DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

内的世界と外的世界:物は、《他者のモナドに属する》という規定を持つ限りで「外的」だが、同時に常に《私のモナドに属する》ので「内的」だ!

2018-12-20 12:55:00 | 日記
(1)
「内的」世界というとき、「内」側とは何か?
(2)
私にあるのは、内側だけだ。
(2)-2
私の身体は外側と思われるが、実は私の内側だ。私の身体が、私の見ている世界に属する限り、私の身体は、私の内側だ。
(2)-3
他者は、私の見ている世界について知ることができない。私とは、私のモナド(宇宙)だ。(「私モナド」!)
(3)
私の内側に、唯一、外への窓がある。外とは他者のことだ。他者とは、他のモナド(宇宙)だ。(「他者モナド」!)
(4)
私の内的世界に、唯一の窓がある。それは他者の身体だ。身体は物だから触覚において出現する。(触覚とは物の出現のことだ。)
(4)-2
相互に他なる物が接触面の両方の側に出現するという様態でしか、物は出現しない。(触覚とは、相互に他なる物の出現という出来事だ。)
(4)-2-2
かくて《私の身体(物)》が私のモナドに属する(内側である)だけでなく、(他者のモナドに属する=他者の内側にある)《他者の身体(物)》も、私のモナドに属する(内側である)。
(4)-2-3
私の身体と他者の身体の接触において、「他者モナド」(心)そのものと、「私モナド」(心)そのものが接触する。私の内的世界そのものと他者の内的世界そのものが接触する。他者の身体は私の内的世界そのもの(内側)であって、同時に他者の内的世界そのもの(内側)だ。
(4)-3
モナドを心と呼ぶなら、心と心が(※自他の)《身体という「物」》において、直接に接触する。内面と内面が直接に接触する。
(4)-3-2
接触した(※自他の)《身体という「物」》において他者の身体は私の内的世界そのもの(内側)となるが、その他者の身体を含む他のモナドの内的世界全体は推量されるだけだ。
(4)-4
心と心が(※自他の)《身体という「物」》において、直接に接触するとき(すなわち)以外には、「私モナド」(私の内的世界)と「他者モナド」(他者の内的世界)が、内的世界の直接的な接触という様態で出会うことが絶対にない。
(5)
心と心が《身体という物》において、直接に接触することは、触覚という出来事の内で起こる。
(5)-2
触覚(一般には《感覚》;触覚が感覚の中核だ;触覚以外の感覚は触覚の補足だ)とは相互に他なる物の出現だ。あるいは物とは、相互に他なる抵抗が発生する出来事のことだ。(Cf. 質量とはこの抵抗が連続的に生じることだ)。
(6)
他者モナドに属する物(他身体)は、それが触覚という出来事、つまり相互に他なる物の出現という出来事のうちで生じるがゆえに、「他」という規定を受け取るのではない。
(6)-2
物の出現という出来事(触覚)は、相互に「他」なる物を出現させるだけで、「自」という規定を出現させない。
(6)-3
《痛みの感覚が及ぶ範囲で、かつ感情・欲望・意図に従って動く「物」》、しかも《閉じている「物」》が常に宇宙の中心にある。このような「物」のみが「自」という規定を持つ。「自」という規定を持つ「物」が自己身体だ。(参照1582)
(7)
「物」が外的と呼ばれるのは、「他者モナド」が、「私モナド」(内面世界=内側)に対して外的なためだ。「物」の意味に《他者モナドに属する》という規定が含まれるので、「物」は外的世界と言われる。
(7)-2
だが「物」は同時に常に、私の内側だ。つまり「物」は、他者のモナドに属する(外的だ)とともに、同時に常に私のモナドに属する(内的だ)。
(7)-3
「物」(という意味)は、《他者のモナドに属する》という規定を持つ限りで外的だが、同時に常に《私のモナドに属する》ので内的だ!
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笑い話「人を雇って雪かきしてもらう」Reader’s Digest (Dec. 2018/Jan. 2019):子供はいつまでも自分よりずっと若いが、実は、子供も年を取り老人になるのだ!

2018-12-20 09:36:04 | 日記
私はウィスコンシン州に住む93歳の兄に電話した。 I was on the phone with my 93-year-old brother in Wisconsin.
そこは、雪が冬、毎年、たくさん降る。 There, snow falls quite a lot in winter every year.
私が兄に言った。「兄さんも、人を雇って雪かきしてもらう年になったと思う」と。 I told him I thought it was time he paid someone to shovel snow for him.
兄は突然怒り出した。 He suddenly grew indignant.
「なんで人を雇って雪かきしてもらわなくちゃいけないんだ?」と兄が主張した。 “Why should I pay someone to shovel?”he demanded.
「息子にやらせればいい。 “I can get my son to do it.
あいつはたった70歳だ!」 He’s only 70!”

《感想1》兄は93歳。元気だ。ウィスコンシン州は冬、零下20度℃にもなり雪がたくさん降る。「もう年なんだから、そろそろ人を雇いお金を払って雪かきをしてもらった方がいい」と私。93歳は相当高齢だ。
《感想2》ところが兄は怒り出した。これは私を驚かせた。「なぜだろう」と私は思った。「息子がいるんだ。息子にやらせる。まだたった70歳だ!」と兄が言った。だが「70歳だって高齢だ!」と私は思う。
《感想3》アメリカでも日本でも共通の笑い話だ。子供はいつまでも自分よりずっと若いが、実は、子供も年を取り老人になるのだ!
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水谷修(1956-)「夜の世界が・・・・」『いいんだよ』日本評論社、2008年(52歳):若かった女の子たちも年を取る!長い人生を生きて行かねばならない!知恵を身につけねばならない!

2018-12-19 20:35:50 | 日記
夜の世界が The world of nightlife was
じつは人が人をだまし合う、食いものにする世界で actually the one where people wickedly told lies and took advantage of each other,
そこでのいたわり合いは and where having sympathies with each other was
お互いをつぶし合うものだということを知りました。 destroying each other. I came to know about these things.

多くの女の子が Many young girls managed
自分をぼろぼろにしながら生きていました。 to live while severly hurting themslves.

《感想1》①《過酷な環境》の中に生まれた子供は悲劇だ。彼・彼女が普通に生きるには、恵まれた環境に生まれた者より、はるかに多くの努力がいる。②《恵まれた環境》にいても、ひねくれ怠惰で傲慢に育つ子供もいる。
《感想1-2》「夜回り先生」として生きる水谷修氏は、《過酷な環境》に生まれた子供を救おうとする。
《感想2》《若い女の身体》は商品として男に高く売れる。《身体》を売るつまり売春は、手っ取り早く一定のカネが入る。真面目に働くより高収入だ。しかし売春は蔑まれる。《性的快楽は愛に伴うもので商品として売ることは悪だ》との倫理が世の中にある。
《感想2-2》「多くの女の子」が蔑(サゲス)まれることを承知で、経済的理由から売春する。彼女たちは蔑まれ、「ぼろぼろ」になる。
《感想2-3》女の身体を商品として買う男は、《身体》を買うのであって、《人格(心)》を買うわけでない。男は一方で、《人格》としての女を無視し蔑み、他方で、《身体》としての女を消費し性的快楽を得る。
《感想3》「夜の世界」で追求される目的は、交換価値としての《カネ》だ。《カネ》のために「人をだまし」、「食いものにする」。憂世の経験の浅い若い「女の子」には、辛い世界だ。彼女たちはまだ《海千山千》でないし、《酸いも甘いもかみ分けた》老練の存在でない。
《感想4》若い彼女らは辛さから逃れるため、しばしば若い男と恋をし彼に頼る。だが彼女を幸せにする若い男に出会うことは難しい。理由:(1)若い男が求めるのは、彼女の《人格(心)》でなく《身体》、また彼女が稼ぐ《カネ》かもしれない。(2)若い男は、彼女らと結婚するつもりは普通ないから、じきに彼女らを捨てる。(3)もちろん彼女を大切にする男も多い。しかし生活の困難もあるし病気もあるし喧嘩もある。二人の関係が破綻する。

愛は、夜の世界にもありましたが Loves existed even in the world of nightlife,
明日をつくる愛ではなかった。 but they didn’t promise that young girls would be happy in the future.
お互いになぐさめ合いながら While loves gave comfort to each other,
つぶれていく愛でした。 they became to be collapsed.
何人もの女の子が苦海(クカイ)へと沈んでいきました。 Not a few young girls sank into the world of suffering.

いい切れないほどの I can not say enough
哀しい出会いを出会いを繰り返した日々でした。 that I experienced many sad encounters with them again and again in those days.

《感想5》若かった女の子たちも年を取る。長い人生を生きて行かねばならない。知恵を身につけねばならない。あるいは悪知恵を身につけ、「食いものにする」側になる者もいるだろう。
《感想5-2》また「人間万事塞翁が馬」で、人生における幸不幸は予測しがたい。
《感想5-3》だが人生、不幸続きな場合もある。絶望の人生だ。自殺・自死に追い込まれる人がいる。
《感想5-4》「どんな雲にも 銀色の裏地がついている」(Every cloud has a silver lining.)と思い、希望を失ないたくない。
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「彼らは飲み物を分け合い――それから未来も分け合った!」Reader’s Digest (Dec. 2018/Jan. 2019)

2018-12-18 11:02:45 | 日記
 「彼らは飲み物を分け合い――それから未来も分け合った!」 They Shared a Drink ― and Then the Future

たまたま私は近くの市の会議に出張した。 By chance, I was sent to a conferance in a neaby city. 
歓迎会で私は、隣に立っていた男性と同じシャンペン・グラスに手を伸ばした。 At the welcome reception, I reached for the same champagne glass as the man standing next to me.
私たちは隣室のディナーに呼ばれるまで話をすることになった。 We struck up a conversation until dinner was called in the next room.
その男性は私の隣に座りたいと言った。 The man asked me to sit beside me.
ウェイターがやってきて、男性に向かい、「サー、奥様は何を飲まれますか?」と言った。 As the waiter passed, he turned to the man and said, "Sir, what would your wife like to drink?"
男性が私に目を向けて微笑した。 The man looked to me and smiled.
「ダーリン、何を飲みたいですか?」と彼がたずねた。 "Darling, what would you like to drink?" he asked.
それは20年前のことだった。 That was 20 years ago.
私たちは数年後、結婚した。 We married a few years later.  

《感想1》「縁は異なもの味なもの」だ。(男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、不思議でおもしろい。)この彼女の幸運な出会い!その後、20年、離婚せずうまくいったのだから。相性が良かったのだ。
《感想2》男性は「ダメンズ」でなかった。彼は、浪費家・浮気性・内弁慶で暴力的な男でない。女性は賢そうだ。彼女はReader’s Digestに投稿するような人だ。(YOUR TRUE STORIES IN 100 Words)
《感想3》「人生捨てたものではない」。「捨てる神あれば拾う神あり」。「渡る世間に鬼はない」。世の中、人生を肯定する言葉も少なくない。ほっとする。
《感想4》さらに言えば、「蓼(タデ)食う虫も好き好き」だ。苦い蓼を気に入って食べてくれる虫もいる。
《感想5》また「短気は損気」というから、こちらから突っかかったり怒鳴ったりしないで、無難に人間関係をこなしていければ、いいことがあるかもしれない。
《感想5-2》だが喧嘩を売られることも多い。「降りかかる火の粉は払わねばならぬ」。あるいは、時には「攻撃は最大の防御」だ。受け身では自分を守れない。能動的攻撃だけが君を守る。
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中原中也(1907-1937)「龍巻」(1935):おそらく失意、敗北、挫折からの淋しさ!詩人は、心がすっかり疲れている!

2018-12-17 19:45:01 | 日記
 「龍巻」 A tornado

龍巻の頸(クビ)は 殊にはその後頭(コウトウ)は The head of a torado, especially its back is
老廃血(フルチ)でいつぱい full of old waste blood.

曇った日の空に In the sky of a cloudy day,
龍巻はさも威勢よく起上がるけれど a tornado seems to forcefully raise itself.

実は淋しさ極まつてのことであり However, it did so, as a matter of fact, because it is at the hight of saddness.
やがても倒れなければならない It must collapse sooner or later.

浪に返つた龍巻は The tornado returns back to waves,
たゞたゞ漾(タダヨ)ふ泡となり and only remains to be bubbles floating.

呼んでも呼んでも Even if you call and call it,
もはや再起の心はない it doesn't intend to raise itself again.

《感想1》君は龍巻だ。しかし、その後頭部は老廃血(フルチ)に満ちる。老廃物と毒が君の頭にたまる。
《感想2》状況は暗く曇る。君は自分を奮い立たせ、立ち上がる。
《感想3》君は極まった淋しさから逃れたかったのだ。だが君は倒れる。
《感想4》龍巻は浪に返り、ただよう泡となる。
《感想5》倒れて泡となった龍巻は、もはやどんなに呼ばれても再起できない。
《感想6》おそらく失意、敗北、挫折からの淋しさ。詩人は、心がすっかり疲れている。
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