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ハイデガー『存在と時間』(1927)「序論 存在の意味への問いの提示」「第1章 存在の問いの必然性、構造および優位」「第2節 存在への問いの形式的構造」

2019-03-28 22:09:43 | 日記
第2節 存在への問いの形式的構造     (※参照:細谷貞雄訳(1994))
A 「存在の意味への問いを、問いとして立てる」。これが当面の課題だ。
《感想1》それにしても、なぜ問題は「存在者の存在」なのだ?《虚無》を問題にしないのか?
《感想2》《虚無》は問いえないのだ。手がかりがない。現存在(※人間存在)は存在する(《有》である)のであって、《虚無》を知らない。
《感想2ー2》現存在(※人間存在)は存在するから、「存在の意味」について問う手がかりを持つ。
《感想3》ハイデガーは「序にかえて」で、古代以来、哲学の目標は「存在者の存在」の理解だったと述べるのみだ。《虚無》について語らない。

B ここで一般に「問い」というものに、どういう条件が必要かを簡単に論じる。
Bー2 その上で、存在問題は、「格別な問い」であることを見届ける。
《感想》「存在への問い」は、普通の問いではない。「格別な問い」だ。どう「格別」なのか、あらかじめ見届けておく必要がある。

一 「存在への問い」においては、「大まかな漠然とした存在了解」がすでにあらかじめある!
C 一般に「問い」というものにはどういう条件が必要か?問うということは「求める」ことであり、「・・・・・・へ向けられた問い」である。かくて「求められているもの」(※答え)が「問い」にあらかじめぞくしている。
《感想》「問い」は、「求められているもの」にあらかじめ「先導され」ていると、ハイデガーは言う。それはそうだ。闇雲に問うわけでない。《何か》について問うのだ。

C-2 かくて「存在への問い」においては、すでにあらかじめ「存在とは何か」が漠然と了解されている。(「すでにある存在了解」あるいは「大まかな漠然とした存在了解」!)

二  問われているのは、「存在」であって「存在者」でない!
E 「存在の意味への問い」において「問われているものは、存在である。」問われているのは、「存在者」でない。
E-2 「存在」を明らかにするためには、「存在者」を発見する様式と異なる、「特別な挙示様式」が必要だ。

三 どの「存在者」から「存在」の開示を始めるか?「範例的な存在者」は何か?
F あらゆる「存在者」のうち「どの存在者について存在を読み取ったらよいのか」?「どの存在者から出発して存在の開示を始めたらよいのか」?

 四 「範例的な存在者」は「現存在」である!
G 「問いを問う」ことは、「存在者の存在(Sein von Seiendem)の様態」だから、「問うている存在者」(※「現存在」)は、「問いが向けられている当のもの」(つまり「存在」)の側から本質的に規定される。
《感想1》「存在」を「問う」ことは、「存在」の一様態だ。

G-2 ハイデガーは、存在を問う「存在者」を「現存在」(Dasein)と呼ぶ。
《感想2》存在を「問う」こと自身が、存在の一様態だ。
《感想3》「現存在」(※人間存在)は、「存在」の側から本質的に規定される。かくて「現存在」の「存在」が解明されねばならない。

H 「存在者」の「存在」について、我々には「平均的な存在了解」があらかじめある。これを「明確な概念」のもとに置くことが、「存在への問い」の目的だ。
H-2 「この存在了解は、つきつめれば、現存在(※人間)そのものの本質的構成に属している」。
《感想4》「現存在(※人間存在)そのものの本質的構成」を明らかにすることで、「平均的な存在了解」の意味つまり「存在」の意味を「概念」化する。これが『存在と時間』の目的だ。


Cf. 参照:「序に代えて」より
(1)
A 古代以来、哲学の目標は「存在者の存在」の理解だった。「普遍的存在論」!
B 「存在」は存在者の経験において、常に表立たずに、了解されている。「存在了解」!
Bー2 かような「存在了解」は、「われわれ自身がそれであるところの存在者」つまり「現存在」に備わっている。
(2)
C 「基礎存在論」:存在了解の地平をあらわにするのが、基礎存在論だ。これが『存在と時間』の課題である。基礎存在論は、かくて漠然とした通俗的な存在了解の水準を、脱却する。
Cー2 「時間」が、存在了解の地平をなす。
(3)
D 「現存在の分析論」:存在了解が現存在(※人間存在)にそなわる。現存在という存在者の分析を行い、存在了解の構造・条件・可能性を明らかにする。
Dー2 現存在(※人間存在)の分析論は、現存在の根本的構成を明らかにする。その場合、「本質的な実存現象」(良心、死、負い目)の存在論的解釈を行う。
(4)
E 現存在の分析論は、「時間性」をあらわにする。
(5)
F 「時間」がどのよう存在了解の地平としての機能を発揮しているかを示すことで、・・・・存在一般の意味への問いに答えが得られる。
(6)
G 存在論において、古代以来、「時間」が存在論的問題設定の表立たぬ地平としてはたらいてきた。
Gー2 ・・・・しかし、この存在了解の地平としての時間は、蔽われたままであった。
(7)
H この論考『存在と時間』は、「現存在」(※人間存在)の時間性に含まれている「時間」にもとづいて、「存在」とそれのもろもろの様態とを解釈する。
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「寵愛を受けた象」『クルイロフ寓話集』岩波文庫:他人を賞賛するのにかこつけて、自分を賞賛する!「お手盛り」or「自画自賛」!

2019-03-28 18:39:50 | 日記
 「寵愛を受けた象」 An elephant loved by King lion

なぜあの象(彼女)が王ライオンの寵愛を受けたのか? Why the elephant (she) was loved by King lion?
動物たちが驚いた。 Animals were surprised.
狐が言った。「もし象が私のように美しい尻尾を持つのなら、私は驚かない。」 A fox said, "If she has a beautiful tail like me, I am not surprised."
熊が言った。「もし象が私のように強い爪を持つのなら、私は驚かない。」 A bear said, "If she has strong claws like me, I am not suprised."
雄牛が言った。「もし象が私の角と同じような立派な牙を持つのなら、私は驚かない。」 An ox said, "If she has great tusks that are similar to my horns, I am not surprised."
ロバが言った。「象は私のように大きな耳を持つ。だから王ライオンが彼女を愛する。」 A doncky said, "She has large ears like me. Therefore, King lion loves her."
教訓:我々は他人をほめながら、密かに自分を誇る。 Lesson: We are secretly proud of myself while we admire others.

《感想》誰もが自尊心をもち、人から賞賛されたい。だから他人を賞賛するのにかこつけて、自分を賞賛する。「お手盛り」or「自画自賛」!
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