロテスクだ。)(c)トランプの女王の命令で、ウサギがハサミで、三月ウサギと帽子屋の首を斬る。ただし人形だから血が流れない。(d)その後、二人は首を取り替える。(Dr.スランプの アラレちゃんを思い出す。)(e)紅茶ポットから、眠りネズミが出てくるが、これがテーブルほども長い。その長さにびっくりする。こんなに胴の長いネズミはいない。(これは原作にない。)(f) 「Mad Tea Party」では懐中時計にバターが塗られるが、気持ち悪い。その時計が10個以上ある。気持ち悪さが10倍以上になる。
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映画の面白い点一覧表(その4)⑪トランプのジャックがトランプから抜け出して、剣で戦う。彼らはウサギによってハサミで首を斬られる。血は流れないが残酷だ。女王が「首を斬れ」と命じたのだ。⑫トランプから抜け出した王・女王・ジャックなどはすべて平面の紙のまま。動き行動ししゃべる紙のヒトガタだ。(原作では普通の人間。)⑬クリケットのバットは、原作ではフラミンゴだが、映画ではニワトリ。ボールはハリネズミでなく針が沢山ささった針山。なるほど!
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裁判で、アリスが女王に反抗する。「首を斬れ」と女王が命じる。人形のウサギがハサミをチョキチョキ鳴らす。アリスは絶体絶命。(大変だ!)ここでアリスは夢から覚める。アリスは自分の家の部屋の中にいる。部屋にある人形たち、道具、家具、品物等々、それらがアリスの夢の「不思議の国」(魔術の国)に登場したのだと、その時アリスが知る。



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