[馬場あき子選]
(石川県・瀧上裕幸)
〇 泥葱の束を洗へば真白なる光の中に亡き母は見ゆ
「泥葱の束を洗へば真白なる」とは、「何かの啓示か?」とも思われる、含蓄の深い十七音である。
〔返〕 泥葱の泥を漱げば濁りたる泉の底に潜める巨鯉
庭の泉に飼い置いた鯉の命を頂いて、洗いにしたり、甘煮にしたりしていた故郷の正月。
ブログを通じて今年新たに便りを交わすようになった天童市ご在住のKさんのお住いの庭にも、鯉魚を飼い置く泉が在ったように思われるが、Kさんも亦、かつての私たちのように、正月の肴として、「鯉の洗い」や「鯉の甘煮」をお召し上がりになるのでありましょうか?
(佐世保市・近藤福代)
〇 人工授精に生れし子健やかに草を食む乳牛の群れにおだやかな冬
「草を食む乳牛の群れ」の中に「人工授精に生れし子(牛)」が交じっている景色を詠んでいるのであるが、「人工授精に生れし子牛)よ、柔らかな草を沢山食んで健やかに育て!乳牛の群れたちにおだやかな冬よ来たれ!」との、作者の祈れるような気持ちが込められている一首である。
私たち読者は、大幅な字余り作品であるのにも関わらず、この一首を敢えて二席入選作とした、選者・馬場あき子氏のご配慮とご心境とに思いを致すべきでありましょう。
選者の馬場あき子氏は、昭和三年一月二十八日生まれであり、明けて八十八歳の米寿の春をお迎えになるのである。
〔返〕 多摩の岡柿生の里に住まひゐていとも健やか馬場あき子氏は
(気仙沼市・千葉迅太)
〇 廃線の鉄路踏まえて親しげな羚羊の瞳に今朝もまた会ふ
詠い出しの「廃線の鉄路踏まえて」から連想されるのは、過ぎし「3・11」の東日本大震災の惨禍である。
斯かる大惨禍を踏まえた上での「親しげな羚羊の瞳に今朝もまた会ふ」という、穏かな措辞には、安らぎと癒しとを感じさせられるのである。
東日本大震災に取材しながらも、震災そのものをストレートに詠もうとしないのは真に宜しい。
敢えて申し上げますが、美原凍子さんなどの朝日歌壇の常連作家諸氏は、この際、掲歌の作者・千葉迅太さんの創意あふれる作風を見習うべきでありましょう。
東北の山間部には、数多くの日本羚羊が棲息しているのであり、私も、八年間の田舎暮らしを通じて、彼ら・羚羊たちの澄み切った瞳に度々見据えられたことでありました。
〔返〕 敗戦の惨禍乗り越え六十余平成甲午の春迎へむとす
(西条市・亀井克礼)
〇 冬の日に乱反射するビニールハウスクロイツェルソナタ流れ苺が太る
「永田和宏選」九席を参照されたし。
(静岡市・篠原三郎)
〇 芽鱗とう言葉に出会い辞書を引く橅の林の早春待たる
作中の「芽鱗」とは、改めて辞書を引くまでも無く「植物の冬芽を包んでいるうろこ状の微小な葉」である。
ところで、掲歌の作者・静岡市ご在住の篠原三郎さんは、「芽鱗」という「言葉に出会い」、その意味が解らないままに「辞書」を引いたのでありましょう。
通常、言葉の意味を知らなかったりすると、思わぬ恥を掻いたりする場合が多いのであるが、篠原三郎さんの場合は、「芽鱗」という「言葉」の意味を知らなかったが故に「辞書を引く」機会を得、その結果、朝日歌壇の「馬場あき子選」に入選作となるような短歌を詠むを得たのであるから、時に拠っては、言葉の意味を知らない方が、知っているよりも幸せを齎すものである。
〔返〕 冬樹なほ芽鱗で以って芽を守る東京電力政府が守る
(東京都・大村森美)
〇 山見ずはいつもと変わらず磯菊が土石流禍の島を彩る
詠い出しの「山見ずは」とは「もしも山を見ないのならば」という意味である。
即ち、打消しの助動詞「ず」に下接して「ずは」という形を取る時の「は」は、順接仮定条件の接続助詞「ば」と同じような働きをするのである。
結社に所属されているベテラン作家の方々の中には、係助詞「は」のこうした用法を、正しくご理解なさらないままに使っていて、しかも意味の通じる作品を詠んでいる方がまま居られるのであるが、理論的な裏付けが出来ていて使っている場合と、その逆の場合とでは大きな違いがありますから、この機会に、連語「ずは」の用法を正しくご理解なさいますように。
即ち、一首の意は「今は秋、磯菊がいつもの年と変わらずにこの島の秋を彩って咲いているのであるが、実の事を言うと、この島は、過ぎし『3・11』の東日本大震災に見舞われ、未だに上流から押し寄せた土石流に拠って埋められている島なのである。この島の山は至るところ崩壊状態に置かれているのであるが、そうしたこの島の山の実態を見なかったとしたならば、未だに土石流禍に泣かされているこの島の悲惨な状態が解らなく、いつもと変わらないように思われるのでありましょう」といったところでありましょうか。
〔返〕 家ごとに〆飾り居て例年と変はらざりける正月風景
(つくば市・池上晴夫)
〇 共に病む身を庇い合い歩みきし深まる秋を惜しむかに似て
「深まる秋を惜しむかに似て」とは、老齢にして他病に悩む私としては、涙無しには読めません。
〔返〕 共に病む吾にしあれば涙して一首哀しく拝読し居り
(岡山市・北村文男)
〇 西行の越えたる海の浜に立ち讃岐望めばさざ波ばかり
素朴な疑問ではあるが、地名としての「海の浜」は存在するのでありましょうか?
存在するので無ければ、「西行の越えたる海の浜に立ち」という表現は、極めて恰好の悪い表現でありましょう。
西行は、その当時、文字通りの小島であった「吉備の児島」から四国へと渡海した、との説が在りますが、そうした事柄なども頭の中に入れながら、更なる推敲が望まれるのである。
〔返〕 西行の渡海せるとふ児島から讃岐望めばさざ波ばかり
今日は大晦日、今年新たに黄泉路を行く存在となった、歌手・島倉千代子が、「日本レコード大賞・特別賞」受賞曲「愛のさざなみ」を引っ下げて、紅白の舞台に立ったのは昭和四十三年の大晦日のことでありました。
それにしても、どのように改作しても、「さざ波ばかり」という五句目の恰好悪さには変わりがありません。
(西宮市・室文子)
〇 先生も一緒にとんだ大なわはスリル満点体ポカポカ
「スリル満点体ポカポカ」という七七句は、作者が学童であることを考慮してみても、あまりにもお粗末である。
〔返〕 おなご先生一緒に大縄跳びましょうおとこ先生視ているからね
(海老名市・川上益男)
〇 ものごとに相性あるは常ならむ小樽の夜は雪降るがよし
「ものごとに相性あるは常ならむ」という鹿爪らしい上の句と言い、「小樽の夜は雪降るがよし」という低俗歌謡めいた下の句と言い、真にくだらない作品が入選したものである。
作者の川上益男さんとしては、それなりの思い入れがあるのでありましょうが?
選者の馬場あき子先生も、少々焼きが回ったのでありましょうか?
〔返〕 伊呂波似歩屁吐常奈良夢有為乃奥山毛布肥絵丹鳧
当返歌を以って、巳年の笑い納めとさせていただきます。
読者の皆様、よいお年をお迎え下さい。
(石川県・瀧上裕幸)
〇 泥葱の束を洗へば真白なる光の中に亡き母は見ゆ
「泥葱の束を洗へば真白なる」とは、「何かの啓示か?」とも思われる、含蓄の深い十七音である。
〔返〕 泥葱の泥を漱げば濁りたる泉の底に潜める巨鯉
庭の泉に飼い置いた鯉の命を頂いて、洗いにしたり、甘煮にしたりしていた故郷の正月。
ブログを通じて今年新たに便りを交わすようになった天童市ご在住のKさんのお住いの庭にも、鯉魚を飼い置く泉が在ったように思われるが、Kさんも亦、かつての私たちのように、正月の肴として、「鯉の洗い」や「鯉の甘煮」をお召し上がりになるのでありましょうか?
(佐世保市・近藤福代)
〇 人工授精に生れし子健やかに草を食む乳牛の群れにおだやかな冬
「草を食む乳牛の群れ」の中に「人工授精に生れし子(牛)」が交じっている景色を詠んでいるのであるが、「人工授精に生れし子牛)よ、柔らかな草を沢山食んで健やかに育て!乳牛の群れたちにおだやかな冬よ来たれ!」との、作者の祈れるような気持ちが込められている一首である。
私たち読者は、大幅な字余り作品であるのにも関わらず、この一首を敢えて二席入選作とした、選者・馬場あき子氏のご配慮とご心境とに思いを致すべきでありましょう。
選者の馬場あき子氏は、昭和三年一月二十八日生まれであり、明けて八十八歳の米寿の春をお迎えになるのである。
〔返〕 多摩の岡柿生の里に住まひゐていとも健やか馬場あき子氏は
(気仙沼市・千葉迅太)
〇 廃線の鉄路踏まえて親しげな羚羊の瞳に今朝もまた会ふ
詠い出しの「廃線の鉄路踏まえて」から連想されるのは、過ぎし「3・11」の東日本大震災の惨禍である。
斯かる大惨禍を踏まえた上での「親しげな羚羊の瞳に今朝もまた会ふ」という、穏かな措辞には、安らぎと癒しとを感じさせられるのである。
東日本大震災に取材しながらも、震災そのものをストレートに詠もうとしないのは真に宜しい。
敢えて申し上げますが、美原凍子さんなどの朝日歌壇の常連作家諸氏は、この際、掲歌の作者・千葉迅太さんの創意あふれる作風を見習うべきでありましょう。
東北の山間部には、数多くの日本羚羊が棲息しているのであり、私も、八年間の田舎暮らしを通じて、彼ら・羚羊たちの澄み切った瞳に度々見据えられたことでありました。
〔返〕 敗戦の惨禍乗り越え六十余平成甲午の春迎へむとす
(西条市・亀井克礼)
〇 冬の日に乱反射するビニールハウスクロイツェルソナタ流れ苺が太る
「永田和宏選」九席を参照されたし。
(静岡市・篠原三郎)
〇 芽鱗とう言葉に出会い辞書を引く橅の林の早春待たる
作中の「芽鱗」とは、改めて辞書を引くまでも無く「植物の冬芽を包んでいるうろこ状の微小な葉」である。
ところで、掲歌の作者・静岡市ご在住の篠原三郎さんは、「芽鱗」という「言葉に出会い」、その意味が解らないままに「辞書」を引いたのでありましょう。
通常、言葉の意味を知らなかったりすると、思わぬ恥を掻いたりする場合が多いのであるが、篠原三郎さんの場合は、「芽鱗」という「言葉」の意味を知らなかったが故に「辞書を引く」機会を得、その結果、朝日歌壇の「馬場あき子選」に入選作となるような短歌を詠むを得たのであるから、時に拠っては、言葉の意味を知らない方が、知っているよりも幸せを齎すものである。
〔返〕 冬樹なほ芽鱗で以って芽を守る東京電力政府が守る
(東京都・大村森美)
〇 山見ずはいつもと変わらず磯菊が土石流禍の島を彩る
詠い出しの「山見ずは」とは「もしも山を見ないのならば」という意味である。
即ち、打消しの助動詞「ず」に下接して「ずは」という形を取る時の「は」は、順接仮定条件の接続助詞「ば」と同じような働きをするのである。
結社に所属されているベテラン作家の方々の中には、係助詞「は」のこうした用法を、正しくご理解なさらないままに使っていて、しかも意味の通じる作品を詠んでいる方がまま居られるのであるが、理論的な裏付けが出来ていて使っている場合と、その逆の場合とでは大きな違いがありますから、この機会に、連語「ずは」の用法を正しくご理解なさいますように。
即ち、一首の意は「今は秋、磯菊がいつもの年と変わらずにこの島の秋を彩って咲いているのであるが、実の事を言うと、この島は、過ぎし『3・11』の東日本大震災に見舞われ、未だに上流から押し寄せた土石流に拠って埋められている島なのである。この島の山は至るところ崩壊状態に置かれているのであるが、そうしたこの島の山の実態を見なかったとしたならば、未だに土石流禍に泣かされているこの島の悲惨な状態が解らなく、いつもと変わらないように思われるのでありましょう」といったところでありましょうか。
〔返〕 家ごとに〆飾り居て例年と変はらざりける正月風景
(つくば市・池上晴夫)
〇 共に病む身を庇い合い歩みきし深まる秋を惜しむかに似て
「深まる秋を惜しむかに似て」とは、老齢にして他病に悩む私としては、涙無しには読めません。
〔返〕 共に病む吾にしあれば涙して一首哀しく拝読し居り
(岡山市・北村文男)
〇 西行の越えたる海の浜に立ち讃岐望めばさざ波ばかり
素朴な疑問ではあるが、地名としての「海の浜」は存在するのでありましょうか?
存在するので無ければ、「西行の越えたる海の浜に立ち」という表現は、極めて恰好の悪い表現でありましょう。
西行は、その当時、文字通りの小島であった「吉備の児島」から四国へと渡海した、との説が在りますが、そうした事柄なども頭の中に入れながら、更なる推敲が望まれるのである。
〔返〕 西行の渡海せるとふ児島から讃岐望めばさざ波ばかり
今日は大晦日、今年新たに黄泉路を行く存在となった、歌手・島倉千代子が、「日本レコード大賞・特別賞」受賞曲「愛のさざなみ」を引っ下げて、紅白の舞台に立ったのは昭和四十三年の大晦日のことでありました。
それにしても、どのように改作しても、「さざ波ばかり」という五句目の恰好悪さには変わりがありません。
(西宮市・室文子)
〇 先生も一緒にとんだ大なわはスリル満点体ポカポカ
「スリル満点体ポカポカ」という七七句は、作者が学童であることを考慮してみても、あまりにもお粗末である。
〔返〕 おなご先生一緒に大縄跳びましょうおとこ先生視ているからね
(海老名市・川上益男)
〇 ものごとに相性あるは常ならむ小樽の夜は雪降るがよし
「ものごとに相性あるは常ならむ」という鹿爪らしい上の句と言い、「小樽の夜は雪降るがよし」という低俗歌謡めいた下の句と言い、真にくだらない作品が入選したものである。
作者の川上益男さんとしては、それなりの思い入れがあるのでありましょうが?
選者の馬場あき子先生も、少々焼きが回ったのでありましょうか?
〔返〕 伊呂波似歩屁吐常奈良夢有為乃奥山毛布肥絵丹鳧
当返歌を以って、巳年の笑い納めとさせていただきます。
読者の皆様、よいお年をお迎え下さい。