DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?)①「池は」(35段):「水なしの池」に水があるのはおかしい!②「節(セチ)は」(36段):五月五日、菖蒲や蓬(ヨモギ)の高い香りが素晴らしい!

2020-01-26 11:34:28 | 日記
(1)「池は」(35段)
「水なしの池」について、清少納言が変な名前だと思い由来を聞いた。「雨の多い時に池に水が無い」からだという。ところが「ひどい日照りの時は水がたくさん湧き出る」という。彼女は、いつも干上がっているわけでなく、水が出る時もあるのに「水なしの池」とはずいぶん一方的に名前を付けたものだと不満を言う。(「出ずるをりもあるを、一筋にはつけけるかな。」)《感想》清少納言の感想はもっともだ!
(2)「節(セチ)は」(36段)
「節(セチ)は、五月にしく月はなし」と清少納言が言う。五月五日、菖蒲や蓬(ヨモギ)が高い香りを放つ。「禁中からごく下々の賤しい者の小屋にいたるまで競うように世間何処でも一面に葺き渡している光景が目馴れぬ面白さだ。」(「九重の御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民のすみかまで、いかで、わがもとにしげく葺かむと、葺きわたしたる、なおいとめづらし。」)《感想》五月五日、菖蒲や蓬(ヨモギ)を飾る習慣が庶民にも広がっていたとは素晴らしい。
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清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?)「木の花は」(34段):①木の花は「紅梅」、②梨の花は「楊貴妃」の微笑、③桐の木の葉は「うたてこちた」し(ぶざまでいやだ)!

2020-01-26 10:42:01 | 日記
(1)
清少納言は「木の花は、濃きも薄きも、紅梅」とまず言う。《感想》白梅と言わないところがユニークだ。
(2)
梨の花は「愛嬌(アイギョウ)おくれたる人の顔」(かわいげのない女の人の顔)などに例えられ評判が悪い。しかし唐土(モロコシ)では「梨花一枝、春、雨を帯びたり」と楊貴妃(ヤウキヒ)の微笑に例えられる。《感想》清少納言は物知りだ。
(3)
桐の木は、「葉のひろごりざまぞ、うたてこちた」し(あの手をひろげたような葉の恰好はぶざまでいやだ)と清少納言が言う。《感想》確かにそうだ!
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清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?):①「説教の講師(コウジ)は」、②「小白河といふ所は」、③「七月ばかり、いみじう暑ければ」!

2020-01-25 18:38:06 | 日記
(1)「説教の講師(コウジ)は」(30段)
当時、説教聴聞が流行した。清少納言が言う。「説教の講師は美男子なのが良い。なぜなら夢中になってひたと講師の顔を見て、仏法のありがたさを感得できる。顔のみにくい講師だとよそ見したり、上の空になってしまう。このような不信心の罪をおかしたくないので美男子の講師がよい。」
《感想1》「私の考えは罪深い」と清少納言自身が言っている。仏への信心の程度は、今とあまり変わらないようだ。非常に信心深い人は少ないのだ。
(2)「小白河といふ所は」(32段)
小白河殿で上達部(カンダチメ)の方々が集まって結縁(ケチエン)の八講を催された。参会しない上達部はいらっしゃらない。着ているものがいずれも涼しげで、ありがたい法会(ホウエ)の催しというだけでなく、綺羅を飾ったショーの観がある。
《感想2》清少納言の時代、どんな色の服を着るか、またどんな色の取り合わせで着るかが、貴族たちの間で関心を惹いた。
(3)「七月ばかり、いみじう暑ければ」(33段)
朝方、どこからか帰って来た男(殿上人)が後朝(キヌギヌ)の文を書こうと思って、歌を口ずさんで歩いていた。その途中、今男を帰したばかりといった女が御簾の向うにいてまだ寝ているのに、その男が気づく。男はニコニコしながら長押に寄りかかって座わる。女がそれに気づくと、「これは未練たっぷりの朝寝ですね」と男が、女をからかう。女は「露の置くよりも早く帰ってしまった男がにくらしい」と答える。
《感想3》別の女のもとから朝、帰って来た男と、別の男が今しがた帰ったばかりの女との会話だ。二人は、女が「顔を見せない」ほど他人行儀でないが、「そうなれなれしくしてもいい」わけでない関係だ。つまり二人は、男と女だが友達関係だ。恋愛が自由だった時代の、恋人関係でない男と女の一風景!
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⑧ 「壁に耳あり障子に目あり」、⑨「下司のかんぐり」、⑩「魚心あれば水心」or「水魚の交わり」、⑪「一寸先は闇」、⑫「人を見たら泥棒と思え」、⑬「渡る世間に鬼はない」、⑭「捨てる神あれば拾う神あり」

2020-01-25 08:18:34 | 日記
「壁に耳あり障子に目あり」と言う。油断禁物だ。注意せよ。人に聞かれないようにせよ。何をされるかor言われるかわからない。誤解され邪推される。「下司のかんぐり」だ。君に悪意があると攻撃され非難されるかもしれない。「魚心あれば水心」or「水魚の交わり」と言う。親しみは親しみを呼ぶ。逆に敵意は敵意を呼ぶ。人の心は反応し合うのだ。「一寸先は闇」と言う。怖い話だ。予測不能。君は突然死するかもしれない。事故にあうかもしれない。「人を見たら泥棒と思え」と言う。警戒を怠ってはいけない。だが「渡る世間に鬼はない」とも言う。世の中にはいい人も居る。「捨てる神あれば拾う神あり」と信じたい。生きて行くのは大変だが諦めてはいけない。
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①「覆水盆に返らず」、②「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」、③「七転び八起き」、④「石橋をたたいて渡る」、⑤「人間万事塞翁が馬」、⑥「一期一会」、⑦「猿も木から落ちる」

2020-01-25 01:15:52 | 日記
「覆水盆に返らず」と言う。何回、「覆水」したことか。数えきれない。困ったものだ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言う。何度も身を捨てたが、今生きているから、浮かび続けたわけで、君は強運だ。「七転び八起き」と言う。実際は「七転び八転び九転び」で散々だ。「石橋をたたいて渡る」と言う。たたいたら石橋が壊れて君は川に落ちた。不運だ。「人間万事塞翁が馬」と言う。だが禍(ワザワイ)ばかりだった。「一期一会」と言う。一生に一度のものと心得て誠意を尽くすことだ。しかし憎悪・敵意・侮蔑を示す相手とは1回も会いたくない。「猿も木から落ちる」と言う。だが「猿」になれなかった。木に登れない。残念だ。
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