DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

豊島与志雄(1890-1955)「活人形」(イキニンギョウ)青空文庫:ターコール僧正は立派なお坊さんだ!

2024-01-31 16:02:57 | 日記
☆年老いた人形遣いと妻のマンドリン引きが、旅回りをやめ、もう引退して田舎の息子のもとに帰りたいと思った。そこで、これまで働いてくれたあやつり人形に「お祈り」をしてほしいとターコール僧正に頼んだ。老夫婦は、お金がなかったが、ターコール僧正は、お金がない人にも「お祈り」をしてくると言った。
☆ターコール僧正に「お祈り」してもらうと、木製のあやつり人形は「魂」が与えられたかのように「笑った」。
☆この評判が人々の間に広がり、彼らが人形を一目見たいというので、人形遣いの老夫婦が最後の人形の踊りを町の広場で開くことになった。多くの人々が正装して集まった。
☆人形遣いが人形を踊らせ、妻がマンドリンを弾く。人形は「活きて」いるかのように踊る。やがて人形遣いは疲れ、人形の糸が切れ、妻のマンドリンの弦も切れた。だが人形は「活きて」いるかのように勝手に華麗に踊り続けた。人々はうっとりと眺め、踊りが終わると人形遣いの老夫婦は、人々から多くのお金をもらった。
☆老夫婦はその半分をターコール僧正に喜捨し、そして老夫婦は故郷に帰った。ターコール僧正はそのお金を貧しい人々に配った。   

《感想1》ターコール僧正は立派なお坊さんだ。生臭坊主(肉食をするなど,戒律を守らず品行の悪い僧)ではない。また腐敗・堕落した僧ではない。(Cf. カトリック教会の「贖宥状」に対するルターの批判で16世紀にヨーロッパで宗教改革が始まった。)
《感想2》人形遣いの老夫婦は、引退して「田舎の息子」のもとに帰る。今だったら老夫婦は「老人施設」に入るかもしれない。
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赤木 智弘『潮目はなぜ変わったのか…松本人志が非常にダサい件』(2024/1/31)現代ビジネス:A. ダサい遊び方、B. 二重基準、C. あきれた擁護論、D. 崩れたブランド力、E. 凡庸!

2024-01-31 12:21:57 | 日記
A「 遊び方」がダサくないか?
「後輩に女性を連れてこさせてホテルのスイートルーム(ベッドのある場所)で飲み会という事が本当だとしたら、なんかダサすぎないか?」
☆立川志らく氏は「松本人志さんは芸人。芸人はどれだけ常人には経験出来ない事を経験できるかが勝負。非常識に生きてこそ芸人」として、芸人であるからこそ、一定程度の「やんちゃ」は許されるべきという見解を示す。だがそもそも、今回の件は「常人には経験出来ない事」などという話だろうか?後輩に女性を呼ばせて飲み会遊ぶなんてのは「イキった広告代理店入社3年目くらいのヤツが、大学OBとしてサークルの後輩に女呼ばせて飲み会」みたいな末端のギョーカイ人がやってることというイメージしか無い。そんな遊び方を誇れるのは、せいぜい恥を知らない20代の前半までだ。いわばお笑い界のトップである松本人志という、最初の疑惑の当時で50代の男性がやっている遊びが「後輩に女を呼ばせて、ベッドのある部屋に連れ込んで飲み会」などというのは、金も権力も笑いのセンスも持っているはずの人間としては、酷く凡庸でいい年齢の大人としてしょーもない遊び方としか思えない。志らく氏は松本氏を擁護するが、ひょっとすると自身もこのような遊びをしたいと思っているんだろうか? だとすれば落語家としてこのセンスのなさは致命的だ。
《感想》「後輩に女を呼ばせて、ベッドのある部屋に連れ込んで飲み会」とは「しょーもない遊び方」、なんとも「ダサい」遊び方だ。さみしい限りだ。

A-2  二重基準!
だいたい、松本氏にしても志らく氏にしても、普段の仕事ではワイドショーのコメンテーターなどで、さも「一般人代表のご意見番でござい」とばかりに常識側にいるような仕事でお金を稼いでいるのだから、いざ問題が発生したときに「しょせんは芸人風情でござい」とばかりに一般常識なんて関係ないような二重基準を発動するのは、非常に情けない言い分だ。
☆かつて岡千秋と都はるみがデュエットをして大ヒットした「浪速恋しぐれ」という曲では「芸のためなら女房も泣かす。それがどうした文句があるか」という芸人の自分勝手さを表す歌詞があったが、そんな恥ずべき昭和の価値観を、令和の今になって、お笑い界のトップであり権威でもある松本人志という存在から見せつけられてしまっているという事に、とても困惑させられる。
《感想》松本氏にしても志らく氏にしても、普段の仕事ではワイドショーのコメンテーターなどで、さも「一般人代表のご意見番でござい」とばかりに常識側にいるような仕事でお金を稼いでいる。ところが他方で「しょせんは芸人風情でござい」と逃げるのは、まさに「二重基準」だ。

B  ネット上の擁護の不思議
また酷いのは、なぜか松本氏をネットで擁護している人たちである。
☆「文春の記事が正しいと決まったわけでは無い」という話なら理解もできるが、「飲み会に出るという事はそういうこと(セックスを了承しているということ)なのだから、後から嫌だったなどというのは卑怯だ」みたいな言い分はさっぱり理解ができない。「飲み会=セックスあり」と認識する社会を少なくとも赤木は知らない。
☆ましてや「8年前のことを今更言い出すのであれば、男は何もできなくなる」みたいなことを言い出す人たちは、過去に「だまし討ちのような恥ずかしいセックス」ばかりをしてきたのだろうか?身に覚えがあるのか?もし本当におびえているのであれば、これまでの女性に対する言動を深く反省してほしいものだ。
《感想》「飲み会に出るという事はそういうこと(セックスを了承しているということ)なのだから、後から嫌だったなどというのは卑怯だ」とか、「だまし討ちのようなセックス」するのが男は普通なので、女に告発されたら今後、「男は何もできなくなる」というような擁護論には、あきれる。

C  崩れ落ちた「ブランド力」
結局、今回の件で松本氏にとって最も致命的なのは、今後文藝春秋社と争うであろう「性的合意の有無」などではなく「松本人志はセンスがない、面白くない」と多くの人に思われてしまうことだ。
☆松本氏は多くの番組で「若手の笑いを総評する立場」として出演していることが多い。しかも松本は「笑いを演じる側」ではなく、「評価する側」として活躍している。それはひとえに「松本人志は面白い」という、ダウンタウンとしてこれまでコツコツと積み上げてきた実績による評価が視聴者の側にあるからこそであり、それが現在の松本の「ブランド力」を支えている。
☆しかし今回の件で、松本氏が「大人としての良い遊び方」をしていないことが露呈してしまった。別に芸人だからといって私生活まで24時間365日面白い必要はないのだが、面白くない上に後輩や連れてきた女性に迷惑をかけているとすれば、「松本人志というブランドイメージ」は低下してしまう。
☆松本氏が所属する吉本興業も、報道当初には「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです」と事実無根を強く主張していたが、後に「週刊誌報道等に対する当社の対応方針について」という文書の中で「私的行為とはいえ、当社所属タレントらがかかわったとされる会合に参加された複数の女性が精神的苦痛を被っていたとされる旨の記事に接し、当社としては、真摯に対応すべき問題であると認識しております」と、当初と比べてずいぶんとトーンダウンした。
☆当然、吉本興業にとって松本人志は極めて大切な存在ではあるが、それでも「数多くの所属タレントのうちのひとり」でしかないことに違いはない。「ブランドイメージ」を著しく損うかもしれないタレントを、社運を課してまで守るかは微妙なところだ。
《感想》「松本人志はセンスがない、面白くない」、「大人としての良い遊び方」をしていない、かくて「松本人志というブランドイメージ」が低下したというのは確かだ。

D  堕ちた「お笑い界のトップ」
これまでも「映画」を作ってはあまり評判が良くなかったりと、松本氏の才能の限界を感じる事もあったが、それでも「お笑い界のトップ」として面白い存在として世間に認識され続けてきた。
☆だが、今回の一件で松本氏が「意外とつまらないプライベート」を過ごしていることが露呈してしまった。権力を得ると下の人間が自分の思いついたつまらない遊びにも何も文句を言わずに従ってくれる。だからこそ、自身の遊び方がつまらないことを自覚できなくなってしまう。
☆田舎に行くと、大人の遊び場が「パチンコ屋と飲み屋」しかないということがよくあるが、都心で生活し、かつ「うなるほど使えるお金がある」としても、遊ぶことを自ら工夫しないと、あの松本人志ですら、女性や後輩芸人に迷惑をかけるような、「しょうもない遊び方」に堕してしまう。子供の頃なら無限に遊びを思いついたものが、どんどん頭が固くなって、自分なりの遊び方が思いつかなくなっていき、「とても凡庸な遊び方」しかできなくなってしまう。
《感想》今回の一件で松本氏が「意外とつまらないプライベート」を過ごしていることが露呈した。「権力」もあり「金」もある松本氏が、「しょうもない遊び方」、あるいは「とても凡庸な遊び方」しかできないことにあきれた。
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島木健作(1903-1945)「赤蛙」(1946遺作)青空文庫:「死」を思い描けず「死」を恐れず(?)愚かな試みくりかえす「生命」or「自然」の神秘!

2024-01-30 15:55:29 | 日記
くりかえし中州から川に飛び込み向う岸に泳ぎ渡ろうとする赤蛙。何十回とくりかえす。だが力尽きついに急流の渦に呑みこまれ死ぬ(二度と浮かんでこない)。赤蛙をそうさせる「自然」の神秘の力への畏怖。生命(生物)における「死」を恐れさせない《「本能」すなわち「自然の命令」》の巨大(or偉大or超越性)!      

《感想1》「死」を思い描けず「死」を恐れず(?)愚かな試みをくりかえす「生命」or「自然」の神秘!
①赤蛙には「中州から向う岸に渡ろう」とする「意志(自発性)」はあった。
②だがその「意志」にもかかわらず、現実世界を「読み解く」手順、つまり「目的-手段の連関」の解明ができず、赤蛙は死んだ。
③赤蛙は現実世界(「自然」)の内にある「目的-手段連関」(「因果連関」を逆転させたもの)を把握し思い描くことができぬ「バカ」だった。
④赤蛙は、「自然の被造物」あるいは「自然の一部」において、「生命」(生物)という存在で「死」の対極にあり「死」の否定としてある。にもかかわらず赤蛙は、「死」を思い描けず「死」を恐れず(「死」に無頓着で)愚かな試みをくりかえす。「生命」or「自然」の神秘!

《感想2》「自然」の「法則=経験則=規則的な原因結果連関=目的手段連関」を赤蛙は「帰納」できない!
⑤「死」を思い描けない「バカ」(?)な赤蛙。
⑥現実世界(「自然」)の内にある「因果連関」を把握できず、したがってそれを逆転させたところの「目的-手段連関」を読み解けぬ赤蛙の「悲惨」?
⑦赤蛙には確かに「自発性(意志)」(「目的」の定立)があるが、どのようにしてその「目的」を達成できるかに関し、現実世界(自然)の「因果連関」すなわち「目的手段連関」を把握・認知する能力がない。
⑧土の中から出て、やみくもに前に進み、アスファルト上で干からびて死ぬミミズたちに、赤蛙は似る。
⑨「自然」は、「生命」が打ち立てる「目的」(「意志」)に対し、無関心である。「自然」は冷徹だ。「自然」における「法則=経験則=規則的な原因結果連関=目的手段連関」の知識を、赤蛙は「自然」から「帰納」できないし、したがって利用することができない。
⑩「バカ」で「無能」な赤蛙。

《感想3》赤蛙という「生命」にとって、「自然」はやさしくない:「神義論」の問題!「神」=「自然」に「義」(全能と善と正義)はあるのか?「神」=「自然」は「生命の存続・幸福」を願っているか?
⑪「かわいそう」な赤蛙。
⑫だがそのように赤蛙は生きている。赤蛙は「自然」によってそのように作られたのだ。
⑬「自然」の巨大(or偉大or超越性)!赤蛙は「自然」の中を生き抜く、あるいは生き残っていく「知力」がない。赤蛙は「目的」を定立する(そのような「意志」をもつ)が、それを実現するための「学習」ができない。つまり「自然」の「法則=経験則=規則的な原因結果連関=目的手段連関」の把握(「帰納」)ができない。
⑭「自然」のうちにあるor「自然」が作り出した赤蛙という「生命」にとって、赤蛙の「愚か」(「バカ」で「無能」)な死は、「自然」の一部である。
⑭-2 赤蛙という「生命」にとって、「自然」はやさしくない。
⑮これは「神義論」の問題だ。「生命」を被造物として創造した「自然」(=「神」)は「生命」(Ex. 赤蛙)を守ることに関し興味を持たず冷酷(無関心)である。
⑮-2 《「生命を守る」ことが、「生命」(Ex. 赤蛙)にとって「義」である》が、「神」(=「自然」)は「義」を示さない。
⑮-3かくて「生命」(Ex. 赤蛙)は、「神」=「自然」の「義」(全能と善と正義)に疑いをいだく。「神」=「自然」に「義」はあるのか?これは「神義論」(弁神論)である。
⑯島木健作(1903-1945)「赤蛙」は「神義論」の問題を提示した。「自然」(=「神」)の「生命」(Ex. 赤蛙)に対する冷淡・冷徹・無関心の問題!「自然」(=「神」)は「生命」(Ex. 赤蛙)に対し冷淡・冷徹・無関心であって、「生命(Ex. 赤蛙)の存続」=「生命の幸福」=「義」を願うことがない。「自然」(=「神」)は「義」(生命の存続)に無関心である。
Cf. 「命あっての物種」(何事も命があってこそ初めてできる、命の危険にかかわることは避けるべきだ)。
Cf. 「死んで花実が咲くものか」(生きていればこそよいこともあるが、死んでしまえばすべておしまい)。

《参考1》「神義論」(弁神論)theodicyとは「世界における悪の存在が神の全能と善と正義に矛盾するものでない」ことを弁証しようとする議論である。ライプニッツが最初に用いた哲学・神学用語。

《参考2》遠藤周作『沈黙』1966は迫害される「キリスト者」にとっての神の「沈黙」の問題、すなわち「神義論」の問題を提示した。
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叢小榕『老荘思想の心理学』第6章26「足るを知る――心の豊かさが悩みを吹き飛ばす」(『老子』第44・46章):「富・利益」、「地位・名誉」、「権勢・権力」への「欲望」は果てしない!

2024-01-29 14:44:24 | 日記
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第6章「どうすれば欲望から解放されるか」
(26)足るを知る――心の豊かさが悩みを吹き飛ばす(『老子』第44・46章)
「名誉」より大事なのは「わが身」だ。「財貨」より大事なのは「わが身」だ。つまり「名利の得失」より「わが身の存亡」こそ憂慮すべきだ。「足ることを知れば」、また「ほどほどに止む」ことを知れば「危険」はない。「そうすれば安泰でいられる」のだ。(『老子』第44章)

《感想1》「命あっての物種」だ!「命」(「わが身」)こそ根源だ。何事も命があるからできる。「名誉」・「財貨」より自分の「命」こそ重要だ。
《感想2》老子は「名誉」・「財貨」を否定しない。「名誉」・「財貨」を一定程度得たら、「ほどほどに止む」ことが重要だと述べている。

「足ることを知って満足すれば、常に満足である。」(『老子』第46章)
「富・利益」、「地位・名誉」、「権勢・権力」への「欲望」は果てしなく、「それらを握っている時は、失いはしないかとおびえ、失うと悲しみにくれる。」「絶えず追い求めるものに釘づけとなるさまは、まるで天からくだされた罰を受けているようなものだ」。(『荘子』外篇・天運)
★「足るを知る」ことがなければ、常に「欲望」(「欲求」)に翻弄され、「心の豊かさ」が得られない。

《参考1》人間の3大欲求として、「睡眠欲」「食欲」「性欲」をあげることがある。
《参考2》『荘子』「外篇・天運」は人間の主要な3つの「欲望」(「欲求」)を、「富・利益」、「地位・名誉」、「権勢・権力」への「欲望」(「欲求」)としている。

(26)-2 マズローの「欲求階層論」:①「生理的欲求」、②「安全への欲求」、③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)、」④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)、⑤「自己実現欲求」
アブラハム・マズローの「欲求階層論」によれば、人間の欲求は①「生理的欲求」(Physiological needs)、②「安全への欲求」(Safety needs)、③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)(Social needs / Love and belonging)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)、⑤「自己実現欲求」(Self-actualization)の、低次元から高次元までの、5つの階層をなしている。低次元の欲求が満たされて初めて高次元の欲求へと移行するという。また、生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。
《感想1》①「生理的欲求」、②「安全への欲求」、③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)、⑤「自己実現欲求」は5つの階層をなすのでなく、むしろ同時に存在するというべきだ。

★①「生理的欲求」(Physiological needs):生命を維持するための本能的な欲求で、食欲・飲水・睡眠欲・排泄・呼吸・体温調整・性欲など。ただし極端なまでに生活のあらゆるものを失った人間は、生理的欲求が他のどの欲求よりも最も主要な動機付けとなる。(Cf. 「衣食足りて礼節を知る」!)

《感想2》「性欲」(性的欲求)は、パートナーが存在(相手から愛されること)する場合は、「社会的欲求」(所属と愛の欲求)の充足、「自我欲求」(承認/尊重の欲求)の充足でもある。
《感想3》「女性」が高所得・資産家「男性」と結婚することは(「性欲」の充足でもあるが)、経済力による「安全への欲求」の充足、また上流の生活や教育投資による優秀な子供の存在などは「自我欲求」(承認の欲求)を満たすためでもある。

★②「安全への欲求」 (Safety needs)
物理的安全性(事故の防止)、経済的安定性(良い暮らしの水準)、身体的安全性(良い健康状態の維持)など。それらの保障の強固さも求める。予測可能で秩序だった安全な状態を得ようとする欲求だ。病気、不慮の事故、失業、貧困などに対するセーフティ・ネットも「安全への欲求」を満たすためにある。
《補足》「逃避」欲求(不安や危機を感じた場合に逃げ出したいという欲求)、「闘争」欲求(戦うことで生存しようとする欲求)、さらに「祈り」への欲求(神、仏などを求める欲求)も、「安全への欲求」 (Safety needs)と言える。

★③「社会的欲求」(所属と愛の欲求) (Social needs / Love and belonging)
自分が社会・集団に必要とされ果たせる社会的役割があるという感覚を得たいという欲求。あるいは情緒的な他者に受け入れられている、あるいは社会・集団に所属しているという感覚を求める欲求。愛を求め、孤独・追放・拒否・無縁状態を避けたいという欲求。「社会的欲求」(所属と愛の欲求)が満たされないことは、不適応、孤独感、社会的不安、鬱状態などの原因になる。

★④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)
自分(自我)が社会・集団から価値ある存在と認められ承認/尊重されることを求める欲求。「自我欲求」には、「他者からの尊敬を得たい」、「地位への渇望」、「名声」、「経済的優越」、「注目を得たい」などがある。「自我欲求」の高次の段階は、「自己尊重/信頼感」、「技術や能力の習得」、「自立性の感覚」などを得ることで満たされる。また「自我欲求」の高次の段階では、「他人からの評価」よりも、「自分自身の評価」が重視される。この「自我欲求」が妨害されると、劣等感や無力感などが生じる。

★⑤「自己実現欲求」 (Self-actualization)
さらに人
は、自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求を持つ。自分に適していることをしていないと、不満・不安感・不充足感が生じる。

★⑤-2 マズローは「自己実現者」には次のような15の特徴が見られるという。これは「自己実現」の充足目標の一覧でもある。(1)現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ。(※現実の肯定!生の肯定!)(2)自己、他者、自然に対する受容。(※道家における「宇宙の本源となる自然の法則」としての「道」の受容に近似する。)(3)自発性、素朴さ、自然さ。(4)課題中心的。(※「自己実現者」は「自己尊重/信頼感」、「技術や能力の習得」、「自立性の感覚」などを得ているので、課題中心的に生きる。)(5)プライバシーの欲求からの超越。(※「自己実現者」は社会的・社交的・公平・公正的である。)(6)文化と環境からの独立、能動的人間、自律性。(7)認識が絶えず新鮮である。(8)「至高なもの」(※道家の「道」!)に触れる神秘的体験がある。(9)共同社会感情。(10)対人関係において心が広く深い。(11)民主主義的な性格構造。(※天賦人権論!) (12)手段と目的、善悪の判断の区別ができる。(13)哲学的で悪意のないユーモアセンス。(14)創造性。(15)文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越。

Cf. V. E. フランクルは、「心と身体」は自己保存の「欲求」(欲望)のために働くが(Cf. 「快感原則」)、しかしそれらを超越して「精神」の次元での「意味」の呼びかけに応えることこそが人間らしい生き方だとする。
☆フランクルはナチスの強制収容所の体験を記録した『夜と霧』(1956)の中で、(ア)一方で一切れのパンを親子が命がけで奪い合う状況を描くが、他方で自分も飢えているのに、自分のパンを売りお金をためてジャガイモを買い、「死ぬ前にお腹一杯ジャガイモを食べたい」という仲間に、最後の幸福感を味わってもらった人たちもいたことを描く。さらに(イ)強制労働で死ぬほど疲れ、床にへたり込んでいた時、仲間の呼びかけに応じて、寒い中、落日の光景を見て「世界ってどうしてこんなに美しいんだ!」と感動する場面もある。
☆「自己保存」のためには、(ア)飢えているなら自分が食べ、(イ)疲れているならできるだけ休むのが最優先だ。けれどもそれを超えて、(ア)人のために尽くすという「意味」(「精神」の次元)や、(イ)夕日の美にまなざしを向けるという「意味」(「精神」の次元)のためにも、人間は行為する。フランクルはこの事を「意味への意志」と呼んだ。
☆人は「意味」を見出すことができれば、自己保存の「欲求」(欲望)(Cf. 「快感原則」)を超越し、苦痛・苦悩に耐えて生きることができる。その場合の「意味」とは、具体的な場面での「手段的意味」を超えた「超意味」と言える。自己保存の「欲求」(欲望)(Cf. 「快感原則」)を超越して、「精神」の次元での「意味」(「超意味」)(「ロゴス」)の呼びかけに応えることが人間らしい生き方だとV. E. フランクルは言う。

(26)-3 マレーの「39種類の欲求リスト」:★(A)マレーの11種類の「生理・本能的欲求」と★マレーの(B)28種類の「心理・社会的な欲求」※Henry Alexander Murray(1893―1988)
★(A)マレーの11種類の「生理・本能的欲求」(臓器発生的欲求)(Cf. マズローの①「生理的欲求」、②「安全への欲求」に対応!)
A《欠乏から摂取に導く欲求》
マレー☆a「吸気」欲求:酸素を求めたい。
マレー☆b「飲水」欲求:水を求めたい。
マレー☆c「食物」欲求:食べ物を求めたい。
マレー☆d「感性」欲求:身体的な感覚を求め、楽しみたい。
B《膨張から排泄に導く欲求》
マレー☆e「性的」欲求:性的関係を結び、快楽を得たい。(※「膨張から排泄」とは男子の射精をイメージ?)
マレー☆f「授乳」欲求:乳児への授乳をしたい。
マレー☆g「呼気」欲求:息を吐きたい。
マレー☆h「排尿・排便」:尿や便の排泄をしたい。
C《傷害から回避に導く欲求》
マレー☆i「毒性回避」欲求:有毒な刺激を回避して逃れたい。
マレー☆j「暑熱・寒冷回避」欲求:適正な体温を維持したい。
マレー☆k「傷害回避」欲求:痛みやケガ、病気や死を避けたい。

★(B)マレーの28種類の「心理・社会的な欲求」!(Cf. マズローの③「社会的欲求」(所属と愛の欲求)」、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)、⑤「自己実現欲求」に対応する。一部はマズローの②「安全への欲求」にも対応する。)
☆マレーの「心理・社会的な欲求」(28種類)の8分野!
マレーD《物質に関する欲求》
マレーE《野心・向上心に関する欲求》
マレーF《自己防衛・保身に関する欲求》
マレーG《支配・権力に関する欲求》
マレーH《禁止に関する欲求》
マレーI《愛情に関する欲求》
マレーJ《遊戯に関する欲求》
マレーK《情報に関する欲求》

ヒトは群居性の動物であり、また高度な思考力を持つために、「社会的に認められたい」、「知識を満足させたい」、「他者を満足させたい」などの欲求がある。それら欲求の内容は、後天的に(「生理的・本能的」でなく)身につくものであり、社会や文化の影響が大きい。マレーによれば以下のような28種類の「心理・社会的な欲求」が人間に認められる。

D《物質に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」)、(Cf. マズローの⑤「自己実現欲求」 )
マレー☆1「獲得」欲求:財物(お金、財産、いろいろなモノ)を得ようとする欲求。
マレー☆2「保存」欲求:財物を収集し、修理し、保存する欲求。
マレー☆3「秩序」欲求:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。
マレー☆4「保持」(「所有」)欲求:財物を持ち続ける(手放したくない)、貯蔵する、消費を最小化する欲求。
マレー☆5「構成」欲求:組織化し、構築する欲求。モノを組み立て、築き上げたい。

E《野心・向上心に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。
マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。
マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。
マレー☆9「顕示」欲求:他人の注意を引き、感動やショックを与えたい。自己演出・扇動を行う。

F《自己防衛・保身に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆10「不可侵」(「保身」)欲求:社会的な批判から逃れたい。自尊心を傷つけられないようにしたい。
マレー☆11「屈辱回避」(「劣等感の回避」)欲求:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。失敗して笑われたくない。
マレー☆12「防衛」欲求:非難・軽視から自己を守る。自己正当化を行う、言い訳をしてでも自分を正当化したい。
マレー☆13「中和」(「反発」)欲求:失敗をリベンジしたい。再び努力し、弱さを克服し、名誉を回復したい。

G《支配・権力に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆14「支配」欲求:他人をコントロールし、影響を与え、統率したい。
マレー☆15「服従」(「恭順」)欲求:他人(優越・優秀な人間)に積極的に従い、協力し、仕えたい。
マレー☆16「同化」(「模倣」)欲求:他人の行動・あり方を真似したい。他人と同一視し、感情移入し、見習いたい。
マレー☆17「自律」欲求:他人の影響・支配に抵抗したい、独立したい。
マレー☆18「対立」欲求:他人と違ったor反対の行動をとりたい。ユニークな存在でいたい。
マレー☆19「攻撃」欲求:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃・意地悪したい。
マレー☆20「屈従」欲求:他人に降伏、謝罪し罰を受け入れたい。痛みや不幸を楽しむ。罪悪の承服・自己卑下の欲求。

H《禁止に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆21「非難回避」欲求:処罰・追放を避けるため、法・規範(禁止)に進んで従いたい。

I《愛情に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。
マレー☆23「排除」(「拒絶」)欲求:他人を差別・無視・排斥(排除)したい欲求。
マレー☆24「養護」欲求:困っている他人を守り、助け、同情し、保護したい。
マレー☆25「救護」(「救援」)欲求:他人から同情を求め、依存したい。愛され、看護され、許され、慰められたい。

J《遊戯に関する欲求》(Cf. マズローの⑤「自己実現欲求」 )
マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。(Cf. ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」=「遊戯する人間」!)

K《情報に関する欲求》(Cf. マズローの⑤「自己実現欲求」 )
マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。
マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。(Cf. 兼好法師「物言わぬは腹ふくるるわざなり」!)(Cf. 「王様の耳はロバの耳」!)

(26)-4 「70種類の欲求リスト」:★マレーの「生理・本能的欲求」(「臓器発生的欲求」)11種類と★荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」59種類(「心理発生的欲求」)!
日本の心理学者の荻野七重・斎藤勇が、マレーの「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)28種類をさらに細分化させて59種類とした。
☆かくて人間の欲求は、マレーの「生理・本能的欲求」(「臓器発生的欲求」)11種類と、同じくマレーの「心理・社会的な欲求」28種類を合わせれば、39種類である。
☆あるいは人間の欲求は、マレーの「生理・本能的欲求」(「臓器発生的欲求」)11種類と、荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」59種類を合わせれば、70種類となる。人間の「70種類の欲求リスト」!

★荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)(59種類)は以下のとおり。
☆荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)(59種類)の6分野!
L《優越支配に関する欲求》
M《情的支配に関する欲求》
N《積極的活動に関する欲求》
O《関係形成に関する欲求》
P《保身に関する欲求》
Q《協調に関する欲求》

L《優越支配に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」 (Safety needs)、③「社会欲求」(所属と愛の欲求))、マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆1「自尊」欲求:自分を認めて、自尊心が傷つかないようにしたい。(Cf.  マレー☆17「自律」欲求:他人の影響・支配に抵抗したい、独立したい。)
☆2「競争」欲求:他人と争いたい。(Cf.  マレー☆18「対立」欲求:他人と違ったor反対の行動をとりたい。ユニークな存在でいたい。)
☆3「優越」欲求:他人よりも優れていることを証明したい。(Cf.  マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。)
☆4「攻撃」欲求:武力を使って相手を攻撃したい。(Cf.  マレー☆19「攻撃」欲求:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃・意地悪したい。)(Cf.  マレー☆23「排除」(「拒絶」)欲求:他人を差別・無視・排斥(排除)したい欲求。)
☆5「反発」欲求:やられたら、やり返したい。(Cf.  マレー☆13「中和」(「反発」)欲求:失敗をリベンジしたい。再び努力し、弱さを克服し、名誉を回復したい。)
☆6「流行」欲求:流行の先端のモノを手に入れたい。(Cf.  マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。)
☆7「自己顕示」欲求:注目を集めて、みんなの評判になりたい。(Cf.  マレー☆9「顕示」欲求:他人の注意を引き、感動やショックを与えたい。自己演出・扇動を行う。)
☆8「指導」欲求:リーダーシップを発揮して集団をまとめたい。
☆9「名誉」欲求:社会的に名誉ある地位につきたい。(Cf.  マレー☆6「優越」欲求:他者より優位に立つ欲求。社会的地位を向上させたい。)
☆10「支配」欲求:人に指示や命令したい。(Cf.  マレー☆14「支配」欲求:他人をコントロールし、影響を与え、統率したい。)
☆11「権力」欲求:社会で活躍できるような、地位と権力が欲しい。(Cf.  マレー☆14「支配」欲求:他人をコントロールし、影響を与え、統率したい。)

M《情的支配に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)、⑤「自己実現欲求」 )
☆12「愛情」欲求:愛する人のために行動したい。
☆13「恋愛」欲求:好きな人の望みを叶えて、その人から好かれたい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆14「愉楽」欲求:みんなと一緒にワイワイ騒ぎたい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆15「自由」欲求:誰にも縛られることなく、自由な生活をしたい。
☆16「自己表現」欲求:自分の個性をアピールしたい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆17「不満解消」欲求:ストレス解消のために、思い切り気分転換したい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)

N《積極的活動に関する欲求》(Cf. マズローの④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)、⑤「自己実現欲求」 )
☆18「達成」欲求:困難を乗り越えて目標を達成したい。(Cf.  マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。)
☆19「内罰」欲求:自分に悪い点はないが反省したい。
☆20「自己成長」欲求:自分自身を充実、成長させたい。
☆21「持続」欲求:最後まで根気よく続けたい。(Cf.  マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。)
☆22「自己実現」欲求:人生計画をしっかり立てて、日々努力したい。
☆23「知識」欲求:勉強して多くのことを学びたい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆24「自己主張」欲求:自分が正しいと思ったことは主張したい。(Cf.  マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。)
☆25「批判」欲求:人が悪いことをした時は、はっきりと指摘して正したい。(Cf.  マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。)
☆26「趣味」欲求:生きがいのために趣味を持ちたい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆27「感性」欲求:美しいものを見たり聴いたりして感動したい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆28「理解」欲求:モノゴトの因果関係を理解したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆29「他者認知」欲求:他人の性格やプライベートを知り理解したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆30「好奇」欲求:新しいことや、珍しいことを経験したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)

O《関係形成に関する欲求》(Cf. マズローの③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆31「秩序」欲求:社会生活において規則やルールを守りたい。(Cf.  マレー☆21「非難回避」欲求:処罰・追放を避けるため、法・規範(禁止)に進んで従いたい。)
☆32「援助」欲求:弱い人や困っている人の面倒をみたり、世話をしてあげたい。(Cf.  マレー☆24「養護」欲求:困っている他人を守り、助け、同情し、保護したい。)
☆33「集団貢献」欲求:所属している集団のために、全力をつくしたい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆34「社会貢献」欲求:住みよい社会をつくるために貢献したい。(Cf.  マレー☆8「承認」欲求:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。)
☆35「教授」欲求:自分の得意分野について、先生として人に教えたい。(Cf.  マレー☆28「証明」(「解明」)欲求:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。情報を提供したい、他人を教育したい。)
☆36「自己認知」欲求:自分がどんな性格なのかを知り、理解したい。(Cf.  マレー☆27「認知」(「求知」)欲求:知識を学びたい、理解したい、好奇心を満足させたい。)
☆37「承認」欲求:できるだけ多くの人から好かれたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)
☆38「自己開示」欲求:親しい人に自分のことを知ってほしい。

P《保身に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」、③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆39「屈辱回避」欲求:人前で笑われるようなことを回避したい。(Cf.  マレー☆11「屈辱回避」(「劣等感の回避」)欲求:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。失敗して笑われたくない。)
☆40「同調」欲求:仲間と一緒に同じことをしたい。(Cf.  マレー☆16「同化」(「模倣」)欲求:他人の行動・あり方を真似したい。他人と同一視し、感情移入し、見習いたい。)
☆41「嫌悪回避」欲求:人に嫌悪感を持たれたくない。(Cf.  マレー☆10「不可侵」(「保身」)欲求:社会的な批判から逃れたい。自尊心を傷つけられないようにしたい。)(Cf.  マレー☆12「防衛」欲求:非難・軽視から自己を守る。自己正当化を行う、言い訳をしてでも自分を正当化したい。)
☆42「批判回避」欲求:人から批判されることを避けたい。(Cf.  マレー☆10「不可侵」(「保身」)欲求:社会的な批判から逃れたい。自尊心を傷つけられないようにしたい。)
☆43「服従」欲求:上の人の指示に従って行動したい。(Cf.  マレー☆15「服従」(「恭順」)欲求:他人(優越・優秀な人間)に積極的に従い、協力し、仕えたい。)
☆44「優位」欲求:自分が優位であるために、自分よりも劣った人と仲良くしたい。
☆45「譲歩」欲求:争いを避けるために譲りたい。(Cf.  マレー☆20「屈従」欲求:他人に降伏、謝罪し罰を受け入れたい。痛みや不幸を楽しむ。罪悪の承服・自己卑下の欲求。)
☆46「安心」欲求:失敗しそうなことを避けて、安心な方を選びたい。
☆47「気楽」欲求:無理をせずにのんびりと人生を送りたい。(Cf.  マレー☆26「遊戯」欲求:娯楽で楽しみたい、緊張をほぐしリラックスしたい、気晴らし楽しみたい。)
☆48「挑戦」欲求:危険なことでも挑戦したい。(Cf.  マレー☆7「達成」欲求:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。)
☆49「安全」欲求:身に危険なことが生じるような、恐ろしいことを避けたい。
☆50「拒否」欲求:嫌いな人とは付き合わないようにしたい。
☆51「金銭」欲求:お金を確保したい。(Cf.  マレー☆1「獲得」欲求:財物を得ようとする欲求。)(Cf.  マレー☆4「保持」(「所有」)欲求:財物を持ち続ける(手放したくない)、貯蔵する、消費を最小化する欲求。)
(Cf. さらにマレー☆2「保存」欲求:財物を収集し、修理し、保存する欲求。マレー☆3「秩序」欲求:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。マレー☆5「構成」欲求:組織化し、構築する欲求。モノを組み立て、築き上げたい。)
☆52「生活安定」欲求:安定した生活を送りたい。(Cf.  マレー☆1「獲得」欲求:財物を得ようとする欲求。)(Cf.  マレー☆4「保持」(「所有」)欲求:財物を持ち続ける(手放したくない)、貯蔵する、消費を最小化する欲求。)

Q《協調に関する欲求》(Cf. マズローの②「安全の欲求」、③「社会欲求」(所属と愛の欲求)、④「自我欲求」(承認/尊重の欲求)(Esteem)!)
☆53「依存」欲求:誰かに助けてもらいたい。(Cf.  マレー☆25「救護」(「救援」)欲求:他人から同情を求め、依存したい。愛され、看護され、許され、慰められたい。)
☆54「親和」欲求:友だちと交流を深めたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)
☆55「協力」欲求:仕事や活動はみんなで分担して、協力し合いたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)
☆56「孤立」欲求:できるだけ一人でいたい。
☆57「恭順」欲求:信頼できる指導者に従いたい。(Cf.  マレー☆15「服従」(「恭順」)欲求:他人(優越・優秀な人間)に積極的に従い、協力し、仕えたい。)
☆58「自己規制」欲求:規則正しい生活を送りたい。
☆59「迷惑回避」欲求:人に迷惑をかけないようにしたい。(Cf.  マレー☆22「親和」欲求:他人と仲良くなる欲求。他人と交流したい、集団に加わりたい、仲良くなりたい。)

《感想》「行為の目的」・「その上位の目的」(目的は目的連関の内にある!)・「上位の目的を生み出した理由」、これらはすべて「欲望」である。かくて、《無限の種類》の「欲望」がある。

Cf. マレーの「心理・社会的な欲求」(28種類)の8分野!
マレーD《物質に関する欲求》
マレーE《野心・向上心に関する欲求》
マレーF《自己防衛・保身に関する欲求》
マレーG《支配・権力に関する欲求》
マレーH《禁止に関する欲求》
マレーI《愛情に関する欲求》
マレーJ《遊戯に関する欲求》
マレーK《情報に関する欲求》

Cf.  荻野・斎藤の「心理・社会的な欲求」(「心理発生的欲求」)(59種類)の6分野!
L《優越支配に関する欲求》
M《情的支配に関する欲求》
N《積極的活動に関する欲求》
O《関係形成に関する欲求》
P《保身に関する欲求》
Q《協調に関する欲求》
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叢小榕『老荘思想の心理学』第5章25「子を亡くした子煩悩――『適応的無意識』と道家の死生観」(『列子』力命):「自然」の変化である生死を、喜んだり悲しんだりするのは、人の勝手である!

2024-01-26 14:48:38 | 日記
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第5章「なぜ忘れる能力は必要か」
(25)子を亡くした子煩悩――「適応的無意識」と道家の死生観(『列子』力命)
魏に東門呉(トウモンゴ)という者がいた。彼は比類のない子煩悩だった。ところが彼は自分の子が死んでも、いっこうに悲しまなかった。理由を問われて東門呉が答えた。「わたしには以前、子がなかった。その時、とくに悲しむことはなかった。今、子が死んだということは、子がなかった時と同じ状況になっただけだから、何もとくに悲しむことはない。」(『列子』力命)

★東門呉の考え方には道家(ドウカ)の死生観がある。道家は人を「自然」と同一視し、生も死も「自然」の変化である。「自然」の変化である生死を、喜んだり悲しんだりするのは、まことに人の勝手である。したがって道家の死生観においては、生を喜ぶことも、死をいやがることもなく、すべてを「自然」のなすがままにゆだねる。

★だが①「人はなにか(Ex. 子)を得れば、それがなかった頃の自分にはもどれなくなる。」(Ex. 子と過ごした時代のや子の思い出を持った自分にすでに変化している)また②「ものの価値」は、それを「得る」時よりも、一度自分のものとなった後にそれを「失う」時の方が高まる。「授かり効果」!
・かくて普通は人は、「道家の死生観」をもたないので、一度子を授かった者が、子を失った時、東門呉のように「今、子が死んだということは、子がなかった時と同じ状況になっただけだから、何もとくに悲しむことはない」と思うことはできない。

★なお人には、愛する者を失った時には、悲嘆を克服する「適応的無意識」と呼ばれる心理的機構がある。自分で知ることのできる自分は「意識できるかぎりの自分」に過ぎず、人間の行動の大部分は意識では知ることのできない「無意識の適応のメカニズム」=「適応的無意識」に支えられている。人は愛する者を失って悲嘆しても、やがて「時間の推移」に伴い、自分の置かれた環境の中で、生きてゆこうとするようになる心のはたらきを無意識に(潜在的に)持っている。
★ところが「今、子が死んだということは、子がなかった時と同じ状況になっただけだから、何もとくに悲しむことはない」と思い、「子を亡くした瞬間から子がいなかった時に戻った」という東門呉は、「道家の死生観」にたつものであって、「時間の推移」に伴う「適応的無意識」のメカニズムによって「子を亡くした状況の中で生きていけるようになる」ことと異なる。

(25)-2 「適応的無意識」:すべての精神活動はもともと「無意識」的だった!脊椎動物の進化の大部分において、すべての精神活動はもともと「無意識」だった!
「適応的無意識」(適応性のある無意識)は、判断や意思決定にかかわる無意識の「適応」プロセスだ。
★「適応的無意識」としての「暗黙の学習」は、「意識的な学習」よりもはるかに古くから存在している。例えばヒトにおいて典型的なのは「言語の習得」である。子どもたちは「意識的な学習」によらず母国語を話すことを学び、社会に「適応」していく。
・「適応的無意識」とは、判断や意思決定に影響を与える一連の「無意識的な」精神プロセスである。「意識的な」視野の外で動作し、情報を素早く解釈し、どのように行動すべきかを決定する。

★「適応的無意識」という言葉は、それが生存価値を持つものであり、過去の生存における「適応」を示唆するとともに、それが「無意識」のメカニズムであることを示す。実際、脊椎動物の進化の大部分において、すべての精神活動は「無意識」的なものだった。Cf.  魚に「意識」があるとは誰も思っていない。
・脊椎動物の進化の大部分において、すべての精神活動はもともと「無意識」的だった。

★私たちの「意識」は、私たちが感じることのなく動作する既存の「無意識」のメカニズム(「適応的無意識」)に追加されるのである。

(25)-2-2 《参考》T・ウィルソン『自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学』 (邦訳 2005):本当の自分は無意識に隠されてるから、それを知ることで自己変革しよう!
「適応的無意識」はフロイトのいう「無意識」とは全く別の概念。意識できない心の領域で起こっている効率的(適応的な)情報処理を、「適応的無意識」と呼ぶ。本書は「自分を変えるにはどうしたらよいか」を知る自己啓発書であるとともに、心理学の新しい領域を示す。
☆「進化の過程で獲得してきた生存に必要な能力」という意味で、著者は「適応的」無意識と呼ぶ。
☆「適応的無意識」に含まれるものは、主要な心の働き、すなわち(a)潜在学習、(b)注意を向けて情報を選択すること、(c)解釈、(d)評価、(e)心理的免疫システム、(f)目標設定などである。「適応的無意識」は自動的処理を行い、早とちりで、ネガティブ情報に敏感である。
☆「意識的自己」にも、「適応的無意識」にも、人のパーソナリティがあり、本書では、その相関と起源が論じられる。

☆自分の心の隠されたところ(「適応的無意識」)を洞察する方法として、「出来事に一貫した説明をする物語」を作る筆記エクササイズの有益性が述べられる。
・どの様な「自己物語」をつくるか、言い換えれば「適応的無意識」の性質を知るには、他者の目を通して自分を知ることに加えて、自分の行動を観察するという方法がある。

☆自分が「なりたい」ように振る舞えば、その状態が習慣化し自動化するとともに、自己知覚過程により「適応的無意識」が書き換えられる。
・このように「行動」を意識的に変化させて「自己概念」を変化させることは、中毒や抑うつの人への援助に実際に生かされた。つまり「良いことをすれば、良い人間になる」!
☆「適応的無意識」がキーワードであり、本書は「本当の自分は無意識に隠されているから、それを知ることで自己変革しよう」と述べる。結論は「くよくよ考えすぎんな!自分を変えたけりゃ、行動あるのみやで!!実践、実践、アンド実践!」という分かりやすく力強いもの。このシンプルさ!
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