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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』I 序論(六)「精神現象学の方法」2「『精神現象学』の方法」(その1):「方法一般」のうち、「懐疑論」の契機を強調する!『精神現象学』は「意識経験の学」だ!

2024-04-13 18:39:10 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
I 序論(六)「精神現象学の方法」2「『精神現象学』の方法」
(12)「『精神現象学』の方法」(その1)(80-82頁)
★「『精神現象学』の方法」は「方法一般」のうちで、特に「懐疑論」の契機を強調するものだ。「『精神現象学』は徹底的に遂行された懐疑論である」とヘーゲルは「緒論」で述べる。(80頁)

《参考》「方法一般」:(A)直観あるいは表象(これは「全体」をつかんでいる)、(B)悟性の分析(「独断論」の立場)、(C)否定的理性(「懐疑論」の立場)、(D)肯定的理性(「定立」と「反定立」との「綜合」)(D)-1「神秘主義」と(D)-2「思弁」からなる!(78-80頁)

☆『精神現象学』は「感覚」から「絶対知」までのいろんな立場について、これらの立場をすべて否定してゆくという意味において、絶対的に遂行された「懐疑論」である。これが「方法一般」の範囲内での『精神現象学』の特徴である。(81頁)

★『精神現象学』の「方法」に関する問題①:「規準」Kuriteriumとなる「真なる知」はどこにあるのかという問題!(81頁)
☆『精神現象学』は「現象知」の叙述であって、「真なる知識」の叙述でない。その場合、「真なる知識」が「規準」として示されていなくてはならない。そうでないと「真」とか「偽」とは言えない。(81頁)
☆では「規準」となる「真なる知」はどこにあるのか?(81頁)
・「真なる知」をそとからもってきたのでは、「現象知」をそれ自身納得させて「絶対知」にまで高めることができない。かくて「規準」は「現象知」自身のうちに求めねばならない。(81頁)
・「意識」は「対象」に関係し、かくて「対象」は「意識」との関係を持っている。これが「対象」の「対他の側面」だ。(81頁)
・「対象」はまた「即自の側面」or「それ自身としての側面」も持つ。この「即自存在」or「自体存在」が「真」というものにほかならない。(81頁)
・かくて「真」と「偽」とを区別する「規準」は意識自身が持っている。(81頁)

★『精神現象学』の「方法」に関する問題②:「規準」Kuriteriumとなる「真なる知」を持ってはいても、「規準」に合うかどうかを吟味するのが「現象知」自身ではないのかという問題!(81頁)
☆しかし「対象」の「自体存在の側面」(Cf. 客観的側面)と、「対象」の「意識に関係している対他存在の側面」(Cf. 主観的側面)とは共に「意識」(Cf. 超越論的主観性)に帰属したものだから、「意識」自身がこの二つのものの区別をつねに知っている。(81-82頁)
☆かくて「意識」が自分自身で「真」と「偽」との比較をつねに行うことができる。かくて我々「哲学的観察者」がそとから「真」と「偽」との比較を行ってやる必要はない。我々「哲学的観察者」はただ「現象的意識」を内面的に考察してゆけばよく、なにも手を加える必要はない。(82頁)

★こうして「意識」は、自分の「知識」が「対象」に合うかどうかをつねに注意して、「対象」に合わない「知識」を捨て、「対象」に合うように自分(「意識」)の「態度」を変えてゆく。(82頁)
☆「意識」は、「態度」を変えるということによって、いつも新しい「経験」を獲得する。だから『精神現象学』は「意識経験の学」であると言われる。(82頁)
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